家の花、道端の花、花器

自宅庭や道端の花を「一種類だけ」花器に入れてみたい。私には二種以上を組み合わせ美しく見せる、センスも技術もないので。

菜の花、吉野川第十堰

2024-02-09 01:05:21 | 庭の花、道端の花

吉野川第十堰北岸の菜の花畑。
かつて「第十堰問題」というのがあった。色んな利害、錯綜があっただろう、あらゆる事態がそうであるように。
当時遠く古里から離れていた私の単純な理解は、第十堰改修(新設)推進派の主張は「治水」だった。100年に1度の大雨が降れば、このままでは地域は氾濫にさらされるというものだった。反対派は、100年に1度のためにこの美しい景観を壊すことはならぬ(100年に1度なら「受けいれる」)というものだった。

ドイツで私は「氾濫域」という言葉を知った。(娘が数年ドイツで仕事をしており、現実にラインの氾濫を経験した)
ラインの川面と土堤の高低差は、私の知る範囲では、日本のそれに比しおそろしく小さい。すぐ溢れそうな場所が多い。大きいラインの川幅が、それを吸収するのだろうが、それでも「水害」は頻繁に起こっている。しかしそれは、覚悟した「氾濫域」が、吸収しているのだろう。ラインに堤防を築く話を、私はきいたことがない。吸収しきれなかった被害は、「コスト」である。「必要経費」、・・・別な利益のための。おそらく「景観」保持のための。

「首都圏外郭放水路」が有名である。「令和元年東日本台風(颱風19号)」で有効性を証明した。他にも「放水路」「遊水池」はいっぱいある。
2020年7月、球磨川で大きな水害があった。ここでは確か、ダム計画が住民反対で実施されなかったと記憶する。住民の気持ちは十分に分かるし私もそこに住んでいればおそらく反対側に立っただろう。ダム以外に方法はないのかと。
方法はいろいろあると国も県も知っていると思う。しかしそれをやるには土地(地権者)の問題がある。広大な土地を要するので、地権者は多人数だろう。おそらく、まとめるのは不可能と思う。日本は「強権国家」でない。

防潮堤にしても、100年あるいは数100年単位の「津波」のために、海岸線を覆うことが、本当にいいことなのだろうか。失うものが多くないか。これも、代わる「名案」はあると思う。私ですら浮かぶ。しかし土地問題で、ほぼ絶対、まとまらないだろう。だから海岸線の公道を使って防潮堤(目隠し壁)を作るしかない。

(因みに吉野川は「四国三郎」と呼ばれます。坂東太郎・利根川、筑紫次郎・筑後川です)


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