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アルファロメオと小倉唯

アルファロメオとジュゼッペ・ブッソ

息子がまた休みを取って帰省するというので、ペッピーノさんで迎えに行きました。

 

その道すがらで、なんとアルファロメオ155に遭遇!

 

30年近くを共にしたうちのメメを…

 

 

マエストロのところに売って泣く泣くお別れしてから、155は一回も見かけていませんでした。

 

でもボディがワイドな感じで「あー、8バルブのバージョンじゃないんだな」と思ってナンバーを見たら、やはり3ナンバー。

 

ナローボディで日本では5ナンバーになっていた、アルファオリジナルの8V4気筒のエンジンを積んていたメメとは…

 

兄弟ではあるけれど、別物。

 

1995年以降に製造された後期型の155、つまり…

 

ワイド版155のエンジンは、フィアット製のブロックとコンポーネンツを使った「プラートラ・セーラ」シリーズと呼ばれるものです。

 

喜びと懐かしさ半分、これじゃないんだよな感が半分という出会いでした。

 

マフラー以外は「吊るし」の状態だったうちのメメとは違ってその155は…

 

(メメはマフラーだけアーキュレーというブランドのものに替えてありました)

 

リアウイングやサイドスカートなど、外観にもいろんな追加パーツが付け足してありました。

 

まあでも155自体もう約30年の車歴を持っている車だし、もともと国内には弾が少なかったので…

 

お目にかかるのはとってもレアなことで、ラッキーだったのは確か。

 

それと同時に、メメはいまどうしているのか、元気でいるのかなと思いを馳せました。

 

新しいオーナーさんは古いアルファのコレクターで、まだメメも所有してくれているのですけれど…

 

ガレージに死蔵されているのではなく、ちゃんと乗ってもらっているといいな。

 

できれば買ったときのまま、いろんなもの付けないでオリジナルの姿でいてほしいな、などと。

 

新オーナーさんも、メメの型は、105系ジュリアなどで名を馳せた「アルファツインカムエンジン」の最終発展形である…

 

8バルブツインスパーク2.0エンジンを積んでいる車である、ということで、コレクションに加えようと思ったのでしょう。

 

しかも30年近くワンオーナーで、外観もすごく綺麗に(途中全塗装し直してます)中味も丁寧にメンテして乗っていた車ですから。

 

特にエンジンは新車時と変わらないくらい、というかそれ以上に…

 

レッドゾーンまでビュンビュン軽く回る、絶好調のコンディションでした。

 

あの感覚を、今でも乗って楽しんでくれているといいな、と思うのです。

 

エキマニの後ろから全とっかえしたアーキュレーのマフラーは、ちょっと派手過ぎる音を立てていましたけど。笑

 

それにしても、そんなにパワーは出ないけれど、ほんとに気持ちのいいエンジンでした。

 

1954年に初めて製造されてから、1994年の生産終了まで…

 

途中、キャブレター方式からインジェクションに変ったり、デュアルイグニッションになったりいろいろ進化を続けながらも…

 

なんと40年も生きながらえていた、歴史的な名機ですから。

 

余談ですが、アルファロメオはツインカムDOHC(イタリア語でビアルベロ)エンジンを…

 

1914年(発明された翌年)に製造した、パイオニアメーカーのひとつです。

 

後に「ツインスパーク」とアルファが呼ぶことになる、デュアルイグニッションシステムについても、このときに…

 

世界で初めて実用化されたものです。

 

創業直後から「エンジン屋」として、フロンティアを開拓して来たメーカーだったのです。

 

戦争中は戦闘機の航空エンジンの開発、製造も行っていました。

 

こういうのは、BMWやスバル(中島飛行機)と同じですね。

 

戦後の1970年代後半、可変バルブタイミング機構を、初めて市販量産車のエンジンに採用したのもアルファロメオでした。

 

ハンドリングの面白さがクローズアップされるアルファですし、実際にそれは本当なのですが…

 

マニアックなエンジン屋、それも先進的な機構をエンジンに付け加えることによって…

 

基本設計が古いエンジンを長く使い続けるというのも、アルファの伝統といえるでしょう。

 

それは、技術力は高いけれど経営が下手ということで、開発資金が限られがちな会社の悩みを反映していたのかもしれません。

 

でも一方で、常に熟成度の高いエンジンを使って来たことが…

 

「電装系は弱いけれどエンジンは堅牢で荒い使い方をしても壊れない」というアルファのパブリックイメージにつながっているのかも。

 

ところで、メメが積んでいた「アルファ・ツインカム」と呼ばれるエンジンの系譜ですが…

 

中には「サッタ直4」なんて言うニックネームをつける人もいるぐらいで…

 

この直4エンジンの開発を主導したのは、当時アルファのチーフエンジニアだった…

 

オラツィオ・サッタ・プリーガ氏だと思っている人が多いようです。

 

実際は、エンジンの開発を担当したのは、これまたアルファの伝説的名機とされているエンジンで…

 

うちのペッピーノさんが積んでいる「ブッソV6」の開発者と同じ、ジュゼッペ・ブッソ氏です。

 

 

ついでに言えば、エンツォ・フェラーリがアルファロメオのレーシングチーム監督を辞めて…

 

独立して作ったフェラーリ社の、初めての量産型V型12気筒エンジンは…

 

当時フェラーリのチーフ・エンジニアであった、ジョアッキーノ・コロンボ氏の手になるとされていたため…

 

「コロンボV12」エンジンと通称されています。でもフェラーリ社の資料を良く調べてみると…

 

実際に開発を担当したのは、一時期フェラーリに在籍していた、ジュゼッペ・ブッソ氏だったことがわかります。

 

ジュゼッペ・ブッソという人は、イタリアの自動車と自動車レースの「歴史を作った」とも言える…

 

V12、V6、直4、名機と呼ばれる三つのエンジンの生みの親である、大天才エンジニアだったのです。

 

また、ジュリエッタ、ジュリア(105系)、アルフェッタ、ティーポ33ストラダーレといった…

 

アルファの歴史を彩る名車たちを、開発ディレクターとして世に送り出して来ました。

 

そして2006年1月3日、彼の作品として最後まで現役で残っていた「ブッソV6」が、完全生産終了になった3日後に…

 

ブッソ氏は92歳で亡くなりました。

 

それはアルファの創業地であるロンバルディア州(ミラノ)に、最後に残っていた「アレーゼ工場」の実質的な終焉でもありました。

 

(「ALFA」というのは「ロンバルディア自動車工業会社」というイタリア語の略です)

 

そのブッソ先生が生み出した名エンジン、直4、V6それぞれの「ほぼ」最終進化形を積んだ車を…

 

乗り継いで来られたのは、すごく幸せなことです。

 

メメの「長寿」を願いつつ…

 

同じブッソ氏が生んだ子どもである、V6エンジンを積んだペッピーノさんを、大事に乗りたいです。


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コメント一覧

angeloprotettoretoru
@kuwa16madaowa クワヒロさま。
アレーゼ工場には若いころ見学に行ったことがあるんです。当時から工場に併設されていた広大な博物館も見ましたが、見学者が他にいなくて貸切でした。
今は工場ではなくなってアルファロメオ博物館だけが残っています。当時は説明板などがあまりなかったのが、今は改装して丁寧で詳細な説明が1台1台に付いてるようです。
そうした記憶も今は遠く、日本で新車がたくさん売れてるイタリア車はアバルト595、695だけという時代。寂しい限りです。
kuwa16madaowa
こんにちは。
プントを買ったディーラーの名前がアレーゼだった意味がようやくわかりました。
今やアルファは撤退して看板は下ろし、500屋さんになって黑サソリの看板掲げていますが。
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