そうしていたら、今から35年?36年?前に、海外のレーシングスクールに短期入校して、フォーミュラ・フォードに乗って特訓した思い出が蘇りました。
もう既に遠い記憶になって細部を忘れたところが多いのですが、記憶がさらに薄れないうちに記録しておきたいと思ったので…
主に自分用の備忘録として体験を書き残しておきたいと思います。
そもそもモータースポーツを始めたのは、仕事仲間にスポーツカートをやっている男がいて、彼から誘われてカートを始め…
まもなく筑波サーキットでKP-61(最後のFRスターレット)のワンメイクレースに出るから、一緒にクルマを所有して出場する仲間を募ると聞いて、参加したのです。
それでやっているうちに「俺って特別に速いんじゃないか」という勘違いが生じ、当時やっていた週刊誌の仕事が嫌だったのもあり…
辞めてレーシングドライバーになれないかという、今から考えると、とんでもない誇大妄想の虜になり。
(いくらなんでも始めるのが遅すぎますよね)
かといってスポンサーはなく、当時は国内にスクールがなかったので、海外に行って挑戦、となったわけです。当時はお金もあったので。
このスクールの目標は、その国のフォーミュラレースのエントリークラスであったフォーミュラ・フォードの国内選手権に参戦する資格を取ることでした。
スクールの日程は基本的に6日間。課程をすべて終えて「卒業試験」のタイムアタックで、規定のタイムを切ることができなければ、落第。
落第したら参加フィーは、すべて損します。
参加者は5人もいなかったと記憶していますが、様々な国から来ていました。自分で持ち込むものは装備一式だけ。サーキットはスクールが押さえ、マシンも用意してくれました。私物は…
KPで使っていた、ブルーのレーシングスーツと、ブルーのディアドラのレーシングシューズ(ソールが薄くて硬い)、ブルーのレーシンググローブ、白無地のアライのヘルメットでした。
カッコつけて青づくめ。今振り返ると恥ずかしくて穴があったら入りたい。まさに我が黒歴史。
教材のマシンは、ヴァンディーメンというコンストラクターの、RF88というモデル。こんなもの。

一年ほど型落ちのものでした。ちなみに私が使っていた個体もホワイトでした。
普通のロードカー(スポーツカーも含む)とは全く別の乗り物。
まず脚をほぼ前方に投げ出した格好でシートに着くので、ペダルは踏むのではなく、前方に押す、というより、蹴り込む感覚です。
ミッションは4速で、とても小径のステアリングのすぐ右横(やや下の前方)に、小さなシフトレバーが付いています。
クラッチは普通の人の感覚からすると半クラが無い、としか感じられないもので、カチカチと繋がったり切れたりする感じ。
停止状態からスタートするのはハコのマシンよりさらに神経質で、回転が低すぎるとエンストし、高すぎると盛大な音と煙を上げてホイルスピンします。
そうすると「タイヤが減る!」と教官から怒られる。クラッチを繋ぐのがゆっくりだと「焼けちまう!」と怒られる。
もちろんシンクロ装置などないので、シフトチェンジは回転を合わせてやらないとガクーンと来る。
ブレーキングしながらシフトダウンするときは当然ヒールアンドトゥ。
まあそれは当たり前ですが、電子制御の各種アシストはもちろん、ウイングなどの目立つ空力パーツもなくて、すごくプリミティブなマシン。
挙動が恐ろしく敏感で神経質なので、それだけにテクニックを磨く教材としては最適でした。
傾向としてはどオーバーステアなので、コーナーの出口で少しでも早くスロットルを開けると、ものすごい速さでケツを振り出して、簡単にスピンします。
滑ってからスロットルを戻したり、カウンターを当ててもだめ。兆候を感じたらすぐ対処しないと。
それまで乗っていたツーリングカーとは次元が違うスパルタンさ。
今考えると、訓練のためにわざと過敏なセッティングを施してあったのかもしれないですが。
いったい何度スピンして、教官からドヤされたか。同僚の目を気にして恥ずかしかったし。
カートでスピンするのとは全然違う怖さがありました。スピードも、重量による慣性の大きさもカートとは段違いだから。
何より一番怖かったのは、ストレートで走りがブレるという指摘を受けて…
(ステアリングがロックトゥロックで1回転もしないくらい超クイックなのもあるかと)
それを直すからとストレートのライン上に三角コーンを立てられたこと。
パネルにスピードメーターがないので(中央に回転計がある他は水温計と油温計だけ)ストレートスピードがどのくらいか見当つかないのですが…
たぶん200キロを超えているスピードで、車幅ギリギリの間隔に立てられたパイロンの間をすり抜けるのです。
しくじったら跳ね飛ばしたパイロンがコクピットに飛んで来るのではないか(首の骨が折れそう)…
それ以前にパイロンを踏んで飛び跳ねて、コントロールを失ったら、確実に大クラッシュですから。
信じられない、と思った。殺す気か?と。
もちろん、練習中の事故で負傷したり死亡しても、スクール側の責任を問わないという念書にサインさせられているんですけれど。
今でもそんな危ないことをさせているのか、それとも時代だったのかはわからないですが、あれはやばかった。
おかげで、ストレートで左右にブレてタイムロスすることがなくなったとは言われましたけど。命がけで直したクセです。
あとそのセッションごとに目標タイムが設定されていて、それをクリア出来ないと、マシンから下りることが許されない。
夏だったので、給水だけはさせてもらえたけれど。
長丁場になると縦横のGを支えている首がつらくなるし、サーボのないブレーキを思い切り押し続ける脚はガクガクしてくるし…
高速コーナーでステアリングをホールドするのにも力が要るので、腕もきついし。
ほんとにモーター「スポーツ」なんですよ。
あと私のマシンの水温が上がってオーバーヒート気味になったので、リアのカウルを外されたことも。

そうすると空力性能がひどく悪くなるので、ますますタイムが出なくなってもう地獄です。
まさにスパルタ式でした。スポ根物の世界。まさか海外であんなことがあるなんて。
もし事故死したら戸塚ヨットスクールの世界でしたよ。今の若い人は知らないだろうけれど。
まあ、おかげで短期間で腕は格段に上がって、タイムもすごく短縮されて…
卒業試験では無事、規定のタイムを切って合格。フォーミュラ・フォードのライセンスを取れました。
でも、オープンフォーミュラの世界でプロの階段を登って行くのは、自分などには無理だとはっきり分かりました。
プロで成功する連中は、少年時代に、カートの段階で既に「天才」と呼ばれて、スポンサーがついた状態でジュニアフォーミュラにステップアップして来るのです。
私が死ぬ思いで特訓を受けた後に出すようなタイムを、自分の工夫だけで簡単に出せるような種類の人々。
レーシングスクールなんてものに通ってる時点で、そのサークルには既に入れていないのです。
ただ、彼らと一緒にサーキットに出たときに、遅すぎて邪魔…以前に危険な障害物である「動くシケイン」にならないための訓練をされたということ。
なのでライセンスは取れたけれど、その道はきっぱり諦めて、かの地へは、二度と渡航しませんでした。
その後仕事は辞めて、学問の方で別の国に留学して、結果的に物書きの道へと進みました。
しかしその後、この経験があったことから、ご縁があってスポーツ専門誌の立ち上げスタッフとしてお声かけいただき…
モータースポーツ記事の担当ライターとして3年間仕事をさせていただくことができました。
とても楽しい、もしかすると私の仕事人生の中ではいちばん楽しい時期だったかもしれません。
なので、決して無駄な経験ではなかったと今でも思っています。
レースと公道での運転は全く違う行為です。
サーキットでは、とにかく速さが全ての世界。公道では、自分と同乗者だけでなく、周りの他人に「安全」と「安心」をもたらす走行をするのが正義です。
なので、公道では同乗者が「思わず居眠りする(安心して眠れる)ような運転」が目標になります。
隣や後ろの人を寝かせたら勝ち。
でもその目的にも、サーキットでさんざん鍛えられたテクニックとセンスはちゃんと生かされています。
タイヤがグリップを失う前にいち早くその前兆を察知する感覚とか、すごく鋭くなったし。おかげで雨の日などの安全運転に役立ってます。
ヴァンディーメンRF88と比較したら、うちのペッピーノさんは、ほんとに挙動がマイルドで…
(LSDが付いていて、FF車らしくない動きをしますけど)
グリップの限界が来るずっと前にインフォメーションをくれる、安全で安心そのものの乗り物です。

走りのメカニズムをきちんと理解した上で、滑ることスピンすることの怖さを身に染みて叩き込まれているから、無謀なことは絶対やらないし。
結局、人生に無駄な経験などない、ということなんでしょうね。