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アルファロメオと小倉唯

『分かれ道』レビュー④考えて行動するとは

この本のレビューも4回目となりました。

 

いい加減飽きてしまった方が多いかと思いますが…

 

もう、あと1~2回お付き合いください。

 

私自身の備忘録も兼ねますので。

 

第五章、第六章で、著者のバトラーは、同じユダヤ系論客としての先輩、ハンナ・アーレントの著作を分析しながら…

 

シオニズムについて、国民国家について、そして他者との共生と、個人の責任について論じています。

 

個人的に私に刺さったのは、アーレントの、さまざま物議をかもした著作『エルサレムのアイヒマン』に関しての論考でした。

 

ちなみにアイヒマンというのは、ユダヤ人を皆ごろしにし、根絶やしにすることが、欧州におけるユダヤ人問題に関する…

 

「最終的解決」であるというナチスの方針に従って、アウシュビッツなどのいわゆる「絶滅収容所」へのユダヤ人移送を指揮した人物です。

 

敗戦時に国外へ逃亡し、1960年にアルゼンチンで潜伏生活しているところをイスラエルの情報機関に発見され、逮捕されて…

 

エルサレムに移送され、裁判にかけられ、死刑判決を受けて絞首刑になりました。

 

裁判の中でアイヒマンは「自分は国家の法と命令に従っただけであり、ユダヤ人にたいする蔑視や憎悪は全くない」と自己弁護しています。

 

彼は、当時の政治状況ではほとんどすべてのドイツ人が、自分の立場に立てば同じことをしたであろう、と…

 

それゆえ、自分が有罪であるならば、ほぼすべてのドイツ人が等しく有罪になってしまうであろう、と…

 

すべての者が、あるいはほとんどすべての者が有罪である場合は、有罪である者はひとりもいない、と…

 

そうしたレトリックを、アイヒマンは使っています。そこで、個人としての行為責任は無視されている。

 

また行為に先立つ、個人的な善悪の判断、そして「考えてみること」が、完全に抜け落ちています。

 

ひとりの人として考えることをせず、ただ法の順守と職務の遂行を熱心に遂行するのが、当時のドイツ人の責任の取り方だったと。

 

これに対してアーレントは…

 

責任と服従を明確に区別すること、批判的な思考をドグマや命令の無批判な受容と区別することを求めた、とバトラーは書きます。

 

責任が法に対する無批判な忠誠として理解されるべきでないのは、法自体が(ナチス政権下のドイツで私たちが見たように)犯罪的になり得るからであり、そのような場合には悪法に異を唱える責任がある。

 

たとえそうした状況下では、この責任が不服従として定義されるとしても、実のところ、不服従が、ときに私たちの責任なのである

 

どうでしょうか?

 

私なら、そしてあなたがアイヒマンの立場に立ったとしたら、国家の方針や、法律、上官からの命令に従って「民族絶滅作戦」に参加しますか?

 

それとも、拒否して軍務を辞するか、あるいは命令違反として軍法会議にかけられますか?

 

多くの日本人の場合は、やっぱり「アイヒマンになってしまう」ような気が、私にはします。

 

そして、その邪悪な命令、邪悪な法に従う行動を自己正当化するために「考える」ことを一切やめてしまうのではないでしょうか。

 

それも「当然のこと」として。

 

それは、自分自身の立場や命を守るための、当然の「方便」なのかもしれませんが。

 

でもとりあえず「法律だから守る」「命令だから行う」とだけ決めて、善悪を「考える」ことはしない…ような気はするのです。

 

これについてバトラーはこう書いています。

 

彼は、大量殺人を明白な意図なしに遂行し得るような、新たな種類の人間に属するように思われる…いいかえれば(法や職務の)履行の道具となるような人々が、歴史的に見て、いるということ、そうした人々は、アーレントが「考える」ことと呼ぶものの能力を欠いていることが、いまやあり得るということだ。

 

アイヒマンを「新たな種類の人間」と呼び…

 

「考える」ことの能力を欠いていることを「今やあり得るということ」と、ショックとして受け止めている。

 

この書き方は、我々の一般的な常識と、バトラーのようなすぐれて知的な人物との間にある、深い溝なのでしょうか。

 

それとも「西欧的な精神」そのものと、私たち日本人の「常識的な選択」との乖離なのでしょうか。

 

古代ギリシャのソクラテスは「悪法も法なり」と言って、毒盃をあおっての死刑を受け入れたという「伝説」がありますが…

 

実際にはその言葉を言ったという証拠はどこにもなく、おそらくは彼の著書『パイドン』の中の言葉…

 

「従おう。それ以外のことはしない」という言葉が、日本でたぶん「意図的に誤訳」されたものです。

 

上からの命令だから(あるいは法で定められたことだから)良いも悪いも自己判断せずに、ただ従う…

 

という態度は、西洋人にとっては、衝撃的なものなのでしょうか。

 

たしかに、広島・長崎に原爆を落とした米空軍のB-29搭乗員たちは、大量殺戮に加担しました。

 

でもそこには「命令の前での無思考」があったわけではなく、この作戦がたくさんの米兵の犠牲をなくすのだという…

 

彼らなりの「正義」の感覚があったようです。それがとんでもない錯誤だったわけではありますが。

 

あるいは、いまガザで行われているジェノサイドに加担しているイスラエル兵たちについても…

 

そこにあるのは「思考停止」ではなくパレスチナ人への積極的な憎悪や殺意、蔑視と敵意があることは…

 

かつてそうした作戦に作戦に参加した、元イスラエル兵たちのインタビューを聞けばわかります。

 

アイヒマンの弁明のように(それが偽りでなく彼の本心だと仮定した場合、ですが)…

 

「上からの命令だからやった」というだけで「自分の考え」なく大量殺戮をし得たのだとすれば…

 

もしかしたら西洋人にとってそれは脅威であり、それこそ「新人類の登場」というしかないような感覚なのではないか。

 

そんな感想を、私は持ちました。

 

ところでアーレントは、アイヒマンの罪の本質をこのように捉えている、とバトラーは分析します。

 

地球ないし世界で誰と共生するかを決める権利など(誰にも)存在しないということだ。他者との私たちが決して選ぶことのできない共生とは、事実上、人間の条件の揺るがざる特徴である。この地上で誰と共生するかを決定する権利を行使せんとすることは、ジェノサイドをおこなう専権を呼び起こす…

 

これは、個人が「どこに居住することを選択するか」という自由の問題とは全く別物であることに留意しなければなりません。

 

人間集団が(訳本では「人口」という語彙が多用されますが)というレベルでの「どんな人々と共生するか」の問題です。

 

アイヒマンは、これを「自分の上官と自分たち」が決める権限を持っていると理解し、それに基づいて行動したから「有罪」であると。

 

アーレント、そしてバトラーは、この共生を受け入れることを「人間の条件」だとまで、言い切っているのです。

 

共生する相手を選ぶこと、決めること。この罪に関しては我々日本人もやって来たし、現に実行しつつあると言えるでしょう。

 

たとえば入管が、異常といって良いほど難民認定のハードルを上げていて、難民申請のほとんどを却下していること…

 

今般の入管法改正で、3回却下された人物は、逃げて来た国に「強制送還」すると決めていること。

 

彼らはその土地にいれば、迫害による死の危険があるから、逃れてきたわけで…

 

それを強制的に「殺人的政権」が待つ祖国に送還することは、間接的な「死の宣告」とも言えます。

 

また、昨今のSNSや、ネット動画サイトのコメント欄にしばしば目に付く、好ましからぬことをした人物について…

 

「クルド人だな」などと書き込む輩が引きも切らず存在すること。

 

そうした差別や排除の言説も「共生する相手を選んで、決める権利を主張している」ことになります。

 

もしも、何かのきっかけがそこに加わってしまえば(たとえば大きな災害など)…

 

かつて関東大震災の折に「朝鮮人」や、あるケースではそう勘違いされた人々が、一般人によって殺された件とおなじように…

 

むごたらしい殺戮に、つながりかねない危うさを感じます。

 

所与の歴史的条件によって、あるいは政治的な事情によって、共生しなければならない人々がいる。

 

それを恣意的に選び、排除する権利を行使することの危険性を、我々ももっと深刻に受け止めなければ。

 

 

 

ところで、ユダヤ人論客として先達であるアーレントに関して、バトラーは…

 

この大著の中で、まるまる二章分もかけて論考するほど、リスペクトしています。

 

その一方で、他の著書でも散見されることですが、アーレントを直接、手厳しく批判したり…

 

それとなくアイロニーに託してそれをおこなったりしています。

 

私自身もアーレントに関しては、先だって『全体主義の起源』の第二巻を読んだときに…

 

アフリカ文化への無知と、アフリカ系の人々への偏見が出ていることに気づいて、このブログでも指摘しました。

 

バトラーは、エルサレムにおけるアイヒマン裁判を傍聴しての、アーレントの記述の中に…

 

そうした偏見や、蔑視と言っても良いものを見出しています。

 

ヨーロッパの文化的優位性についてのアーレントの偏向は後期の論考にも広く見られる…ファノン(アルジェリア独立運動の指導者)に対する、抑制を欠いた批判、バークレイ校におけるスワヒリ語教育への批判、そして一九六〇年代のブラック・パワー・ムーヴメントに対して示した難色などに現れている。

 

そして彼女自身がかいた手紙の文章を、非情にも(?)引用しています。

 

(公開書簡だとはいえ、論文でない「手紙」を引き合いに出すのはちょっと意地悪かなと…)

 

エルサレム法廷の中にいる様々な外見の「ユダヤ人」について彼女は書簡の中で書きます。

 

みた目はアラブ人のようです。その中に、あらかさまに野蛮なタイプ。彼らはどんな命令にも従うことでしょう。そしてその外側に、オリエントの群衆。…なかばアジア的な国にいるかのような錯覚すら覚えます。

 

それに加えてエルサレムではよく目立つのですが、耳の前に髪の房を垂らしたりカフタンを着たりするユダヤ人。彼らのせいで、分別のある人がこここでは暮らせないと思ってしまいます。

 

耳の前に髪の房を垂らしたりカフタンを着たりというのは、アラブ風の外見、装いということです。

 

ちなみに「ユダヤ人」の中には、アシュケナジームと呼ばれる、中欧・東欧系の、いわゆるヨーロッパのユダヤ人だけでなく…

 

セファルディーム(北アフリカやイベリア半島がルーツのユダヤ人)やミズラヒーム(中東やカフカス山脈以東がルーツのアジア系ユダヤ人)…

 

といった「白人」のユダヤ人とは外見も、文化も全く異なる人々がいます。

 

(共通点は、みなユダヤ教徒であるということぐらいですかね)

 

それらの人々は実際、現在のイスラエル国家の中でも差別的な扱いを受けているのですが…

 

そうした人々の見た目から「分別のある人はここで暮らせない」と言っているのは、確かに大問題ですね。

 

アジア人だから「どんな命令にも従う」人々だと決めつけるのも、不当ではあります。

 

またバトラーは、アーレントの主張する人間同士の「異種混交性」の必要について、それだけでは不満ということで…

 

この異種混交性は、人間中心主義の地平の中でのみ考えられている…結局のところ、温存するに値する生とは、たとえそれが人間の生として考慮されているときであっても、人間ではないものの生命と本質的な部分で結び付けられている。これは人間もまた動物であるという考え方から導かれることである。

 

バトラーからすれば祖母ぐらいの世代である、アーレントの時代性を考えるとき…

 

ここまでの思考の射程、奥行きを求めるのはいささか酷である気もします。

 

まあでも、若い世代が旧世代を乗り越えて、新しい地平を開いて行くのは仕方ないことでもあります。

 

いずれにしてもバトラーの意図は…

 

誰が人間としてみなされ、誰がみなされないか、ということを決めてしまうような、倒錯的で人種差別的な規範操作を却下することにある。

 

のは確かです。

 

要点は、人間中心主義を復活させることではなく、むしろ人間の動物性と、共有された生のあやうさを容認することにある。おそらく私たちのこの生の特徴が、意図的なジェノサイドから、また危機に瀕した人口集団に対する、国際的かつ国家的な放置と遺棄という致死的諸形態から、保護される権利の基盤となり得るだろう。

 

そして非選択的な共生について、その「不自由さ」や「不快さ」を否定することなくこう語ります。

 

この複数性のなかには、敵対性ではないにしろ、ある種の闘争性が存在することを考慮しなければならない…

 

私たちは非選択的な共生が含意する闘争性を理解し…その希求、依存、制約や、そして侵略、衝突、強制移動の可能性…

 

についても言及しつつ(それは人種間の共生のみならず、異なる生物の間の共生も含めて)…

 

もしこれが生命存在の共生であるのなら、私たちは人間と人間以外の生物の分断を超えるかたちで、生命について考えなければならない。

 

と記します。たしかに人間とクマ、シカなどの生について、互いに利害の対立は表面化していますね。

 

章の最後は困難でも達成しなければならない「共生」についての言葉で締めくくられています。

 

その共生とは…

 

所有権のはく奪、故国喪失、強制的な囲い込みから浮かび上がる正義の要請なのであり、そうして導かれた共生は、二つの民族のためだけでなく、すべての民族のためなのである。その共生は誰もが進んで選ぶようなものではないかもしれず、対立と敵意に満ちたものとなるだろう。けれどもなおそれは、必要であり、義務であるのだ。


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