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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出しました2018 その3

2018年03月02日 | 高校野球

思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第3回『東海・北信越編』です。



≪選抜出場校の思い出3≫


東海代表  静岡(静岡)     17度目(2年連続) 
                         夏24度出場  甲子園通算32勝39敗  優勝1回 準優勝2回

昨年に続く連続出場となった静岡。公立の名門校として、近年再度その力を全国のファンに見せてくれています。今年のチームも、とてもまとまっていてワタシは「優勝を狙える」と思っていますが、果たして。思い出については、昨年の記事をどうぞ。

https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/7160323cff1975277b59529b7dd34b81



東海代表   東 邦(愛知)     29度目(2年ぶり)
                          夏17度出場 甲子園通算 70勝41敗  優勝4回 準優勝3回

”春の東邦”が今年も復活。今年で選抜は29度目の出場となります。夏は17度の出場ですが、甲子園で決勝に進出した7回のうちなんと6回もが春の選抜。そのあたりが、春の東邦といわれるゆえんです。甲子園通算勝利も夏の17勝と比較して、春はなんと51勝。ワタシの個人的な印象では、夏の選手権の方が春の選抜よりも甲子園に出場しやすく、また甲子園でも勝ちやすいと思うのですが、ここまで「選抜に強い」チームはなかなか見られませんね。この東邦や広陵、東京では国士舘あたりが選抜に強いチームとして、ワタシの頭の中にはインプットされています。さて今年も強烈な投打を持つチームとして甲子園に乗り込みますが、果たして5度目の優勝を飾れますか。思い出記事は、一昨年のものをどうぞ。

https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/314d2b94fd65a54c3434b504e56a5201



東海代表   三 重(三重)       13度目(4年ぶり)
                          夏12度出場 甲子園通算 25勝23敗  優勝1回 準優勝1回 

愛知、岐阜、静岡。戦前からまさに”音に聞こえた”高校野球強豪県として名高い3県に挟まれ、三重県勢は「野球後進県」として不遇の存在でした。3県のチームが甲子園で優勝を重ねるのを横目で見ながら、三重県のファンは忸怩たる思いを抱えてきたでしょう。東海大会でもなかなか勝つことができなかったという歴史の中、高校野球界のリーダーとして県の高校野球を引っ張ってきたのがこの三重高校です。三重県勢は、過去選抜と選手権で優勝が1度ずつありますが、選抜で優勝を飾ったのはこの三重。そして記憶に新しい2014年の選手権では、快進撃を続けて決勝まで進出しました。ワタシもやはり、三重と言って思い出されるのは、あの2014年のチームですね。今井投手を中心として、広陵、沖縄尚学、日本文理などの強豪を次々に撃破。決勝でも大阪桐蔭を向こうに回して、勝利を寸前まで手繰り寄せる見事な戦いを見せました。中でも広陵戦に9回で追いついたシーンと、決勝の大阪桐蔭戦で見せた粘り強さは、深く記憶の中に刻まれています。ワタシが高校野球を見始めた70年代にはちょこちょこと甲子園出場もありましたが、その後は海星・明野の時代がやってきて、三重は長く甲子園から遠ざかりましたね。その低迷を打破したのは90年代に入ってから。90~93年の3年間は、3年連続で選抜に出場、92年夏の出場も合わせ、3年間で4回の甲子園出場、しかも合計6勝を挙げるという活躍ぶりでした。そのころの三重のチームとしての印象は、決して大型チームではないものの、よくまとまっていて接戦に強いというものでした。甲子園でも何度も接戦、延長などを制して勝ち星を積み上げていましたね。最後は力のあるチームに屈するというケースが多かったのですが、しっかりと足跡を残していたと思います。そんなワタシの印象を見事に覆してくれた2014年のチームは本当にセンセーショナルでした。自分の持っている「三重高校のチームカラー」というものを、見事にひっくり返された年でしたね。やっぱり大ブレークするには、「これまでの何かを変えていく」力が求められているのでしょうね。その年から監督になった前大学野球の指揮官・中村監督が、たくさんの改革を行ったのでしょうね。今年のチームは、どんな戦いを甲子園で見せてくれるのでしょうか。「伝統の三重カラーの野球?それとも中村イズムが色濃く出た野球?」



北信越代表   日本航空石川(石川)     初出場
                                   夏2度出場 甲子園通算 2勝2敗   

日本航空石川。山梨の日本航空の兄弟校ですね。石川県の中でもさして目立った存在ではないこの学校でしたが、甲子園に出場した年はなかなかインパクトのある戦いぶりで、全国のファンに強い印象を残しています。初出場の09年には初戦で明桜と延長12回の激闘の末サヨナラ勝ち。そして昨夏は力のある木更津総合に対し、9回に4点を奪って大逆転勝ちを収めました。いずれも「あきらめない粘り」が勝利を呼び込んだ形で、強いマインドを持ったチームだということが見て取れますね。いずれの大会も次戦では大敗を喫してしまいますが、初出場から2回連続で初戦突破とは、なかなかどの学校でもできることではありません。県内では星稜、遊学館、金沢ら強豪が鎬を削る状態が長く続いていますが、その”強豪の輪”の中にしっかりと食い込んでいる現在、狙うはさらなる飛躍しかありません。



北信越代表   星 稜(石川)      12度目(13年ぶり)
                                夏18度出場 甲子園通算 24勝29敗 準優勝1回   

さあ、”北信越の雄”星稜の登場です。この星稜のあの黄色いユニフォームに、今もたくさんのファンが声援を送っています。とにかく星稜というと、ドラマチックなチームという形容詞をつけたくなりますが、力を伸ばしたのは山下監督の時代から。センセーショナルな実質の甲子園デビューは1976年でしょう。ワタシもこの大会の前、「星稜」という名前を聞いても、何も反応できるものはありませんでしたが、大会が始まってみると驚きばかり。2年生エース・小松(中日)の球の、そりゃあもう速いこと速いこと。3回戦では当時の超大型チームである天理を、接戦の末破って8強へ。そしてそこでも小松は、豊見城の赤嶺と堂々と投げあって撃破して4強まで進出しました。その大会、海星の酒井をはじめ、好投手が目白押しの大会でしたが、大会前には全く無名だった小松が、最も速い球を投げていたという記憶があります。翌年は3年生になった小松を擁して春夏ともに甲子園出場も、打線が振るわず両方ともに初戦敗退。しかし夏の初戦、智弁学園・山口との素晴らしい投手戦は、見るものに高校野球の面白さを存分に味あわせてくれました。思えばこの試合、星稜ベンチには山下監督、智弁ベンチには高島監督(現智辯和歌山)という『稀代の名将』が、若き指揮官としてどっかりと腰を下ろしていたんですね。感慨深いものがあります。その後の歩みは周知のの通りです。甲子園の常連となった星稜が一番輝いたのが、79年の【伝説の延長18回】箕島との激闘です。延長で2回にわたる奇跡の同点アーチ、そして1塁手・加藤の”伝説のつまずき”など、今もって「甲子園最大の激闘」「神様が創った試合」といわれる試合を経て、高校野球ファンの間で”星稜ファン”は爆発的に増えた気がします。そして時を経て、「国民栄誉賞男」松井秀喜が登場。92年夏の選手権では、あの「5打席連続敬遠」という社会現象にまでなった試合が行われました。そしてその試合での松井のあまりにも素晴らしい試合態度、山下監督の男気などにも触れることができ、星稜はチームとしてのピークを迎えたと思います。95年には頭脳派エースの山本を擁して快進撃。決勝までたどり着くも、選手はもうボロボロで試合すらできないのではと思われる状態でした。最後には帝京に敗れて山下監督の”夢”であった全国制覇は逃しましたが、決勝では何かといわくつきだった相手の帝京が完全に”ヒール”の役割になり、スタンドは星稜の応援一色でしたね。その後山下監督の退任とともに星稜は力を落としていき、2000年代に入るとなかなか甲子園への出場すら難しい時期を過ごしました。しかし2014年、県大会決勝で9回に8点差をひっくり返すという「星稜の奇跡」という出来事があり甲子園へ。そして久しぶりに甲子園でも暴れ、『星稜復活』を力強くアピールしてくれました。時代は変わっていきますが、星稜は全国強豪に成長した付属中学からの選手がチームの骨格を担い、着実に「初の全国制覇」を狙うチームへと変貌を遂げています。北陸勢では敦賀気比があセンバツを制覇し、紫紺の大旗を持ち帰りましたが、まだ真紅の大旗は北陸路にはためいてはいません。その栄光を狙って、「ニュー星稜」が今年も甲子園にやってきます。ドラマチックな試合が見たいのなら、星稜の試合は、見逃せませんよ。



北信越代表   富山商(富山)      6度目(9年ぶり)
                                夏16度出場 甲子園通算 10勝21敗   

昨年選抜に出場した高岡商と並んで、「富山の早慶戦」といわれるぐらい熱い戦いを長年にわたり繰り広げている富山商。常に県内の高校野球を引っ張るリーダーとして、半世紀以上にわたり歩み続けています。しかし富山商の甲子園の歴史は「負けの歴史」といってもいいぐらい、白星が遠い時代が長く続きました。富山商が初めて甲子園で2勝を挙げて8強入りした73年夏の選手権。ワタシがほんのりと覚えているのは、8強でワタシの地元・川越工と対戦したことぐらい。この年は江川に沸いた年で、そのほかにも本当に強豪が多く集っていたので、”我が”川越工が準々決勝で富山商と当たったと聞いたときは、心底うれしかった思い出があります。残っていた他のチームたち、どことやっても負けそうだったので「何とか富山商を引いて・・・・」なんて思ったりしていました。そんな思い出しかない富山商ですが、最近は時として”ビックアップセット”をやらかしてくれるチームという印象があります。それまでの富山商は、言い方は悪いですが「出ると負け」のチーム。富山代表でインパクトを残すのは新湊と相場が決まっている感じで、富山商は常に力負けの試合で甲子園を去ってしまう印象がありました。しかし98年の夏の1回戦では、強豪の報徳学園に対して、4番エースの平井選手が逆転の満塁ホームランで激勝。ここから富山商、それまでの歴史を塗り替えたという印象がありますね。あの軌道、今でもはっきりと思い出せます。『富山商が報徳を破るなんて・・・・・』ワタシはびっくり仰天でした。何しろ富山商、それまで甲子園6連敗中でしたから。09年の選抜では、翌年春夏連覇を達成する興南に延長で競り勝つというこれもアップセットを達成しています。相手のエースは2年生の時の島袋。この時も「驚いたのなんの」っていう感じでした。そして最も印象に残っているのが、2014年のチーム。左腕の好投手である森田投手、いいピッチャーでした。初戦で日大鶴ケ丘に快勝して迎えた2回戦、ワタシは甲子園の3塁側、富山商アルプスのすぐそばで見ていました。森田投手の好投も印象にありますが、それよりも何よりも、富山商のブラバンの生徒たちの楽しそうな演奏、そして盛り上がり。本当にこちらまで楽しくなってしまうような、忘れられない試合となりました。3回戦では同じ北信越の日本文理と激突。大激戦の末、リリーフ投手が9回裏に逆転サヨナラ2ランを浴びてしまうという、とても残念な負け方で”初の3勝”は逃してしまいましたが、甲子園に「富山商のさわやかな風」を残していってくれました。あの髭の沢田監督を継いだ前崎監督、甲子園初采配となった14年夏に見事な戦いぶりを見せてくれていますから、今年も楽しみにしています。


(つづく)


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