8月14日から、平壌「龍山墓地」墓参に行き、昨夜、無事、帰国した。
龍山墓地は、田舎のなだらかな山の斜面に、
こんもりと土まんじゅうの形態で印されていた。
バスを降りて、山道から土まんじゅうまでは、赤土の上に草が生い茂った斜面を登った。
龍山墓地には、父が12歳の時に、母親代わりになって育てた妹敏子(2歳)が、埋葬されている。
敏子の母親は、終戦直前に亡くなり、敏子の面倒は、12歳の父が見ていた。
「野球界 渡辺省三青春劇場」の記事によると、父は、引き揚げて帰ってくるときに、
妹敏子を埋葬した場所に、心づくしのたんぽぽの花を供えて、引き揚げの途についたという。
春だったのだ。
この記事は、父が自分が体験したことを、8年後に語っているのだから、記憶に間違いないだろう。
今は、山道に、ピンクやエンジ色のコスモスが咲いていた。
平壌の秋は、早いのかな・・ そんな思いで、車窓からコスモスを見ていた。
私は、家にある父の写真で、一番若い写真を探し、墓前に供えることにした。
2歳の敏子が、12歳の兄、省三が認識できるようにと。
私が知っている父の姿は、敏子にとっては、「どこのおっちゃん?」・・・
そんな感じだろうと思うからだ。
父も御霊となり、父が墓前に手を合わせることが出来ないことが、残念無念。
「ごめんよ。置いて帰って・・」
父は、そう言って、敏子に謝ったに違いない。
私は、そう思って、父の代わりに、墓前に手を合わせた。
帰国して、龍山墓地墓参を振り返ってみた。
いろいろな方々との縁とお陰で、墓参のチャンスに恵まれた。
そんな私は、幸せであることを改めて認識した。
遠路はるばる、龍山墓地まで行き、墓参したことで、私は、肩の荷が下りた。
北朝鮮 平壌・龍山墓地は、今後、どうなるのかー日朝合意で
北朝鮮 平壌・龍山墓地は、今後、どうなるのかー日朝合意で(2)
龍山墓地は、田舎のなだらかな山の斜面に、
こんもりと土まんじゅうの形態で印されていた。
バスを降りて、山道から土まんじゅうまでは、赤土の上に草が生い茂った斜面を登った。
龍山墓地には、父が12歳の時に、母親代わりになって育てた妹敏子(2歳)が、埋葬されている。
敏子の母親は、終戦直前に亡くなり、敏子の面倒は、12歳の父が見ていた。
「野球界 渡辺省三青春劇場」の記事によると、父は、引き揚げて帰ってくるときに、
妹敏子を埋葬した場所に、心づくしのたんぽぽの花を供えて、引き揚げの途についたという。
春だったのだ。
この記事は、父が自分が体験したことを、8年後に語っているのだから、記憶に間違いないだろう。
今は、山道に、ピンクやエンジ色のコスモスが咲いていた。
平壌の秋は、早いのかな・・ そんな思いで、車窓からコスモスを見ていた。
私は、家にある父の写真で、一番若い写真を探し、墓前に供えることにした。
2歳の敏子が、12歳の兄、省三が認識できるようにと。
私が知っている父の姿は、敏子にとっては、「どこのおっちゃん?」・・・
そんな感じだろうと思うからだ。
父も御霊となり、父が墓前に手を合わせることが出来ないことが、残念無念。
「ごめんよ。置いて帰って・・」
父は、そう言って、敏子に謝ったに違いない。
私は、そう思って、父の代わりに、墓前に手を合わせた。
帰国して、龍山墓地墓参を振り返ってみた。
いろいろな方々との縁とお陰で、墓参のチャンスに恵まれた。
そんな私は、幸せであることを改めて認識した。
遠路はるばる、龍山墓地まで行き、墓参したことで、私は、肩の荷が下りた。
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