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平壌・龍山墓地 墓参を終えて

2015-08-19 14:28:42 | 政治
8月14日から、平壌「龍山墓地」墓参に行き、昨夜、無事、帰国した。

龍山墓地は、田舎のなだらかな山の斜面に、






こんもりと土まんじゅうの形態で印されていた。

バスを降りて、山道から土まんじゅうまでは、赤土の上に草が生い茂った斜面を登った。



龍山墓地には、父が12歳の時に、母親代わりになって育てた妹敏子(2歳)が、埋葬されている。

敏子の母親は、終戦直前に亡くなり、敏子の面倒は、12歳の父が見ていた。

「野球界 渡辺省三青春劇場」の記事によると、父は、引き揚げて帰ってくるときに、

妹敏子を埋葬した場所に、心づくしのたんぽぽの花を供えて、引き揚げの途についたという。

春だったのだ。

この記事は、父が自分が体験したことを、8年後に語っているのだから、記憶に間違いないだろう。

今は、山道に、ピンクやエンジ色のコスモスが咲いていた。

平壌の秋は、早いのかな・・ そんな思いで、車窓からコスモスを見ていた。




私は、家にある父の写真で、一番若い写真を探し、墓前に供えることにした。



2歳の敏子が、12歳の兄、省三が認識できるようにと。

私が知っている父の姿は、敏子にとっては、「どこのおっちゃん?」・・・

そんな感じだろうと思うからだ。



父も御霊となり、父が墓前に手を合わせることが出来ないことが、残念無念。

「ごめんよ。置いて帰って・・」

父は、そう言って、敏子に謝ったに違いない。

私は、そう思って、父の代わりに、墓前に手を合わせた。



帰国して、龍山墓地墓参を振り返ってみた。

いろいろな方々との縁とお陰で、墓参のチャンスに恵まれた。

そんな私は、幸せであることを改めて認識した。

遠路はるばる、龍山墓地まで行き、墓参したことで、私は、肩の荷が下りた。


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