心のかけこみ寺

占い講師「庵 妃慧」の徒然日記

長い間、ありがとう御座いました。

2006年08月23日 16時15分51秒 | 占い
“GOO ブログで、皆さんに表現する楽しみを実感させて頂きましたが、
今回6月に引越し先を決めまして、時を待っておりました。
本日を持ちまして「cocolog-nifty」へ引越しいたします。
これまでのお付き合いに感謝いたします。

引越し先は

[庵 妃慧
と、なっております。

ありがとう御座いました。 

“懐かしの長島温泉”

2006年08月20日 21時50分36秒 | Weblog
お墓参りを無事に済ませて、墓地を後にした。

これから、車はユーターンして桑名市長島町浦安にある“長島温泉”へ進む。
こちらは、本当に久し振りになる。
家族で最後の夏休みに一泊した思い出がある。
かれこれ34年位前の話しになるが、随分と私も年を重ねたものだ!

大人は“大自然露天風呂・湯あみの島へ進み、子供達はナガシマスーパーランドへと別れる。
昼食をとりながら、ステージではお楽しみアトラクション“中国雑技ショウ”を楽しんだ。

食事の後は、露天風呂が幾つもありノンビリとお湯に浸かって、朝からの疲れを癒す。
館内のお客さんは、多くも少なくもなく丁度良い位の入りである。
集合は、5時に決めていた。
充分の時間があり子供達も日焼けをした顔である。
「満足したよ、沢山の乗り物に乗ったよ!」
aiが喜んで話してくれた。良い夏休みの思い出になっただろう!
「良かったね!」

長島温泉の駐車場で、南紀から来た若夫婦が高速に乗って帰った。
皆、別れるのが勿体無くて、なごり惜しい気持ちがする。
{どうぞ、安全運転で無事にお帰り下さい。}

私達は、近鉄桑名駅まで送ってもらい、其処から名古屋へ出た。
新幹線は18時10分である。

目黒に着いて、娘も加わり「焼肉」で今日の打ち上げをする。
この一日が、子供達、孫達にとって良い思い出になる事を確信する。

「皆さん、お元気で。又、何時かお会いしましょう。今日はありがとう」

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“墓前”にて

2006年08月20日 11時27分47秒 | Weblog
夏の太陽が照りつける下でのお墓参りだけれど、誰も日傘を必要としていない。
「暑いね!」と言う言葉も不必要である。
見渡すと墓地全体に人影がなく、私達一家だけである。

「子供の頃、少しでもお世話を掛けたと思う人、石碑を綺麗に拭いて下さい」
「分かっているよ、拭いてるよ」
息子が言った。
皆それなりに祖父母の恩恵を受けているが、自分が一番、助けて貰ったと感じているのだろう
「僕も、お墓参りに行きたい!」と、申し出た息子である。

気が付くと、皆でお墓を囲んで立っていた。
「この家紋は、珍しいのよ!“登り亀”と言ってね、滅多にみつからないものです」

{お父ちゃん、お母ちゃん、やっと来ました。こんなに多くの家族で。
貴方方の知らない女性は、姉の三男坊のお嫁さんですよ!
この場には、三人の孫と二人のお嫁さん、そして大きくなった岡山のひ孫と東京のaiです。

昔は何時も、実家に男の子の孫が集まると
「大人しくしなよ、ガサガサしないでよ、静かに座っていてよ!危ない場所に虫を探しに行かないで…」
お母ちゃん、その言葉を毎度孫に言い聞かせていたわね!しかし、その言葉を聞かされていたその孫達が三人揃って来てくれたのだよ!
もう一人の大人しい孫は、今回参加出来なかったのは、奥さんが身重で無理は出来ないからね、そうそう遅まきの結婚でね、赤ちゃんにも恵まれたのだよ、もう心配はいらないよ。

貴方方は、幸せだと思います。
可愛がって貰った有難さを忘れていない“孫とひ孫”に「感謝されてね!」
墓地の中から叫びなさい。
「みんな良く来てくれたね、ありがとう」って。

私も元気です。
この頃思い出しては、つくづくあの時の言葉に感謝しています。
当時の父と母の気持ちが良く分かります。

{病後の私の背中を撫ぜながら「お願いだから、親より先に死なないでね。長生きしてくれよ!」と懇願した、貴女のその時の苦しい胸の内がこの頃良く分かります。}
本当にありがとう、今は、大変幸せです。次は娘を連れて此処に会いにきます。

「さあ、皆でお参りしましょう」

墓石に、両親に挟まれて妹の戒名が刻まれていた。少し嫉妬を覚えた。


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“墓地”へ

2006年08月20日 10時20分51秒 | Weblog
白子駅前を出発して目指すは、国府町の鈴鹿メモリアルパークである。
生前、両親がこの地に買い求めておいたのである。

途中で雨が物凄く、横なぐりになる。道路は滝の如く。
「大変だけれど、お参りしょうね!せっかく来たのだから」
「大きい傘を用意しているから、使って下さい」
岡山のお嫁さんが言ってくれた。

「めったに来ないので、父も母も私に怒っているのだ!」
その様な気持ちを口に出して言えるのも、問題を理解できるこの親族だから…。

墓地の入り口に着くと、雨がパタリと止んだ。
駐車場でエンジンを止めた時、青空から真夏の太陽が顔を出した。
「さあ、降りましょう。雨が止んでくれたね、気の済むまでお墓参りしよう」

余り広くないが墓地の玉砂利を踏んで進んでも、暑さも地面からの熱気も感じない。
本当に素晴らしい条件の“お墓参り”になった。

“手みやげ”

2006年08月20日 09時48分15秒 | Weblog
「今回、夏の太陽が照り付ける車に“お菓子”は置けないので、何も持って行かないよ」
正直にそう実行した。
但し、南から見える若夫婦には、ベビーへ”ジーパンと丁シャツ”を持って行った。これは、傷む心配はいらない。

しかし、岡山から“おみやげ”を貰ってしまった。
「桃とマスカットゼリー」そして、「番茶」である。

「この番茶は、日本テレビで先日「番茶は、血液をサラサラにする」と四国徳島産のこの商品を紹介されたそうで、瞬く間に売り切れになったと言う話。
丁度、徳島へ仕事に行っていた時で「これは、良い事を聞いた!」と思って、プレゼントしてくれた。

今まで知る「番茶」と違って、葉っぱの形がその儘に乾燥されている。
秋風を感じるたら、番茶を飲もう。血液サラサラを目的に。

「気を、使って頂いてありがとう」

“お墓参り“西の国から

2006年08月20日 09時21分12秒 | Weblog
今回一番の立役者は、西の国「岡山県」の家族である。
「家族でお爺ちゃんとお婆ちゃんのお墓参りに行こうと思うのだけれど、叔母さん行かない?」
「行きたい!」
それから、人数が増えてしまった。
大き目のマイクロバスを借りるつもりがだめだったらしい。だから、軽が必要になった。

朝5時前、岡山を出発。
途中大阪で通勤のラッシュを見込んで早く出たらしいが問題なく、一時間も早く着いてしまい、先に白子駅前からお墓までの距離を測ってくれていた。
それが今回いくつかある宿題の一つなのである。

{この先、東京から来た場合、タクシーを利用するに当たり、どれ程の料金になるのであるか知りたくて。
「13キロ程あるから、新宮~阿田和位迄だよ」
郷里の道のりを出して教えてくれた。

そうしている内に、南の若夫婦が着いて、一緒にモーニングを取りながら待っていてくれたそうでる。

これで三組揃い、いよいよお墓に向けて出発する事になった。

“お墓参り“南から

2006年08月20日 08時55分14秒 | Weblog
白子駅前で、マイクロバスの後ろに「軽自動車」が着いていた。
こちらは、和歌山県の最南端、串本町潮岬を朝6時頃出発して10時頃に着いたそうだ。
何時も美味しい魚を送ってくれる若夫婦組。
白子駅前で、息子とお嫁さんがチェンジして乗る。

この従兄弟同士は、昔からの良いコンビ。
虫を追っかけた者同士で、何処かが変わっている二人。

この地へ祖父のお葬式に来て、ホテルで同室にさせて以来のペアである。
きっと、山を眺め畑を見ながら思うだろう。
{この辺には、カマキリがある!}息子はそう思うし、相棒は{バッタが多いぞ!}
「少し停まって、見てみたいね!」
そんな合言葉で話をしているだろう!

ゆっくりで良い、後ろについて走って来なさい。

“お墓参り“東から

2006年08月20日 08時43分07秒 | Weblog
18日朝7時58分に品川からのぞみに乗車。こちらは、息子と孫のaiと私の三人。
約束時間は、三重県鈴鹿市白子駅午前10時30分の集合である。
東京はお天気が良い。しかし、昨日からやたら台風情報で九州に上陸する等、
三重あたりも雨が予想されるという事ばかりで、明るい情報は無い。

「雨が降るけれど、どうなるだろう?」
西の人から電話が来た。
「あんまり雨が降ったら、危ないから止めな、叔母さん達は切符買っているから、
雨が降ろうが、槍が降ろうが実行よ!」
「了解!」

名古屋駅で新幹線を降りて、近鉄線の「鳥羽行き」に乗り込む。
ネット検索通りに上手く事が運ぶ。名古屋も天候は晴れ!
名古屋を出て、桑名を過ぎると次は四日市に停車。
車窓の左手海岸線の方に沢山の高い煙突が立ち並ぶのが見える。
「あの煙突が立ち並ぶ辺りは、三重県四日市のコンビナートだよ」
孫に教える。
「おやっ!雨が…」
ポツリ、ポツリと車窓を濡らす。無言で、降る雨を睨む。
よこなぐりの雨に変わる。
「残念だね!でも濡れても良い様に着替えを持って来ているからね…」
雨足がきつく激しくなる。心はやはり沈む。
{次からは、雨の少ない時期を選ばないとね}

「今、どの辺ですか?何分に着きますか?僕達はもう揃いましたから、モーニング取っています」
「今、四日市を出ました。29分着です」
激しい雨も、白子駅手前で小降りになる。二階の改札口に岡山の甥っ子の妻と次女が
傘を持って迎えに来てくれていた。
「ありがとう」

白子駅前で、10人乗りのマイクロに乗り換えて、甥っ子は待っていた。
「お早う!ご苦労さん」

“ひばり館”と姉

2006年08月16日 22時47分46秒 | Weblog
郵便ポストに、神戸に住む甥っ子からの大きな封筒が入っていた。
何時だったか、新聞に“ひばり館”の閉館する記事が載っていたが、其処へ奥さんとお腹のベイビーと行って来たらしい。
「ひざかけは、暢子が選んだものです。懐かしい母との写真が出て来たので送ります…」
色鮮やかな素敵な「ひざかけ」が入っていた。
「わー」
歓声を上げて喜んだ。
しかし、これは勿体無くて使えない。美空ひばりとサインがある。

生前、姉が京都に行くと言っては「ひばり館」を訪ねていた。その度に
「あんたも行こうよ、東京からおいで!」
その都度、色んなお土産を送ってくれた。その時も姉妹のありがたさを実感したものだった。
全てのお土産は、勿体ないから使用せず「宝物」として仕舞っている。
私もただ一度、縁者4人で京都旅行をして、其処を訊ねた。その時の写真である。

今回、新聞で閉館を読んだ時、「姉が生きていて、この事を知ったら“ひばりちゃん可哀そう…”と嘆くだろう」と、一番先に思い浮かべた。

「お土産、ありがとう」
{写真を見て泣いたよ!みんな元気だったよね、あの時は}

“又、来たか?”

2006年08月16日 22時17分12秒 | Weblog
夕方近くになって、甥っ子からの携帯メールに気が付いた。
「おばさん!お墓の住所教えて?」
ネットで調べて、どうにかメモをし終えた時
「バシッ」
パソコンが、音を立てて切れた。
「あっ」
直ぐ、起動をさせようと電源に触れたら、パッと点いてサッと消えた。
二度ほど試したが、どうにもならないので、諦めた。

しかし、サイトの文章を送っておいて「良かったー」胸を撫で下ろした。
「どうしょうか?リースを続けるか、買おうか?」
そう思いながら、もうすぐ出掛ける、両親のお墓参りのお花を頼んでおいた。

夕食の用意をしながら、「メール点検しないと…」と思って、パソコンの電源を入れて起動したら立ち上がって来た。そこで思い出した。
先ほど「バシッ」と切れたのを。
「さっきのは、何だった?」

父と母からの「光」の伝言だったのだろうか?
「お父ちゃんも、お母ちゃんも待っていてね、お墓参りに行くからネ」