幼稚園〜小学校(転校する4年生まで)の同級生が(定年より1年早く)退職して明日から市内の病院へ赴任することに。
最後に会ったのは彼が某大学病院に勤務していた頃だから40年ぐらい前かな?
夜勤も緊急手術もないだろうから久しぶりにゆっくり会えそう。
写真は約60年前(多分年長?)の今でいう「生活発表会」。
記憶は定かではないけど、確か星を見つける博士の役。
彼はホントに博士になった。

おそらく父の全盛期の作品です。






三重交通→近鉄百貨店の仕事ぶりが松下電器の宣伝部の方の目に止まり松下電器の海外のパンフレットのイラストを担当するようになりました。
この頃アメリカ松下の方(父は社長に言われたと)に「あなたほど描ける人はアメリカではひとつの企業の仕事はしない、あなたはアメリカへ来たら城が建ちます。」と言われたそうです。
もしアメリカへ行ってたなら僕も全く違う人生だったでしょうね。







1997年8月10日(日曜日)の日本経済新聞。
ちょっと長いですが、全文を掲載します。
恋文、いい響きですね。
言えなかったことを伝えた。
気持ちがすこしだけ震えた。
淡い恋心をしたためた数行であったり。故郷の父母に宛てた近況報告であったり。遠くに離れて暮らす娘との心の距離をちぢめる一通であったり。はたまた、ビジネスパートナーへの親書であったり。手紙を書いた経験をきっとお持ちでしょう。あなたが、日常的なコミュニケーション手段として縁遠くなった手紙をあえて選んだのは、きちんと伝える伝達力。末長く残す保存力。感銘を与える表現力、という手紙ならではの力を信じたからではないでしょうか。
あれやこれや便箋を選んでみたり、万年筆を引き出しの奥から取りだしてみたり。心を手紙という形に託すとき、どうしたら心が通い合うかをアレコレと思案する。こんな緩やかな時を過ごすことで、人は何かを思い出したり何かを忘れたりするのかもしれません。交歓を生むコミュニケーションは沢山ありますが、なかでも手紙は、走り続ける私たちに、休息の時間をもたらしてくれるような気がします。
インターネットや電子メールの発達なと、コンピュータと通信技術の向上による情報革命が急速に進展して、とかくペーパレス社会といわれる今日。それでも、親しい人からの手紙を読み終えた時の心地良さは、話し言葉とは違う文章、クセのある文字で綴られた紙があってこそ、味わえるもの。ほんの小さな紙ではありますが、神は人と人、心と心の大きな架け橋となります。
ところで最後に手紙を書いたのはいつのことですか。あの人に言えなかったことを、自分の文字で、言葉で書いてみてはどうでしょう。
この夏のよい思い出として。
小さな紙が、大きな架け橋。
4年ぶりの開催でした。




クライマックスは国道を6分間閉鎖。
(アナウンサーの)「お嬢さん、ヤングジャンプの表紙を飾りましたね!」と話した元厚労大臣は会社員時代に家内と同じ課で働いていました。





3月7日に次男に娘が生まれました。

次男の赤ちゃんの時とそっくりだなぁ〜と思っていたのですが…。
63年前の自分とのほうが似てるのではないかという不都合な真実🙄


若い人は知らないだろうけど、吉田拓郎の歌の題名。

1978年の夏、お茶の水美術学院の夏期講習で1ヶ月東京に滞在した時に先輩に連れて行ってもらったような気がするけど定かではない。
当時から場所は移転したらしいけど。
とにかく一度やってみたかった。


18歳の時から出品している創元展。

諸事情により今年度より、県の支部長を引き受けることになりました。
同時に固辞していた会員に昇格(会費が高くなるだけで特にメリットはない💦)。
というわけで、初めて本展を観にきました。


20年ぐらい前に個展をした時に売れ残った絵をアトリエの押入で見つけた。


若い頃佐伯祐三に憧れ、17歳で夭折した自身の叔父の夢を叶えるべく画家を目指したんだと思う。
祖父が営んでいた画材店に掲げてた絵を川喜田半泥子(東の魯山人、西の半泥子と呼ばれる程の有名人)に褒められて短期間であったけど弟子入りしたいたとも聞いた。
天才(本人曰く「夭折していないから名人かな」)を父に持つ愚息の気持ちはちょっと理解できないと思うけど…。



