気まぐれ オカンの フォト レター

日々の出来事を 写真で 綴っていきたいと
思います。

終戦記念日

2012-08-15 09:57:22 | 家族
第 67回目 終戦記念日

今年も その時期が来ました・・・・・嫌が上でも 自分の生まれた年?を思い知ります。

終戦の年の 4月に 生まれた それは可愛い女の子??だったそうです。 近所でも評判の・・・・  皆さんが お祝いに駆けつけてくれた・・・
田舎なもので・・・近所が皆 親戚でつながってたために・・・・・

父親が 2回目の 戦地へ出兵したのが7月・・・・その時は 首が座り 抱き上げると よく顔を見つめて 笑ってたそうです。
父親も 今生の別れに なるかもと・・・・涙が 止まらなかったそうです。

出征して  数日経った時 激しい空襲戦が この街に・・・・起き B29が 頭上を ものすごい爆音とともに 旋回しだしたそうです。  母親・祖父母は 慌てて 庭に掘った 防空壕に
逃げ込んだそうです。  小一時間たって  爆音も遠ざかり 豪から出たとき 初めて
赤ちゃんが 居ない事に気づいた・・・・・ あっれ~  アカは?~~ 居ない!! だれだ~ 連れてこなかったのは~

慌てて 家の中に 駆け込んだら 大泣きして 蚊帳の色が 顔に染まって 見るも無残な 姿に なっていたらしい~~




こんなことが 父親にしれたら・・・・・ 暗黙の秘密にしてたが  悪い事は出来ない!!

父親も 戦死する事なく その年に 帰ってきたそうです  本当は 特攻で 戦地に出向く 筈だったが 幸か? 不幸か 駐屯地で マラリアにかかってしまい 病院に入院してたばかりに 終戦を迎えた・・・・・

数年経った 或る時 ご近所の お節介伯母さんが 注進したそうです
「アンタン 宅 の 両親も 嫁っ子も 冷たいもんだね~ 赤ん坊を 置いて 自分たちばかり 逃げたんだってよ~~


そんな 話を聞いた 父親は 祖父母や 母親を 激しく 叱咤 激怒したらしい ・・・・
その後 ずっと根に持ってたらしく・・・・・・
* 結婚して第一子が生まれた時 この話をしてくれました。 例え 如何なる事があっても 子供を置いて逃げ出すような 事だけは するのではないぞと・・・・・ 


その後 今度は 直ぐにしたの子ができ 食糧事情が 悪い中 母親の 母乳が 止まってしまい
丸々してた 赤ん坊が 栄養失調になり  やせ細ってしまい なすすべもない状態だった時
ヤギの 乳が良いとの 話に 急いで ヤギを探し求めて ヤギを飼いだし ヤギの乳を 飲ませたそうです。
一度 発育不全に 陥った者は 正常には 程遠く また 育ての親が ヤギですから
目ばかり 大きな 細い顔の 育ての親 そっくりな? 色黒な?? 女の子に なってしまいました~

それから うん十年 栄養失調からは脱退 メタボになり また 悪運が強く したたかな
人生を 送って 来てます~

 一番 上ゆえ 兄弟の中では 負担が大きく 親には わがままを言えませんでした。
やりたいことも 欲しいものも 我慢することが多かった・・・

だから 今は 幸せかも?? だって 遣りたい事 欲しい物が 手に入るもの・・・・
我慢強く育てられたので 贅沢は 出来ないんです~  もったいなくて~~

 初めて 描いた 下手な 絵だけに 臨床感が 出てますでしょう?~~ きもちわる~い・・・なんてね!! (笑い) 真夏の ミステリーを
一席  お粗末さまでした。