あまねこブログ

あなたの守護天使からのメッセージをお手紙で伝えています✽あまねこ占✼心里遇ころりの見えない世界スピリチュアルな日常ブログ

光の射すほうへ⑦

2024-04-09 03:21:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

私にとって「見える世界」は
子どもながらに
楽しさなど微塵も感じられない
ため息ばかりが出て来る日々の
連続だった。

大人になった今の自分が、このように
ため息ばかりついている子どもを見たら、
なんだか中身がお年寄りみたいな
アンバランスさを滑稽に感じただろう。

幼稚園には通わなかった。
「この人」の意向で。
女の子は最低限の義務教育だけで良い
という古い時代の考えがあった。

※「この人」については前記事を
ご一読の上、本記事をお読みいただくと
お話がつながります。

小学校へ上がると、
家の外で過ごす時間が増えたためか
自分の視界が少し広がり、同時に
自我も芽生えはじめたせいで
他人と自分の「違い」を
感じるようになった。
家庭の中における
自分の存在感と
家庭から一歩外の世界へ
出た時の自分の存在感が
まるで2パターンあるような
間隔が有ったが、果たして
どちらが本当の自分なのか
分からなかった。

外で過ごす時間は
自分らしさを少しずつ
引き出していった感はあるが、
この時点で既に
「この人」の下で過ごすことによる
「抑圧」が、染み込みつつあった。

10歳にも満たない子どもの自分は
家の内と外を、器用に
切り替えて過ごすことが
出来ていなかったのだが
外にいるときは少しずつ、
自分らしく居られる瞬間が
増えていった

友だちもでき始めるが、
おかしな「抑圧」に
囚われつつあったため
人との距離感に苦慮した。
周りからは
「恥ずかしがりや」
「人見知りが激しい子」
というふうに映っていただろう。

人に声をかけたくても、
最初の一言を出すのに
ものすごく…勇気が要るのだ。
最初の一言が、なかなか…
振り絞らないと出てこない

こちらから一言投げかけて、
相手がそれに応えてくれると
そこからは、スラスラと
会話が始まり楽しい時間を
共有できる。そして、
「あぁ、取り越し苦労だった」
と、安堵する。
大抵の場合は、そのようになる
パターンだと理解しつつあった。
が、家庭の中では
このパターンは通用しなかったため、
気軽に人とコミュニケーションを
とるための最初の一言を
発することができなくなっていたのだ。

これも、よくわからない
自分との闘いのひとつだった。

家庭の中では、
最初の一言を発すると、
大声で怒鳴り返されるか
真っ向否定され
タイミングが悪ければ
罵倒されるか…
どちらにしても自分の一言のせいで
怒号が飛び交う結果になることを
この時点で経験していたので
他者と楽しくコミュニケーションを
とるということなど、この頃には
「諦め」ていた


…そんな「諦め」の境地が
私を、ため息ばかりついている
謎めいた年寄りのような子ども
にしていたのだ。

胸の内に抱え込むのが
苦しくなることもあったが
子どもながらに思っていた。
このことを、お友だちの誰かに
話してみても理解できることではない。
寧ろ、話したことで
その子が親に話し、小さな町に
我が家の悪評が広まりでもしたら
「この人」は噂の出処を突き止め
その出処が私だとバレれば
体罰の日々がはじまり
悪循環を招くだけである
と、現実的な結論に至るのは
容易かった。

こうして絶えず
よくわからない自分との闘いを
繰り広げ、いつしか
人に頼らない
人を頼ることができない
自分が造られていった。

もう一つの側面では、
結局のところ「自分との闘い」に
落とし込むことによって、
「この人」の悪業が世間に
漏れ出ないように守っていた
ということでもある。

それは、ずっとずっと後に
スピリチュアルに目覚めてから
気付いたことだったが、
肉体は子どもでも、常に
全体の状況が悪化しないよう
(この場合家庭のこと)
ディフェンスにエネルギーを
費やしていた。
知らぬ間に周りのために
エネルギーを使う仕事が
習慣付いていた。


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