ALSA中央ブログファンの皆様、大変お久しぶりでございます。広報の早川です。
新年度を迎えてしまいましたが、『これまでの活動を振り返る』という形で昨年行われましたAAをご紹介させて
頂きます。
更新が遅くなりましたことを心からお詫び致します。申し訳ありませんでした。
これからもよろしくお願い致します。
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『原爆投下から考える戦争観のあり方』
TC 早川晃平 AC 松林耕平
皆さん「原爆」のAAに来て頂きまして誠にありがとうございます。
ご存知の通り2015年という年は「戦後70年」と当たり前に言われています。日本は戦後70年、自衛隊が一人も外国人を殺すことなく、一人も戦争で命を落とすこともなかった国です。平和であったからこそ「戦後」と言えるのです。しかし一体私たちはどのような戦後を生きているのでしょうか。それは私たちが戦争という記憶をどのように記憶してきて現在に至るのか、という疑問とほぼ等しいと言えます。戦争をどう考えるか、つまり私たちの戦争観というものはどのようなものなのでしょうか。この私たちの戦争観を考える素材として、「広島・長崎への原爆投下」という事実を扱います。
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実は今回のTCは広報の早川が務めさせていただきました。広島の原爆ドームへ旅した経験なども踏まえて、AAを作ってみたいと意気込みましたが、やはりなかなか難しかったです。今回はブログの中で一部をご紹介させていただきますが、焦点を「戦争観」に絞ってAAを作ってみました。当日は下のような流れで進行いたしました。Lecture1と3を紹介させて頂きます。
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目次
Brain Storming
Lecture 1 戦争が無くならない理由
Case Study 原爆投下の歴史
Lecture 2 平和教育に関して
Lecture 3 2つの顔を持つ原爆体験の歴史
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Lecture 1 戦争が無くならない理由
今日は皆さんにガチで戦争の話を議論して頂き、皆さんが戦争についてどう思っているのかをさらけ出してもらおうと思っています。上の宣伝文では「戦争をどう記憶してきたのか」=戦争観と書きましたが実際の私たちの「戦争観」とはもっと広く、多くのものから影響を受けていると思います。現在世界ではたくさんの戦争が行われています。主権国家間の戦争だけでなく、13日のフランスでのパリ同時多発テロや9.11のようなテロリスト、宗教的な対立などによる「新しい戦争」が現在のものとして世界に現れてます。
Discussion 1
どうして世界から戦争が無くならないのでしょうか?
その理由について話し合ってみましょう
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ここでは、ある学者のこの問いに対する3つの考えを提示し、自分の『戦争観』と比較し、考えを深めていただきました。
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・「戦争研究は人間・社会そのものの探求である」
ところでしばしば人は「結局どのようにすれば戦争をなくせるか」と問う。だがそれに対してすぐに明解な答えを口にできる研究者はほとんどいないだろう。
経済学者に対して「では結局どうすれば皆が幸せになれますか」と問うたり、法律学者に「では結局どのような法律を作れば社会が安定し皆が幸せになれますか」と問うのと同じで、問いがあまりに大きく、また根本的過ぎて、一人の研究者には背負いきれないものだからである。
戦争は時代や文化のなかで形を変えていく動的なものであり、常に新たな姿で立ち現れてくる。それは政治や経済や地理的条件のみならず、人間の理性には運や偶然としか捉えられないような、複雑なプロセスを含めて構成される社会的事象なのである。戦争や軍事に関するすべての因果関係を理解し尽くせると前提するのは、人間の理性や能力に対してあまりに期待をし過ぎた態度である。確かに戦争は人間によって引き起こされるが、それは人間によってコントロールが可能だということを意味しない。
戦争は純然たる悪意や利害だけでなく、何らかの善意、正義感、プライド、平和への希望をもってなされることが多く、矛盾と逆説に満ちたものだからである。
よって戦争や軍事の研究は、最初から最後まで、戦争を見つめることでしかあり得ないように思われる。それは究極的には、人間や人間社会そのものの探求でしかあり得ないだろう。
・「愛と希望が戦争を支えている」
確かに戦争は悲惨であり、醜いものである。しかし、人は純然たる悪意だけで、自らの命を危険にさらし、見ず知らずの人々と戦うことができるだろうか。
むしろ何らかの意味での愛とか、優しさとか、忠誠心など、広い意味での善意がなければ、何十万、何百万という人間を、戦いに駆り立てることはできないのではないか。
戦争の背後には、政治的・経済的な対立だけでなく、誤解、差別、プライド、宗教的信仰、民族的意識、国家意識などがある。だがいずれも、多くの場合は何らかの「正義感」にも基づいている。
人は必ずしも、「優しさ」や「愛情」が欠如しているから戦うのではない。誰かを憎み、何かと戦うには、そもそもそれ以前に、別の誰かを愛し、別の何かを大切にしなければならない。
何らかの意味での「愛情」、あるいは「真心」があるからこそ、人間は命をかけて戦うことができてしまう、戦争を正当化できてしまうのだ。そこに悲劇の本質があると考えべきである。
また、戦争は人を殺したいという衝動を持ったときに始まるではなく、むしろ、自分たちは命の危険をおかしても構わないという覚悟を持った時に始まるのだ、という議論もある。戦争ほど「利他的」な行為はない、と表現する研究者もいる。
・「兵器を廃絶しても、人は石や棒で戦う」
しばしば平和主義者は「軍備をなくそう」「軍隊がなくなれば戦争もなくなる」と言う。「武器を買うお金を福祉にまわそう」という意見もしばしば聞かれる。
それは確かに平和を希求する善意に基づいた意見に違いないだろう。
しかし、そもそも人類は、まず先に兵器を生み出して、それから戦争というものを始めたわけではない。「争い」や「戦い」が先にあって、その中から兵器が作られたのである。戦いの積み重ねのなかで兵器が発展していったのであって、兵器を作ってしまったから「戦争」という事象がこの世に誕生したわけではない。
人間社会の争い事は常にあるのだから、仮に兵器や常備軍をなくしたとしても、原始的なゲリラなど別の戦闘形態が生まれ、戦闘のスタイルが変わるというだけの話である。戦車や戦闘機やミサイルが廃絶したとしても、無ければないなりに、人は代わりに石や棒を持って戦うだろう。
したがって、ありきたりな言い方ではあるが、結局最も恐ろしいのは、やはり人間の心であり、人間の意思である。
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Lecture2では、いわゆる実際の原爆投下までの過程、原爆論争としてとりあげられるスミソニアン博物館の事例や広島の平和教育の紹介、アメリカの教科書問題などを見ていきましたが、内容が多すぎたためここでは省略いたします 汗
Lecture3では、日本の原爆体験の2つの顔を見ていきました。ここは、島本慈子著「戦争で死ぬ、ということ」を参考及び引用致しました。
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Lecture 3 2つの顔を持つ原爆体験の歴史
「8月6日以前」にも新聞・雑誌に原爆の情報は出ていた。
・『沖縄新報』1944年(昭和19年)12月29日付
[木っ端微塵、独、原子爆弾使用]
「[リスボン二十七日発同盟]ロンドン来電によれば、ドイツの一放送局は二十七日、ルントシュテット元師麾下のドイツ軍が目下原子爆弾を使用している旨放送した。同放送によれば、原子爆弾が投下された地域では、一切の動植物の生存が停止し、森林は焼き尽くされ、広大な地域が焦土と化し、大爆風にあったものは誰も微塵になってしまうと言われる。」
※ 「同盟」とは国策通信社である同盟通信社である。
朝日新聞は「原子爆弾 軍艦も二キロ上空へ マッチ一つの要領で吹ッ飛ばす」
毎日新聞(大阪版)は「独『原子爆弾?』を使用 広範囲域。一切の動植物死滅」、
読売新聞は「原子爆弾使用」という見出しで、同じ同盟ニュースに触れている(すべて1944年12月19日)
・大衆雑誌『新青年』(昭和十九年七月号)
「米本土空襲科学小説 桑港(サンフランシスコ)けし飛ぶ」というタイトルで、日本が原子爆弾でサンフランシスコを壊滅させる物語が掲載されている。
「われらまた恨み重なる彼の本土を衝いて、天譴的爆弾を見舞い、彼らのいわゆる摩天楼を木端微塵に粉砕し、青鬼共をどカーンと天空高くひとからげに吹き飛ばして、快絶無比の最後の止めを刺さなければやまない。それこそ、この戦争の最終場面(ラストシーン)を飾るにふさわしい光景ではなかろうか」
・雑誌『放送』(昭和二十年三月号)
「米本土爆撃は可能か」「一般国民の肚のなかは何とかして敵アメリカに殴り込みをかけなければならぬ」という熱意に燃えている」「それには航続距離とか、速力とか、原子爆弾などの高性能爆弾とかいう問題がつきまわるわけですが…」
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原爆投下前の日本には原爆に対してある種の「期待」のような捉え方もなかったわけではないということがこの部分から理解できると思います。
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子供が見た戦争の正体
それは上空五百八十メートルで炸裂した。地表面の温度は三千~四千度に達し、熱線は人を焼き、大爆風が衣類も皮膚も吹き飛ばした。有害な放射線も撒き散らした。
その惨劇を子供たちが記録した(長田新編『原爆の子−広島の少年少女のうったえ』1951年刊より)
▷橋の所には、人がいっぱい死んでいました。まっ黒にこげて死んでいるもの、大やけどをして、ひふはだれて死んでいるもの、ガラスのかけらが体いっぱいにささって死んでいるもの、いろいろいました。(小学校六年生男子六歳)
▷一瞬にして闇夜のように真っ暗となった、あの日の広島の町。その暗黒の町を照らし出すように、あちらこちらの崩壊した家屋から燃え上る火の手。その中を、苦しそうな呻き声を立て、火傷で風船のように膨れ上がった顔をぴくぴく動かしながら彷徨う子供。顔や体の皮膚が馬鈴薯の皮のようにぼろぼろにむけ、力ない足取りで念仏を唱えながら逃げていく老人。(高校二年男子、当時小五)
▷身にまとう物さえ何一つない腫れ上がった母親が、火傷と傷でもう息の絶えている子供をを固く抱きしめて、狂気の如く叫びながら走っていく。暗紫色に腫れ上がった体を、道路の両側の溝、あるいは防火用水のなかに浸したまま死んでいる学生、そして女。倒壊した家屋の中から首から上だけ出して、助けを求めて叫んでいる人々……。これを見た時、私は戦争の正体に戦慄した。それは“この世”ではないのだ。(高校三年男子、当時中1)
▷水槽の中が見えるくらいまで近寄った時、僕は思わず「あッ」と声を上げて、後退りをした。僕が水槽の中に見たものは、血に赤く染まった水に映っている怪物の顔だった。彼らは水槽にもたれ、水槽に首を突込んで、水を飲みかけたまま死んでいたのだ。焼け千切れたセーラー服から女学生だということがわかったけれども、髪の毛は一本もなく、やけただれた顔は血で真っ赤に染まり、到底人間の顔だと思えなかった。(前掲高校二年男子、当時小五)
▷兄は原爆が炸裂した時は、丁度裸体になって作業をしていたため、露出していたところは全部やけどのをして赤むけとなり、見るもむごたらしい姿になっていた。(高校三年男子、当時小六。兄は死亡)
▷私は今でも、あの野戦病院の光景を思いだすとぞっとする。そこにいるのは、ほとんどと言ってよいほど、やけどの患者であった。それらの人たちが、苦しさの余り、うめき、叫び、すすり泣き、あるいはくるったようにように廻っている。(中学三年男子、当時小三)
▷医師ももうダメだと言った時、兄は意識ははっきりしていた。「お母さん、助けて下さい。死にたくないよ。」と言って、母の手を握って泣いていた。苦しい苦しいと叫び、水ばかり口に入れた。死ぬ一時間前には苦しさのあまりか、体を持ち上げ、頭をふり、とてもそばでいられないような様子だった。見ているうちに、口から大きな魚の腹わたほどもある、血の塊りか、血の切れはしか、何か分からないものを吐き出した。それが出る前だから、特に苦しかったらしい。そして間もなく息を引きとった。その時兄の髪の毛は一本の毛は一本もなく、つるつる坊主であった。/兄の年齢は数え年十四歳でした。(高校三年男子、当時小四)
⭐かつて陸軍の技術少佐としてウラン鉱物の調査を手がけ、「学徒の前に立って、戦局を有利に展開するウラン爆弾の製造のためにと努力を願った」という山本洋一(故人)の著書『日本製原爆の真相』
「なぜ日本に原爆が落とされたか?といえば、それは日本がアメリカと戦争を続けたからである。/武器をにくむ前に、どうして戦争がおこるかを考えて、武器のいらない平和な世界をうちたてることに努めねばならない。」
「人間が戦争を放棄しない限り、おそろしい武器ができるのは当然のことだ。戦争のときに、秘密に相手の持つよりさらに強力な武器を作り、それを使うことは、もともと人道などを問題にしない戦争という条件のもとでとがめる方がおかしい」
「戦争そのものが悪である。このために人道的な戦争などあるわけがない。自ら属する民族とか国家というものに対する奉仕の念が全人類へのそれよりも強い場合において戦争がある。戦うのも正義であると教え込まれた日本人全体が日本国への忠誠をつくしたのは当然である。
「未来をよくする道を考えるときに、悲惨な死に方をされた人たちの心が、私ども生き残ったもののなかに生きてくるのである」
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ここでは広島の原爆ドームでも多く拝見できる原爆の悲惨さ・非道さを訴えるものを取り上げてみました。
特に最後の山本洋一さんの言葉は、戦争へ「期待」持ち参加した人の言葉であるだけにとても大きな重みを感じました。
ディスカッションのレクチャーにしては感情的でありすぎるという批判もありましたが、あえてこのようなレクチャーに触れた後で
Final discussionです。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------Final Discussion
あなたは戦争を絶対悪だと思いますか。それとも必要悪だと思いますか。
それともいったい何悪でしょうか。Lection 1 で考えた戦争観についてや原爆をめぐる様々な認識や思いを受けて、あなたの思う戦争とはいったいどのような悪でしょうか
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3つのテーブルでは各々がじっくりと戦争について考え、様々な意見が出ました。
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~はだしのゲンテーブル~
・絶対悪―愛する者のために人を殺すのはオカシイ
・戦争はなくならない→必要悪→罪のない人が傷つけられる
・理想:積極的平和↔現実:消極的平和
~永遠平和のためにテーブル~
・戦争はなくならない→仲良くできない(相手への理解・寛大さ)
・世界を統一する救世主に期待
~食いしん坊テーブル~
・戦争=悪はオカシイ?→戦争は最終手段(その前に交渉とかがあるかも)
→しかし、正義とも言えない
・非戦闘員を巻き込んだ戦争→悪の面
しかし、これらの考え方だと主観(個人の意見)も必要
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------実際に日本では、一般に「平和教育」と呼ばれる教育がされているようですが、沖縄や広島、長崎以外では目立つものはないように感じます。それはただの地域差なのだろうか。そもそもその「平和教育」とはどんなものなのだろうか、という疑問を抱いたのがこのAAの形につながりました。それは戦争をどのように捉えるか、ということ。Lecture1であげられたように「人には愛情がある限り戦争とは避けられないものである」、「戦争というものに人は惹かれる」というような意見やいわゆる消極的平和のようにある程度の軍事力による安定を目指す、つまり戦争を「必要悪」としてみるような捉え方を前に、主に広島・長崎・沖縄でなされるような悲惨な過去の戦争経験が訴え、反核・反戦を訴える「絶対悪」としての戦争の捉え方はどのようにあるべきなのか、というのがこのAAの中心でした。
実際広島の中、長崎の中でも様々な意見があります。「戦争という記憶を語り継ぐ、忘れない」ことの重要さが語られるの一方で、一体「どのような戦争が語られ、忘れないべきか」という点がおろそかにされてきたのではないかと思います。戦争は過去の記憶であるだけでなく、現在の世界でもあります。また、ゲームやアニメなどにおいても多くの戦争を含む物があります。このような複雑な「戦争観」が絡み合う世界で、私たちは一体どのような「戦争観」で世界を眺めるべきなのでしょうか。
戦争体験者が減る中で、このようなことについて深く考えることこそ、今の学生・若者に求められているのではないでしょうか。
ありがとうございました。