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自分の惨めさを受け入れたら、
とても楽になった。
友達に仲間はずれにされた時、
妊娠している友達がたくさんいる時期に、流産してしまった時、
息子が、幼稚園生活に馴染めなくて、先生から「お母さんの愛情不足じゃないですか?」と言われた時、
私はとても悲しかった。
その悲しみは受け入れていた。
でも今回、惨めさを受け入れる瞑想をした事で、初めて惨めを感じていた事に気づき、惨めさを受け入れた。
私は自分の事を、いつも高く見積もりすぎる。私はもっとできるはず、優秀なはず。
でも違った。私は無能だった。何でもないただの人間だった。
だから惨めさを感じてもいい。
でも何でもないただの人間でしかないと自分の事を思えたら、惨めさも感じなくなるかな。自分の事を高く見積もりすぎるから、惨めさを感じるのだとしたら、私は無能である、その事を認めたら、もう惨めさも手放せる。
無能で、何も持っていない、何者でもない私だけど、できることはある。
ご縁があった人にたくさんの愛を配ること。
そのひとつとして、このブログも始めた。
これまで体験してきたこと、たくさん学んで実践してきたこともある。
私にできること、コツコツとお届けして行くことをここに決めました。
どうぞよろしくお願いいたします。
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