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マシンガントークのおもいつき☆雑記☆

あまりに早口らしく、人はマシンガントークと、私のことを呼びます。福祉、教育・医療支援、をキーワードに思いついたことを…。

カンボジアの国際空港

2007-09-11 09:51:15 | Weblog
プノンペンとシェムリアップとを
行ったり来たりしている。
プノンペンで、
JICA開発センターの見学、
ロイヤルプノンペン大学(RUPP)の先生方とのアポ。
オーストラリア資本の孤児院を訪ねて一日だけだが、
一緒に生活してきた。
このサンライズというNGOは、プノンペンに本部、
シェムリアップにも孤児院を
持っている。だから、行ったり来たり。
シェムリアップには、
別のフランス資本の孤児院もあるので、
そちらも訪ねなければ。優しいボーリー先生が待っている。

行ったり来たりするのに、飛行機を使って、こちらの友人に呆れられた。
高いのに、バスで行けばいいのに、という。
しかし、バスだと5時間。悪路を土埃とともに走る。飛行機だと45分。
首都と観光都市シェムリアップ。東京と京都を結ぶみたいに新幹線敷設
できたら、どんなに便利だろう。
日本のODAで新幹線は無理だろうな。
新幹線を維持できるだけの国力、技術がない。
JICAの方に途上国では、陸送は危険、空路を確保するのが一番と助言された。
陸送だと、転覆、野盗、延着、襲撃の可能性があるが、その点、空路のほうが
リスクが少ない、と。
ずいぶん、大げさだ、とは思うが。

たしかに、空港を利用するのは、国内線、国際線ともにforeignersだけ。
カンボジア人は、国内線では見あたらない。

シェムリアップ国際空港は新しく建て替えられ、とてもきれいになった。
ガラス張りに、巨大なヒンズーの神様を表したオブジェ。

これだけ、空港を新設して、きれいにしていても、自国便を持っていない。
これが、カンボジアの現実。
カンボジアを代表する航空会社がなく、ベトナム航空とタイ航空との協定で
乗り入れて貰っている。
カンボジアにくるたびに、ベトナム航空のお世話になる。
今回同行した先生は、JALとタイ航空を乗り継いできた。
こちらのほうが、「贅沢」便。タイ航空のほうが機内食がいいそう。
でも、ベトナム航空のいいところは、アテンダントが美人揃いで、
ユニフォームのアオザイ姿がかっこいいこと。
あの、えんじ色のアオザイのユニフォームが欲しい。
頼んだら売ってくれるのかなぁ。
このまま国外逃亡して、ベトナム航空で、フライトアテンダントに転職しようかと思う
と密かなもくろみを同行の先生方に話したのだが、
「ふふん、年齢制限にひっかかるだろ」と誰も相手にしてくれない。
みなさん、ずっとおなかの調子が悪いままなので、そっちに気を取られ、気もそぞろ。

ほんとに、アオザイ着て機内サービスしてやろうか、と考える。
いや、次回はやっぱり、食事に釣られて、タイ航空にするかな。







「カンボジアホームシック」と「道場仲間ホームシック」

2007-09-02 16:58:30 | Weblog
道場仲間からメールが来た。

それを見たら、帰り風が立ってしまった。

八段師範、K先輩、Bちゃん、Mっち、三段師範、S先輩、お兄ちゃん先生、などなど。
「生きてるか?」「いつ帰ってくるの?」「早くいっしょに練習しようよ」
「はやくもどってこーい」のメール。
仕事の利害関係を離れて、純粋に仲間意識だけでつながっているので、
彼らとの友情がいちばん、かけがえのないものに思える。
急にmissing になってしまった。道場のみんなに会いたい。
八段師範には、よく怒られるし、出国直前に意見が合わなくて、
ぷんぷんしながら、日本を飛び立った。
少々険悪?だったのだけど、でも会いたい。
「くぉら!ガードはどうした。やられるぞ!」「何度言ったらわかるんだ」
師範の声が頭のなかで鳴り響く。
怒鳴られながら、また師範の指導を受けて練習したいと思う。

珍しく、二〇代のときにお世話になった、合気道の副館長の
七段U先生からも連絡が来た。
帰国したら、先生が新しく「道場開き」したので顔を出すようにとのこと。
また道場開設か。U先生、これで五つくらい教室を持っているはず。
先生の教室で助手として雇ってくれないかなと思ったことが何度かあったが、
あの先生はそばに寄ると危険なのだ。
U先生は、なにげな顔をして、ひとのスキをついていきなり投げるのだ。
にこにこ話している最中に、入り身で投げ飛ばされたことが何回も。
会う前にいまのうちに、座り受け身、後転受け身、前転受け身の練習しておこう。
先生に会うときは要注意。何の用件だろ?こわいなぁ。

投げ飛ばされると言えば、
K先輩。彼は柔術の専門家なので、こっちはスキをみると、
「マウント」で上にのしかかられ、十字固めをされてしまう。
これも今のうちに、練習してから会わないと危険?だ。

日本とネットがつながるので、頻々とメールチェックする。
仕事の連絡ばかり、後期開講の授業の出講調整、裁判実務の連絡、
訴訟方針の打ち合わせなどなど。
仕事のメールをみると、やっぱり国外逃亡してやろうか、
二度と日本に帰国しないぞと真剣に思う。
カンボジアでこじんまりとした学校、いや寺子屋作って、永住しようかな、
真剣に考え込んでしまう。
カンボジアの友達がいっぱい。
私のむすめ代わりのBorea,彼女はさびしがりやで、
いつも私の手を握って、「次はいつ来るか」ばかり問う。
ちっちゃな妹のMalineat、彼女は現代版カンボジアキャピキャピ娘。
何しても大笑いする。
座っても、立っても、しゃべっても何見ても、きゃーきゃー笑って、かしましい。
心配性の世話係のPoan,彼は苦学生。
Roiyal Phnom Penh大学の、Nan 先生。
なんでこんなに優しいのかと思うくらい優しい。
至れり尽くせり。
極貧の子ども時代。食べるためにPagoda(お寺)にあずけられ、僧侶の
雑用を手伝いながら、お金をためて、勉強して王立大学を卒業した。
今は大学の先生。
彼は、熱心なBudist.「人には損得勘定抜きで、優しくすること、よくすること。
人にしたことは自分にはねかえってくる」というのが、彼の持論。
もうすぐ、彼は日本に留学のためにやってくる。
Ravi博士。少しでも疲れた、というと、心配して薬屋さんに走ってくれる。
おなかがすいたというと、あれこれおかゆや、クメール風いためものを
持ってきてくれる。
カンボジア人は日本人によく似ている。
恥ずかしがり、遠慮する、穏やか。気を遣うところ。
あの人、このひと、思い浮かべる。
あーっ、私にはこの国に大事な友人がいっぱい、と
改めて気がつく。
日本より、というか日本なみに友人知人が増えた。
この国に根を張りつつある、という証拠。
でも、日本に帰国すると、彼らを思い浮かべて、
今度は「カンボジアホームシック」にかかるんだろうな。
カンボジアにいると、「日本の格闘技仲間ホームシック」になる。

人のつながりって、ありがたいな。



Phnom Penh 発砲

2007-08-29 03:33:54 | Weblog


プノンペン、
夜の10時。
クメール料理店で、他大学の先生方と
クメール伝統の食事とタイガービアを堪能していたら、
「パンパンパン!」と銃声の音。
最初に6発。たてつづけ。
間髪を入れずにまたしても3発。
乾いた銃声の音。

店の2階の窓から、首を伸ばして下を見ると、
走っていたトゥクトゥクが、一斉に道路脇に一列に並び始めた。
はるか向こうのほうに、人だかりがしている。
店の人が「Police.No problem.Safe」と自信ありげにうなづく。
階下に降りて、通りに出て確認しようとしたが、
出てはいけないと手で押し返された。
いま、Safe と言ったじゃないか。なのに、出してくれない。
同行の先生方、男性ばかり。6人。
「危ないからしばらく、この店にいましょう」
PoliceかMilitaryか。
警察か軍の兵士による発砲か。
店の人はそういうが、一般人やforeignerが行き交うなか、
警察がいきなり9発も市中で発砲するわけがない。
と同行の先生は言う。
きっと、強盗か、物取りか、マフィアの抗争かなにかだろう、と。
9発も連発できると言うことは、短銃(ハンドガン)ではないとおもう。
トカレフか。
最新銃は出回っていないはず。
連発できるとなると、AK 小銃か。
前にもやはり、夜の9時過ぎ、ROCK という大きなディスコに行く途中、
遠くで6発銃声の音を聞いた。
マライとタイの国境では、内戦時代に不法に出回った「アーカー」と
呼ばれるAK自動小銃を村人が持っていて、見せて貰った。
他にも解体された不発弾や地雷の数々。
どれもこれも鉄さびだらけのガラクタに見えたが、
これらが、いわゆる「武器」そのもの。
人を殺傷するツールなのだ。
カンボジアに来て、銃の名前を覚えた。


夜の一人歩きは、やはりよくない。

かといって、昼間も女性が一人で歩くのは、よくない。
一人で、プノンペンの町をトゥクトゥクを雇って、
うろついていたら、ちょっと自分のトゥクトゥクを
離れたすきに、違うトゥクトゥクがやってきて、
「お前のトゥクトゥクは、いま goneした。
この目で見たから確かだ。
代わりに俺のトゥクトゥクに乗れ」としつこい。
My トゥクトゥクを wait forするから、
No thank youだと言ったのだが、 離れない。
よそのトゥクトゥクのdriver も寄ってきて、囲まれてしまった。
遠くから、それを見ていた私の契約したトゥクトゥクの
おじさんが見つけて走ってきて
「このfoerigner は私の客だ。手を出すな」と追っ払ってくれた。
どうも、日本人女性の一人歩きは、軽く見られてしまうようだ。
ROCKからホテルまで、4人乗りバイク、トゥクトゥクで、せいぜい2ドル。
高くても3ドルなのに、私にしつこく売り込んだトゥクトゥクは、20ドルとふっかけてきた。
頭に来て、reasonable ではない、と言ったのだが、
譲らない。
オンナと見ると高くふっかけられる。
オンナだけでもないか。
同行の先生、男性なのに、
ホテルから、トンレサップ川まで、3ドルのところ、
8ドルも払わされていた。
相場を知らないから、はじめに10ドルと言われて
その次に8ドルまで下がったから、
そんなものかと払ってしまったのだ。

途上国では、こちらも、ふてぶてしさと、
開き直りとど根性がいる。

それにしてもあの9発の発砲。なんだったのだろ。
マフィアか、泥棒か。
いまだにわからない。









スコールのありがたさ!

2007-08-27 03:07:20 | Weblog
ネットがつながったので嬉しくて、日本のヤフーをたちあげて
ネットばかり向かっています。
今回は、JICA、ロイヤルプノンペン大学の先生に、すごくお世話になってしまった。
王立図書館の前で、王立大学の先生と記念撮影。

プノンペンとシェムリアップを行ったり来たりしている。
郡部に入り込んで、いっぱい蚊にさされてしまった。
ここの蚊は賢くて、「蚊よけスプレー」を身体にふきつけても、皮膚の上を
はい回り、少しでもスプレーのかかっていないところを、うまく見つけ出し、
そこを刺す。
ちょうど肘関節の先を刺されてしまった。
こんなところ、ちょうど、スプレーがかからなかったところ。
私の認識では、スプレーさえ、身体に吹き付けておけば
その匂いで嫌がって、蚊は寄ってこないと思っていたのだけど。
遠慮無く、スプレーをかけた上をはい回る。
ここの蚊は、強い。
ひとも蚊もサバイバル能力にたけている。
同行の先生は準備万全で、長袖を欠かさない、しかしいくら雨期で涼しいとはいえ、
38度、39度のなかで、長袖はつらい。
まあいいや、と思ってTシャツばかり。
しかし、ここの蚊はTシャツの上から、背中を刺す。
うーむ、どうしてくれよう!!

マライはマラリア蚊の発生源といわれているところ。
マラリア、デング熱大丈夫かしらん。
同行の先生いわく、
もし、マラリア発症したら、日本で熱帯医学研究所で、私の血液原液が
「株」として冷凍保存されるそうだ。
今後の研究に使うので、マラリア発症したら、
京都大学医学部に連絡しなくてはならない。
要するに熱帯で風土病に感染したら、研究材料に使われると言うこと。

郡部、村部、では蚊がすごいのは、わかっているが、
意外や、首都のくせに、プノンペンも夜の蚊がおおい。
シェムリアップは、蚊がいなかった。
今年は特にシェムリアップでは蚊の少なさを感じた。
アンコールワットがあり、
観光都市として外国人を受け入れなくてはやっていけないので、
街をあげて、大量に燻蒸している。
シェムリアップを車で走っていると、ホテルの前庭が煙でもうもうなので、
火事かと思ったら、聞くと、ただの殺虫燻蒸だという。
しかし、煙ぼうぼう、日本ではただちに消防車がうなって、
駆けつけること間違いなし。という規模の燻蒸。
おかげで、夜にホテルの庭で寝そべって、ビールをのんでても蚊は寄ってこない。
飲酒したときの人間の血がいちばん、蚊が好むというのに。

日本の薬はすべて、弱い。
ここに来ると何も効かないような気がする。
フマキラーのスプレーが日本で一本195円だったので、どっさり買い込んで
持ち込んだのに、ここの蚊に向かって吹き付けてもちっとも効かない。
キンチョールのほうが効き目がいいかも。
日本人ドクターにキンチョールのむかしながらの、
渦巻き線香タイプがいちばん効くよと言われたけど、本当にそのとおり。
こちらのマーケットで買った渦巻き線香は、強烈なにおいがして、耐え難い。

匂いと空気と言えば、
プノンペンの街の空気の悪さ。ひどい。
先進国から回り回ってimportされた中古車から出る排気ガス。
日本でだったら車検で通らないようなひどい黒煙を出す車、バイクが
平気な顔をして走っている。
アスファルトにつもった土埃のすさまじさ。
行き交う車の勢いで舞い上がってプノンペン市上にたちこめる。
下水道設備がないため、人や家畜の垂れ流した糞尿も、
炎暑に照りつけられて乾燥し、これも舞い上がって人のうえにふりかかる。
街の汚さ、不衛生さ、猥雑さ。国としての規制は無いに等しい。
RUPP(ロイヤルプノンペン大学)の図書館には、
すこしだが環境法の本があった。
プノンペンにはMinistry of Environment(環境省)があったが、
国軍、国防省に比べると、お粗末なちいさな建物。
いかに予算がないか、存在がうすいかが外見を見ただけでわかるというもの。

空気が悪い。
たまにマスクをしている人をみかける。
このマスクが色とりどり。
日本ではマスクと言えば、まっしろ・ガーゼと決まっているが
ここのマスクはいろんな服生地で、カラフルに手製のような感じ。

こんななかで、スコールが来るのが楽しみ。
酷暑、砂塵、粉塵、乾きを一挙に吹き飛ばし、洗い流してくれる。
空気は洗い流してくれるけど、下水道が無いので、道路に雨水がたまる。
ということは、ついさっきまで、道路だったところが、たちまちのうちに川になる。
道が傾いているところだと、ふくらはぎくらいまで、泥水がたまり、
一見すると、バイクもトゥクトゥクも川の中を走っているかのよう。
毎日3時から4時くらい以降から、必ず一回はスコールが来る。
いちど、すさまじいスコールに遭遇したことがあった。
日本を発つときに、熱帯で雨期、スコールが心配なら、
「傘をもっていきなさいよ」と優しい親切な友人にアドバイスされたが、
傘をさす、という発想そのものが、スコールを知らない日本的な発想だと
気がついた。
スコールの勢いは強く、安い折りたたみ傘だと
開いてさしたとたんに瞬時にグシャっとつぶれる。
同行の男性が、日本の百均で買ったという傘を取り出して開いたとたん、
スコールともに、つぶれて友人が瞬時に「びちょぬれ」になってしまったので
大笑いして怒られてしまった。
彼はぬれるのが嫌いなのに・・・。
髪も長袖のジャンパーもジーパンも靴も、頭からつま先までびしょ濡れ。
傘もつぶれて、日本で買ったナイキの靴も泥水につかり、つぶれてしまった。

スコールは、ざーざー降りというより、ゴーとうなって降ってくる。
先週の孤児院では子どもたちが、スコールが来たとたん、石けんもって
飛び出し、頭を洗い出したので、笑ってしまった。自然のシャワー。

スコールのあとは、汚染一過、空気が洗い流されてさわやか。
涼しさがたちこめて、さあ夜の街をくりだすか、という気になる。

スコールは、自然がくれた熱帯の恵みなのかもしれない。




トロピカルフルーツ

2007-08-24 09:13:18 | Weblog
熱帯の国に来て楽しみなのが、トロピカルフルーツ。
熱帯の果物といえば、バナナ、マンゴー、パパイヤしか思い浮かばないが、
日本では見たことのないフルーツがいっぱい。
切り口がグリーンのきれいな星の形をしたスターフルーツ。これは
酸っぱいので、妊婦さんがよく食べるのだそうだ。
ドラゴンフルーツ。
皮が紅色というのか、ショッキングピンクのドラゴンフルーツ。
皮だけ見たら、なるほどドラゴンだ。
日本の高島屋で見たときは一個4000円だった。
でもここでは、10個~12個近く入って、一キロ3ドル。
日本円で360円くらいかな。屋台のおじさんがまけてくれた。ラッキー!
タイではドラゴンフルーツは切ったら中は白かった。
細かい種がいっぱい。日本の高島屋で見たのも、
タイのドラゴンフルーツで中身の白いの。
でもカンボジアでは、実も皮と同じ濃い濃いピンク。
こちらのほうが甘みが強く、品質も上等で値段が高い。

今回、はまっているのが、TEAPU ティアプというフルーツ。
一見すると恐竜の卵ふう。
土色の恐竜みたいな、ごっつい皮をしているが、
するすると手で皮が剥ける。
中に小指の先くらいの、黒い種がいっぱいだが、それをよけて食べる。
濃くて甘い味。桃と梨の味と、パイナップルの繊維を足して
クリームで味付けしたような味。要するに日本で食べたことのないあじ。
なんとなくクリーミーなフルーツ。
おいしくて、おいしくて、一キロ買いをして、リュックに入れて
日がな一日、ヒマさえあれば種を吹き飛ばして食べていた。
一日半かけて、12個食べてしまった。
ところが、同行の男性の先生方、3人。
ティアプを食べておなかの具合がわるくなってしまった。
カンボジアでは果物に注意。と言われるが、
カットフルーツが要注意なだけであって、
丸ごと買ってきて、自分で皮をむいて食べる分には大丈夫なはず。
仕方ないから、先生方の食べ残したティアプも食べて、一人で
20個近く食べてしまった。

代わりに、市場でドリアンを買ってきて、ちゃんとミネラルウオーターで
洗って、出してあげたのだが、男性陣はトロピカルフルーツを
怖がってまったく食べない。
もったいないことだ。
私は、何を食べても、とりあえず、今のところは大丈夫。
同行の先生方は、ずっとおなかの調子が悪いまま。
果物食べて、わるくなり、少し良くなったと思ったら、
沸騰したジャスミン茶を氷の上に注いで飲んでしまい、再びダウン。
お茶が沸騰しているから大丈夫と思ったらしいけど、お店の人がサービス
してくれた氷を入れて飲んでしまい、どうやらその氷にあたったよう。
日本から持参した正露丸もタケダ漢方胃腸薬もまるで、効かない。
こちらの友人に頼んで、街中の薬屋さんで daileaのタブレットを買う。

本場のおいしい食べ物も清潔大国ニッポンから来ると、食あたりの原因になるよう。
もったいないな。
これらのフルーツ、全部日本に持ち帰りたい。
こっそり、各種スーツケースの中に隠して持ち込もうかな。
植物検疫にひっかかるなぁ。でも持って帰りたい。


ごつごつした緑色の皮だけど中は鮮やかな黄色がドリアンです。

カンボジアでの先進国「日本」

2007-08-19 08:01:31 | Weblog
現在、シェムリアップのBホテルに滞在中。
Bは私の一番のお気に入りのホテル。
ここは、カンボジア国軍general の経営しているホテルなので
、警備がしっかりしている。
途上国で女性がひとりで行動する際には、police よりもmilitary が安心できる。
警察、入国審査官、軍関係者は、public officerの中でも特に、corruputible(賄賂を要求する)だ。
お金に油断がならないけど、でも軍はやはり権力を握っているので、
何かあるときには強い。
Bホテルの経営者である将軍がイギリス空軍とのつながりが深いとのことで、
このホテルは、カンボジアの中では、珍しく、ヨーロッパ風。
非常にグレードアップしたホテルだ。
ヨーロッパ、アメリカ人を受け入れているホテルなので、
Korean,Chinese,Japanese のアジア系はいなくて、
アジア人は今のところ、私だけ。
カンボジアに来るたびに、必ずここに泊まる。
フロントのメンバーとも顔見知り。
来るたびに、必ず声をかけてくれる。
「また、来ましたね」と。
何も言わなくても、顔パスで、breakfast の案内、から
車の手配まで、全部してくれる。
郡部に入り込んで、ひっさぶいてしまったジーンズも
部屋に脱ぎ捨てて、外出している間に、きれいに繕われていた。
まるで、実家に帰ってきたみたい。


ここは、今年からインターネットサービスをはじめたとのことで、今ためしに、
ホテルのPWとIDに接続したら、yahooが開けた。
ここからyahoo japan に飛んだら、なつかしい日本語のサイトが
見れたのでびっくりしているところ。
カンボジアをはじめとする南西アジア、ウズベキスタンなどは
ヤフージャパンアクセス不可地域ときいていたのに。
接続できたのは、このボレイの回線が軍の回線につながっているからだろうか。

毎年カンボジアに行くときは、メールもネットも諦めていたのに、
今回はメールチェックも出来て、ヤフージャパンも見られるので、
ITのグローバル化をしみじみと実感する。
便利だが、ただし、ネット接続には、1日で20ドルかかるので、
ITの恩恵にあずかれるのは、そのお金が払える先進国の人間とカンボジアでは一部の特権階級だけ。
1US ドルが、4000リエル。
自国通貨に換算すると、一ドル買うのに、その4000倍が必要ということ。
日本円で、仮に比較した場合、「一ドル=4000円」といった感覚か。
この国では、一ドルでも、結構高価。
一般市民は、リエルで生活している。
一日1500リエルあれば、屋台の食事で3食まかなえる。
マーケットで3食外食したとしても、1ドルはいかないだろう。
ただし、
屋台も市場の食事も、清潔ニッポンから来た日本人にとっては、かなり覚悟がいる。
not clean ,not safe の食事。

一ドルは日本人にとっては、120円弱だが、カンボジア人にとっては高額だ。
それを20USドルもネット代に支払えるのは、foreigner ぐらいだろう。

ここはカンボジアだが、ホテルと外では、まるで別世界。
今、窓から外を見ると、裸足で行き交う人、
往来するトゥクトゥク(4人乗りバイク)が見える。
外気温が40度近く、熱風と湿気と土埃のなか、裸足で水くみに行く世界と、
適温管理された空調設備と使いたい放題の水と電気、IT管理されたホテルの部屋。
先進国と後発国との格差(南北問題)がすぐ目の前。
私の宿泊している部屋は、途上国のなかに一部移植された先進国なのだろう。
この、私のネット代の20ドルについて、
同行のカメラマンは、おもしろいことを言った。
「その20ドル、砂漠の中の、ペットボトルのミネラルウオーターって、とこですかね」って。


カンボジアの1年は、日本の10年に相当するかのよう。
昨年の5月に渡航したときと、たった1年で随分 様変わりしている。
シェムリアップ国際空港は、椰子の葉でふいたようなちっぽけな倉庫のような
空港だったのに、昨年新設工事をしたようで、
ガラス張りになって、みるからに「国際空港」風。
驚くほど、きれいに変わっていた。
入国審査も、今までは審査官によるプリミティブな「面通し」だったのに
今回はパソコンによる写真撮影とパソコンによるID確認だった。

アンコールワットもIDカードを作られる。これには驚き。
今まで、好き放題に入り込めていたのに、今回は、一日20ドル
観光料を払わされて、写真を撮られて、IDカードを作成されて、
それを日がないちにち持参してまわらなくてはならない。
要所要所に検札が控えていて、しょっちゅう呈示を求められる。
遺跡が踏み荒らされないようにとの策なのか。
密林のジャングルの遺跡で、地元の人も、外国人も好き勝手に歩き回れたのに、
なんだか整然と観光地化されつつある。
でもカンボジアにとって、たいせつな観光資源、
唯一の外貨獲得源だから、これくらいしないといけないだろう。
カンボジアもregulation にめざめつつある。

カンボジアでは、非常に親日感情が強い。
日本人の印象がいい。
長年、日本人による地道な支援や、外務省。
JICAによる支援が根付いた証拠だろう。
昨日は、ある日本人の個人的サポートで作られた日本語学校で
日本語を勉強するカンボジアの学生たちの様子を授業参観してきた。
先週は、フランスのNGO が支援している孤児院での生活を見てきた。
ここでも、孤児達は日本語の勉強に余念がない。

彼らは、日本人のことを「なさけぶかい」という言葉で表現する。
「橋をつくってくれた、がっこうを作ってくれた、アンコールワットの遺跡修復をしてくれた」
カンボジアでは、日本に対して好意的。
「なさけぶかい」なんて言葉、ここ数十年、私の生活では聞いたことのない言葉で
思わず聞き返してしまった。
今の日本の生活では使わない言葉だが、
このことばを胸に刻んで恥じないように、できることから着手していきたいと思う。




途上国傾倒の「無責任性」

2007-08-16 17:38:28 | Weblog
熱帯にくると血が騒ぐ。
私の先祖はポリネシア、ミクロネシア系につながるに違いない。
少なくともオロチョン、ギリヤークといった北方民族ではない。
日本では、すこしでも寒くなると途端に元気がなくなるが、
暑い分には、いくら暑くっても平気。
暑くて熱くても全然平気。

今夏、日本は恐ろしく暑いと騒いでいるらしい。
連日のように猛暑と書いてあるが、たいした暑さじゃない。
熱帯に来ると、気持ちいいくらい暑い。熱い。
虚飾も見栄も、ため込んだ自己愛もすべて、毛穴から吹き出る感じ
焼けるではなくて灼ける。
灼熱。
まさしくsuntan ,sunburnという言葉がぴったり。。
「皮膚が焦げる」感じ。
あー、気持ちいい!

ベトナムのタンソンニャット空港は、なんというのか、いつも同じ匂いがする。
パクチともナンプラーとも言えず、いったい何のにおいだろう。
異国の匂い。
あー、これで日本としばらく距離がおける。やれやれ。

今回のカンボジア行きは昨年と違って、
いろいろ雑音、反対意見、書類不備などがあって、面倒だった。
でもカンボジアの友達や、NGOの仲間の先生方たちの信じられない
連携プレーで、渡航直前になにもかもうまく行った。

今、カンボジアは外務省から危険情報指定地域として勧告発令されている。
デング熱の猛威、マラリア汚染地域、狂犬病、わけのわからない風土病、
ありとあらゆる肝炎いっさい、日本脳炎、破傷風、赤痢、チフス、
あとなんだっけ、あっ、そうそう鳥インフルエンザも昨年から危険情報発出だ。
1975年から1979年までポルポト政権による内紛があったから、
まだゲリラがタイ国境付近に潜伏したままだし、フンセン首相抵抗分子が
ときどき政府軍と衝突している。
地雷は、まだ600万個埋まったまま。郡部には入り込めない。

なんで、カンボジアなの?
何回これを言われ続けただろう。
あなたの行くところは、途上国ばかり、また、なんでカンボジアなの?
「私なら、そんなお金があれば、ハワイに行くわ」
「パリに行く」
この言葉が耳に焼き付いている。

パリ行って、ミラノ行って、何すんだ?
中世遺跡めぐり、絵画の勉強ならいざしらず、先進国へ行っても、
「グルメとブランドあさり」で終わるのがほとんど。

20代の時から途上国ばかり歩いてきた。
主に南西アジア。どうも私はおしゃれな先進国には縁がない。

途上国に行くと、日本で安穏とした生活のなかでは、
見えてこないものが見えてくる。
・日本と違う気候に慣れること、
・食べ物になれること、
・時間通り、予定通り進まないことに慣れること、
・知らない言葉で自分を表現することに慣れること、
途上国では、いつも当然と思っている価値観がくつがえされる。
すべてが思うようにならない事態が当たり前。

自分のなかの眠っていた五感がとぎすまされるように思える。
本能がとぎすまされ、動物的嗅覚で自己管理をせざるをえない。
サバイバル本能がめざめる。

穏やかで清潔な日本では、心身ともに、思うに任せぬ事に堪える訓練、
厳しい環境に順応させていく訓練、という場がないように思う。

途上国に行くと何がうれしいと行って、
身分、地位、所属、年収いっさい関係なくなる。
途上国に行って、議員です、とか大学教授ですなんて
やっても何の役にも立たない。
現場に飛び込んで、水くみに行く、子どもを洗ってやる、
髪を梳いてノミ取りを手伝う、
食事を作る、豆乳(カンボジアには乳牛がいない、
牛乳はタイ経由で輸入するため庶民には手の届かない超高額商品。)
を配給して回る、などなど、
現場に飛び込んで実際に手を出して、動ける人でないと、
何の役にもたたず、かえって存在が迷惑になってしまう。

途上国ばかり行くあなたは無責任、とも言われた。
教員である以上、本務大学での本務、
すなわち、授業するという任務をまっとうするのがあなたの責任だろう、
本務と関係ない、途上国支援で、
一生をつぶすような風土病を貰ってきたり、
死ぬようなことがあったら、まさしく無責任の極み。
不衛生国、極貧国にわざわざ入り込んで、何かあって救援要請を
せざるをえない不測の事態になったら、それこそ恥さらし。
恵まれない国へわざわざ行って何してるんですか?
募金?金を集めるんでしょ?
売名行為じゃないですか、なんてのもあった。
これが某国立大学教授の談。
金を集める、古着送るなんてのは誰でもできるんだ。
一番行けないのは、直接手を出さずに、金出した、古着送った、で自分は
いいことをした、と独善的満足にひたること。
これは実に卑しい。

あれこれ言われてしまった。

危険地域に入る以上、ありとあらゆる事態を想定して、
すべて手はずは済ませた。
医療保険、予防接種、邦人拉致はないと思うが、
万が一、密林での行方不明に備えて、捜索費用無制限の保険も入っておいた。
自己責任で補えるように、すべての手続きはするだけはしてきた。
それで、万が一のことがあれば、それはそれで運命。
いつも覚悟はできている。

言うのは簡単。
じゃ、あなた方は何かしてますか?
すべての責任を自分で引き受けるだけの手はずは、全部すませてきた。
ブランドにお金はだしても、豆乳を買うお金は出さない。
医師、大学教授、弁護士、議員、特に出さない。
金を出さないくせに、口は出す。
毎年、渡航のたびに、財布の底をのぞき込んで、
千円札を数えながら、一枚、二枚と渡してくれるのは、
母子家庭のお母さんとか年金生活のお年寄り、
障害者を抱える家庭のお母さんたちだ。
つらさやくるしさを知っている人だけが、共感してくれる。

これをよく覚えておこう。

あーあ、雑音は、人を消耗させるエネルギーに満ちている。






海外サバイバルの条件とは?

2007-08-07 17:47:24 | Weblog
来週の今頃は、カンボジアの熱帯のスコールの中。
今はカンボジアは雨季の真っ最中。
なつかしい友達の顔がうかぶ。
ブルーパンプキンのマンゴーシェイクが飲みたい!!!
日本とは比べものにならないほど、濃いー。
何杯のんでも飽きない。去年は行くたびに2杯ずつ飲んだ。
濃い濃い、どろどろのシェイク、シェイクというより、生のマンゴーを
すりつぶしたみたいな感じ。
濃厚、南国の香りそのまま。日本では見たことがない、濃い色と香り。
お砂糖なんて入れなくても、口がもぎれるほど甘い!
また、いっぱいがどでかいんだ、これが。
胃袋がだぼだぼになってもまだ、飲みたい。
あーっ、うれしい。仲良しのMalineat(マリニャ)!待っててね!

先月はベトナムとタイだった。

海外に出ると、ほっとする。
日本の常識、世間通念に縛られず、自分をフルに発揮できる。
五感をフル活用して、外部の情報を瞬時に取捨選択して、
次なるステップを判断しなくてはならない。

途上国・先進国を問わず、海外に出ると何がいいって、
自己を律する、あの緊迫感。
ボーとしていると飛行機のtransit も transfer もできない。
その人の、経験と機知、自由かつ突飛な発想、応用力、臨機応変が問われる。
何よりも不潔に堪えられる、とか、
少々ヘンなものを食べても大丈夫、みたいな
「鈍感力」「順応力」が決めてである。
そんな人はあなたぐらい、ごく平均的日本人は、繊細にできてんだ!
なんて言い返されたことがあるが、
海外に出ると、その人の人間がよく見える。

要するに、土壇場に強い、トラブルに強い、何が起きてもオタオタしない、
ふてぶてしさがないと、切り抜けられない。
日本の学会で高名な大学教授であろうと、医師会の理事であろうと、
議員であろうと、英語で交渉もできず、現地でのアシの調達(これが
案外むずかしい)、reconfirmができないと、生きて行けない。

世界的に超!高名な大学教授で○学博士だが、
遺跡めぐりも行かず、
歩き回ると暑い、熱い、土埃がきらいと文句を言い、
タクシーもトゥクトゥクと呼ばれる現地の人力車にもこわがって乗れず、
食べ物も五つ星ホテルのレストランのメニューしか食べられず、
大衆市場の屋台の米麺をたった一口なめただけで、
おなかが悪くなって熱を出し、
ドリアンの匂いに総毛立ち、
ずっと私は付きっきりでお世話したことがあった。

私は教授が食べ残したどんぶりの底に残った平麺をすすり、
教授には臭くて不衛生と不評だったドリアンに舌鼓を打ち、
クウイティオと呼ばれる、屋台のラーメンを2分で早食い、
教授の案内の合間にすすり込み、それでも何ともないのに。
すると、
「あなたは鈍いんだよ」
「あなたはストレート、僕はデリケート」と、さむい親父ギャグで返された。

私だってデリケートな見目麗しい「女性」を売りにしたい!
しかし、周りはそう見てくれない。
あいつはふてぶてしいから、放っておいても大丈夫。
誰も心配してくれないし、かばってくれない。そこがクヤシイ。
そうでなくても、えらそう、つよそーと思われないよう、
空手やっているのも、長年ヒミツにしてきた。
今はばれてしまったけど・・・。
余計に人は近づいてこなくなった。
呆れているのか、怖がっているのか定かでないが・・・。

以前、パキスタンで、一人で人力車に乗って、回っていたら、
ホテルに行ってくれと告げたのに、よくわからないところに連れ込まれて
ガラスの破片を突きつけられた事があった。
そのときは、合気道の技でかわし、得意の蹴りを入れて、逃げたが。
あとで大使館で怒られた。
現地の人に決して、はむかってはならない。
日本と違い、内戦時やゲリラの武器が不法に一般に出回っており、
武装している可能性がある、
たとえ、こちらの理屈で正当防衛であっても、当地の人は、
暴力をふるわれているとみる、
自国民が外国人に迫害されていると見て、暴動の誘因になる、と。
「あなたの得意の、武道は一般人に向けて披露しないでください」
なんて、釘を刺されたことがあった。これが26歳の夏。
そういう話をしても誰も同情も心配もしてくれない。


海外で生き抜くこつ。
つくづく
・「出たとこ勝負」の「開き直り」
・「いい加減の精神」
・「明日があるさ」
・「なんとかなるだろう」
の「テキトー力」がないとやっていけない。

日本にいると息がつまりそうになり、早く授業終わらないかな、
大学閉講期にならないかな、
はやく日本を出たいな、と思う。
このまま、日本脱出しようかと思う。

タイでは、
バンコック在住のカメラマンに会った。
60代男性。
フリーで通信社に写真を提供している。
40年間ずっとカメラと一緒に生きてきたという。
彼から日本の税金、国際援助金の中身について、
教示いただいた。
驚くほどの経済知識と解析能力。
60過ぎの看護師の女性、48歳の時、一念発起して
日本で看護師の資格を取って、それ以来、日本を出て、
タイで医療ボランティアをしている。
とても若々しくて、聡明な話しぶりの女性。
72歳の元・某県弁護士会の弁護士。
今はバンコック在住で、エイズ小児の支援活動をしている。
とても70代には見えない。実年齢をお聞きして仰天してしまった。
若々しくて、往年が容易に想像できるほどの、美男子。
タイで日本「熟年」の活躍ぶりに圧倒された。
元気をもらってきた。
日本人は、国内よりも、海外で出会う日本人のほうが逸材が多い。
独自のカラーを持ち、自分の意見もしっかりしていて、聡明で 魅力的な人が多い。
どうも、日本国からのbrain流出を実感してしまう。

出たい出たいと思い詰めて、海外に出ると、今度は
日本食恋しさに日本に帰りたくなる。
私の場合は、ぬか漬けのお新香、とめざし。
インドのボンベイ大学にいたとき、カレーがおいしくて、全然
日本食など思い浮かばず、カレー、ナン、ラッシーで機嫌良く毎日食べていたが
6ヶ月目に大使館のパーティで、のりで巻いた梅干しおにぎりと卵焼きを
見て涙ぐんでしまったことがある。

息もつかず、がっついてがっついて、周囲のひんしゅくを買っただろうに、
それも気づかず、食べに食べた。
無意識のうちに日本食が恋しかったんだろうな。

めざし恋しさに、日本に帰り着いた途端に、
今度は、日本の土壌というか
共通の空気に意気阻喪してしまう。
帰国して一週間もたつと、もう日本脱出したくなるのは、なぜ?
「つまり、もうこれは、病気ですな」というのは、
同僚の先生方および上司である学部長の見解。

短い帰国の間に、次の渡航準備、大学業務の完了、
訴訟方針、あれこれ終わらさなくてはならない。

日本の生活、すべてを切り離して、海外脱出したい。







Let it be! 引き続きカンボジア入国査証待ち

2007-08-06 01:17:07 | Weblog
カンボジア領事館からの入国許可がまだ出ない。
一体どうなっているのか。
もうすぐ日本は「お盆」に入ってしまうではないか。
日本には、「お盆」休暇があって、諸官庁が一斉に長期休暇に入る。
その間、大学も県弁護士会も裁判も訴訟相手方も一斉休暇。

何も動かない。
ということは、また待ちの状態が続くということ。

空港のパスポートコントロールは出国は比較的楽に通るだろうから
そのまま出国して、直接相手国の入管に申請するか。
しかし、この手は検疫にひっかかっているため、
確実に使える手だてとして担保できない。
どうしよう。

予定では、8月5日には、出国だったのに、過ぎてしまったではないか。

検疫所だけは、年中開いているので、連絡がとれる。
もっとも国の機関なので、ここは一週間に一回の水曜日だけ
予防事業を行っており、
一週間に一回ということは、一月に4回だけ。
要するに年がら年中、「お盆休み」とさして変わらないところなのだが。

検疫所から、危険地域に入る邦人には、狂犬病予防接種をお勧めします、
と電話が入った。昨年フィリピンで左手を犬に噛まれた邦人が発症に至った
例がありますのとこと。

予防接種!またか!
健康保険が使えないため、
今までどれだけ多額のお金をつぎ込んできただろう。
ひどいときには、6万円使ったこともある。
A型肝炎、B型肝炎をはじめとして、日本脳炎、破傷風、あとなんだっけ。
あっ、
コレラ!
これはきつかった。摂取後、急にだるく、微熱を出してしまった。
WHO勧告では、予防接種の過度の摂取を避けるようにと出ているぞ。
日本では、なぜ摂取を推奨しているのだ?

マラリア予防薬。
これも肝臓にたまり、副作用が出る。
だいたいが、マラリアに対応できる医療機関が日本では僅少だ。
熱帯予防医学に詳しいところ自体がないではないか。
また、日本国内で入手できる有効なマラリア予防薬もごくわずか。
マラリアには4タイプあるそうで、日本で苦労のすえに入手した予防薬が
現地で効くとは限らない。
マラリア対策なんて、やめよう。
罹患したら、現地の薬を探そう。


感染症指定地域渡航者は、日本国に入国するとき
厳しくチェックされる。

高いお金と時間と労力をかけて狂犬病摂取するメリットはなにか、
検疫所に聞いた。
今、外務省勧告発令中のデング熱も、狂犬病もまったく同じ。
デング熱も予防薬はないし、発症したら、対処療法のみ。
狂犬病は、発症したら、死ぬのだ。
対処しようのないのに、どうして摂取なのか。
検疫所のいうところによると、私の行き先がカンボジアとタイ国境郡部なので
いざ緊急事態のときには、近代的医療設備の期待される医療機関が
近くになく、空軍によるタイへの緊急搬送しか手がなく、その場合2日はかかるとのこと。
狂犬病の場合48時間以内に医療措置を受けないと死に至るので、
万が一の場合、タイ緊急搬送までの48時間を持たせる意味があるという。
でも、現代の医学では、要するに打つ手がない。
死ぬしかないのだろう。
その覚悟ならいつだって、できてる。

この話をすると、同僚の先生方、学生、身近な仲間達は、口を揃えて言う。
なんだって、そんな思いしてまで途上国行くの?
私なら、それだけの時間とお金があれば、ハワイ行く、バリにいく、グァムにいく、
の声あり。
上司は、「行くなといっても行くだろ。もうあなたにはつける薬がないな」
空手仲間は「おうっ、行ってこい。行って犬相手に空手してこい」という。

もはや、私は、もしかして、病膏肓の域にはいっているのかもしれない。

カンボジア政府はなにしている。早く入国許可を出して欲しい。
私を入国させないと後悔すっぞ


大好きな師範たち!!

2007-08-04 18:05:53 | Weblog
空手仲間が、渡航前に、歓送会をしてくれた。
私たちにとって、歓送会とはその人がいちばん好きなことをしてくれるということ。
というわけで、「歓送会」=「打撃大会」になった。
飲むのではなく、私がいちばん好きな打撃大会をしてくれるとのこと。

お盆入り前の、みんなお墓参りや家族サービスで忙しいこの時期に
私のために集まってくれた。
夜の8時から12時半まで。
県立高校の道場を借り切って、空手あり、ボクシングあり、テコンドーありの
フルコンタクト組み手をしてくれた。
いつもなら、師範たちの練習会では、
8段師範、7段師範、3段、2段の先輩達のなかでは私だけ段一なので、
あまりにレベルが違うので、誰も組み手相手になってくれず、
ひとり放っておかれるのに。

みんな、順繰りに組み手相手になってくれる。
嬉しくて胸がいっぱいになってしまった。
Kさん、Sさん、「打撃 やっか?」なんて誘ってくれる。
柔術、柔道よりも、私が打撃が好きなのを知っているからだ。

みんな、ながいつきあい。
なんでこう、年がら年中、いつもやさしいのだろう。
格闘技やってる人、に限って実は繊細、というのは私の持論。
出会う格闘家ほとんど、ナイーブで傷つきやすいひとばかり。
だから人の気持ちを汲むのがうまい。
すくなくとも私の仲間はそう。
空手仲間は本当に私の実家みたいなもの。
いつでも受け入れてくれる。