以前、「老害」という造語について私の意見を述べたのだが、今回の都知事選のゴタゴタや自分たちの主張を通す為に規制ギリギリの危ない橋や何でもかんでも「表現の自由」に結びつけやりたい放題では「やがて生きにくい世の中をつくる」だけであると認識しているのだろうか?
今までは「社会(人として)の良識に基づいて」問題を起こす人間は少なかったと思うが、今は「自分たちに都合の良いように思考し行動し言い訳する」人たちが増えたのだと感じる。
もちろんそれが国の社会の、あるいは人としてのルールを逸脱して世の中の弊害になれば法律という最終手段で縛られることとなる。
まさにこの人たちは自分たちの主張、利益を追求するがあまりその壁を破り最終的な縛りを自分たちに課すこととなるだろう。
いや、そうなればまた抜け道を探して行動するのかもしれないが、さらに強い縛りを課されることになるのは間違いない。
今よりも生きにくい世の中を作っているのは実は自分たちだと言うことだね。
そして伝家の宝刀である「表現の自由」はその時世の人たちから共感を得られるかどうかははなはだ疑問に感じるのだが?
今をやりたいように生きるのはとても大切な事なのだが、一時の感情で言い放った言葉がやがて自分を苦しめることの無いようにしてほしいものだね。