アルのエンタテイメント・ワールド

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ニコラス・ブラザーズ・バイオグラフィー

2008年11月19日 | ビデオ

1999年 輸入ビデオ



ナレーター ピーター・グレイブス


グレゴリー・ハインズのコメント

ドナルド・オコナーのコメント

デビー・アレンのコメント

フェイヤード・ニコラスのコメント(兄)

ハロルド・ニコラスのコメント(弟)


1932年 映画「PIE PIE BLACK BIRD」

1932年 コットン・クラブデビュー(ニューヨーク・ハーレム)



ベティ・ギャレットのコメント


1933年 映画「THE ENPEROR JONES」

1934年 映画 「100万ドル小僧」

1934年 RKOスタジオ敷地内にて、

フレッド・アステアとニコラス・ブラザーズが、 タップ。




1935年 映画「THE BIG BROADCAST OF 1936」


1938年 コットン・クラブで、

知り合ったドロシー・ダンドリッジ(16歳)



1940年 映画「DOWN ARGENTINE WAY」

スニーク・プレビュウ(試写会)で、

ニコラス・ブラザーズの タップをもう一度見るために、

リールを戻してもう一回映写した。



1940年 映画「TIN PAN ALLEY」



1941年 映画「THE GREAT AMERICAN BROADCAST」


ミッチー・ゲイナーのコメント


1941年 映画「銀嶺セレナーデ」



1942年 映画「ORCHESTRA WIVES」


1942年 ハロルド・ニコラスとドロシー・ダンドリッジ結婚



1943年 映画「ストーミー・ウェザー」



1948年 映画「踊る海賊」

1950年 ヨーロッパへ

1951年 ドロシー・ダンドリッジと離婚

1953年 アメリカに戻る


      ハロルド・ニコラスだけ ヨーロッパへ

      7年間別々に活動。


1965年 米軍キャンプ慰問映像(司会 ボブ・ホープ)

1989年 フェイヤード(兄)「ブラック&ブルー」トニー賞の振付賞を受賞

1991年 ジョン・F・ケネディ賞を受賞


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4 コメント

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Unknown (お竜)
2008-11-21 09:00:33
いやぁ・・・
涙モノのレビューです。
最後の1991年 ジョン・F・ケネディ賞受賞時の彼等の晴れやかな表情が拝めただけでも感慨深いものがありますね。
肌の色が違うだけで実力よりも冷遇されてしまった苦難の末の笑顔という気がしてグッと胸に来るものがありますね。

それにしても、ドロシー・ダンドリッジの愛らしさときたら・・・
弟・ハロルドも罪な男だったんですね。しかし、晩年の兄と弟の佇まいは、何となく対照的に見えてしまうのは私だけでしょうか?笑みを絶やさない兄と兄や往年のダンス仲間達などと集っている写真の中に笑顔でいながらもどこか寂しげな弟・・・そんな印象が拭えません(涙)
実を言いますと、私は兄・フェイヤードの若き日(遥かなるアルゼンチン)の端麗な佇まいに一目惚れした動機が不純な娘でしたが・・・今ではすっかりおばさんになってしまいました。
Unknown (アル)
2008-11-27 21:55:42
お竜さんへ

ニコラス・ブラザーズに仕事が来なくなったときに、
フレッド・アステアやジーン・ケリーなどの白人の席は、
たくさんあるのに黒人の席は、ひとつ。
サミー・デイビス・JRだけ。
技術やテクニックはあるのに仕事がない。

映画は、1948年「踊る海賊」まで。

あとは舞台(ヨーロッパ)とTVで活躍。

ヨーロッパは、
人種差別がなくて快適だったので、
弟は7年活動し、
兄はホームシックになり4年で帰国。

アメリカで、
7年ぶりニコラス・ブラザーズとして、
TVショウに出演。
兄がソロタップし、
フランス仕込みのステップと弟を紹介していました。
Unknown (お竜)
2008-12-01 22:55:30
再びお邪魔します。

この二人の兄弟のダンスを見るたびに、神様は本当に悪戯だと思うんです。後もう少し、後ちょっと遅く、この世に二人の兄弟が誕生していたらと・・・

ちょっと長くなりますが、1983年に初版となった、瀬川昌久氏・著書「舶来音楽芸能史~ジャズで踊って」という書籍が2005年に増刷され、再版になったものを拝読致しましたが、日本にジャズが渡来したのは、大正時代なんだそうです。そして昭和初期は、いろんな海外のジャズを始めとするミュージシャン、歌手、ダンサーなどが来日し、日本の政財界、芸術家、作家、上流階級の人々などが集うダンスホールで公演などをやっていたそうで、特に多くの黒人パフォーマーもやってきていたらしく、その中に、少年時代(無名時代)のニコラス兄弟が、ジャズシンガー・ミッジ・ウイリアムズとともに、何故か?ウイリアム・ブラザーズ名義で日本に来日していたという記述もあり、その文章を拝読しただけで、胸が高鳴ってしまったものです。

つづきます。
Unknown (お竜)
2008-12-01 22:59:30
↑のつづきです(汗)

1934年(昭和9年)1月27日から5日間に渡り、当時、日本でも最高級のダンスホールと称された、赤坂・溜池にあったといわれる「フロリダ(来日した、チャップリンやダグラス・フェアバンクスなども立ち寄り、音楽やダンスを堪能した名店だったらしい。)」に降臨していたそうです。日本にどれぐらい滞在していたかは知りませんが、とにかく昭和9年の1月25日から5日間、あの兄弟が日本に滞在していたということが嬉しくて・・・

しかし、その書籍の中でしか日本滞在を知る術がなく、ネット上で調べても、ニコラス兄弟が日本に来日していた記述を目にできないのが、歯痒いものがあります。

来日していたとしたら、19歳のフェイヤードと12歳のハロルド、二人の兄弟の瞳には、当時の日本はどのように映ったのでしょうね・・・そのあたりを知りたいと思った時には・・・二人とも鬼籍に入られてしまい、それが悔やまれます。
長くなりまして大変申し訳ありません。

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