わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

虫垂の役割 (手術の進歩は医学の退歩だった?)

2018年01月18日 | 細菌、ウイルス、バイ菌、微生物

細菌は最近の重要性が分かり欠けてきたようですね。

 え?誤字? 嗚呼せい、更正はセルフサービスです。

むやみやたらに手術すると言う事は医学の退歩なんですよ。

 なんて言うと股間多掻いている!と怒り出さないで下方の引用文は医学専門家が掻いた説ですからね。 ボリボリ・・(股掻いている)

 あの有名なインデープ様(in Deepブログ様)も細菌掻いているでしょ。

私たち人間の遺伝子情報(ゲノム)は「自らの腸内細菌によってコントロールされている」ことが判明

 いかに細菌が重要であるかと。

抗生物質でむやみやたらに細菌をやっつけていると「バクテリアが人類に勝利した日 (2015/12/07)

アナタ大変なことになりますよ♪  タケシ

 

 

これも・「体内の微生物は新たに定義された人間の臓器そのもの」だというマイクロバイオームという概念…
 In Deep 2016/01/25

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

最近の科学で少しずすわかってきていたような「人間と体内の細菌の共存」というような概念から、見識はさらに進んで、「私たちは腸内の細菌に生かされている」という可能性が強くなってきたといってもいいと思います。

これはもう共存というよりも、「主従」でいえば、

・主は腸内細菌

・従が人間

ということになりそうなのです。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

細菌の方が上で人間は細菌以下。
そして、細菌の上を行くのがウイルスという神的存在があったねえ~~

下っ端が上役をいじくろうとしても、そりゃあ~アンタ敵わないデショ。

 下っ端の人間は細菌やウイルスに逆らわずにできるだけ従順にならないと、可愛がってもらえないゾ~~

というわけで、現代医学美少女、ジャナイって!微生物病源論はまもなく消え去る運命にある・・・・駄郎。

 まあ、いちど信じたら猫まっしぐらが医師あたまじゃ、壁にぶつかってしたたかな目に遭わないとダメかな?

 そういえばボクも「アンタは頑固ねえ~」とよく言われる・・・・が 

  そんなことはいつも無視している¥

 

 

そんな中でこれも以前紹介したかも知れませんが(耄碌症なので)盲腸(虫垂のことを俗に言う)と細菌の関係について。

世界中がむやみやたらに手術して切り取っていた虫垂が実は重要なものだったという。今頃気づいたか!の話を紹介します。(前にも掻いたかな~?)

 

。。
先にコメント。


俗に言われている「盲腸炎」だが、実際は「虫垂」と言われる部のことのようだが、この本では世界の情報が狭いのか「いままで虫垂の重要性が分からなかった」」とされている。
しかし、すでに日本でも一部の医師が虫垂の重要性(必要性))を示していた。

さらに、それよりももっと以前に日本の宗教家、岡田茂吉が盲腸は必要で重要な役割をしていると書いていた。


虫垂の役割については岡田茂吉研究によると、人体の下部の毒素の浄化装置という。
手当法(浄霊医術)では、盲腸部の上方(じょうほう)部にある腎臓部を浄霊すると治癒する。という。
ちなみに、人体の上部で同じような働きをしているのが、「扁桃腺」であり、どちらも手術で切り取ってしまうなどまことに無知野蛮な行為だと書いていた。

医学が進歩途上にあるのは誰もが認めるが、その進歩途上を、いかにも「進歩した」と錯覚してきただけのことで、俗に言われている盲腸も扁桃腺も重要な部位だというのが、進歩途上、言い換えれば、まだ未熟な医学ゆえ、むやみやたらに手術で切り取ってきただけのこと。
それがようやく分かりかけてきたのが現代医学のありさまだろう。

 遺伝子研究でも同じように九割はジャンク遺伝子などと言っているが、学者は「自分ではまだ理解出来ない物事を、不要とか、ムダなもの」」とか言って無視してしまうようだ。

人体をむやみやたらに手術して必要な部位を簡単に切り取ってしまうことは医術の進歩でもなんでもない。本当の進歩はできるだけ手術などしないで、その部位が自然に治癒するようにお手伝いすることにある。
ゆえに手術の進歩とは医術の退歩と言えるだろう。

 

ここから本番。 (本番前が長い!)
「私達は寄生虫を欲している」本の題名  (ボクは寄生虫を欲していないけど)
ーーーーーーーーーー以下引用ー

 


わたしたちは、細菌のめんどうをよく見ているという点では、だれもが想像する以上にハキリアリに似ている。人間の場合、その仕事の中心的な役割を果たしているのは、虫垂である。わたしたちの脳は、腸や皮膚にいる細菌はすべて悪玉だとわたしたちに教え込もうとするが、虫垂は、もごもごとそれに異論を唱える。言葉によらない原始的な方法で、虫垂は真実を学んでいるのだ。人体に備えつけられた「細菌の家」 虫垂は腸の下部からぶらぶらと垂れ下がる肉の塊だ。小指ほどの大きさで、他の器官に比べると小さいが、その存在は十分、説明に値する。しかし、虫垂が何をしているかといぅ問いの答えは、長年にわたってあいまいなままだった。心臓は血液を送り出している。腎臓は血液をきれいにし、血圧の維持を助けている。肺は血液に酸素を供給し、二酸化炭素を除去している。そして虫垂は、そう、ただ垂れ下がっている。

 生きている人間から虫垂が初めて切除されて以来、三〇〇年以上にわたって、この小さな器官の機能についてさまざまな仮説が立てられてきた。免疫システムの壷かもしれない。神経システムにおいて何らかの役割を担っているのかもしれない。ホルモン分泌や筋肉の機能に関係するのかもしれない……。だが、長きにわたって最も有力視されてきたのは、まったく何もしていない、というものだった。それによると、虫垂は退化した器官でぁ。、男性の乳首やクジラの後脚の骨のような、目立つけれども不要な、進化の遣物だと 虫垂を退化器官と見なす主流派がおもな根拠としたのは、それを切除しても何も起きないということだった。確かに筋は通っている。これまで数多くの外科医が、数百万の虫垂を切除してきたが、切除された人々は、具合が悪くなったり、早死にしたりしなかった。虫垂が何か必要な働きをしているのであれば、それを切除した人の少なくとも何人かは病気になっただろう(実際の結果は逆だった。虫垂のない人は、いくつかの炎症性疾患にかかるリスクが減少した。これは謎を解く手がかりのひとつだ)。しかし、無菌モルモットが問題なく生き続けたように、彼らは元気だった。ゆえに、「虫垂は、わたしたちがサルだった時代、あるいは、恐竜の足元をネズミのような姿で走りまわっていた時代には、何らかの働きをしていたようだが、今では無用の痕跡にすぎない」 という筋書きは正しいように思われた。

 しかし、その見方には難点があった。そのひとつは、虫垂は人を殺すというものだ。炎症を起こした虫垂を切除しなかったら、若者でも老人でも、半数は死ぬだろう。一六人に一人が急性虫垂炎に躍患するという統計がある (その割合は居住地に大きく左右される。クローン病と同様に、発展途上国では虫垂炎は非常にまれである。それはおそらく虫垂炎が、わたしたちの生態と日々の暮らしの相互作用がもたらす現代病だからだ。これはもうひとつの手がかりだ)。ゆえに、虫垂を切除しなければ、全人口の三二人に一人は虫垂炎で亡くなる計算になる。だとすれば、虫垂を持つための遺伝子は、早晩、淘汰されて消えたはずだ。と言うのは、わたしたちの命を奪ったり、弱らせたりする遺伝子は、遺伝子プールの中でうまく生き延びていけないからだ。たとえば、洞窟で生活するようになった魚は、急速に目を失った。それは、目が役に立たないばか。か、コストがかかったからだ。虫垂が無益で、しかもコストがかかるなら、洞窟魚の目のようにそれも消えたはずなのだ。しかし虫垂は、数百万の人間を死なせながら、今も残っている。

 その見方のさらに重大な難点はサルが教えてくれる。人間の虫垂が痕跡器官であるなら、人間の先祖に近いサルたちは、わたしたちの虫垂より立派な、見るからに役に立ちそうな虫垂を持っていると期待できる。そしてチンパンジーは、人間に最も近く、その生活様式も人間に似ているので、他のサルに比べれば、虫垂は退化して、小さくなっているはずだ。しかし、予想に反して、チンパンジーの虫垂は、他の霊長類の虫垂よ。、大きさも構造もはるかに発達していた。それは人間の虫垂についても言えることだった。このことは、虫垂が、わたしたちの先祖よりもわたしたちにとってよ。重要である可能性を示唆している。いったいどういうことだろう。長く無用のものと見なされてきた虫垂が、人間のために何かをしている、あるいは少なくともつい最近まで、何かをしていたのだろうか。おそらくそうなのだろう。だからこそ、発達した虫垂を持つ人は、長生きして多くの子をもうけ、その立派な虫垂の遺伝子を伝えることができたのだ。では、それはどんな働きなのだ



 何世紀もの間、虫垂が何をしているか、という謎は、それを解いてくれる科学者の登場を待っていた。しかし、その問いに真剣に取り組もうとする人は、世界のどこにもいなかった。虫垂の謎は昼食の話題になっては忘れられるだけだった。その一方で、世界各地で外科医は虫垂を切除し続けてきた。あまりに多くの虫垂を切除したため、もはやそれは日常茶飯事となっており、ほとんどの外科医は、虫垂が何をしているのか、手を止めて考えることもなく、切除した虫垂をそのままゴミ箱に放り込んだ。老教授の発見 最初にその手がかりに気づいたのは、ガラス瓶やゴミ箱に入れられた数多くの虫垂を見てきた人物だった。ノースカロライナ州ダラムにあるデューク大学の名誉教授、ランドル・ボリンガーは、自分はもう引退した身だと言い張っている。Eメールを送ると、「二〇五〇年までオフィスに戻る気はない」 という返事が戻ってくる (二〇五〇年、彼は一二〇歳を超えている)。
 科学史研究の常識から言うと、確かに彼は、最高の革新的なアイデアを出せる時期を過ぎている。だが、常識ですべてを計ることはできない。常識は、経験や観察力の価値を無視しがちだ。ボリンガーは、第一線から退いた後も人体について研究し続けた。彼にとって人体は、修復と発見という二元的な芸術のキャンバスだった。そして人体には、わずかに謎が残されていた。そのひとつが虫垂にまつわる謎である。

 これまでにボリンガtは、体内やテーブルの上や容器の中にある虫垂を、何千も見てきた。そして、虫垂が、免疫組織、抗体、細菌という三つのもので満たされていることに気づいていた。虫垂の破裂がしばしば緊急事態を招くのは、中に細菌がたくさん含まれているせいだ。虫垂が破裂すれば、それらが腹腔に漏れ出て感染症を引き起こすのである。

 すでに多くの人が同じことに気づいていたが、その大半は、それを無視していた。見えているものを見ようとしないのは人間の常だ。しかしボリンガーは、自分が観察したものにはおそらく意味があると考えた。このボリンガーの観察と、同僚でデューク・メディカルセンターに勤めるビル・パーカーの洞察により、ついに重大な発見がもたらされた。

 二〇〇五年、研究室の定例会議で、パーカーとボリンガーは、自分たちの研究について、学生やボスドク(博士課程修了者)と話し合っていた。これまでこの会議で、虫垂の機能が話題になったことはなかったが、ふいにボリンガーが、独り言でも言うかのように、落ち着いたよく通る声でこう言った。「虫垂が何をしているか、わたしにはようやくわかった」。そこから半ば唐突に、ディスカッションが始まった。ボリンガーとパーカーのやりとりを、学生たちはどきどきしながら、無言のまま聞いていた。ほどなくふたりは、この春の朝の数分間で数百年来の謎を解いたことを確信した。

ンガーとパーカーは、それが正解だと信じた。虫悪細菌が腸内の流れから逃れて繁殖するための場所、言うなれば、平和な路地だったのだ。その路地があればこそ、何らかの疾患のせいで腸内の細菌が一掃されても、そこに逃げ込んでいた細菌によって腸内には再び細菌のコロニーが形成されるのだ。たとえば、コレラは激しい嘔吐と↑痢を引き起こし、そのせいで腸内の細菌の大半が排出される。コレラ菌にとってそれは、繁栄するための戦略である。そうやって排出されたコレラ菌は(主に不衛生な飲料水を通じて)、他の人間に感染することができるのだ。コレラは、人体が毒素と誤解するような成分を大量に生産して、そのような過剰な反応を誘発する。そうした事態が起きたとき、虫垂は細菌にとって安全な隠れ家になるのだろう。
 ボリンガーとパーカーはこの虫垂の物語が正しいことを確信していた。さて、これからどうしよう。すぐにその仮説を論文にまとめて発表することもできるが、少し時間をかけて検証したほうがいいかもしれない。不本意ではあったが、彼らはそうすることにした。検証には、「虫垂がくっついた新鮮な人間の腸をいくつかかき集めること」が必要だった。



抗体の機能を挑み解く


 ボリンガ1とパーカー、そしてパーカーの研究室のスタッフが到達した洞察は、だれかひとりで見出せるものではなかった。全員の知識と経験があればこそ、それに行きつくことができたのだ。まず、ボリンガーが長年にわたって数多くの虫垂を観察してきたことは、〃欠くことのできない要素だった。等しく重要なのは、およそ一〇年前にパーカーが知った ′情報だ。
 当時、パーカが抗体について研究中で、抗体がどのように細菌に反応するかを知るために、文献を読み漁っていた。やがて彼はふたつのことを知った。ひとつは、抗体は他の種を攻撃するだけでなく、ときとして助けることもあるということ、そしてもうひとつは、理由はわからないが、虫垂には抗体がぎっしり詰まっているということである。抗体は、身体の防衛システムの二部として語られることが多い。つまりそれは、体内に入り込んだ何らかの攻撃体が先へ進むのを防ぐ、第二の防衛線として機能しているのだ。言うなれば、鼻の粘膜のようなものだ。だが、これは抗体の機能の一部にすぎない。抗体の主な仕事は、わたしたちの細胞と他の生命体の細胞を識別することである。抗体から見れば、世界は「わたしたち」と「彼ら」という二種の生命体が生息する場所であ。、その二種を区分し、適切な反応を引き起こすことが、抗体のライフワークなのだ。抗体を含め、ゎたしたちの免疫システムの歴史は古い。人間の免疫システムは、ラットやカエルのものに似ているが、それはそのシステムが、数億年にわたってうまく機能してきた証である。パーカーは、腸内で最もありふれた抗体である官に関する文献を調べ始めた。それであり、その識別に従って、免疫システムの他のメンバーは不要な細菌を体外に排出している ー だが、この物語はどこかおかしかった。

 ここで、既存の科学の大半は少なくとも細かな点で間違っている、ということをお断りしておかなければならない。実のところ、科学に関わる数十万の人々は、その間違いを正すために忙しく働いているようなものなのだ。
 パーカーはIgAに関する古い論文に目を通していて、かつてそれらを読んできた免疫学者たちが気づかなかった奇妙な点に気づいた。部分部分は正しいのだが、ひとつにまとめようとすると収まりの悪さを感じるのだ。一九七〇年代以降の研究では、ImAが攻撃する細菌には、IgAのための小さなドアのような受容体があると記されていた。

 IgAがそうした細菌を攻撃するとき、IgAはそのドアから侵入する。だが、細菌はなぜそんなドアを持っているのだろう。そのドアから入ってくるのは、自分を攻撃して追い出そうとする抗体だというのに。まるで、万里の長城を建てておいて、そこに巨大な梯子を残しておくようなものだ。多くの文献を読み進むにつれて、さらに奇妙なことが見つかった。最近の研究結果として、I各が欠如した患者やマウスの体内では、l舌受容体のある細菌が消えたようだと記されていたのである。
 パーカーは医学部に籍を置き、異種間の移植について研究している。彼の仕事は、移植に関して医学的解答、突破口、応用法を見つけることだ。I∞Aなどの抗体について研究していたのも、その目的を達成するためだった。抗体の活動を遮断できたら、サルの肺やブタの心臓を人間に移植しても、拒否反応が起きないからだ。だが、医療研究者であることに加えて、パーカーは独創的なアイデアが好きだった。愛していたと言ってもいい。彼の頭の中ではそのようなアイデアが次々に生まれ、膨らんでいった。そしてそのときの彼の脳裏には、IgAに関する画期的なアイデアが浮かんだ。もし彼が正しければ、教科書をすべて書き換える必要があった。
 パーカーが得たひらめきとは、だれの身体であれ、IgAによって細菌を排除するつもりなら、それは失敗に終わっている、というものだ。一方、細菌のほうも、I舌抗体を防ぐっもりなら、そのやり方ははなはだ効率が悪かった。なにしろ細菌には官尊用の入り口があり、しかもその扉は開けっぱなしになっているのだ。IgA抗体のほうも、細菌に見っかりやすい糖類を持っている。こうしたことからパーカーは、これまで腸内の官の働きを研究してきた研究者は、大変な誤解をしていたことを悟った。I舌は実際には、細菌を助けていたのだ!

 IgA等抗体は、細菌が互いにつながってバイオフィルムを形成するための足場を提供しているのではないだろうか、と彼は想像した。バイオフィルムは、自然界では珍しくない。ハキリアリに依存して生きるキノコ菌は、バイオフィルムを形成する。パーカーはハキリ知っていた。柄物の根の周囲には、人間の腸内細菌によく似た細菌が生息している。それらの細菌は、植物の栄養摂取を助けており、一方、植物の根からは、細菌が根に付着するのを助ける成分が分泌されている。同じように、人間の体も細菌の付着を助ける成分を作っているのではないだろうか。ImAこそがその成分ではないか、とパーカーは推測した。

 この仮説を検証するには、IgAと腸内細菌の相互作用を調べるシステムが必要だった。彼はプラスチックフィルムの上で腸細胞を培養し、その上に細菌を層状に重ねた。彼の実験室のそこここで、フラスコがぶくぶくと気味の悪い抱をたてた。中には人糞が入ったものもあった。一九九六年、パーカ1の考えは単なる仮説にすぎなかったが、それには勢いがあるように思えた。その検証は七年がかりでゆっくりと進められた。そしてついにパーカーは、IgAをバイオフィルムに加えると、細菌の成長が速くなることを実験で証明することができた。IgAを加えると、細菌が人間の細胞に付着する確率はほぼ二倍になり、酵素を用いて-琴を壊すと、バイオフィルムはばらばらになったのだ。パーカーは自説を裏づける十分な証拠を得たと確信したが、だれもそれを信じようとしなかった。
 ところが二〇〇四年になって、事態は急展開した。パーカーより影響力があり、何百万ドルもの研究資金と一〇人以上のボスドクを抱えるジェフリ1・ゴードンが、パーカーの説を支持する論文を発表したのだ。ゴードンの論文が突破口となり、それまで黙って様子をうかがっていた人々が、パーカーの説を認め始めた。
 パーカの仮説は革命的な転換をもたらした。パーカーが取り組み始票とき、腸内の免疫システムの主な役目は、細菌を攻撃することだと信じられてお。、それに異論を唱える人はいなかった。しかし現在、多くの科学者は、まったく逆のことを主張している。腸内のIgA抗体は、細菌のドアをノックするものの、攻撃はしない。それどころか、細菌がバイオフィルムを形成するのに必要な基質を提供しているのだ。



##
    細菌にとっての避難所

 二〇〇五年に話を戻せば、ポリンガーとパーカーは、バイオフィルムが虫垂に密集しているというボリンガーの直感的な洞察を証明するために、腸が届くのを待った。届いたそれは、まさに彼らが予想した通り、生命体の細胞からなる小さな森-巣と呼べるかもしれないIのようだった。虫垂は内部にバイオフィルムを形成して無数の細菌を住まわせ、細菌はそのお返しに腸内で宿主のための仕事をこなしている、とボリンガーは考えている。「虫垂は嵐から逃れるための避難所だ」と彼は言う。先に述べた通。、コレラのような病原菌のせいで腸内の良性の細菌が一掃されても、虫垂に隠れていたものが出てきて、また腸内で数を増やしていくのだ。

  が示しているものが、唯一辻褄のあう仮説である。その仮説によれば、虫華に関係のあるもうひとつの不可解なパターンも説明することができる。それは、虫垂炎になる人が、開発途上国より先進国に多く見られることだ。
 他の病気、特に腸の寄生虫による病気に躍る人は、開発途上国のほうが多いのだが。もしかすると虫垂炎は、他の現代病の多くと同じく、わたしたちの日常生活からいくつかの種が消えたために起きるのではないだろうか (寄生虫や病原菌が消えたせいで、免疫システムが無害な刺激にも反応するようになったように)。今でも開発途上国では、虫垂は、腸に細菌を補充するという本来の役目を果たしているはずだが、先進国では、虫垂はめったに病原菌の挑戦を受けない。虫垂は刺激が欲しくて、自ら体内に病原菌をばらまくのかもしれない。氷山のー角から何を見つけるか 虫垂を含むわたしたちの免疫システムが、腸内で細菌の活動を阻むのではなくむしろ助けているらしいとわかったことは、飛躍的な進歩だった。それは、数十年にわたるモルモットの研究から導かれた誤った結論を覆したばかりか、わたしたちが体内の細菌から恩恵を受けており、それらの居心地を良くするための特殊な器官や抗体を進化させてきたことを示唆していた。このような認識の変化に伴って、まったく新しい研究分野が誕生した。129 腸と虫垂と細菌の物語は氷山の一角にすぎず、わたしたちは水面下に隠されているものに目を向け始めたばか。だ。わたしたちの身体は、細菌だけでなく、多数の種と相互作用している。あなたもわたしも、ハキリアリのコロニふように、他の種がいなければ完全な存在にはなり得ない。

 人間は細菌に苦しめられているとわたしたちは考えがちだが、それは誤りだ。人間の身体は細菌と深く結びついている。腸の断面図を見ても、どこからが腸で、どこからが細菌か、区別がつかないほどだ。IgA抗体は、良性の細菌を異物として認識できない。IgA抗体にとって艮性の細菌は、わたしたちの他の細胞と同じなのだ。この新しい見方は、医学界の人々には異質に感じられるかもしれないが、生態学者にとってはなじみ深いものだ。彼らの知る世界では、それはごく普通の生活様式である。

 わたしたちの身体と他の種との相互作用は視覚化しにくく、近い将来もそれは変わらないだろう。わたしたちは、腸や、細菌の住まいで供給源でもある虫垂の様子を想像することはできるが、それはあいまいなイメージにすぎない。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

う^^ん 

長くて読まなかった・・・・

あ、ボクも¥

  追記 音声読み上げmp3にしました

虫垂の役割と細菌の重要性 音声読み上げmp3

 

虫垂は必要

細菌は必要

これだけ分かればイインジャナイ?

 

最後にお口直しに再び助手の(オイ!) インデープ様の雉を

微生物、植物…。地球上のすべてが人類と共生関係であり表裏一体であるかもしれないことを確認させてくれる「人間と細菌たちの共存=マイクロバイオーム」の概念

これでバイ菌恐怖症は治ったかな?  名探偵Monk様江


 

 

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