わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

魔坂!「我々は薬によって滅びの道を進んでいる」のか?

2015年04月11日 | 岡田茂吉医学論研究会用

いつものながら、見出しといい、紹介コメントといい、意味不明だが、どうやらタイピングしているヤツのオツムのせいらしいから気にしないで戴きたい。


 

 

元信者なので、いまは堕落信者と呼んでください。

まあ、堕落は自他共に認める生活状態と、常に上下移動を繰り返し、全体的に堕ちているかのように感じる(まだ自分でわかる内はよいか・・)今日この頃でございます。

 

ところで、私は元信者としては申し訳ありませんが、教祖を主神とか救世主とか思っていません。(これが一番根本的に変わった=堕落したという証拠かも知れないが)

そこで、神観の違いはあるとしてその根拠は?となると、いろいろ紹介したりして来ましたが、それはその人が感じることでお任せ致します。

さて、でわ¥¥¥

この堕落した元信者がどうして今になっても岡田茂吉研究とか論文紹介したりしているかというと

「やらされている」のです。

いえ、ウソですよ。 ただ気が向くのでしょうね。

その柱となるのはもちろん「薬毒論」 と 「病気は浄化作用論」

それには昔は 「奇蹟の浄霊治療の威力」というものが加わって、それはもう飛ぶ鳥を落とす勢いだったと・・・(聞く話の方が多いのだが)

ところがこの三本柱の 「浄霊法の効果」がなんだか薄れてしまったようで(と言っても、まったく無いわけではないだろうが)、そこから後は真っ逆さま・・堕ちて行くのでありました。

いえ、私は堕ちたと行っても「信者」からであり、「浄霊法」はともかくと致しましても、「薬毒論」と「病気は浄化作用論」は、未だにしがみついている有様でして。

 

執拗な・・・(苦笑

そこまで薬嫌いを通してどうする!!

と、もう親類縁者からも白い目でみられ、世の中のひと、みんな白内障にかかっているんじゃないのかい? なんて愚痴をこぼしつつ、これは黙っていた方が身のためだな・・・

わかろうとしない猿どもに、言わない猿とコラボして三猿主義をなんとなくやって参りました。

 

ところが、近々になって、それはもう本家本元などどこ吹く風のごとく、次々と現れる人たちに刺激されて、「いま出てこないともう出るとき無いよ」と世間の風を見て動く風見鶏となって、ついつい、この拙い作文を書いているところでございます。

(相変わらず拙いな・・・)

もう、自分で書くことも無いな・・・(よかった← 他人様より)

 

ここで以前紹介しました、indeep様のきじより


健康ブームの中でガンが増え続ける理由 : 世界でもダントツの「薬」消費国である日本は「薬に人間の自己治癒能力を奪われながら」滅ぼされつつあるのかもしれない

 

 

基本的に「すべての薬」は人間に良くないという理由の理論的なメカニズムがわかったのです
 2015年04月02日

一番上の記事の中で、毒が病気を造るということを簡単に示してありますね。
いや、毒=薬 と言い換えても好いのですが。 

全ての薬には副作用(害作用)がある  = 全ての毒には主作用(害作用)がある。

名前を「あけみ」から「ゆきえ」に替えても同じ女なんですけどねえ。 (あけみさんとゆきえさんには何ら関係ありません)

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

病気になる → 薬をもらう → 病気が悪化する → 薬の種類が増える → 新しい病気になる → 薬の種類が増える → 全体として悪化する → 薬の種類が増える
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


という記事と以前の二つの記事も合わせて読んで戴くと

それはもう、あの「薬毒論」が浮上してくるのでございます。

いえ、何も誰かの信者さんになれとか、信じる者は救われるとかいう古いやり方を推薦しているわけではございません。

何事も、中立カツ丼いや、自由選択の自己独立の精神が重んじられる21世紀になりましたので、どこかに無批判で従うとか盲目的に信じるという時代ではありませんから。

薬は毒だ。

だから、薬を飲んではいけない

とは言いません。 いや、言っても聞かないでしょタブン・・
どころか、非難されてしまいますし

それはもう自由選択ですから、あなたが毒を飲もうが飲まないだろうが、私には関係ありませんし。ただ、その反対に私にむりやり飲ませようとするのは拒否するだけのことです。

薬が病気を造る

と昭和の初期に岡田茂吉氏が言い始めてからもう幾星霜・・

そのうち、後継団体の信者さんと名乗る方々で「もそんな事は信じられない」と、薬愛好家に転じているというウワサも聞くこの頃ですからね、まして普通一般人である、しかも皮疹じゃ賛に対して「薬を飲むな」などとは、口が裂けても言えません。

(あ、口のわきが・・・  それはつい暴飲暴食で単に口が荒れているだけです)

私の作文のないようは「さすがに堕落者」らしく、意味も無いようもどうってことないのですが、是非とも上記のinDEEP様の記事をご覧戴ければ嬉しく思うのでゴザイマス。

その後で、初期の岡田茂吉氏の一論文をご紹介致しまして本校を閉じさせて戴きます。

かしこ

 

 

 ※なぜ「師」と書かないか・・・要らぬ疑惑を持たれてしまわないためです(私が第三者的立場であるという事を強調したいがためです)


 

 

岡田茂吉氏の昭和11年の論文です。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



病気を治す薬は一つも無い

 薬では、病気が治らないという事は、医家自身も常に痛感している事であろう。然し、唯、苦痛を緩和する効果はある。

要するに、病気を弾圧するか、又は、麻痺によって一時苦痛の感受を軽減し得る丈の事である。薬剤とは、それ以外の何物でもないのである。

然し乍ら、常に私も言う如く、苦痛とは病気治癒工作の過程であるから、苦痛緩和はそれ丈、病気治癒を遅らす道理である。のみならず、それに、薬剤の余毒が伴うのであるから、二重の不利を受ける訳である


実に薬剤に由る血液の汚濁は恐るべきものであって、それは、如何なる薬剤と雖も、多少の血液汚濁は免れないのである。


 血液汚濁の害としては、浄化力を衰耗させる結果、著しく活力を減退さす事である。故に、その結果として、病気に罹り易くなり、病気治癒の力が弱まるのである。それは、濁血ほど殺菌力が無いからである。


 斯の如く、薬剤なるものは病気治癒を遅らせる事と、血液を汚濁させる害がある以上、他面、苦痛を緩和させるという益と比較してみる時、それは、害の方がはるかに優っている事を知らねばならないのである。


 然るにも拘らず、近代人は無闇に薬剤を用いたがる。それは全く薬剤の害を知らないからであるから、一日も早く此理を知悉させなければならないのである。近代人の罹病率や短命の多きと病気治癒の遅々たる事実は、少なくとも之が原因である事は、争う余地が無いのである。


 二六時中、薬餌に親しみながら、之という病気もなく、といって健康にもならないという人は、大抵皆、薬剤中毒患者といっても可いので、そういう人は薬剤使用を廃止すれば、漸を逐(お)うて健康は恢復するのである。
 私は大いに叫びたい。国民保健は、薬剤廃止からである・・・・・と。
                             (昭和11年4月21日 論文)

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

「病気を弾圧する」?

これは不思議な言い回しだと思うでしょうね。

しかし、これには深いわけがあるのです。(笑い

 

病気とは浄化作用  排毒作用 

つまり健康に戻すための工作、自然良能力(生命力)の働きで起こるものです。

(何度も書いたから自動的に出るな・・・苦笑)

だから、病気を弾圧する
という意味は

浄化作用を抑圧、停止する。 生命力を弾圧するでもイイでしょうか。

薬という毒の作用を用いて、生命力を抑圧する → 浄化力弱体 → 排毒作用停止 → 苦痛緩和 → 一時的安泰 (これを医学的には寛解と呼ぶようだが)

実に単純明快でしょう?

え、そんなことはない?

 

まあ、それは自由選択ですからね。

ところで、今の医療費は40兆円に近づいているというではありませんか。

毎年30兆円平均としても、10年続けば300兆円! 
おそろしいくらいお金がかかっているんじゃないのかい?

と誰も思わないのかねえ。もっとも「医学が進歩している教」信者さんだと、そんな事は思考に出てこないかな。

薬の進歩が人類から病気を無くす

この固い信念 、じつは何千年も続いてきたのかもしれない。

それじゃあ、なかなか解けないわけだ・・・薬信仰、薬呪縛。

 

それに対して昭和の初期から異端中の異端発信をしていた岡田論。

ざんねんながら、宗教にしてしまったせいなのか?
柱となる「薬毒論」と「病気は浄化作用論」は立ち消えとなりかけたが・・

それは他の筋のところから再び発信されてきたのですね。

もちろん、浄化作用論はまだ深くは突っ込まれていないようですが、薬毒論はかなり浸透してきたようです。

私はこの二つの論に付け加えるべき重要な要素として、コナンドイルの通信で「前意識」という事があると思うのです。

それに補足して顕在意識と潜在意識というものも。

ただ、肉体的にいえば薬毒論は肉体という物質をもつものとして重要な要素であることは間違いないでしょう。(その上位に前記の意識論があるのかも知れませんが)

 

途中で付け加えたのでいかの記事が変になりますが・・・(まあ元々変か )


 

現在の国民健康保険は「健康になるために主として薬を用いている」となると、

この論は真逆の健康論となりますが。果たして・・・

 

昭和11年の論文だから、もう賞味期限が過ぎた?

 

それとも、われら三猿ニッポン人は、いや失礼、何十年も経てから、」ようやくそれに※オヤジの頭に気づき始めたのか?

 

それでも未だに抵抗を続け見ざる聞かざる言わざるの三猿主義を貫き通すのか?

まあ、猿ものは追わず・・自由なんだから。腰に調教用のヒモなどついてないよね。

 

 

※親父の頭・・・薄々

 

参考に   「残念ながら、お薬には病気を治すお力はございません」という薬学博士の書いた本の紹介を過去記事にありますので。

薬が病気を治せない」というのは薬理学上の常識ということです。

ただ、薬の効果とはその毒性をもつ物質の一時的効果であって、現れた症状を停止するとか苦痛緩和に用いられるものです。

ただし、その毒性によっての有害作用も当然ながら同時進行的に作用しているもので、常用すれば蓄積される性質の毒(薬物)がけっこう多いようですよ。

その正否は人の身体によって異なりますから、お疑いならどんどん続けて飲んで戴ければ確認できる方が(おそらく)たくさん居られると思うのですが・・・

残念ながら、そのひとで無いとなかなか実感できないことと、「まさか、これが薬のせいだとは思えない」と固く信じているとわかりにくいかも知れません。

くれぐれも他人の身体を使って実験は止めてくださいね。ご自身の身体なら誰も止めやしませんでしょうし、起こっても自己責任ですから。

反対に薬を飲まなければ健康万全だとも言えないところが「ミソ」なのです。

つまり飲んでも飲まなくても病気はするでしょうし、いつか死にます。

その人にとって試す方法は、同時に正反対の方法が出来ないという欠点がありまして、なかなか納得できない要因なのかも知れませんね。

おわり

 

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