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岡田茂吉医学論基礎編2

2020年09月04日 | 岡田茂吉医学論研究会用

岡田茂吉医学論基礎編1

のつづきです。

最初の説明文を読んでからにしてくださいませ。

 

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    病気とは何ぞや

 


 いよいよこれから病気に付いての一切を解説する順序となりましたが、そもそも病気とは何かといいますと、一言にしていえば、体内にあってはならない汚物の泄作用であります。従いまして、体内に 汚物(汚い物)さえなければ血行(血のめぐり)はよく、無病息災で年中はつらつとして元気で活動が出来るのであります。

としましたら、一体汚物とは何であるかと申しますと、これこそ薬の古くなったもので、毒血(どくち)となった不潔物(汚いもの)であります。では何故そんな病気の原因となる薬剤を使用しはじめたのかと申しますと、それこそ大いに理由がありますから詳しくかいてみますが、そもそも人類は野蛮な時代はともかく、次第に人口が増えるに従って食物が足りなくなって来ました。

そこで人間は食物を探し求めて手当り放題に採って食べました。もちろん農業も漁業も余り進歩していない事ですから、山野や原川のすべての処で木の実、草の実、虫類、貝類、小魚等を漁りましたが、その良否などを、見分ける方法などはありませんので、やたらに食欲を満たそうとしましたので、毒物にあてられてその苦痛を名付けて病気と言ったのであります。

そこで何とかしてその苦痛をのがれようとして草根木皮を食べて試しましたが、たまたま苦痛が軽くなるものもあるので、これを薬と名付けて有り難がったのであります。

その中での薬の発見者として有名なのが、中国の漢時代に現われた「磐古氏ばんこし」で別名「神農しんのう」という漢方薬の始祖人でありますのは、余りにも有名であります。

 右の通りですから、食べたものの毒に当たった苦痛ももちろんその浄化作用の為でありますし、薬の効果とはその毒を出すことを停止する事によって苦痛が楽になったりしますので、その頃から浄化作用を停止する事が病気を治す方法と思いましたので、この間違いが二千年以上も続いて来たのでありますから、驚く外はありません。

 

そうして西洋でも草根木皮以外あらゆる物から薬を採りましたのは今日でも同じ事であります。従いまして薬で病気を治そうとする考え方は、文化の開けた今日でも原始時代の人間の知恵と少しも変わっていないのは不思議といっていい事であります。

 

 さて、いよいよこれから実際の病気について徹底的に解説してみますが、そもそも人間として誰でも必ずかかる病としては感冒(風邪)でしょうから、これから解説しましょう。

先ず感冒にかかると発熱が先駆けとなり、次に頭痛、喀かく痰たん(せき)、盗汗(ねあせ)、節々の痛み、だるさ等その内の幾つかの症状は必ず出ますが、この原因は何かといいますと、体内の保有毒素に浄化作用がおこりその排除に伴う現象であります。

 

ところがその原理を知らない医療はそれを停めようとしますので、これが大変な間違いであります。

今その理由を詳しく説明してみますとこうであります。

 

すなわち人間の体内に毒素がありますと機能の活動を妨げますので、自然はある程度を越える場合その排除作用を起こすのであります。

排除作用とは、固まった毒素を熱によって溶解して、喀痰、鼻汁、汗、尿、下痢などの排泄物にして、体外へ出すのですから、その間の僅かの苦痛さえ我慢すれば順調に浄化作用が行われますから、毒素は減り、それだけ健康が増すのであります。

 

ところが医学は逆に解釈して、苦痛は体内の機能を毀損させる現象であるとして悪い意味に解釈する結果、極力停めようとするのでありますから全く恐るべき間違いであります。

 

そうして元来「浄化作用」とは活力が旺盛であればある程起こり易いのでありますから活力を弱らせるに限りますので、ここに弱らせる方法として生まれましたのが医療であります。

 

もちろん、弱っただけは症状が減りますから、これも無理はありませんが、実際は無智以外の何物でもありません。その弱らせる方法として最も効果のあるものが薬であります。

つまり、薬という毒を使って弱らせるのであります。

 

人体の方は熱で毒素を溶かして液体にして排泄しようとして神経を刺激します。それが痛み苦しみでありますのを、いつどう間違えたものか、それを悪化と解釈して溶けないように元通りに固めようとします。

それが氷冷、湿布、解熱剤等でありますから、実は驚くほどの無知で、これでは

病気を治すのではなくて治さないようにする事であり、

一時の苦痛緩和を治る過程と思い誤ったのであります。

 

ところが前に述べたように、


苦痛緩和の手段そのものが病気を作る原因となりますから、

由々しき問題であります。


つまり天与の病気という健康増進の恩恵を逆解して阻止排撃の手段に出るというその方法が医学でありますから、その無智なことは話になりません。近来よく言われる「闘病」という言葉も右の意味からでたのでしょう。

 

 

 右のように感冒にかかると排泄されようとする毒素を停めると共に薬毒までも追加しますので、一時は固まって苦痛は無くなりますからこれで治ったと思いますが、これこそ飛んでもない話で、却って最初に出ようとした毒素を出さないようにして、後から加えるのでありますから、その結果は今度は前より強い浄化が起こるのは当然であります。

 

その証拠には、一旦風邪を引いて一回で治り切りになる人は殆どないでしょう。また陽気の変わり目には大抵の人は風邪を引きますし、風邪が持病のようになる人も少なくありませんので、そういう人がこれを読んだなら成る程とうなずくでしょう。

 

この様に人間にとりまして感冒ほど簡単な体内清潔作用はありませんから、風邪ほど有り難いものはありません。

 

ところが昔から「風邪は万病の基」などと言っていますが、これほど間違った話はありません。

 

何よりも近来のように結核患者が増えますのも、風邪を引かないようにして風邪を引いても固めて毒素を出さないようにします。


したがいまして結核の予防には風邪引きを大いに奨励する事であります。そうすれば結核問題などは訳なく解決するのです。それを知らないから反対の方法を採るので益々増えるのは当然であります。

 

 そうして、右のように病原である毒素の固結の原因は先天性と後天性と二つあります。

先天性はもちろん遺伝薬毒であり、後天性は生まれた後に入れた薬毒であります。

 

ところがこの二つ種類の毒は人間が神経を使う局部へ集中固結こけつします。

人間が最も神経を使うところとしましては、上半身特に頭脳を中心とした眼、耳、鼻、口等でありますから、毒素はそこを目がけて集中しようとして一旦頸けい部ぶ附近に固結するのです。

誰でも首の周り、肩の附近を探ってみればよく分かります。そこに固結のない人は殆どありません。しかも必ず微熱がありますのは軽微な浄化が起こっているからで、頭痛、頭重、首肩の凝り、耳鳴り、目やに、鼻汁、喀かく痰たん、歯し槽そう膿のう漏ろう等はその為であります。


ところが毒結(どっけつ=毒のかたまり)がある程度を越しますと自然浄化作用が発生しますし、その他運動によって体力が活発になったり、気候の激しい変化によって自然順応作用が起きたりする等の諸々の原因によりまして、風邪を引きます。

次に「くしゃみ」でありますが、これはちょうど鼻の裏側の延髄付近の毒素が液体となりましたのを出すポンプ作用でありますから、この原理が判れば実際とよく合っていることが分かるのであります。

 

右のように頭部中心とし上半身の強烈な浄化作用が感冒でありますから、この理屈さえ分かれば、かりに感冒にかかっても安心して自然にまかせておけばいいので、身体の中は清浄(きれい)になり順調に割合早く治りますから、この事が判っただけでもその幸福の大いなる事は言うまでもありません。

 

 

3につづく

    

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