わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

大正天皇の侍医「薬は効かない(治せない)」と辞世の句

2013年04月17日 | 医学と健康

大正天皇の侍医も言っていたぞ「薬は効かない(治せない)」と辞世の句

テーマ:医学医療

2013年04月17日(水) posted by akyoon

 

古いやつほど新しい物を好むもんでございます・・

こんなセリフは女房に言っては遺憾よ。
さっそく
「あんたこれかぶって明日、収集場所で立っていなさい!」
と、粗大ゴミ用の袋を渡されるでしょう。


だが、ここに掲載するは古いけど新しい物でございます。

ーーーーーーーーーー以下転載、引用ーーーーーーーーーーー

《 現 代 医 学 は 科 学 的 医 学 という 迷 信 ? 》

                               ひのもと異学 1997、3、31 初版

世界の医療界で燦然と輝く、現代医学・・・現代科学の頂点に立つ現代
医学、、、、
もしこれにイチャモンでも付けようものなら、たちまちグーの音も出な
いように叩きのめされてしまうだろうなあ、、、
その殺し文句が“非科学的なマガイモノ”である。
そしてわけの分からない、「現代医学の常識」から外れている理解不能
なものは、“オカルト的なマガイモノ”となってしまう。

そうして、そのことに誰も偽論を差し挟まない。みんなが納得している
のだ。
「科学的な医学に反するもの」などいっさい受け入れてはいけない、信
じてはならない。
聞くのも見るのもいけない。発表することなどとんでもないことだ。
社会に害のある情報を発信してはいけない。
なるほど、たしかにその通りのことが多いからね。

でも、、、医学にそれを取り仕切るほどの科学性があるんかね。
もしかしたら、自分のとこを棚に上げてほかの世話をやいていないのか
な?
そこで、僕はない頭をふりしぼり、“非国民的”情報を探して見たのだ
が、、、
命題は『果たして医学は科学的か?』

世界中のほとんどの人は医学を科学的と信じている。しかし、これを
「非科学的」と言ったら、、、ということで情報を仕入れてみた。

【本来、自然料学とはあるがままの自然の実体を堀り下げて、その法則
を探求し、規準を生みそれによって人類の福祉に貢献する事でなくては
ならない。
したがって毫末の独断も自然無視も許されるべきではない。】

と言うのだ。そこで、医学の治療法の根本とも土台とも言える、薬剤等
の試験に動物を使うことが果たして自然に合っているのかどうか?
そこの処の急所を聞いて見たのがつぎのような内容だ。

【その前提として知らねばならない事は、先ず人間と獣類との相違であ
る。
科学は人間も獣類も共に動物の範疇に入れているが、その事自体が既に
独断以外の何物でもない。
彼の医科学はモルモットやハツカネズミを研究して、それを人間に当は
める事をもって唯一の方法としている。
右について人間と動物との相違点の種々面から考える必要がある。
それは殆んど根本的ともいうべき相違である。
即ち人間は唯心的であり、動物は唯物的である。
たとえば宗教、哲学、芸術、恋愛、同情等の精神活動は動物にはない。
また唯物的にみても形態、動作、体質、食餌、生活等人間との相違の余
りにも著しい事である。
動物は足が四本あって尾があり、全身の厚皮、厚毛は勿論言語も臭覚も
聴覚もすべての違いさはこれ以上書く必要はあるまい。
以上のごとであるから、今日の『動物実験は自然科学ではなく自然無視
科学である。』                      】

と。
ここで、医学者側の発言も必要だろうから、合わせて引っ張り出した。

◆【世界医薬産業の犯罪】(題名)
               ―化学・医学・勳物実験コンビナート(副題))
    ハンス・リューシュ著   大田龍訳  1993年発行       発行所――株式会社 三交社 
                                              より

《・・人間にとって猛毒であっても、動物には無害。人間には無害であっ
ても動物には毒になる。このような物質ははたくさん存在する。{ここ
に例があげられている(略))
新薬の実験台として、動物ほど当てにならないものはないという事実。・
・・・
・・もちろん、保険機関や研究者たちもこの事実は十分承知しているの
である。それでも彼らは、マスコミや一般大衆に向かって、お決まりの
脅し文句をつきつける――皆さんの子供さんを使って新薬をテストして
もかまわないのですか?
しかし事実はすべての新薬(すべての合成物質は有害である)は今も、
あなた自身そしてあなたの子供さんを使ってテストされ続けているので
ある。動物実験では科学的に何にも解答は得られない、どころか、人体
への影響という点に関しては間違った答へと、ミスリードする。この法
則に例外はない。・・・
・・今日の薬品市場の状況は言語道断、悲劇的でさえある。政府は製薬
業界が無用の薬を市場にあふれさせるがままに任せている。彼らに言わ
せれば動物実験によって、それらの薬の有効性・安全性は十分にテスト
済みだという。
しかし、これは詐欺である。しかも政府公認の詐欺である。というのは、
薬のメーカーも、それを認可する政府も、動物実験などは元来まったく
無意味なものであるということを百も承知しているからである。・・
・・・一九一二年、ドイツ人医帥ブォルフガング・ボーン博士は次のよ
うに書いている。
【動物実験の公に言われている目的は、どの分野においても達成されて
おらず、将来においても達成されないであろうと予言できる。それどこ
ろか、何千人も人間を殺してきた。
動物実験の拡大がもたらしたものは唯ひとつ――科学の名を借りた拷問
と人殺しのみである。おそらくは、この人殺しは今後も増え続けるだろ
う。なぜならば、それが動物実験の論理的帰結なのだから】  》

とね。
医学の根本が動物実験から導かれているとしたら、これほど自然無視の
“非科学的方法”はないのではなかろうか。

さらに診断治療について、、、

【ここに医家の家族の一員が病気にかかったとする。
然るに不思議な事には大抵は主人である医家が診療しないで友人等の他
の医師に依頼するのは周知の事実である。
常識で考えてさえ大切なる家族の生命をして自分の手にかけず他人の手
に委せるという事は可笑しな訳である。それは全く自己の医術に自己が
信頼出来得ないからであろう。
実験上自分が診療するよりも他人に委せた方が結果が良いからである。】

というのは、事実は果たしてそうなのだろうか?推測に過ぎないのだろ
うか?  さらに聞いたのは、つぎのようである。

【また少し難病になると、医師の診断は区々である。一人の患者に対し
五人の医師が診断する場合、恐らく五人共診断が違うであろう。
これ等も料学的基準がないからで、全く非科学的というも敢えて侮言で
はあるまい。】

僕はこれを余り出したくなかった。これは「医学批判」から、ともする
と「医者批判」に係わることになるからなんだ。
僕がいつも想うのは医学の犠牲者は患者ばかりではない、お医者さんも
より医学を信じているからこそ、善意があふれるほどの医学治療を行う
人格者だと想う。
だが、それによってしばしば「医療ミス」と呼ばれる裁判ざたで訴えら
れることを気の毒だと想うからである。


【・・今一つの例を挙げてみよう。有名な故入沢達吉博士の死因は盲腸
炎という事である。その際各地から恩師の病を知って走せ参じた博士は
無虜百二十数名の多きに達したと言われる。
これだけ多数の博士が頭脳を絞り、博士自身も苦慮されたであろうが、
最も治癒し易い盲腸炎の如きが治癒し得ず死に至った事は、医学の無力
を実証して余りあると思うのである。
その時博士は次のごとき和歌を詠んだそうである。
『効かすとは思ヘど これも義理なれば 人に服ませし薬 われ服む』】


この入沢博士は大正天皇の侍医となられた当時の医学の最高の地位に近
かった人と聞く。この辞世の句が注目点だ。

これもちょっと古いかも知れないが、
医学博士国島貴八郎氏著「結核と人生」より

『我々が医学を学ぶ一番最初に教わる言葉は“病気は自然に治る”とい
う事である。
赤ん坊の時から自然によって生れ出る力、自然に身体に生じて来る力に
依ってのみ病気は治るのである。
という、生物はじまって七十万年の昔からの真理を教はるのが、医学の
第一時間目である。
今日の腸チブス、肺炎の辿る経過も、五十年前、百年前の医学の発達し
なかった時代も少しも変らないのであって、どんな博士が診ようが、薮
医者が診ようが、金持ちのチブスも貧乏人のチブスも同じく四週間はか
かるのである。
もし病気が医者と薬だけで治るものならば、百年前に四週間かかったも
のならば、今日に於ては三週間なり二週間で治るという事になる可きで
あるが、依然としてチブスは四週間かかるのである。
また急性肺炎の場合も同様で百年前のものも現代のものも一週間かかる
のである。
薬の効く時間ではなくて、チブスなり肺炎なり微菌に侵されると、自然
にそれに抵抗する力が湧き上って、それ等の毒素を薄めて遂にそれを克
服し、組織を復旧するのに要する時間なのであるから、百年前も今も変
りはないのである。』


「医学は科学的である。医学は進歩している。このまま進歩を続けて行
くならば必ずや人類はこの世界から病気を克服し、心身ともに健康な天
国的世界を実現出来るだろう。」
このような考えが真実となるのかどうかは、各自が検証してもらいたい。
そして、科学的とは一体どういうものなのか、医学は果たして自然の摂
理に準じているのか、、
    静かにひとりで考えて見よう。
ただし、その前に両方の情報を受け入れることが必要だろうが、


最後に、ふたたび【世界医薬産業の犯罪】より

《・・【健康というものに対する機械論的とらえ方、そして動物実験に
基ずく研究方法、という二重の不条理をベースに成立している現代医学
そのものが、今日の人間の病苦の最大の原因である】
          一―――識者たちは現代医学のあり方をこう批判してきた。

しかし、人間というものは、その心身の形成期に与えられた価値観、す
なわち人生で最初に出合った権威者たちに教え込まれた考え方に固執す
るものなのである。
人生で最初に出合った権威者たちと言えば、両親であり学校の先生たち
だろうが、いかんせん、これらの人々は皆、同じ教育を受けてきたので
ある。中世の人々が教会の奇跡の力を、理性を越えて疑わずに信じるよ
う教え込まれたように、現代の人々は、動物実験に基づく医学の奇跡の
力を信じるように教え込まれているのである。
実際のところ、現代の医学研究の科学的無効性を証明するのは、2+2
が5にならないということを証明するのと同じくらい簡単である。
しかし現代医学の数義は、科学の方法論――(すなわち、事実に基づく
論理的証明で、自由な議論の対象となる)――によるものではなく、宗
教教育に用いられる手法――(すなわち、証明できない命題を幼い頃か
ら反復により教え込む)――によって導き出されたものである。
そのため、
【いかに証拠を示し合理性に訴えて説得を試みても、信じてしまった者
の心を変えることは不可能なのである。】
理屈ぬきで信じさせられてしまった人の信仰を、理性によって崩すこと
はできない。一度浸み込んだ信仰は論理性を受けつけない。
これが、現代医学が科学ではなく宗教であると定義されてしかるべき理
由なのである。
医学神話を広める医師の多くは、自分自身その神話を固く信じて疑わな
い。というのも、彼ら自身、ずっとそう教えられてきたからである。
彼らはこの組織的犯罪の共犯者というよりは犠牲者というべきだろう。

彼ら医師たちは自分の語る言葉を信じている。同じように、中世の司祭
たちの聖水の治癒力を信じていた――実際聖水はしばしば病人を癒した。
少なくとも現代医字の治療法よりははるかに害が少なかったことだけは
確かだろう。
・・・・自分のやっていることに遅ればせながら気づき、あえてそれを
公言しようとする医師は、医師仲間からは村八分にあい、資格を剥奪さ
れる危険を冒すのみならず、異端者として社会から追放される可能性す
ら覚悟しなければならない。・・・

・・本書でリボートしたざまざまなニュースは、一般の新聞雑誌にも載っ
ているもので、誰の目にでも止まるものである。・・      》

以上。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーー


で、だれが書いたのかな

引用の中にまた引用か・・・







こちらを読むと

なぜそうなるか?がよく分かると言う悶だ(笑い)

  ↓ ↓

 


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