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厚皮饅頭

答えはいつも椰子の実の中

カオス

2012-10-04 04:47:45 | Weblog
(´ε` )顔酢。蚊牡。かかぁ雄。そうさねーカカアは雄々しいですなぁ。我が家じゃねぇ。いやあ、全国的にそんな傾向かもなあ?あ、気配感じるし、この辺でバイバイ(´ー`)/~~


ヤスジー!私考

2012-10-01 03:44:36 | Weblog
ヤスジ(って書くだけで鼻血出そうや。男は鼻から血、いや牛乳・・・これ以上の展開は自主規制クワバラ桑原和男)の偉大さをぶち上げよ、おもてましてん。ヤスジのデフォルマシオンは長新太にも通じる(タコのバスは名作)で、そんなふうに考えると元永定正なんかにも通じるや?なーんてねえ。単純な力強い線で空間切り取ってるって意味では、ある意味抽象じゃん!(て何でここだけ江戸っ子やねん?)そんなふうに一寸アート横断的に考察してみるのもオオローと一人で愉悦だ爺の自慰シコシコ。

ネオジャパネスク展:草間彌生の感想書いてたら、ネオジャパネスク展のことも思い出して・・・

2012-09-28 08:46:53 | Weblog
いいんかなあ?よう分かりませんけど、なんかワンパターンもあれだけ偏執狂的に続けるとよく見えてくるのやも?日本じゃ開花しなかったかな?アーティストって色々居る思うけどあの手の人はやっぱり生き難さの具体化みたいなことが大事なのかもしれませんよねえ。どうして、惹かれる作品とそうでもないのがあるのか?て考えてみたら不思議。言葉によってだけでは捉えきれない心のドロドロが音楽やら絵画やらの網に引っ掛けて貰える快感みたいなものかなんかなあ?こないだ大阪にオークションで落札した(あんまり安くでゲット出来たとは言い難いけど)ネオジャパネスク展行った。大阪のメーカーバーゲン行ってから行ったんであんまり時間無かったし、それに得意の道に迷いもしたし、出直すかな?と思たときにやっと行き着いて(何度も行ってるにも関わらず)ネオジャパネスク展ての。ジャポニズムとかジャパなんとかていうのに弱いねん。行ってみて「あ!出直すほどのモンでも無かったわ」て思うぐらいの素人芸に毛(縮れてはいたが)生えたみたいので、飛ばして見てそうさね20分~30分足らずで仕上げた。けど、コレクション展はなかなか面白かったっす。彌生さんもあったし好きなアンゼルムキーファーもあった。でもね、その晩夢見たのさ。その素人芸に毛生えたみたいな作品の絡みでね。で、思ったわけ。大家の大仰な作品群より、ちょい落書きみたいな作品群の方が自分たちの日常や生理に近くって、もしかしたらこういうのの方が日常的に生理的に反復咀嚼する為の題材としてはいいのかも?ってねえ。草間彌生の水玉は彼女の妄想から出てるんだけれども、その妄想はきっと精神的に不安定な特殊な素材ではあるものの、でも極端ではあっても我々と同じ人間の一部(敢えてこういう表現使わせてもらうけど)であるのなら、我々の中の水玉に秋波送り続けてその周波と自分なかの波長が呼応してるのかもしれないね。あはれ秋風よ/情こころあらば伝へてよ・・・。』

彌生ちゃん

2012-09-22 05:36:07 | Weblog
彌生ちゃんって変

皆に彌生ちゃん大好きって言わす

おんとし83?でしたっけ?

水玉ワンパターンで真っ赤な頭して・・・

けど

なんかしら惹かれる

引っかかる

引っ掻き傷


そうそうこないだ引っ掻かれましてね

最も近接しているけど最も遠いかもしれない他人であるところの同居人

有り体に言えばいわば奥さんとか嫁とか妻とか伴侶(どうしてこんなに一杯言い方あるんかな?英語とかならもっと少ない思う)



ペットが凶暴に為れば手に負えなく為れば頑丈な鎖に繋いで頑丈な小屋にでも閉じ込めれば

それでも手に負えなく為れば

保険所送り殺処分


近しいって思っていても人間は遺伝子的には遠くにあるのを選ぶのだそうな


実母は「なんで反撃せんのや!思いっきり!」なーんていう

あんさんその台詞自分の娘の旦那に言えますか?I shot the serifu.なーんてギャグも浮かんだりする


結局内か外なんですな

国と国、民族と民族、人と人

危うい線引き

いっそ輪郭なんか失くなればいいのに

でも、そんなことになれば美術館は雲散霧消モンサンミッシェル

ワンタンシにとってのタンニンは誰かにとってはミンウンチな訳で・・・


生きてると信じて止まない事柄は実は死への歩みでもあるのだ!

みたいな・・・


ただの水玉描くだけの若作り老人であるところの彌生ちゃん

ちょっとおかしい変わってるてのはソフトな表現

ちょっと狂ってる?


もし世の中が狂い始めているのなら普通に暮らしてる私たちこそが?


ただの水玉だけど惹かれるのはナニユエ?

有名だからか?評価されてるからか?高値で売買されてるからか?


いやいやそれだけでもなさそう

幼稚さ呼び起こさせるからなのかもしれないな?

奥深くに眠ってる遠い遠いキオーククオーク

でも、遠いと言ったって一度も初期化されてないワタシ等のデータは積もり積もって蓄積

う〇こは排泄されるが感性は一度も排泄されたことはないのだ涙以外


詰まるところ大人って幼稚の成れの果てだ

そして幼稚は大地と繋がっていて

それは原初的な宇宙やらいがいやいがいガイアと繋がろうとするのやも


ありとあらゆるゲージツの役目ってそんな原初的根源的幼稚と対面させてくれるってことなのかも?


カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の

やさしさに包まれたなら きっと

目にうつる全てのことは メッセージ(by 荒井由実)





う・稀る

2012-09-09 03:27:50 | Weblog
いい映画でしたし若い人には観て欲しい思いましたけど、60前のおっさん(自分のことですけど)が観る事に一体どれほどの意味が?って風にも思った。オープニングのシーンはやーな感じ。ちょっと美化しすぎちゃう?ちょっとシラこい(こんな表現死語か?)んちゃうん、って思った。でも物語が始まるとそんな気持ちはぶっ飛んで、(とんでとんでとんでby円)何度もホロリしちゃいました。イヤア現実っていうファクターは凄い!という点は「よーいドン」という番組のおもしろさにも愛通じる、の心。出演者は皆綺麗で(内面的な意味でも)オシャレ。伴夫人は可愛いし旦那もお茶目やなあ、て思ってたら次の松本夫妻もカッコイイ。奥さんの低いトーンのセクシーヴォイスも魅力的でこの旦那もいいいい。ておもてたら、次の関根夫妻の旦那のファッションがいい。紫流行ってるんかなあ?そして、最後の東さんのピンクと紫のツートンカラーのニットが良かった。皆さんきっと無関係なんでしょうけど、不思議と皆かっこよくておしゃれでファッションセンス良かったのは、誰かコーディネーター居たのかな?と思わせる位でした。ウチみたいに、何となく出来て何となく成人した(ボクがそう思ってるだけで母親はそうでは無かったのかも?)者にとっては生まれなかった家族。欲しくても出来ない家族。生まれても思い障がいを背負ってる子供を育てる家族、のことは想像の蚊帳の外なのではあり。それに、僕は「やっぱりオトコも立ち会うべき」て建前ブチ上げてたもののいざ生まれる段に為ると「いやあ、二人とも仕事中で良かった」と安堵してたという無さ気なし野郎。最近の自分の想いとこの映画を擦り合わしての、これはこじつけかもしれないけど、意味あることって意味ないことと複雑に絡み合ってる気がする。価値って、一見価値ないものと微妙に釣り合ってるような、という風なね。“死”があるからこそ“生”が際立つというような・・・。つまり、額縁でさー。ほれ、絵画ってのも額縁無かったら風景に杉ない、ってことですわ。(杉ちゃん消えるんかなあ?(´・ω・`)

詩のカタチ

2012-09-05 05:09:10 | Weblog
谷川はひらがな。田村は漢字。カタカナは誰かな?思いついたのは、「キラキラヒカル」っていうカタカナだけで書かれた詩だけど、作者の名前は忘れた。choriの詩は乗りいいからカタカナって感じかな?ひらがなには親しみを感じるし、漢字には威厳を感じるし、カタカナには乗りを感じる訳です。単純なもんやね。

哲学みたいな・・・

2012-08-30 05:07:05 | Weblog
人生色々。人性エロエロ。でんなあ。負の要素と正の沃素が変わりべんたん変わりべんたんでんなん。別れがあるから出遭いがあって。でもほんとは別れなんて経験したくないのだニャロメ!でも、負け惜しみで「あんときあいつと別れたから君と知り合えた」なーんて強がりガリガリに痩せてみたーい!なんてほんとに拒食症に為って筋皮骨衛門になっても困るのことよ。でも、そうなったらそうなったで「へん!こんだけスマートに為れたぜワイルドだろ?」なーんてウソブク。五十路(っていうかも直ぐ六十路)なんてな立派なモンぶら下げて今バイト行ってて、それはモチロン左様お察しの通り社用が斜陽だからで(社用なんちゅうことないただの個人事業主。斜陽は泣いたな(;>_<;))当時はショック隠しきれずNASA気な感満杯だったけど、数年経てばすっかり馴染んで楽しくアルバイト、ルンルン気分。(←こういうの旧いか?)こういう順応性いいのか悪いのか、...どうもここでもそうだけど要らんことには多弁だが大事なことには寡黙。それに順応性はあるも積極性には欠ける。なーんてイッチョ前の分析(わかってたらやれ!と鬼嫁の鉄槌)でも、こんな風な自己分析自己弁護ももしかしたら、どうしようもないよ的ニヒリズムであるのやも。〔本題戻る〕偶然の必然化ってのが生きてるってこと(逝きるも同様で)だって「え!あんときのあれが・・・・(´・_・`)」ガーン!が、生まれるのキッカケとも言えるし、でも子供を心底欲しい人はそんな罰当たりなことは思わないだろうな。子供の頃よく逆らって親に「産んでくれて頼んでない」って言ってた。その想い、実はこんな歳になってももち続けていて、子供たちにも一寸悪かったかなみたいな気持ちもあるから、やっぱり時系列的に言って「親に感謝」って説は後付けな感じがしててあんまり好きになれない(ってところが幼稚さの源泉聴衆)でも、そんなこと言えるのも生まれてきたからなのだけれど生まれなければそんなこと考えることも無かった訳で・・・いやあ単純に線引きって出来ないなー、ってのが、最近の僕の哲学(のようなもの)

自有と平等

2012-08-27 05:26:51 | Weblog
「デザインあ」の中のデッサンコーナーって
ちょっとフェイスブックっぽい
だって同じフィールドに
無名の小学生も
有名歌手の八代亜紀も座って
絵を描く

でも唯一違ったのは
カメラ向けられたとき
八代亜紀は少し首を傾けて
ニコっと完璧な笑顔を作ってたところ

ふうっ(o^^o)ひょーっ!\(◎o◎)/!(風評)意外

2012-08-24 08:31:09 | Weblog
評判いいものはたしかにいい

のかも?

たしかに今放送してる

愚蓮グル人"(グレングールド)て悪くない

って言うか、いいし

仲道郁代って人が

「グールド聴いてると頭が良くなる気がする」って意見にも

共鳴するが

でもそれてバッハの音楽が内包してるものでは内界?

で、クラシックで阿呆な音楽て在るか?て私考するも

無いん違うかな?

つまり

いち、にい、サンッ!で阿呆する

みたいなのはね

あ、テーマから歯ずれた

風評でカラヤンて「凄いええ」て言われてるけど

唯一持ってる音源のベスト物の中の

ホルストの惑星の中の一曲も

ラベルの死せる往生の為のパヴァーヌも

ちょっとチャウ(僕的にはね)