容疑者の写真が公開されないのは「推定無罪」だからなんだそうだ。じゃあ、それは同時に「推定有罪」でもある訳で・・・。それに、そんなに「人権」て言うなら「容疑者の“女”」ていう言い方も「容疑者の″女性”」て改めるべきなん違うかなあ?
ブログっての始めてたぶん九年くらいにはなる ずっと不思議なのは どうして個人的な事ばかり書いてるに過ぎないのに 他人に見られたいのか?もちろんどうしても内緒にして置きたいようなことは 書かないわけですが そんな事柄は 自分の胸の内(正確には脳内物質の内側哉?)にあって プライベートなノートにすら 書き留めたりもしないそうそう この間(カン)何冊もノート買ってる それは発想書留めたり 全くの個人的な事柄加工としての 火口としての(誤変換も又正しからずや)書こうとしての物だったけれども 結局は 殆ど白紙 そして 書いた物だって 結局読み返したり ブログのネタにすることなんて無いのだ
日本人て結局「クサいものに蓋」体質なんやろなあ(よその国の人のことはよう分からんけれど)言葉の言い換えとかで、気配りとかって言うのだけれども、結局極力摩擦を避ける、ぶつかり合うことを避ける。“他者への配慮”っていうBUSY LAKE(美辞麗句の洒落のつもりだす)の御旗の下、「そーっとしときまひょ、文句言われたらつまらんし」みたいな同質社会作り上げる。全てが悪いことだとは言わないけど、本音は閉じ込められて″クレームのつけようのないツルッツルッの禿げ茶瓶”みたいな行儀のいい言葉だけが整然と隊列乱さず行進(更新もまた可)繰り広げる。そこではどんな火花も散りやしないぜ!
そうさなあ、生物の燃料は元々は二酸化炭素やったんやな。それがある時毒である酸素をエネルギーにすることにして、そのことで寿命は縮まったらしいけどパワーを発揮し出したそうな。なーんてこと自分に言い聞かせて息を殺してる。遠くで怒声を聴きながら・・・(´・ω・`)
週間朝日をまだ読んでないので何とも言えないけど、どちらかと言えば“反差別”を標榜してるようなメディアがこういうネガティブキャンペーン張るってのは、やっぱりこういう手法が人を落とし込める為にはとっても有効な手段であるってことを自ら証明してしまってるって気がする。
「最強のふたり」観に行ってきました。なんとか安くでと思い、夜の時間帯も考えたけど、やっぱり飯食ってバイク走らせてという気にはなれず、日曜で14日という昨日に賭けた。インターネットで買えたら良かったのだけれど、口座に金無かったんで、仕方なく″残席僅か”って云う時間帯にバイク走らせた。生まれて初めて“自動券売機”なるもので買おうとすると、買おうとしたその席は直ぐ売り切れたりで、結局端っこの最前列っていう哀しい結末(;_;)。けど、思ったほど見苦しくなくて良かった。映画の内容は最高!の二人でしたわ。アースウィンド&ファイアのあとで直ぐショパンが鳴るっていうのも良かったし、マセラッティのエンジン音ってメッチャええやんっ!てことも思った。で、こんなフェイスブックなんてのをやってる悪や思うんですけど、「どんな風に書こうかな?」な^んて見ながら考えてしまう。で、「“ババア”って云う言い方は尊敬の言葉」って言ってた毒蝮三太夫の言葉を書こうって思ってた。
“ザラザラした感じ”てのがロックにとっては結構重要な要素って気がする。ロッド・スチュワートの声。ファズ(昔はこう言いましてん)を効かして歪ませたギター音(例えばジェフベックのブルースデラックス)思いっきしハウらせたフィードバック音(例えばマザーズオブインベンションのいたち野郎の最後の残響音もっと分かり易いところではビートルズ、アイヒールファインの出だしの処)漫画だってやっぱりあのつげ義春のヘタウマ感、すき間感。大量生産出来ない手作りの焼き物の不完全感。ロザン人なんてそうなんでしょ?よう分からんけど・・・(-_-;)書道展見に行ってゴシック体やらポップ体のフォント並んでたってオモロー無いもんな。
いつもは400g500円位の珈琲買ってるけど、昨日は思い切って200g500円くらいのを買ったので、呑み比べてみた。たしかに少し違うかな?ことほど左様に物事は比較してみなくちゃ分からないことって多い気がする。でも昨今の風潮は「比べちゃいけません!」相対評価より絶対評価。でも、それって″より主観に傾く”ってことじゃないの?
一昨日は地域のお祭りでした。子供ミコシ(神輿か御輿か漢字分からず)ってのが出て練り歩きました。そこでのかけ声は定番の「ワッショイ」一拍おいて「ワッショイ」一拍おいて・・・。この一拍おいてる間に別の一群が「ワッショイ」と重ねるパターンが多い。あれー?このフレーズ聞いたことある。そうそう高校時代何度か参加した新左翼(その後過激派なーんて言いくるめられ)のデモの掛け声にさも似たり~。はー、さも似たり、さては南京玉すだれ。あの、「シュプレヒコール」「アンポー」ここでためて、「フーンサイ」ってヤツによく似てる。“新”を標榜してても伝統を守ってたんやなあ。
ほな、日本以外の国のかけ声はどうなのか?てなことも考えてみる。
ほな、日本以外の国のかけ声はどうなのか?てなことも考えてみる。
ぼくらRGなんでどうしてもCDを買わなくちゃって思ってしまって買ったりするけど結局あまり聴かないでいる。のは、若かりし頃の音楽のウェイトがウェイトレスであるからというのも理由の一つでそれは勿論恋してないとか失恋してないとか好きな女がいないってのが理由で、まあ別に異性で無くても同性でもいい人も居るだろうけど僕の場合は玉玉そうなだけ。って展開で本当はCDとレコードの空気感みたいなことについて(そんなこと論じられるような音響設備でも無いが)語りかけカタルシス(意味知らんけど)したかったのだけれども、書き進んだら音楽って結局自分にとっては殆ど“思春期女絡み”でしかなかった。てことに気づいて毛妻づいた。(蹴つまづくほどのロングヘアーってどんなだ?)そういや妻絡みやら子供絡みであんまり聴いたこと無いよなぁ、夜中に。コレは、ないよなー→よなかにって云う連想で「夜中に台所でボクは君に話しかけたかった」て本のタイトル思い出しただけ。で、今気づいたんだけど、こんなふうに暗がりでこういうの書くほうが話しがボンボン飛んで飛んで飛んで面白い(自分以外誰も読まない思うけど)丁度夢の見方にさもニタリ弐足り(これは変換ごっこ)