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厚皮饅頭

答えはいつも椰子の実の中

●投げ~!

2013-06-10 09:34:45 | Weblog
昨日のストーンズの番組でも「不適当な発言がありました」てアナウンスあった。「え?どれが?全然分からんかったなあ(>_<)」て訳で覗き見趣味初老で候えるワタクシメは今録音繰ってる。「不適当」ってアナウンスあってもそれがどれだったかを指し示すということは決してない。標的をはっきりと穿つことは結局されないままオブラート(死語)に包まれる。そう、つまりはゴーツヘッドスープジャケ写的に雲散霧消モンサンミッシェル水に落とされたインクの一滴みたく解らなくなるのはいいことか?それを繰り返すことは傷に塩塗る、一度轢いてしまった相手をもう一度轢き直してトドメ刺すみたいなことになる、恥の二度塗り?ちょっと相応しい表現思い当たらないけど、要するにもう一度ぶり返さないためで、“無かったことにしたい”。どうなのかなあ?そういうの。結局“意味の丸投げ”してるのではないかなあ?て風にも思うんですな。「〇〇の不自由な」て言い方。聞いた側はそのときに自動的に“個人の責任に於いて”意味的の変換をするんですよね。「ああつ●ぼの人ね」とか「ああお●の人ね」って風に。そりゃあハッキリした言い方てキツイし、たとえば フォントでもゴシックよかポップの方が柔らかい感じするし、ヘタレ字とか手描きなら尚良いし、たしかに柔らかい言い方しとけば八方塞がり・・・じゃなくてその逆、三方皆良し(言うがわも言われる対象も聞かされるがわも)ですか?そんな風なんだけど、どうもこの、[言葉丸投げ意味の自己責任志向]ってどうよ?て、ずっと思ってる。まあ、生真面目なNHKリスナーならクレーム付ける人多そうで、生真面目なアナウンサー(ディレクター?)はお詫びするってのも企業風土として有りか?とも思いますけど・・・てなネタがあるから、僕もこうやって書けたから三方皆ヨシ子てことで<(_ _)>

《おんながおんなあ》

2013-04-25 07:42:49 | Weblog
手招きするのは
おんな

応じるのは
おとこ

着飾るのは
女性
...
手をとりエスコートするネクタイ締めてるのは
男性

オーバーグラウンドの陽の当たる場所にいるのは
謂わば最も“性”に遠いところに居るとき

皮肉にも

オノコとオナゴに“性”がくっつく

そういう生業が生々しい行為から遠く二人を遠ざける

意味と意味の間には
淡い間(あわい)

訳へだてる線 LINE

『定義』では
幅は無いことに為ってる

悪戯心で“性”を付けてみる

しょうがくせいのてつがく

2013-03-05 08:27:30 | Weblog
今どんな気持ち?人間には2タイプあるのかも?って思う。自分のことを親と名乗れる人と名乗りにくい人。たとえばぼくなんかは(ま、あんまり親らしいフルマイしてないってのもあるけど)自らを「お父さん」って決して名乗れない。そういう風に名乗った方が収まり(そうそう左捩れ〇ンやらよう言いいましたな)いいかな、と思い。何度か試みたけど身の毛がよだつ思い、サブイボが全身に出てしまう感覚。ケツの穴の周りを寄生虫が徘徊してるむず痒さ感じて止めた。ウチの奥方なんかは、ごくごく普通に「お母さんが」などと抜かしおる。
そうそう、この伴侶呼ぶときの言い方でも未だに決定打が打てない。結婚するまでは苗字で呼んでたからな~。そういや、親戚のオッチャンは「〇〇サン」て苗字の上二文字で未だに呼んでるよなー。
しょうがっこうのころでしたか?自らの呼び名に困ったことありました。「ぼく」て呼ばれてたんで、普通に自らを「ボク」って名乗れたけど、同級生のジュン〇ちゃんは、自らを「ジュン〇」って呼んで烈しく叱責されてたよなー。あれは気の毒だったなー。自らを呼ばれてたママ名乗ったらそれを否定されてたのですから、あれはアイデンテイテイを否定されたようなもん。
これは優れて哲学的命題ではあったと思うけれど、小学校の時間にそんなこと言い出したら一学期間は過ぎてしまいますからな。
自らをお父さんと名乗れるタイプと名乗れないタイプの違いって言うのは考えてみたら、座標軸で自らを捉えられるか否かみたいなことかもしれませんねー。

化粧面ヅラ

2013-02-28 07:30:28 | Weblog
世間じゃ『ヅラ探し』の話題がカマビ寿司ー。

餅のロン、物見胡散野次馬並みの還暦目前オヤジであるところの僕も又そんな一人。

でもどうして髪の毛が薄いのがいけないのかな?

僕は頭の中の味噌はすけないかもしれないが、頭蓋骨保護の為の頭髪の量は濃ゆいので、幸い透けることは無さそうだけど、男性ホルモンが少ない証でもあるって話し。道理で歩くとき一寸内股ヅラ。

うーん、もしかしたらヅラバッシングって、女性ホルモン過多男性ホルモン欠乏オカマ野郎のヤツカミなのかも?

ヒガミネタミ劣等感の裏返し?腹ばい泳ぎの海豚ショー良かった京都水族館。

でも、女の『化粧面(ヅラ)』がバッシング受けることて殆どナッシングゥ~(^з^)-☆あれも股立派な、背伸び欺瞞虚構粉飾の一つだと思うのですがねー。

なんでタローなんでだろー七菜なんでだろー(・・?

2013-02-25 23:05:28 | Weblog
鷲田さんによると、服って人間の輪郭だそう。小さい頃に狭い空間に入りたがるのも自分の枠を確認して落ち着きたいて気持ち。そういえば、子供の頃布団に潜り込んだり押し入れの一角に自分のは部屋作ったりしてました。それと蚊帳の中に入ってるのも好きでよく遊んだ。もしかしたら、胎内感覚みたいなもの?最近、枠組みっていうか輪郭について漠然と考えてるんで、鷲田さんの考えに同期してしまいましたってわけです。

雑PINK

2013-02-23 05:56:01 | Weblog
朝まで生テレビって放送時間長いんで久しく見てなかったけど、今回のは「教育」って書いてあって、ぼくらチョッコシ高校時代そういうのに疑問感じて、チョッコシそないなこと考えたりもしてたってこともあって(ぼく的には勉強しないことの理由付けに利用してた側面も有るか?)久しぶりに録画して(起きてられまっかいな!(`_´))見ることにしました。
出だしだけちょっと見てみたら、「ずーっと変わってない」て話してた。そうさねえ、40年前の我が高校でも夜にチョッとヤバそうなことしてて、生徒部の先生が来て、ぼくの友人が「先生ここでもし何かあったら先生責任問われますよー」て言われて、現場立ち去らはったもの。
そりゃあ、問題点無いに越したことないし、何年間かやり過ごせば職場変われるのだし、って体質は今も昔も変わって無いのでしょう。そうそう、今回の報道で初めて知ったけど、教育委員会って結構ええ加減な組織なんですなあ。もっと、しっかりした権威なのかなあ?って思ってた。
で、偉そうにそういう「事なかれ主義」(此れって主義なのか?)批判してるけど、そういう側面あったから僕らみたいな(“ら”で括るのは他の人に失礼やな)『僕』みたいなええ加減分子(こんな言い方しましたよね)が居らせてもらったのもそういう事なかれ体質のお陰でもあるので、そういう部分は感謝感激雨(・3・) アルェー。
変わらないってことは、やっぱりマスがミニに下りて来てないってことかもしれないなあ?って風にも思う。マスコミやらの討論なんかじゃそういう議論やるけど、ミニの井戸端(もはや無いけど)会議やらそういう場所ではあんまり、教育についてとか政治について(野郎同士じゃ性事のことは話してみても)話したりはしないし。
でも、変わらない、変われないってことが全て悪いことか?って言えばそんなこともないとも思える。
かつて「世間体」と言われてたことが、今も表現変えて「KY」て為ってるって、僕は思ってるんですけど、そういう集団帰属意識っていうか忠誠心みたいなものが社会の秩序保ってて、安心な日常送れてる、って側面も。
で、何が言いたいのか?て言われるといっつも何が言いたいのかよく分からないまま終わる・・・(;_;)。

大の辺縁系

2013-02-21 08:47:26 | Weblog
ラジオって『大の辺縁系』って思う。

この前昼間つけたNHKAMの高橋源一郎の番組じゃ“態変”のことを話してた。態変て名前シャッフルしたら変態やんっけー!\(◎o◎)/!そうそう、今じゃ普通に使ってる「エッチ」て言葉の語源って「変態の頭文字」なんでしょ?そのラジオじゃ女の人が「態変をどんな風に見たらいいかわからない」って話してて、ぼくも同感した。ラジオで聞くのはいいけど、ちょっとテレビでじゃ困ってしまうかも?僕もまたどんな風に見たらいいか分からない一人です。

それにきっとその人もテレビじゃ「どんな風に見たらいいか分からない」みたいなコメントはしないん違うかなあ?そんな緩いコメントはね。

その緩さの正体を考えるに、それは認識的な"のりしろ”っていうか、グラデーションって言うか、染色技法的表現使えば“アシ”?刷毛目っていうか、水彩画で言えば水垂らしてボカすみたいなね・・・そんな。油絵と水彩ってその辺が決定的に違いますな。

その人のコアな部分なのだけれども言葉にはし辛いみたいなところが本当は共有出来る部分なのだろうと思うのですが。

テレビっていうのはマスメディアなのでとても大きい場に向かって発する。故に「確実」で「絶対的」「普遍的」「不変的」で、それはブレない固い。また、そうでなくてはいけないモノなのでしょう。クレーム付けられることも多いだろうし。

クレームというのも不思議なもの。だってきっとクレーム付けたがる人間ってひと握り(きっと僕なんかもクレーマー的要素ある思います)で、そのひと握りのチイサナモノにオオキナモノが突き動かされている。

けど、これにはこういう考え方も出来る。

沢山の人が同じようなことを思ってるけれども、わざわざ云って来る人は少ないのだから、そういう意見に耳を傾けるべき、って風にも。

こういうのって年寄りの投票率問題にも似てるなあ・・・。

脱線しましたが、ラジオも勿論マスメディアなんですけど、聴取人口はきっとテレビに比べりゃ遥かに少ないと思われるのでそういう辺縁系発言が聞けるのでしょうね~。

秘め始め

2013-01-03 05:22:48 | Weblog
「姫始め」を変換しようとしたら「秘め」って出た。そっかあ、姫は秘め事のことなんやー!そういえば漢字って、ひらがなよか固い感じする。いやもしかしたら、“感じ”そのものを拒む感じ。漢字のクセにー!「のび太のクセに!」も、「反対の賛成」に並ぶ名言やな。漢字って平面なのに立体。今様に言えば3D横に立ったらバリアー高くて要塞化してる。意味の壁が高くてそびえ立ってる。そそり立ってる。「夫ピーン!」あれって、夫って意味やおもてたけどオットセイの意味らしい。それともバイリンガル?ダブルミーニング?両性具有?それにくらべてひらがなはひらがなだけにひらべったい。まあ、生き物に例えて云えば蛭(ひる)?あるいは“何とかメリア?”切っても切っても再生するっていう生き物。そういや昔、子供に付き合って取りに行きましたな。(この場合は採るかな?いややっぱり取るでいい?)ことほど左様に、漢字って意味に引っ張られるもの。ということは、境界線がはっきりしてるだけに混乱を避けられる。でも、が故に、垣根を越えて思考するを妨げるとも言え。子供は大人じゃないって言うけど、どっかで蛹に為って蝶に為るみたいに変態メタモルフォーゼ出来るワケじゃない。コンピュータみたく初期化出来る装置あるわけでもない。総ての若き野郎どもが総ての老いさらばえた野郎どもに徐々になるわけで、ある意味子供の成れの果てであり、どこかを削って何かを足しての繰り返しで、それは余分を削ぎ落として必要な養分を獲得したように見えて、実はその削ぎ落としたものの中に大事なsomethingがあっても不純な大人の濁ったナマコでは見えなく為ってる盲(めくら←敢えてこういう言い方しますけど)に為ってる。脱線しますけど、メクラって云う言い方、最近は目の不自由なって言い方しますよね?あれて、非常に広義な言い方で、不自由っていうのは、少し見えないから全く見えないまで含む訳ですわ。厳密に云えばね。だけどみんな「不自由な」って云えば「ああ、見えないのね」って暗黙の了解してる。これって意味の丸投げ、そう流行りの「自己責任」ってヤツで、発言者は責任回避出来てるって訳さ。こういうの皆平気で「これぞ人に優しい政治」なーんて思ってるけど、これほどの責任回避は無い。もっと偏見持って決めつければ、これほどのエッゲツナーい差別意識も無い。だっていいかい?(なぜかここで標準語←これも上からな言い方やな)「不自由な」って聞いただけなのに僕ら「ああ、見えない人のことね」って頭の中で脳内物質ガガッテンガッテンガッテンしてるんですからね~。之をぼくは日本語で遊ぼう見ながら書いてて、この番組には沖縄民謡の人もアイヌの人も出てて、ああ狂言師も出てて皆が混在して楽しくトランスナショナルしてた。吉田秀和はクラシック音楽を絵画を素材に言葉で表現してた。それと、あの人のエライのは(声は聞き取りにくいけど)それまで評価されなかった人を独自の視点で再評価したこと・・・らしい(受け売りなので)。つまり、ある事柄を多面的に見ようとするには、多元的な文脈で(むつかしい言い方つこてるんでまちごうてるかも?←ほれ!こんな風にひらがなで書いたら赦してもらえそうでしょ?)

多面的にひらがなについて考えるってことはもしかしたら、ええ歳こいた大人が子供番組見て涎垂らすことなんかもなあ?って想ふ。

あ!これじゃまるで地方老人ジャンッ(^0^)/

ヨイトマケの唄

2013-01-02 05:56:59 | Weblog
“土方”はもし婉曲な言い方に言い換えるとどうなるのだろう?言葉の言い換えってのは結局、臭いものにフタ的思想をソフトにやってるだけって気がします。言葉は、言葉そのものが問題ではなくて、それを使う側の思想とか立場の方が問題なのであって、そこのところを考えなくするって云う意味では問題多いって気がしますねー。

百姓っていう言い方も、本来は農民って云う言葉より豊かな意味を含んでるそうな。百姓って云う言い方が良くないっていうのは、都会人が田舎人より秀でてるていうふうな、インテリ賞賛、大政翼賛的な考え方が根っこにあるからなのでは無いかなあ?
そういう豊かな言い回しは厄介なので(解釈が多義的に為ってしまうから)農民という階級的な、定義し易い言い方に収斂してしまう。もそっと、耳に優しい言い方で言えば「農家の方」とかそんな言い回し。これって、政治家が「国民の皆様」って選挙演説するのに似てない?

毒蝮三太夫は「ババア」とか「ジジイ」って云う、でもそれは、彼が年寄りに近い位置に居て(年齢って意味じゃなく)親しみを持ってるからこそ使える言葉なのだろうと思う。
ってことは、丁寧な言い回しって、丁寧である分一見心配りしてるように見えて(勿論そういう側面はあるものの)結局、遠いところに居ようととする“心持ち”なのではないかしらん?

なんて、綺麗事書いてるるボクも親の葬式は専門の処にお願いするとは思うんですけどね。

あたしの宝塚

2012-12-28 08:44:11 | Weblog
女装の男人は好きなのよ、アタシ。でもね、どーも男装の麗人ってのには興味湧かないのよね。理由はやっぱり、男はホモには成れても、レズには成れないってことなんかもね。化粧してた美し買った頃のジュリー、マークボラん、デビッドボウイ、村八のチャーボー・・・じゃなくてその取り巻きの化粧してた連中のなかに綺麗な子いた。バイト先で、女の子と思ってたけど実は男の子だったとても気立ての優しかった子、二十歳の時に連れられたゲイバーのウェディングドレスの子。なんかには全然抵抗無かった。でも何故か逆パターンにはそそられないですな。どっちかいうたら、色気あるタイプよかサッパリ系の女の人に惹かれるM系男子(というかオッサン)だからかな?まあ、色気タイプにはサッパリ縁がナイスですがね・・・(´;ω;`)。
ジャズダンスは好き。なんせ、20代前半のときにジャズダンス習いたいと思ったきっかけは、アルビンエイリー舞踊団見に行ったのがきっかけ。その頃の日本のダンスって、今の振り付けとは全然違って、NHKのスクールメイツみたいなところで停まってた。ので、アルビンエイリーは全然目から鱗ボロボロ落ちマクリマクリスチー!
でも、同じダンスでも社交ダンスなんかには全然興味湧かないんですな。あっちの方が女と手繋げてヨシンバむふふ・・・て、そら関係ナウィわね。もてる奴はジャズででももてた筈。そうそう、習い始めに行ってた所は♂ボク一人だったんですけど、その後通ってたところには他に男二人居たけど、皆冴えなかったなあ、無論自分も含めて。それに、女の子も「この子スタイルいいし続けたらいいのにな」て思う子が案外辞めてったりしたのは不思議でしたねー。ま、もしかしたら、もっといいところへ転籍してったりしたのかもしれませんし、わかりませんけどね。
もしかしたら物質はヒッグス粒子の抵抗によって生み出された。ってのに通じる?あ!通じない?ははは(^0^)/h

というわけで、結論を簡単にいえば僕にとっての宝塚は社交ダンスみたいなものなのかもしれませんね。