歯科技工管理学研究

歯科技工管理学研究ブログ
歯科技工士・岩澤 毅

宝田理恵 戦後日本における歯科衛生士の専門職化

2020年02月25日 | 歯学系学会・日本歯科医療管理学会雑誌
The Japanese Society of Health and Medical Sociology

保健医療社 会学論 集  第23 巻 1号 2012

戦後日本における歯科衛生士の専門職化


https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshms/23/1/23_KJ00009470090/_pdf/-char/ja

The Japanese Society of Health and Medical Sociology

保健医療社 会学論 集  第23 巻 1号 2012

原  著 保健医療社 会学論 集  第23 巻 1号 2012
戦後日本における歯科衛生士の専門職化ロ腔医療をめぐる支配管轄権の変容から
       宝月理恵 お茶の水女子大学教育開発センター

      The PrQfessional  Project  of  Dental  Hygienists  in  Postwar Japarl : Transformation  of Jurisdiction  over  Oral  Care among  Hea!th Care Professionals                           Rie  HOGETSU

 本稿の目的は 、戦後日本における歯科衛生士の専門職化運動を 、医療専門職システムにおける専門職プロジェクトとして把握 し、その変容過程と特徴を明らかにすることにある。 歯科衛生士団体の機関誌、歯科学雑誌 、国会会議録、および歯科衛生士を対 象とした インタビュー調査記録の分析から、歯科衛生士と業務の協働・分業を行う歯科医師 、歯科技工士 、( 准)看護婦、歯科助手の支配管轄権をめぐる境界線の変容過程を詳細に検討した 。その結果、専門職間の縦のヒエラルキーのみならず、縦横の競合関係が歯科衛生士の専門職化プロジェクトの方向性を決定するとともに 、国家政策やジェンダー関係といった外的要因が日本における歯科衛生士の専門職化の道程を規定してきたことが明らかになった 。

キーワード :歯科衛 生士 、専門職プロジェクト、支配管轄権 、ロ腔医療 、戦後日本

1 ,研究の背景と目的
 20世紀はヘルスワーカー の種類と量が 飛躍的に拡大した時代であったことが指摘されている〔 1) (Larkin  2003 :531) 。 その結果 、国民への医療規範の啓蒙やケアは複雑に分化したヘルスワーカーによって担われる機会が増し、患者に対する彼らの影響力はかつてないほど増大している。 いまだ現れていない病の発病リスクを低減する生活習慣の形成を目的とする「 新しい公衆衛生 」(Petersen  and Lupton 1996)と呼ばれる概念が誕生し、 広く外延化されるに至っている現代日本社会においては 、ヘルスワーカーの果たす社会的役割がますます重要なものになってきているといってよい 。このような背景から 、ヘルスケアが受け手側 ( 患者 ) に及ぼす影響は 、ヘルスワーカー対 患者の関係性だけではなく、ヘルスワーカー相互の関係性によっても規定されている 。 なぜならヘルスワーカー 間の分業、 すなわち業務の内容や範囲が 、 患者の身体に直接関わってくるからである。 初期の社会学的な専門職研究は、 T.パーソンズ (Parsons 1954)に代表される 「 機能主義的アプローチ 」 、 あるいは E.グ リーン ウッド (Greenwood  1957) らにみられる 「特性アプローチ」 と呼ばれるもので 、近代社会に生まれた専門職の特殊性や、ほかの職業とは本質的に区別される専門職の特徴や組織の発展過程を抽出しようとする試 みであった (Volti  2008 :97−98) 。 しかし1970年代以降は、 これらのアプローチの妥当性が疑問に付され始める。 これは、コントロールの手段としての権力の視点から専門職を問題化するという新しい潮流の台頭を意味していた 。 例えば、 専門職を支配や自律性という観点から定義したE フリードソン (Freidson  l970)や 、 社会的閉鎖概念によって考察した F.パ ー キ ン (Parkin 1979)など 、 1970〜80年代 にかけてのアメリカ社会学において 、新ヴェーバー学派と総称される専門職研究が次々と生み出された 。 1990年代初頭には A .ウィッツによる歴史研究 (Witz  1992) が登場し、 新ヴェーバー学派の専門職研究は男性中心のジェンダー化されたものだとして 、家父長制概念を加えた専門職化理論の再構築が試みられた 。   以上の流れは理論面から見れば機能主義から相互作用論への転換と位置づけられるが 、 それに 対しA .アボット (Abbott 1988)による関係論的な観点を重視した理論が登場する 。 アボットが提唱する専門職システム論は、専門職の発展を分析する には 、 専門職の支配管轄権がほかの専門職との 競合環境においていかに形成されてきたかを 討する必 要

中略


( 3)歯科技工法の制定をめぐっ て一 歯科医師と歯科技工 士 一

  1955年の歯科衛生士法改正と同時期に提案されたのが歯科技工法案である。 近代以前より歯科医師ではない技術者が庶民の口腔治療に従事していたが 、1906 ( 明治 39)年に歯科医師法が制定され 、無免許の技術 者による歯科治療は禁止された。 そのため歯科医師とは区別され る歯科技工士の集団が取り残されたが 、明治末 (1912)年以 来、 技工士は資格の法制化を議 会に請願してきたにもかかわらず、ついに成功しなかった。 その背景には、技工士の業務範囲 が逸脱され歯科医師法違反となる可能性に対して 、歯科医師たちが時には過剰ともいえる警戒 感を抱いていた背景がある 。 この警戒感は 、技工士が実態として男性の職業であったことに由来することは 、 前項の歯科衛生士法改正の経緯からも明らかであろう。 戦後の歯科教育審会 においても法制化の結論をみなかった技工士は 、 1951年に資格獲得促進同盟を結成し、技工士法案を実現するべく歯科医師会、国、 世論に対する働きかけを強めた 。 歯科医師内部でも技工士の必要性を是認する声は高まっており、ようや く国会提出されたのが1955年の歯科技工法案だったのである (13) 。
 法案提出の意図は 、歯科診療に包含される歯科技工の占める割合 が近年ますます増大しているなか 、歯科医師数は歯科医療の需要を満たすのに不 十分である 、 そこで技工士の資格を定めてその資質の向上を図り、業務の運用を規律させ 、 歯科医師の業務を補足させることによって歯科医療の向上に寄与させるというものであった (22一参一社会労en −23− 19550707) 。 法制化当時の歯科医師数は約 2&000名 、技工士は 6,000名と計上されており、歯科医療の供給不足が懸念されるなかで 、技工士はその解決策になりうると 目されたのである (22一参一 社会労働一24−19550711)。
他方で歯科医師を警戒させてきた業務逸脱 ( 支配管轄権の侵害)問題は、 歯科医師の指示のもとに技工業務を行い 、患者には直接接触しないことを明文化することで回避しようとした。 建築の比喩を用いた 「歯科医は設計監督であり、 技工士はその意のまま にこなせる手腕力量を持った技術者である」(14)という序列化は 、 両者の業務の差異や序列を明 確に分離 ・法制 化することで 支配管轄権の境界の侵害を予防するという意図があったことが 明白である 。

( 14) 1951,「座 談 会 歯 科 技 工 士 法 案 を め ぐ っ て 」    『歯界展望』 8 ( 6) :24,


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