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2002年・岩手のサッカー事情

2002年といえばやはり日本・韓国共同開催のワールドカップは外せない。
このとき、日本代表に盛岡出身の小笠原満男が選出された。出番は少なかったが、この活躍がその後岩手のサッカー人に与えた影響は大きかった。

では、県内のサッカーの状況はどうだったか。いくつかオラの気になった出来事を書きたい。

まずはヴィラノーバ盛岡の誕生。と同時に、岩手県サッカー選手権と天皇杯サッカー岩手県大会が一元化された。
その1回戦で見たのはヴィラノーバ盛岡対石鳥谷FCだ。岩手県リーグ同期昇格のチーム同士だが、2002年には1部に盛岡、2部に石鳥谷となった。ヴィラノーバ盛岡は前年まで「バウハウスFC」だったが、バウハウス系の和久石派(太田浩史もいた)がチームを離れて新チームとなった。元ゼブラの新垣一彦、元仙台の中村学の加入でパワーアップし、県リーグ前期首位。
しかし石鳥谷も岩手選抜8強(96年)時のキャプテン近田和也が入った。またここのメンバーは県民体に出てくる選手が主体の上、レベルも高い。
そんな両チームの対戦であるが、試合はヴィラノーバが押す展開に。まずはセンタリングに中村学のところ、スルーしたボールに新垣が合わせて先制。さらに千葉裕矢がPKを決めて2-0とした。
その後もヴィラノーバのほうが試合の主導権を握ったものの、追加点は無く2-0のまま試合は終わった。

そのヴィラノーバと当たる盛岡商業は格下相手に6-0の大勝であったが、盛商の面子もそろっていた気がする。GK小原孝広、DF川島和、MF松田賢太、山本脩斗、FW福士徳文と2000年代の最強メンバーの一角を成していた。
岩手県選手権では盛岡ゼブラが彼らに敗れたりしたし、高校選手権では不来方のFW白澤実に秒殺ゴールを決められた後で逆転を演じたりということで名門復活の一歩を踏み出す年になった。

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和賀仙人
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