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札幌・円山生活日記

トラピスチヌ修道院&トラピスト修道院~函館旅行その2の2~

‎日本有数の観光地「函館」。 幕末・明治期のレトロな建物や洋風建築物が多く残る街並みや箱館戦争の舞台となった五稜郭などの歴史を感じる施設、世界三大夜景に数えられる函館山からの景観など多くの観光名所があります。 この時期は冬の風物詩のイルミネーションで街のあちこちが彩られています。 ‎

‎本日は“2021冬のイルミネーション”めぐりの函館2泊3日旅行の第2回目。 イルミネーションが点灯する夕刻までの時間でこれまで函館旅行で訪問したことのなかった函館市内の「トラピスチヌ修道院」と函館市の西隣・北斗市にある「トラピスト修道院」を訪問しました。 キリストの弟子として「祈りながら働き、働きながら祈る」という毎日を送る修道士達が暮している沈黙と祈りの厳粛な空間です。 併せて「さっぽろ市民カレッジ」の2021年秋の講座「‎‎敗者の明治維新・北海道編~散られざる五稜郭の攻防~‎‎」 受講で存在を知った函館山麓の「碧血碑(へっけつひ)」に足を運びました。 ‎

【天使の聖母トラピスチヌ修道院】

‎日本初の女子修道院「天使の聖母トラピスチヌ修道院」は函館市郊外の小高い丘の上に建っています。 JR函館駅前のバスターミナルと函館空港を結ぶ1時間に1本の「トラピスチヌ・シャトルバス」が修道院前で停まります。‎


‎修道院内は一般立入禁止ですが前庭は開放されています。 フランスから送られた「大天使聖ミカエル像」が出迎えてくれます。 ”正しい人々を救うために悪と戦う大天使長の一人”と聖書に書かれ聖フランシスコ・ザビエルによって「日本の保護者」と定められたそうです。 ‎


‎「大天使聖ミカエル像」の後方に立つ「聖母マリア像」。 トラピスト修道院発祥の地・仏ラ・トラップ修道院のマリー・ベルナルド神父の作品で「慈しみの聖母マリア」とも呼ばれているそうです。

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‎更に進むと階段脇に厳粛な空気を守るべく「これよりご静寂に願います」との注意書きがあります。 ‎


‎「ルルドの洞窟」。 南フランスにあるルルドの洞窟を模して作られたもので同じものが修道院の奥深くにある林の中にもあるそうです。 ‎

‎「ルルドの聖母」。 ‎


‎庭から見た修道院の建物。 中心の円形が聖堂で「聖なる祈りの場」。‎


‎「リジューの聖テレジア」像。 19世紀フランスのカルメル会修道女でカトリック教会の聖人にして33人の教会博士の一人だそうです。‎


‎「聖家族三図」。 左から「マリアへのお告げ」、「イエスの誕生」、 「エジプトへの避難」。‎


修道院内の生活などが紹介されている資料室併設の売店。

‎資料室内の祭壇。 中国・北京にあった慰めの聖母トラピスト修道院から贈られたもので1968年まで当修道院内の聖堂でミサのために使われていたものでだそうです。‎


‎「修道女の1日」。 「祈り、働き、聖なる読書」を日課に、共同生活を送る修道女の1日は午前3時半からはじまり19時45分の就寝までに7回の祈りがささげられるそうです。‎

作業の風景。


売店。

トラピスチヌ修道院といえばクッキーが人気ですが上掲写真の作業で作られた羊毛作品なども販売されていました。

【灯台の聖母トラピスト修道院】

‎「灯台の聖母トラピスト修道院」は北海道函館市の西隣の北斗市当別にあります。 「JR函館駅」から「道南いさりび鉄道」の1両編成の列車で「渡島当別駅」に向かいます。‎

‎50分ほどで「渡島当別駅」に到着。 修道院風の駅舎建物です。‎

駅前の案内図。


左手に海と函館山を見ながら海岸線を歩いていきます。


道路標示等に従って歩いていると「ローマへの道」の表示が。杉とポプラ並木の先に修道院の建物が見えてきます。
1960年(昭和35年)頃に植栽された並木と周辺の緑地は「トラピスト修道院環境緑地保護地区」として守られているそうです。


厳かな雰囲気の先に見える修道院の建物。
同上。

高い塀に囲まれた「灯台の聖母トラピスト修道院」。伝わる雰囲気も男性的で厳しく人を寄せ付けないようすです。
主イエス・キリスト像。

一般人をかたくなに拒むように固く閉ざされた門。この中で修道士たちは沈黙を守りながら神に祈りを捧げ自給自足のために働く「祈り、働け」の生活を送っているそうです。

鉄門の隙間から見た聖堂。全く人の気配がありません。

門の左右両側には小さな資料室があり修道士の生活などが紹介されています。 修道院の奥の山裾には「ルルドの洞窟」などいくつかの見所もあるそうですが帰りの列車の予定もあり奥までは行けそうもありません。

資料室内部。世界160ほどシトー会の修道院の中で唯一外部の見学者を受け入れている修道院だと書かれていました。ガイドブックなどにも‎事前に往復はがきで予約すれば男性に限り週1回限定で内部も見学することができると書いていますが詳細は不明です。


‎「トラピストの1日の生活」。こちらも午前3時半起床、20時就寝で祈りと作業と黙想の1日です。

売店。
売店内部。漸く人を見かけました。
有名なトラピスト・バター。無添加ジャムも修道院製だそうです。


こちらも人気のソフトクリーム。1個400円。販売はクリスマスイブまで。
トラピストバター使用の濃厚な味です。スプーンの代わりにクッキーが付いています。


「カトリック当別リタ教会」。フランスで中世に制作された十二使徒の貴重なステンドグラスがあるそうで毎日曜日午前 8:45 からミサが行われています。

【碧血碑】

「函館八幡宮」の第一鳥居。箱館戦争における旧幕府軍の戦死者の慰霊碑「碧血碑」は「市電谷地頭駅」を下車し函館のパワースポット「函館八幡宮」の社殿奥にあります。
第二鳥居。立派な神社です。
そして第三鳥居。奥の拝殿を更に左方向へ歩いていきます。

案内表示です。
少し登ったところに碑がありました。

「碧血碑(へっけつひ)」。明治8年(1875年)5月に建立された戊辰戦争、特に箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っているとか。碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」との中国故事によるものだそうです。 

“碧血碑の裏側には「明治辰巳實有此事 立石山上㕥表厥志」との文字が刻まれている。これは、「明治辰巳、実に此の事有り、石を山上に立てて以て厥(そ)の志を表す」と読み、「明治2年、此の事は実際にありました。山上に石を建ててその気持ちを表します」という意味である。明治2年(1869年)は箱館戦争で五稜郭の旧幕府軍が降伏し、戊辰戦争が終結した年であるが、建立当時(明治8年)でもそうした経緯に具体的に触れることがはばかられていたことが推測される表現となっている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』”。ちょっと感動します。

柳川熊吉氏の碑。戊辰戦争終戦後、新政府軍は旧幕府軍戦死者の埋葬を許さず遺体は市内に捨て置かれたとか。それに異を唱えた侠客の柳川熊吉氏が打ち首を覚悟しながら住職らの協力を得て遺体を回収し葬ったそうです。

以上で今回の旅行記は終了です。(函館旅行その2の3)第1日目の食事編に続きます。

‎「当別トラピスト修道院」‎
‎住所:北海道北斗市三ツ石392‎
https://www.trappist.or.jp/#

「天使の聖母トラピスチヌ修道院」‎
‎住所:北海道函館市上湯川町346‎
‎電話番号:0138-57-2839‎
http://www.ocso-tenshien.jp/lifestyle/

「碧血碑」
住所:函館市谷地頭町1
函館市観光案内所 0138-23-5440

(2021.12.7・8・9訪問)

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