一粒のからし種

地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長して~葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。マルコ4:32

「弱さに受け入れられる」

2018-10-08 | イエス・キリスト
 よく「弱い自分を受け入れる」ということ、聞きます。

 しかし1年前からでしょうか。私の心にくっついて離れないテーマ。それは、「弱さに受け入れられる」ということです。

 今日は、今年初めて、祝日に休みをとり、娘と歩きました。娘の行きたいところに行きました。映画「夏目友人帳」を共に観ました。娘に少し憧れながら、娘の感心に自分を寄せていく時、小さき者は、私を受け入れてくれました。。

 障がいをもつ方や、お母様と、命運を共にする。そんな気持ちで働いてきました。まだまだ、ムクムク。私の傲慢が起き上がる。それでは、誰がそんな者を受け入れ、愛してくれるだろうか。私が本当に望むのは、本当に、対等に、対等に、なること。「この人、仲間だ」と受け入れてもらえたら。。

 今日、帰りに娘と、立ち食い蕎麦を食べました。上品な老夫婦が、若者の間に混ざり、食べていました。娘は恥ずかしがったけれど、背中を押すと入れました。立ち食い蕎麦屋さんに入れてもらえるためには、自分が入ろうと決めればいいだけだね。

 「お金がない経験をした方がいい」とは、上司の口ぐせ。お金がないと、物を大切にする、知恵をしぼるようになる、物を分け合う、気を遣い合うことを学ぶって・・・。うちの事業所では、水曜日だけ、みんなでテーブルを囲み、弁当を食べる。まかないがあれば、大皿にのせる。わざとのせる。足りないものを、足らすように、みんなで考えながら食べる。

 「弱さに受け入れられる」ことは、難しい? 簡単? いいえ。そうしたいのか、どうなのか、だ。。私は? 私は、弱さに受け入れられたい。イエス・キリストに受け入れてもらえることに似ている気がして。。そう考えて、自分と格闘・・・な日々。

 


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