一粒のからし種

地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長して~葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。マルコ4:32

釈放!

2006-09-29 | 平和
 先日の平良先生、釈放されたそうです。「基地を作ると」→「そこから飛行機が飛んでいって」→「誰かを殺してしまう」→「それはいけないこと」、という意識が、コメントから伝わってきました。イマジネーションを働かせればすぐに考え付くことですが、できるだけ考えないようにしている……私達ではないでしょうか。平良先生のことを知って、自分が問いかけられるような気がします。

 携帯の方のために:http://henokotokyo.blog15.fc2.com/blog-entry-221.html#more

「協働」

2006-09-28 | 福祉の学び
「そんなに時間は取らせないわ。」
との電話を受けた。

 慌てて布団を取り込んで、緑茶の用意。チカザワレースな気分なのでテーブルにかける。靴は干したままでもいいか……。窓を開けて空気の入れ替え。
「こっちが玄関?」
「あ、こっちです~。狭いですよ。入ったと思ったらもう出口です(笑)。」

 思いがけず、福祉について語り、聞く時間が与えられる。
「老人福祉、障碍者福祉、どちらに関心があるかなと思って……」
と彼女。この町ですぐに頭に浮かぶのは高齢者福祉だった。でも。

私は言った。
「正直、入り口がわからないんです。福祉士になったとして、私は未経験。登録してから、あとは神様が与えてくださるって信じているところです。まだずっと先ですが(^^ゞ」

 でもお話を聞いていて、ちょっと閃くものがあった。今、何でも自立自立と言われて、行政が手を放そうとしている障碍者の方達への福祉。実際、じゃあ自立しようにも就労機会もほとんど無くて、本当に苦労されている方達は途方に暮れている……ということを。私がいつか関わらせて頂ける方向が少し見えるような気が……。
 現場のお話を私に思い立って伝えてくださるとは……嬉しい午後の1時間余でした。

 ちょっと前に本で学んだこと。福祉の仕事をなす上では、玄人も素人も互いに「協働」するパートナーであること。今日はその言葉を思い出した。種を見て、種として軽んじず、またただの石だと決めつけられず、茎や葉があるつもりで話しかけてくださる人がいるんだ。。。良い指導を受けた、と思った。
 
 「協働」、すごく好きな言葉。コラボ、コラボレーション、などとも言える。パッチワークの布地みたいに、小さな切れ端にでも、またどんな色や柄のモノでも、欠かせない存在として組み合わさって……。(ってパッチワーク、できませんケド。m(__)m)

バザーのポスター・完成

2006-09-28 | 交わり
 バザーのポスターが完成した。と言っても、ここでは照れるので画像は無しです(^^ゞ 昨日、まだ雨水を含んだ空が夕方のオレンジ色になる頃、Fさんが手伝いに来てくれた。
 
 今日からFさんは旅に出たはず。
「akiさん、旅行先で教会、どうやって見つけたんですか?」
と聞かれる。
「あ、友だちの行っている教会に一緒に行ったんだ。でも、タウンページ見ればすぐわかるよ。」
「あ、そっか。」(注・タウンページの“まわし者”ではありません

 行ってらっしゃい!

 バザーは11月3日(金・休)に開かれます。15年ぶりぐらい?のバザーになるそう。収益の一部は高齢者の施設等へと寄付されます。皆様、未使用の物、新しい物、「……ええい、バザーにどうぞっ!」と惜しい気持ちが出ちゃうほどの物も大歓迎(笑)。もし良かったら、お声をおかけください。取りに行ける範囲で取りに伺います。お祈りも感謝致します!

 


いろんなからし種

2006-09-27 | 平和
 この間の防災訓練で小学校の校庭に迷彩色の大きなトラックが来て、無言の隊員たちが炊き出しをしているのを見た。連絡には、そんな隊員たちが来るとは知らされていなかった。校庭は市の避難訓練会場になる、とだけ書かれていた。子ども達は、何か感じ取ってわかるのかな? 「こわい。ミサイル撃たれるぞ~!」と小声でふざけながら通り過ぎていった……。町の人達は、積極的に訓練に参加している。何の疑問もないのかな。って、私もただこの日は横を通り過ぎただけ……。

 先日、運動会のプログラムを子どもが持ち帰った。5,6年生が教師に指導されて計画したのだろう、かわいい印刷物だった。
「あれ? 私の頃にはあったかな、こんなプログラム。」
 開会の言葉の後に、そっと“2.国旗の掲揚”なんて入ってる。おまけに閉会式の後、“国旗の降納”。つい最近、国旗に向かって起立・国歌斉唱の強制は違憲、という判決が東京都の例で出たばかり。子どもの手書きのプログラムは、子ども達が決めたのですよ、とでも言いたげだ。「教育」の中に最近、嫌な感じの「何か」が見え隠れしている。いや、隠れなくなってきている。

 新しい総理になる人が、「教育基本法」を変えることにまず着手する、と言っているそう。教育基本法の「改正」の問題点って?、 「改正」されるとこんなことに ということ知るとき、私はとても賛成できません。現在の教育基本法の10条では、不当な支配を禁じています。(教育基本法はたった11条の短い条文です。全文を一度、読んでおきたいと思います。)

 子どもたちに、春、国から配られた「心のノート」という本。イラストいっぱい、心理学者を使って受容と共感に満ちた言葉を駆使したあの本。私は時々、
「道徳ではどんなことを教わって帰ってくるの?」
と聞くようにしています。一応、今の親たちの目は別の意味で神経質なので(笑)、各教科、どんな内容があるのか、あらかじめプリントされておりつかみやすい昨今。でも、この「心のノート」の主題には気をつけないといけないと感じます。「教科書じゃない」という名目で、教科書検定も無い、微妙な本です。やっぱり! 参考ブログ:子どもと法21/心のノート


 最後に、もう一つ。沖縄の辺野古の美しい海を埋め立てて基地を移転する計画に(もちろん非暴力で)反対していた牧師、平良夏芽さんという方が9月25日、逮捕されたそうです。キャンプ・シュワブという基地を視察しようとした教育委員会の車に、基地の門付近で右手を轢かれ、その上、公務執行妨害として……。このムーブメントの中で、初めての逮捕者だそうです。平和国家ですから、こういうことはいけません。権力が個人の自由(しかも公共の福祉に反していないものを)を言いがかりで奪うことは、危険な兆しです。不当な逮捕に対して、釈放、を求めたいです。参考ブログ:牧師のひとり言

 

 

大反省

2006-09-22 | 福祉の学び
 この1ヶ月、ねじりはちまき度数が低かった気がします。福祉の学びが後退していました。今日は現場の方々をちらっっっと垣間見て、ただただため息でした。机上の空論すら忘れてしまいそうだったこと……その現実に途方にくれますが、このことをきっかけに1ミリずつ進んでゆこうと思います。

 何かの役に立とうと思うのは10年早い……! そのことがわかっただけでも見つけ物でありました。知らなくてはならないことが、山のようにあるんだな……とひしひしと感じます。高くそびえる山を見上げるような気持ち。大反省。。。

 でも、これを「収穫」としましょうっ。

『沈黙』

2006-09-20 | 
 9月の1週に洗礼を受けられたSさんが夏に貸してくださった本が『沈黙』でした。遠藤周作さんの本。(実は初めて読みました(^^ゞ)

 その中に、弱くて、どこかずるそうな怯えた目でいてへらへらと笑っている男「キチジロー」が出てきます。泥と垢にまみれた細い体。踏絵を踏むことを強要されれば怖くてすぐに「転んで(棄教して)」しまう男。役人に利用されて宣教師の居場所を密告し、お金を受け取ってしまう男。船を漕ぎ、貧しく、独りぼっちだった男。
「それは俺だと思えてならなかった」。
Sさんは言いました。その言葉を重低音に聞きながら、静かに読み終えたのは『沈黙』の舞台だった九州を出た船の中ででした。

 キチジローの弱さと悲しさ。Sさんはキチジローに自分を重ねて、洗礼の恵みにあずかりました。滴礼(しずくを頭にかける洗礼)の瞬間、ぴったりと合掌してうずくまったSさんの後ろ姿……『沈黙』とともに、私にとって忘れ得ない洗礼式となりました。

「どうかわたしの保証人となってください。」(イザヤ38章14節)
 Sさんを思うとき、私の中にずっとかけめぐっていた聖書箇所です。神様は保証人として立たれ、わが子を見つけ出すのだと思いました。「独りぼっちじゃないよ。」という声を聞いたのは私だけでしょうか。。。

 7月後半、嬉しくてならない日についてちょこっと書いたけれど、それはSさんのことでした。物静かで、遊び心もあって、誠意あふれるSさん。にっこり笑って、「バザーのお手伝い、やろうか?」と言ってくれる素敵なSさんの洗礼日のことを、ここに書いておきたかった……のです。

オミナエシ

2006-09-11 | Weblog
 オミナエシをおととい植えました。いつか群生しますように^^
 ところで、これは種で増えるのでしょうか? そんなこともわからずに行き当たりばったり(^^ゞ(「秋の七草」だそうで……)。「春の七草」と違って食べられません(笑)。来年、これが咲いたら、「秋だな~」と思ってみたい。さて、どうなることやら。。。

H姉からの2つの詩

2006-09-06 | 
 先々週、牧師先生ご不在の時に、H姉が講壇に立たれ、お話をしてくださいました。H姉は「手をつなぐ育成会」で大きな役割を果たしておられる方。私と同じ年頃のHちゃんと共に、喜び、悩みながら歩まれてきた方です。「手をつなぐ育成会」は、知的障害を持つ方の親の会です。

 待望の女の子を得て、喜び輝く時、そしてダウン症と知り苦悩する様子。そこから再起し、かけがえのない娘をしっかりと応援してきたH姉のお話に胸を打たれたのは2週間前の礼拝のことでした。帰り際、私が福祉に関心を寄せているのを知っておられたからでしょう、『H、二十歳』という記念誌を鞄から取り出し、お貸しくださいました。
 礼拝メッセージの中で語った2つの詩。そして、いとおしみながら振り返る二十歳までの歩みの中にあった、母親としての奔走の日々(……当時は今とは違い、すべてがゼロからの出発でした)。その小冊子にはしかし、不思議な温かい出会いに満たされた素晴らしい折々の思い出が詰まっていました。愛児園、小学校の先生が書き残していたHちゃんへの言葉には、胸にしみる深い愛、心からの言葉があふれていました。
 門を叩いて開かれた小・中学校。この当たり前の教育を受けるためにはらったH姉の努力を思いました(今在る権利はこの時代の格闘の賜物でしょう。そしてまだまだもっと、、、)。出会わされる方達の素晴らしかったこと。支え手となったお母様、親友、同じ悩みを抱えていた仲間。本当に、それは深い恵みであったことと思います。
 ここまでの深みや痛みを、共有させてくださったH姉に感謝しています。2つの詩はとても重く痛みを湛え、しかし、希望に包まれていて、すべての人に何か大切なことを教えてくれるような気がしてなりません。
 

 「障害を持つ子とともに」 
          作者不詳 (H姉の直筆より転写)

 主よ
 わが子の生まれた 喜びの日を
 おそるべき
 わが家の呪いの日と
 うけとめたときは
 いつの日であったか
 幼子の
 つぶらなひとみ
 愛らしき手に
 くちづけして
 一日一日と
 成長の日を胸ふくらませて待った
 若い日の私たち夫婦でした
 あのおそるべき 宣告の日 
 いとし子が その一生を
 障害の重荷を負いつつ
 生きねばならぬと語る 医師の言葉を
 じっと 唇をかみしめて聞いた
 あの日を 忘れられない
 しかし 主よ
 いま 私たちは
 この障害のいとし子によって
 どんなに大きな 生きることの喜びと
 慰めを教えられたことか 
 悲しみと たえがたい苦悩の涙をふいて
 この神より さずかりし子とともに
 主のみもとにまで 歩ませてください



 「天国の特別な子ども」 
          Edna Massimilla -大江祐子訳-

 会議が 開かれました。
 地球から はるか遠くで
 「また、次の赤ちゃん 誕生の時間ですよ。」
 天においでになる 神様に向かって 天使たちは言いました。
 この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情を必要とするでしょう。
 この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。
 そうして この子は下界で会う人々に
 特に気をつけてもらわなければならないでしょう。
 もしかして この子は 走らず 笑わず 遊ばないかもしれません。
 この子の思うことは 誰にも わかってもらえないかもしれません。
 何をやっても うまくいかないかもしれません。
 ですから 私たちは この子が どこに生まれるか
 注意深く 選ばなければなりません。
 この子の生涯が 満足すべきものであってほしいのです。
 どうぞ 神様 この子のために こんな両親をさがしてあげてください。
 神様のために 特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
 その二人は すぐには気がつかないかもしれません。
 彼等二人が 自分たちに求められている特別の役割を。
 けれども 天から授けられた この子によって
 ますます強い信仰を より豊かな愛を いただくようになります。
 やがて二人は 自分たちに与えられた特別の
 神の思し召しを さとるようになるでしょう。
 神からおくられた この子を育てることによって。
 二人の 柔和で おだやかな とうとい授かりものこそ
 天から授かった たいへん 特別な子どもなのです。

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  Heaven’s Very Special Child
              Edna Massimilla

 A meeting was held quite far from earth.
 “It’s time again for another birth”,
 Said the Angels to the Lord above,
 “This Special Child will need much love
 His progress may seem very slow,
 Accomplishment he may not show;
 And he’ll require extra care
 From the folks he meets down there.
 He may not run or laugh or play,
 His thoughts may seem quite far away.
 In many ways he won’t adapt,
 And he’ll be known as handicapped.
 So let’s be careful where he’s sent;
 We want his life to be content,
 Please, Lord, find the Parents who
 Will do a special job for You.
 They will not realize right away
 The leading role they’re asked to play.
 But with this child sent from above
 Comes stronger faith and richer love.
 And soon they’ll know the privilege given
 In caring for the gift from Heaven.
 Their precious charge, so meek and mild
 Is Heaven’s Very Special Child”.

 


 

旧約聖書 詩編139編

2006-09-05 | 恵み
 主よ、
 あなたはわたしを究め
 わたしを知っておられる。
 座るのも立つのも知り
 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
 歩くのも伏すのも見分け 
 わたしの道にことごとく通じておられる。
 わたしの舌がまだひと言も語らぬ先に
 主よ、あなたはすべてを知っておられる。
 前からも後ろからもわたしを囲み
 御手をわたしの上に置いてくださる。
 その驚くべき知識はわたしは超え
 あまりにも高くて到達できない。

 どこに行けば 
   あなたの霊から離れることができよう。
 どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
 陰府に身を横たえようとも
   見よ、あなたはそこにいます。
 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
 あなたはそこにもいまし
 御手をもってわたしを導き
 右の御手をもってわたしをとらえてくださる。

 わたしは言う。 
 「闇の中でも主は私を見ておられる。
  夜も光が私を照らし出す。」
 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。
 夜も昼も共に光を放ち
 闇も、光も、変わるところがない。

 あなたは、わたしの内臓を造り
 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
 わたしはあなたに感謝をささげる。
 わたしは恐ろしい力によって
   驚くべきものに造り上げられている。
 御業がどんなに驚くべきものか
   わたしの魂はよく知っている。
 秘められたところでわたしは造られ
 深い地の底で織りなされた。
 あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
 わたしの日々はあなたの書に記されている
 まだその一日も造られないうちから。
 あなたの御計らいは
   わたしにとっていかに貴いことか。
 神よ、いかにそれは数多いことか。
 数えようとしても、砂の粒より多く
 その果てを極めたと思っても
   わたしはなお、あなたの中にいる。

 (旧約聖書 詩編139編1節~18節)


 共に、恵みの数を数えていこう。
 幼子が母のもとに沈黙するようにゆだねて。
 

カボチャを煮る

2006-09-02 | 
 九州に行ってから前よりぐぐぐんとカボチャが好きになって帰ってきた。期せずして戴いた九州のカボチャ。私が煮るときっと私の味になってしまうだろうと悲しみながらも、あの味を再現とばかりに濃い目の煮汁で挑戦。いつもヘンに出汁を入れてまずくしている感があったので、砂糖としょう油だけでいってみた。
 あれ?おかしい。おいしくできている。「熊吉じいちゃん」が丹念に作ったというこのかぼちゃは、やっぱり違うんだなぁ……。水っぽくなく、でも喉に詰まりそうな感じでもなく、適度なしっとり感があって、うまく言えないがコクのあるチーズケーキみたいな……。
 奇しくも明日、九州ご出身のSさんが洗礼を受けることになっています。このカボチャもまだ半分ある。煮て持っていきましょう。。。

副産物

2006-09-02 | 
 シゴトがら子どもと縁があります。電話で週1回お話しするKちゃんちでは、揚げ物をした後に残ったパン粉や小麦粉などを合わせて砂糖を入れてお菓子を作るんだよ、とのことで、「じゃ、今度やってみるね」と伝えてありました。
 いつも丁度良く使い切れなかった粉たちに、行き場が決まるのは幸い……どれどれ、とサトウを入れてみる。形はどうでもいいね、と揚げてみた。「熱いうちに食べるのがいい」と言われていたので食べてみた。ふむ。おいしい。沖縄のサータアンダギーのような味。ドーナツではなくて、サータアンダギー。でもどうしてこの違いが生まれるのかよくわからないけれど。多分、おばちゃんの味。わざわざ材料をそろえたりしないで、即興で生まれたおもしろい味。