30年もすれば「過去のこと」になるし世代が代わればさらにリアリティはなくなる。問題はなぜそのような認識が生まれたかは忘れられても「あそこらへんはヤバイらしいよ、これはほんと、だってむかしっからそうだもん」みたいな認識だけが残る場合。だからいま、デマはデマだと指摘されなければならん
パソナのまっちートークショー。大手町本社で働く友人に、ダメ元で席増設しないか等インサイダー情報入手しようと聞いてみたが、どうやらなさそうですorz普段は満席になることすら滅多にないのに、今回は何と1時間足らずで満席(゜Д゜)!異例中の異例だとか。まっちーの訴求力に驚愕してます。
【雲田はるこ先生の「昭和元禄落語心中」講談社漫画賞受賞!】うれしくてPOPな気持ちでPOP作りました。書店員の皆様、新刊6巻の発売は8月を予定しておりますが、初夏も攻め時売り時でございます。どうぞご注目ください。 pic.twitter.com/IqKoFcoZ6a
書籍や雑誌には「複写複製の禁止」が注意として書かれていて「著作権法違反になります」とまで書いてあるのに、写真撮ってUPしたり文章丸写ししてる人は何なんだろうなぁと毎回思います。RTが欲しいだけ、パクツイと一緒ですかね。
駅前で男女が揉めてて、女が泣きながらが『違うの!』を連呼してるから「ああ、違くないんだな」と思って見てたら
男『お前はホモの男と付き合いたいんだろ!?』
女『違う!』
男『だってお前の本棚ホモの本ばっかりじゃん!ああいう男が好きなんだろ?』
女『違うの!!』
ほんとに違ってた
「実録!!駅前で暴かれた腐女子の業・男子肌色成分満載の薄い本・その時彼氏は…!」のツイートに沢山のリプありがとうございました。一件ずつ返せず申し訳ありません。面倒で死にそうなんです。
あと、
男『髪が緑で眼鏡の男が裸にされてる本ばっかじゃん!』
と聞こえたので、おそらく高緑です
今のRTで、「萌えの概念がない人間の一部にとっては、好き=付き合いたいでしかない」という事実に気づいて、「な、なるほどー! アイドルとは付き合えないのよ、とかわけのわからんこと言ってくる人はこれか、これかー!」とめちゃくちゃ腑に落ちた顔してる
初めてディベートをやったとき、一番面白かったのは、自分の意見に関わらず強制的に立場を決められるという事。例えば原発反対の人が、原発推進派にまわらされたり、核武装反対の方が、核兵器保有を擁護させられたりする。
実際に仮の立場に立つと見えてくるものがある。一生懸命相手の隙間をつこうとするので、なるほどこういう風に相手からは見えているのかや、また自分が考えていたロジックのほころびも見えてくる。ディベートが強い人はどの立場で強いらしい。
この仮の立場に立つという練習が実は日本では少ないのではないかと思う。例えば本当に原発はよくないのか考えてみませんかというと、すぐ推進派に割り振られてしまう。一旦落ち着いて反対から考えてみましょう、が許されない。
僕はこれを邪魔しているのが、自分の意見と自分は一体であり、また常に正しい答えを求められる道徳的な教えられ方から来ているのではないかと思っている。例えば道徳的でない仮の状況にとりあえず立ってみる事ができない。受け入れられない。
ある種議論は娯楽のような所があって、仮の設定でどんな事ができ得るかを考える思考パズルのようなものだと思う。記者会見でどう切り抜けるか。三億円を持ってどう逃げ切るか。考えまで道徳的な人は、不道徳な人を相手にしたとき勝てない。相手の理屈がわからないから手が打てない。
【終わり】僕は着想が面白い人は、考えている瞬間に善悪が無いと思っている。だからたがを外して考えられる。道徳的な人は、道徳的な考えをするのではなくて、道徳的な行動をする人なんだと私は思う。
ジャニオタでもアニオタでもなんでもいいんだけどさ、「かわいい!かっこいい!」って騒いでるうちはいいのよ、ただね、地に膝をつき顔面を両手でおおって絞り出すように「尊い…」って涙をほろほろと流しはじめたらもう元には戻れない
「あんたの好きなカップリングって無理あるよ!全然接点ないし!」って言われるとまあ大体納得するんだけど、「空にある星テキトーに結んで『あれは乙女の姿だね!おとめ座だ!』ってのが許されているのに何で」って思うことは多々ある
姉にプルシェンコの豪邸の映像を見せられたのだが、1200平米あろうとチベタン・マスティフが三匹いようと「プルシェンコが人類に為した功績を考えると当然だよな」ってなって全く嫉妬がわいてこなかった。むしろプルシェンコがあれより質素な家に住んでいたら、逆にどうしようかなって思ったわー。