日本舞踊 大好き

日本舞踊、歌舞伎の鑑賞記録、日々のこと。

都おどり

2009-05-09 | 日本舞踊
4月、祇園甲部歌舞練場にて、都おどり。

初めて観ました。
都おどりは、毎年春に開催される、祇園甲部の舞妓さん芸妓さんの舞の会です。

数日前に、香川 「こんぴら歌舞伎」を観て、
そちらは、役者も裏方さんも地方さんもみんな男。

こちらはみな女。

やはり、性別は関係あるのか、私は女なので、歌舞伎の方が観ていてどきどき感はあります。

舞妓さん達は、しっかり踊りをお稽古していると感じられ、特に群舞は、ぴったりと揃っていました。踊りの流派のお師匠さんがすぐ近くにいらっしゃるのが分かる踊り、でした。

都おどりの舞妓さん達の踊りは、自分が日本舞踊を習い始めたばかりのとき、
食べるより、寝るより、毎日お稽古していたい、楽しくて仕方ない、
そんな20歳過ぎのことを思い出すのです。


置いてある、置いてきた、大切なものが思い起こされます。




鴨川をどり

2008-05-10 | 日本舞踊
5月10日
鴨川をどり

京都 先斗町歌舞練場にて。

演目は、芸妓さんによるお芝居と、踊り、舞妓さんの踊り、最後に、総見で全員の踊り、て感じでした(ざっくりの説明ですみません)

お芝居は・・・、「芸妓さんに芝居は無理だろう・・・」と正直思いました。
各地に子供歌舞伎、とか女歌舞伎とか、地方で年に一度、歌舞伎やお芝居を地元の方がするようなお祭りがあると思いますが、そういう感じでした。
芸妓さんは舞台でのお芝居の研鑽を積んでいるわけではないと思うので、当然と言えば当然だと思います。

舞妓さんの踊りは、舞妓ちゃんて、基本に忠実に丁寧に、初々しいのが舞妓さんの踊りのよさかなぁと私は思うのですが、
どうも舞妓さんらしくないように見える方もいました。

芸妓さんは・・、踊りがお上手とは、思わなかったです。
お金を払って入場したので、率直な感想を書きます。

最後の総見、
舞妓さんは舞妓さん、芸妓さんは芸妓さん、でお揃いの衣装でした。
「鴨川をどり」のポスターでは、舞妓さんが色とりどりのお着物で写っているのですが、舞台本番用は違うらしく、統一の衣装でした。
これが華やかさがない。

舞妓ちゃんや芸妓さんのお座敷用の着物は舞台用ではないですし、
舞台で使用して傷んだら大変だと思うので、舞台用の統一した衣裳で出演することは仕方ないのかなぁとは思いますが、
なんか、どの衣装もあと一歩のところで予算を削ったというような、なんとも華やかさが感じられない。

舞台って夢を見たくて観にいくものなのですが・・・。

この日のために稽古したという、こう心が浮き立つような感じもあまり感じなかったです。

2000円の一般席と3800円の特別席とあって、見やすい席ということで特別席にしたのですが、一般席でよかった、と思ってしまいました。

花道のすっぽんのすぐ脇の席にいたのですが、すっぽんからせり上がってくるたびにほこりっぽかった。掃除してほしい・・。


なんだか、「ほんものが観たい!!!」とすごく思ってしまいました。
舞台とお座敷芸とは違うのかもしれません。では、芸妓さんの「芸」って?と考えさせられました。


歌舞伎座に歌舞伎を観にいきたい、と思いました。
ながいこと歌舞伎を観ていないので、1年は観ていないので、観たいです。


プロということ

2008-03-29 | 日本舞踊
もう去年の2007年の 年末のことですが、
NHKの番組「トップランナー」の特別番組に、
バレエダンサーの熊川哲也さんが出ていました。

日本バレエ界や、プロのバレエダンサーについて話をしていて、
それを聞いて、日本舞踊での「プロの舞踊家」について考えました。


彼は昨年2007年に大きな怪我をしたそうで、
Kバレエカンパニーでは、彼の怪我以後は、代役が努めたそうです。

熊川さんが出るとなれば、必ずチケットは売れる、
しかし、他のダンサーのみだったら興行は成立するのか?後進を育てることが課題、と
言っていました。

強気な感じとやんちゃな感じが変わっていなかったので、よかった!さすが、と思いました。

私は彼と同年代なので、同年代の方が、肉体を酷使する場で現役でいることは、
日常生活においてもなんだか光です、希望です。


熊川さんが、「日本のバレエ界でも、プロのダンサーへのpaymentや、ダンサーの控え室、レッスンスタジオ、そういうものがプロにはこれぐらいのものが与えられて当たり前なんだ、という意識が若い人についてきた、日本バレエ界が変わってきたと思う」というような旨のことを言っていました。

そう、内輪でおさらい会しているのではなく、プロとしていかに観客を楽しませるか、夢を与えるか、そのことを第一に実現する、そのことに身体をはって命をかけている、だから、堂々と対価を受け取って、舞台に立つことが仕事として成り立つ、それのみで生計が立てられる、
それがプロの芸術家・舞踊家であると思います。

プロの舞踊家として、成り立っている方は、日本舞踊界にはすごく少ないと思います。


熊川さんは世界に飛び出して行って、
日本に帰ってきて、
プロのバレエダンサー、というものが成立する土壌を日本に作っている、
日本バレエ界を変えるスター、なのだと思います。

ひとつの見方で凝り固まらず、それまでの世界のしがらみにとらわれず、
世界を変えていく、
ものすごい気力、実力が要ることだと思います。

やはりその芸術のよさを伝えたい、魅せたい、人にその芸術を通して感動を与えたい、ひかりを伝えたい、そういう澱みのない気持ち、が大切なのだと思います。

その心意気は、観客にはそこにあるのかないのかは、必ず伝わるのだと思います。

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日本舞踊界は、スターの存在はあるかないか、私はそういう存在と感じる方はいません。
そもそも、日本舞踊の世界は、プロの舞踊家、というものが成立する世界になっていこうとしているのか、それも分かりません。

以前「月刊 日本舞踊」という雑誌で、歌舞伎役者 坂東三津五郎さんが
日本舞踊の世界は、流派につらなる沢山のお弟子さんの下支え、日本舞踊を愛する情熱に支えられている、と言っていましたが、その通りなのだと思います。
夢をもったお弟子さんの「お稽古がしたい」というお稽古代や、先生をささえようとして買うチケット代、そういうものに支えられているのだと思います。

いわゆる一般の方が、日本舞踊を見て元気を出そうなどと、とチケットを買って見に来てくれる、興行が成り立っている世界ではないのです。


現在、演劇や伝統芸能(歌舞伎、狂言、落語など)、生のライブの舞台芸術というものが注目され、求められているなかにあって、
日本舞踊は、プロの舞踊家、として成り立っている人が、あまりにも少ない、と思います。


日本舞踊界への見方や提言、を堂々とは言えない雰囲気、もあると思います。それが日本舞踊や、日本舞踊界が、一般の世界から隔絶されているひとつの要因ではないかと思います。

長きにわたって培ってきたものや歴史 の重み、よさはあると思います。
しかし、
観客に喜びや夢ー、を与えようというひたむきな気持ち、
それが一番大事で、
それが基本でプロとしてやろう、という気概は 日本舞踊界に感じられない、と
今は、私は思っています。

観客に求められるプロの舞踊家、が育つようにしていくことが
日本舞踊界に必要なのだと思います。



藤舎流 お笛の会

2007-11-16 | 日本舞踊
11月11日(日)十時開演
「藤舎流笛家元 藤舎秀蓬  偲ぶ会」
特別出演:井上八千代
場所:祇園甲部歌舞練場
主催:藤舎名生


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長唄囃子、藤舎流の会です。

東京で大変お世話になったお囃子の先生がご出演とのことで、駆けつけました。
久しぶりにお会いできとてもうれしく、東京から離れてしまったのに、お声をかけていただいて、そのことが一番ありがたく楽しい一日でした。

京都祇園の歌舞練場にて
朝十時からで夜は十一時!!!になりそう、という番組は全六十一番というご盛会でした。

笛の先生ご主催の会とのことで笛のあるお囃子(あっお囃子にはみんなお笛はあるのですよね?)というかお笛が際立つ演目が多かったのかもしれません。私はまだまだ、ただ聴かせて頂くばかりです。
たくさんの演目が豊富に演じられ、獅子ものは多かったです。執着獅子、連獅子、鏡獅子、俄獅子、狂獅子、石橋など。
京都の5花街の芸妓さん舞妓さん、金沢の芸妓さん、その他、藤舎流のお囃子の一般のお弟子さんが東京など全国から?ご出演の会でした。

お世話になった先生のご出演はもちろん拝見し、
あと印象に残ったのは、先斗町の方々が6人で演じられた「俄獅子」
もしかしたら芸妓は卒業された頃のお姉さま方(違ったら大変申し訳ありません)がきりっとした印象でしっかりと芸を披露されているのが格好よかったです。

あと普通のお名前で「執着獅子」をされたお笛の男の子。本当にお上手で、いづれかのお家の子なのかなぁと拝見しました。

十二時過ぎに到着してしばらく拝見した後、先生への楽屋ご挨拶、その後引き続き2時間ほど見続けましたが、下から深深と冷えてくる。。忘れていたがあのような歌舞練場て、下の床がほんとうに冷える。ひざ掛けが必須ですね。たまらず出て花見小路を北へ祇園の食べもの屋を探す。結局美美卯でおうどんに。あたたかいおつゆが飲みたかったのにぶっかけだったらしく濃ゆい醤油がかかってがっかり。なぜか出てきた蕎麦湯で身体を温める。身体があったまってすっかり元気を取り戻しまた花見小路を一力茶屋から南へ歌舞練場へ向って歩く。それにしても観光客の方々もほんとうに多い。皆さん街の風情を楽しんでそぞろ歩いたりどこで何を食べようか、とゆっくり歩いたり写真撮ったりされている。

それなのに車がひっきりなしに結構なスピードで人を蹴散らすように入ってくる。その脇にバイクがすり抜けてくるので歩行者には本当に危ない。花見小路通など土日くらいは完全に歩行者天国にすべきだ。京都はこういうところが観光客に優しくない。銀座の歩行者天国を見習えと言いたい。

再び歌舞練場に戻って2時間くらい拝見! しかし夜6時をまわるころには寒くて疲れてきてしまいご挨拶をして帰った。体調が万全だったらもっと一日中見れたかな・・。

とにかく行けてよかったです。

ありがとうございます

2007-10-17 | 日本舞踊
このブログ、
先月9月に、京都の話題を4件ほど投稿してより数日の間、
毎日50ipを越す方に、観に来て頂いていたようです。

このところは 20~30ip が毎日の閲覧いただく平均だったので、久しぶりに自分のブログの閲覧数を見て、「え?」と驚いてしまいました。

特に、検索キーワードを見ていると、
毎日、「日本舞踊」に関するキーワードで5~10種類の違うキーワードにて、新しく検索されて、このブログが閲覧いただいているようです。

ありがとうございます。

日本舞踊は、私にとって大好きな大切なものですが、いまはちょっと離れています。
今年に入って、日本舞踊はひとつも観ていないので、旬な話題が提供できていないので、せっかく観ていただいたのに恐れ入ります。

来年の2月でこのブログは始めて3年になります。
そろそろ3年で一区切りなので、
日本舞踊に対する私の想いや考えをこのブログにまとめていけたらなぁ、と思っています。

とは言え、いつになるか・・
マイペースの更新が相変わらず続くと思いますが、
ご覧いただいたすべての方々へ、ありがとうございます。

創作舞踊劇場

2007-06-30 | 日本舞踊
6月29日(金)22:30放映
NHK教育 芸術劇場

創作舞踊劇場
「予言」

毎年、日本舞踊協会の創作舞踊劇場公演、として、6月ごろ行われている公演です。
文化庁との共催公演です。
日本舞踊家の皆さんが、流派関係なく、ひとつの団体として創作舞踊劇をされます。

毎年、違うテーマの戯曲などを創作舞踊で表現し、今年は、「予言」という題名で、
シェイクスピア悲劇「マクベス」を上演されました。

私は今まで、2004年の「火の鳥」、2005年「陰陽師」は劇場で鑑賞したことがあり、
今年は、テレビで見ました。

今年は、花柳寿太一郎先生が出ておられたので、
その部分は「おおーーー!」と集中して観ました。

全体としては、台詞のない身体表現のみなので、
どうしても説明的、と言うか、時系列にずーーーっと順を追って、ストーリーを展開していく、という手法で、途中で飽きてしまいました。
意外性がないと言うか。。


群舞の方や、主要キャスト、の皆さんには素敵な舞踊家さんは多く、身体能力も柔軟ですごいなぁ!と
観させて頂くことが多いのに、
この創作舞踊劇場の、毎年の手法である
「舞踊のみで表現する 劇 」は、
舞踊家さんの魅力を最大限引き出しているのかな?と疑問をもちます。

パントマイムや創作舞踊で表現するのですが、
台詞があるストレートプレイのための戯曲を、
舞踊のみで表現するにはムリがあると思います。

舞踊家さんの踊りのきれいさ、よさ、楽しさ、とかを感じる前に、
いつも、演出によって、途中で観ることに疲れてしまいます(私は)


毎年、「劇」ではなくて、変えてみてもいいのではないのかなぁ?



日本舞踊を知らない人にも、観てもらえたら、いいのではないか、思うのですが、私は、友達に、この公演ぜひ観て!楽しめるから、とは言い切れません。

日本舞踊協会のホームページには、観客数は、毎年6月、7000名の動員を数える、と書いてあるのですが、
そのなかのどのくらいが日本舞踊とは関係ないお客さんで、
その数は年々増えているのかな?と思いました。
よい公演なら、世間に欲しられて、おのずと動員数は増えロングランになっていくと思うのですが。。

もし、お弟子さんや関係者の方が主な観客となって、
観客も、各方面に気をつかって自由な感想が言えない、という膠着状態であれば、つまらないな、と思います。


紫派 藤間流舞踊会 2

2007-03-31 | 日本舞踊
前回の記事につづいて、感想の後半です。

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紫派 藤間流舞踊会
2006年10月28日 夜の部 歌舞伎座

一、梅の栄
二、五条橋
三、汐汲
四、団子売
五、猩々
六、三社祭
七、鞍馬獅子
八、山姥
九、相模蟹
十、蝶の道行
十一、振袖山姥
十二、日本振袖始

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「日本振袖始」
岩長姫 
実は 八岐の大蛇  藤間紫
鳴尊        市川右近

補曲 竹本葵太夫
美術 朝倉 摂
照明 吉井 澄雄


「解説」
近松門左衛門 作
享保三年(1718) 竹本座初演

「大蛇退治」(おろちたいじ)とか、「剣」(つるぎ)の題名で上演されたこともある。
鳴尊が、出雲国手摩乳(てなづち)長者の娘、稲田姫になりかわって、大蛇退治のために毒酒をたたえた八つの甕(かめ)を置いて待つところへ、岩長姫が現れ、毒酒を飲んで舞うところへ、ころあいを見計らって尊が姿を現して争う。
岩長姫は八岐の大蛇の本性に変じるが、毒酒のために五体が自由にならず、ついに退治られ、その体内を切り裂いて、十握の宝剣をとり戻す、古代伝説の舞踊化だ。
本来は、「日本書紀」「釈日本紀」の説話に基く長編だが、近年はこの大蛇退治の場だけが上演されている。

ープログラムより


【感想】
初めて観た演目で、まず、舞台美術が不思議な雰囲気でした。
洞窟のような鍾乳洞のなかのようなところに、人の入る大きさの、大きな甕(かめ)が、八つ並んでいます。
そこへ姫が現れ、鳴尊との掛け合いがあり、姫は実は大蛇、となり、最後は、立ち回りとなる踊りです。

しかし、紫さんは、この時、体調が万全ではおられなかったのか、少しよろけておられるように見えました。姫と鳴尊の二人の踊りのところでは、見えないところで、右近さんが紫さんを支えているのが分かりました。

尊が、剣で、大蛇と化した姫(紫さん)を刺すので、なんだか「刺さないで~~」と思ってしまいました。少しよろよろとされている紫さんが、踊りとは言え、刺されるのを見るのにしのびなかったです。

ただ、右近さんは、きっぱりと踊りまくって、むちゃくちゃかっこよかったです。


最後の最後は、紫さんの気迫が迫ってきて、
なにか、胸に込み上げるものがあり、拝見していて、涙が出てきてしまいました。

気迫の舞台でした。

紫さんの踊りに向う真摯なお気持ち、に、うたれるものがありました。


☆おまけ
紫さんの活動記録(昭和30年 1955年 から現在)がプログラムに載っていて、拝見し、「すごいなぁ」と同じ女性として憧れます。

特にすごい!と思ったのは、下記の記述です。
昭和62年(63才~64才)、宗家藤間流を創流し、家元となる。
十月 猿之助一行による訪欧歌舞伎公演の総指揮を勤め、同行する。(マドリード、パリ、ロンドン、ルアーブル、ベルリン)

60才を過ぎてから、紫派藤間流を創流され、
猿之助さんの仕事上の、大切なパートナーとしても活躍され、素敵だなぁ、すごいなぁと思います。猿之助さんもおかげんはいかがなのでしょうか・・。快復をお祈りいたします。


じつは、この日、私は体調が悪く、熱っぽかったのですが、絶対に会が観たかったので、出かけました。3階のロビーに、鯛焼きと、銀座鹿乃子の「お豆」が売っていました。
熱っぽかったので、お豆が甘く煮ふくめてあるものの上に、バニラアイスをのせた「お豆」を買って食べました。


にぎやかな雰囲気で、若い方も多く、
本来の、日本舞踊の楽しさを味わう「会」であるなぁ、ととても素敵な会でした。
鯛焼きと銀座鹿乃子さんが3階席のドア出て目の前にお店出しておられたのも、賑々しい雰囲気を演出していてうれしかったです。
帰りしなに、お客さんがあの踊りはよかったねぇ、楽しかったねぇ、などと高揚した感じで話しておられる方が多く、「ほんとう、日本舞踊は人に感動を伝えられる芸術だ」と思えてうれしかったです。

そんな気持ちになる会には、なかなか出会えなかったりもするので、ほんとうにうれしかったです。


紫派 藤間流舞踊会

2007-03-31 | 日本舞踊
本日で3月が終わり。

ずっと、書こう書こうとして、書けていなかった、昨年2006年10月の、
「紫派 藤間流舞踊会」 の感想を書きます。
いちおう、2006年下半期の期末、なので書こうかな、と思います。

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紫派 藤間流舞踊会
2006年10月28日 夜の部 歌舞伎座

一、梅の栄
二、五条橋
三、汐汲
四、団子売
五、猩々
六、三社祭
七、鞍馬獅子
八、山姥
九、相模蟹
十、蝶の道行
十一、振袖山姥
十二、日本振袖始

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藤間紫さんのご一門の会です。27、28日の昼夜、と開催されましたが、
私は、28日の夜のみ、拝見しました。

「汐汲」
私が習った手と、流派は違えど、ほとんど同じで、懐かしい限り。
汐汲は、私にとっては大事な大事な曲。
踊りが好きな、ほんとうにうれしくて、楽しくて、という、一番初めの新しい気持ちを思い出しました。素敵な舞台でした。


「三社祭」
善玉 市川猿紫 (藤間紫十郎)
悪玉 市川弘太郎

席に戻ると、既に面をかぶっての踊りが始まったところでした。
もう、すごい身体の弾力、気迫、男の人の舞台!という感じ。

お二人とも迫力があってよかったのですが、
特には、善玉のお方が、私は気になりました。品がある踊りの方だなぁ、と思って。
最後に、面をとって、お顔が見えたときに、
不思議なのですが、それぞれのお顔が、その踊りに合っていて、「やっぱり」と思いました。
顔を隠して踊っていても、顔から受ける印象と同じ印象を、踊りから受けていた、と言うか。
踊りって不思議です。その人の全てが出ます。だから踊っていない時に、その人から受ける印象も、踊りに出ます。おもしろいです。


「善玉を踊られた、猿紫さん、素敵な舞踊家さんだな・・・」と思い、藤間紫さんの出演年表を見ていて、目が止まりました。
平成13年(2001年)2月、日本舞踊協会公演 国立大劇場
常磐津「雷船頭」 女船頭 藤間紫、 共演に、紫十郎(猿紫)、とあります。

おそらく、これは私も観たことある舞台で、
この時、紫さんは女船頭、もうお一方は「雷」の役、の二人舞台で、とても印象に残っている舞台です。
雷(カミナリ)さんは、赤鬼のような肉布団を着て、トンボをきったり、技がすごく、
それでいて、愛嬌たっぷりでかわいく、
紫さんは、粋な女船頭が動きが少ないなかにも身体の動きがたっぷりとして決まっていて、すごいな!と思いました。こころを感じる舞台でした。 
あの時の雷さん、どなただったのかな、とずっと思っていたのですが、
あの時の雷さんが猿紫さん?ではないでしょうか?
そうだとしたら、やはりずっと舞踊がすごい方なのだなぁ、と感じ入ってしまいました。

もしや、間違いでしたら、恐れ入ります。 ご指摘いただければありがたいです。


「相模蟹」
こちのユーモラスな動きと、海女のかけあいが楽しく、会場がどっとうけた舞台。
舞台の後、楽しかったねぇ~、と会場の皆さんが楽しくなっていて、踊りを観たくていらしているお客様が多い会だなぁ、とうれしくなりました。素晴らしかったです。


だいぶ長くなってしまったので、
感想はもうひとつに分けます。次の頁につづく・・。


真しほ会

2007-02-28 | 日本舞踊
「真しほ会 (ましおかい)」

2/23(金) 18:30  日本橋劇場

一、高砂丹前

一、連獅子

一、娘七種

一、黎明

一、二つ巴


長唄囃子、藤舎流 の会 「真しほ会」に行ってきました。

「高砂丹前」
会場に着くと、人気の会で、人がいっぱい。立ったまま、聴きました。初めて聴いた曲でした。

「連獅子」
ようやく座れたのはいいが、仕事の後の会はいけない・・・眠気が襲ってきて、うとうと。。 目を閉じてしまいました~

「娘七種」
今度こそ、とすっかり目が冴える。よく聴き、よく拝見。 小鼓の、姿のうつくしい方がいらっしゃる。「どなた?」とすっかり惹きこまれる。パンフレットには、藤舎呂英さん、となっていました。お友達に後で聞いたら、お囃子界のご活躍のホープ、人気のある方、とのこと。
 「娘七種」全体の演奏自体は、勉強させていただいた、という感じです。私はなにがどう、って分からないから、長唄・お囃子は、今のところ、一生懸命耳を澄ませて 聴いています。

☆後日談
藤舎呂英さんは、CDを出しておられると聞き、先日、歌舞伎を観に行った際に、東銀座・歌舞伎座の、道路を挟んで向かいにある文化レコードさんで早速CDを購入しました。
その際、呂英さんのCDは、邦楽のコーナーの目につく場所に陳列されていて、
買う際に、ご店主に 「この方、若い女性に人気なんですよ~!!」と話し掛けられました。今まで邦楽のCDを何度か買ったことがあるが、ご店主から話し掛けられたのは初めてだったので、ちょっとびっくり。
「そうなんですかぁ~~、真しほ会で素敵でしたので・・」 とお返事しました。ご店主は呂英さんのご贔屓であり、邦楽がとてもお好きなのだなぁと思いました。私がもっと専門知識がたくさんあったらご店主からもっとお話を聞けて盛り上がれたのかも・・。 

買った後、ほかのCDを見ていたら、「囃子方だとこの方も・・」と亀井広忠さんのCDもご店主がすすめてくれました。能楽はまったく、観たこと聴いたことがないのだが、興味があります。予算があるときに、また行って買いたいナ。

あっ、呂英さんのCDは、これから聴くので、感想は後日に・・。聴くのが楽しみです♪


「二つ巴」
「仮名手本忠臣蔵」を題材にしている曲。これもたぶん初めて聴いた曲。今月、二月大歌舞伎の「忠臣蔵」と言い、このごろ、忠臣蔵づいているな!という感じ。

忠臣蔵なら、ある程度、内容分かっているし・・と思っていたが、やはり曲がしっかり聴けない。まず、唄が、なんて言ってるか、聴き取れないところが多いです(私が聴き取れず・・)。 唄を聴き、忠臣蔵の一節や場面を、想像して楽しむなどとは、程遠かった。うっかりすると、「ん?いま何を唄ってるところ?」と我に返ったり、という感じでした。

唄は、今の私は、やはり、たくさん聴くことだと思います。そのうち、この声は好きとか、この音は好き、とか、味わうこともできてくるのではないか、と思っております。
長唄の節や、三味線、は好きで、落ち着きます。日本舞踊が好きなのだから、やはり邦楽は好きです。

でも、いまのところ、歌舞伎にしても日舞にしても、今日の演奏は、どうだったな、とか、音を聴き分けたりすることはなかなか難しいです。たくさん聴いて、耳を澄まして、音に対する感覚を磨いていきたいです。


音と言えば、「二つ巴」を聴いていて、

笛 の音、

なにか、こころがざわざわします。太鼓の次にやってみたいとしたら、お笛。
なんだろう、理由はないのに、気になる。音が好き。
「好き っていうのは、何なんだろう」と思います。 不思議です。

自分の頭では予期していないのに、理由はなく、惹かれたりドキドキしたりする。

お笛、いつかやってみたいです。


「二つ巴」で 笛は 藤舎貴生さん。

雰囲気がある人、というのは、ただ、正座しているだけ、ただ立っているだけでも雰囲気があるなぁ、と思います。
地方さんも、雰囲気があると素敵だなぁ、と思います。


古典継承囃子の会 こぼれ噺

2007-02-21 | 日本舞踊
望月朴望さんの会、終わった後、
歌舞伎座から、出て、東銀座から銀座へ歩こうと、横断歩道を信号待ちしていると、
真横を向くと、「え・・・」

勘三郎さんでした~! (言わずと知れた歌舞伎役者で私の好きな方)
私服?のような感じで、お顔の表情で、「お忍び」というのをものすごく醸しておられたので、話しかけられませんでした。
いや、醸していなくても、恥ずかしくて咄嗟には話し掛けられなかったと思う・・。
今、こう書いて、もっと前に出なきゃ!と自分に思いました。
役者さんに対して、というのもそうだけど、日常のいろいろに対して。

私は信号待ちの一番前に立っていたので、横におられるのに気づいたのですが、
後ろにざわざわと、たーーーーくさん、人が歌舞伎座からあふれてきているのに、
誰一人、勘三郎さんと気づいていないご様子。

勘三郎さんは、信号が青になるのを待てないような感じで、足早に信号渡って、
「ナイルレストラン」インドカリー屋さんに吸い込まれていきました。
思わず見届けてしまいました。
いま、勘三郎さんがーー!と言いたくて仕方がなかったです・・。

気づくと、勘三郎さんの両脇に、両翼のように、ピタッとついて歩いている二人、
おそらく、勘太郎さんと七之助さんではなかったか、と思います。勘太郎さんはお顔をちらっと見えてゴーグルのような眼鏡をはめていました。

お三方、会を観に来られていたのですね。

おそらく七之助さん、と思われる方は、フードをかぶっていたので、お顔は見えませんでした。
付き人の方であれば、あんなに勘三郎さんの真横に並行に歩かないのではないか、と思ったのと、何となく雰囲気で、息子さん方ではなかったかと思います。

その後ろから、2、3人、男の人がついて、総勢5、6人でナイルレストランに入っていきました。ふつうのお忍びなんだけど、やはり何か、雰囲気が違う。

なんてことはないのですが、ミーハーな私は興奮してしまいました。

考えたら、会ったら大興奮してしまうような若手の日本舞踊家っていないなぁ、と思いました。歌舞伎界のようなスターが、私にとっては、いないです・・・。