☆ぽあろのふつうのぶろぐ☆

福永の日常に関することとか色々なことをやりますo(`▽´)o!!

☆AEDの必要性☆

2011-08-05 20:20:06 | 日記
今回松田選手の訃報で『AEDの必要性』について問われるようになりました

今日のミヤネ屋で実際に赤十字の方がマネキンを使って『AEDの使い方』の実践を行っていました

実際に駅の構内とかデパートなどにAEDの機械が置いてあるみたいですが、この訃報をきっかけにいろんな所にAEDが設置されるようにして欲しいです

それと松田選手のご冥福をお祈りいたします。



<松田選手死去>俊輔、カズ、岡田前監督…サッカー界に衝撃
(8/4 20:50 毎日新聞)

チームをJリーグに押し上げる夢半ばに亡くなった松田選手。34歳の早すぎる訃報に、かつてのチームメートら関係者はショックを隠しきれなかった。
J1の横浜F・マリノスで同僚だった元日本代表MF、中村俊輔選手は4日、練習後に自家用車で病院のある長野県松本市に見舞いに向かう途中、悲報を聞いた。「非常に厳しい状態とは聞いたが『もしかしたら会えるかも』と思ってきた。マツさんは、ああ見えてさびしがり屋なので……」とうつむいて話した。
中村選手によると、松田選手は松本山雅のユニホームとスパイクを身に着け、「すぐに起きてサッカーをしそうだった」という。横浜マから松本山雅に移籍する際、中村選手が「チームをJ2に上げるのか」と尋ねると「バカ、J1だよ」と力強く語ったことにやってきたので、とても信じられない」と言葉少なだった。
03年から06年途中まで横浜マ監督を務めた岡田武史・前日本代表監督は「マツはマリノスが2年連続(03、04年)でJリーグ年間王者になった時に一緒に戦った仲間。中心選手として貢献してくれ、自分にとっても、とても思い入れの強い選手だった。これからの活躍を期待していたので本当に残念でならない」が印象に残っていると振り返った。
また、病院に駆け付けたJ2横浜FCのFW三浦知良選手は遺体と対面後、「自分より10歳年下だが『カズちゃんがやめるまでやめない』と言ってくれて刺激になっていた。今日はお母さんに『本人の分までがんばって』と言われた」と話した。
印象に残っている試合に95年のチャンピオンシップで当時、三浦選手のヴェルディ川崎と、松田選手の横浜マの試合を挙げ、「世界に通用するディフェンダー。優秀で、相手としてはやっかいな選手だった。ずっと一緒とコメントした。

最新の画像もっと見る