このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
「容姿良し、頭脳良し、人格良し」
の三拍子そろった完璧なる人間をひとり
だけ挙げろ、と問われたならば、
(完璧な人間ねえ・・・)
アナタには誰の顔や名前が浮かびますか
歴史上に偉人や英雄の名多しと言えども、
完璧なる人間となると ・・・
おいそれとは出てきませんよね。
つまるところ、
仏陀(ブッダ)とか、イエス・キリストだとか、
ムハンマドというように、それぞれの宗教観
や信仰の拠りどころとされている人物たちに
白羽の矢を立てるより仕様がアリマセン。
「顔良し、頭良し、性格悪し」
の人間ならば、レオナルド・ダ・ヴィンチの名
がパッと脳裏に閃くのですがねえ ・・・
いえいえ、誤解のなきように言っておくと
この場合の「悪」とは悪源太(源義平)
に代表される強さや猛々しさを表現している
わけで、強くて頑固な性格や挑戦的な気質、
すなわち、
気質から作られる行動や意欲の傾向などを
性格と称しておりますが、それに社会的な面、
もしくは論理的・倫理的な側面や内容を加味
したものを総称して人格と申します。
従いまして、「人格良し」となる人物と
なると容易ならざるわけで、
『復活』を果たしたイエス
畢竟するに、聖人君子に言うところの
「聖人」に行き着くことになるわけです。
ところで、
悪源太(源義平)は平安末期の宮廷社会で
軍事貴族として頭角を現しつつあった源義朝
の長男でしたが、次弟(朝長)や三男であった
源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)などとは違い
官位を授かったという記録は残っていません。
これには生母の出自、いわゆる身分
が大きく関与していたと見られ、庶子であった
ダ・ヴィンチと相通じるものがあるようですが、
源義平は、平清盛の命令により1160年京都
六条河原で斬首(享年20)されています。
こちらは、何だか洗礼者聖ヨハネのようでも
ありますが ・・・
ダ・ヴィンチはイエスが、メシアとして
の存在を世に知らしめるためにユダと
いう名のひとりの弟子を見込んで悪役に
仕立て上げ、裏切者の汚名を着せて、
生贄として捧げたものと考えていました。
出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net
そして、それより以前にも同様に生贄と
された人物がいたのですが、
それが洗礼者聖ヨハネです
『洗礼者ヨハネ』 ボッチチェッリ 『キリストの洗礼』部分 ヴェロッキオ
これって、完全に、
(印象操作でしょ)
さて、
『最後の晩餐』(ヤコポ・バッサーノ)
における大皿に乗った丸焼きにされた
『最後の晩餐』中央部
子羊の頭と片足の謎ですが ・・・
キリストの最後の晩餐での場面を題材に
選んだにしては、大皿に盛られた料理が
子羊の頭と片方の足先だけとは、如何にも
奇妙でグロテスクです。
この謎に挑むには大胆な仮説に
基づく推理の飛躍が必要でしょう。
ヤコポ・バッサーノは1510年頃の生まれで
1592年まで長生きしていますが、彼の生涯
において 故郷のバッサーノ・デル・グラッパ
を出たのはわずかに2回とされています。
1回目は 1533年のヴェネツィアの高名な
ボニファーツィオ・デ・ピターティの工房での
短期滞在と2回目が 1577年のヴェネツィア
の元首であるセバスティアーノ・ヴェニエル
の肖像画制作のための滞在のみで、後は
故郷から一歩も外に出なかった引きこもり
の画家であったようですが、
ヤコポ・バッサーノの肖像
この1回目のヴェネツィア短期滞在の折
に足を延ばしてミラノにあるダ・ヴィンチの
『最後の晩餐』を見に行ったのでは
ないかと推理したわけです。
ヴェネツィアを出てミラノに赴いた際に、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院を
訪れたヤコポ・バッサーノが、ダ・ヴィンチの
『最後の晩餐』を鑑賞したとします。
彼はユダとされる人物が他の使徒たち
と同列に配置(遇)されていることに驚きを
覚えたのと同時に、この銭袋を握る人物が
本当にユダなのであろうかという疑念
に駆られたのではないかと考えました。
ひょっとして、このユダなるモデルは
ダ・ヴィンチ自身の姿ではなかろうかと ・・・
その疑念が『エマオの晩餐』 Ⓑ
での座った姿勢で身じろぎひとつしない猫
『エマオの晩餐』Ⓑ
の姿にも見える曖昧な子犬の描写の中に
暗示されていると思えてならないのですが、
『エマオの晩餐』Ⓑ 犬
それと言うのも、
ダ・ヴィンチが、アンボワーズ城(フランス)
で息を引き取る際に、猫のように生きようと
したが、実は犬でしかなかった自分の一生
を振り返り心から自戒と後悔の念を込めて
「ああ、神よ、お許しください」
とばかりに自らの教会への態度を懺悔
したというような話も伝わっていますが、
『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』メナジョ画1781年
ダ・ヴィンチが死の床にあったのは、確か
クルーの館であったはずですので ・・・
確証は持てませんが、それは、あたかも、
ダ・ヴィンチが、フランソワ1世の腕のなか
で息を引き取ったかのような伝説に尾ひれ
がついての話だったのではないでしょうか。
ちなみに、
19世紀のフランスの画家アングルによる
『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』
(1818年制作 パリ、プティ・パレ美術館蔵)
が、その時の場面を描写していますが、
ヴァザーリらの伝説どおりに白いヒゲを
たくわえたダ・ヴィンチがフランソワ1世の
腕に抱かれて永遠の眠りにつくシーンが
舞台劇のように展開されています。
要するに、
こうした話にインスパイアされた結果、
構想されたヤコポ・バッサーノの作品が、
『エマオの晩餐』Ⓐ ヤコポ・バッサーノ画
2種類の『エマオの晩餐』ⒶⒷと
『エマオの晩餐』Ⓑ ヤコポ・バッサーノ画
その後に制作した『最後の晩餐』
での無礼講のような情景(構図)であって、
『最後の晩餐』ヤコポ・バッサーノ画
そこに忠実なる僕(しもべ)としての犬と
邪悪なる悪魔(サタン)の使いとしての猫
を紛らわしいポジションチェンジにおいて
対比させるが如くに登場させた理由が
あるではないかと考えた次第なのです。
『エマオの晩餐』Ⓐ 猫
『エマオの晩餐』Ⓑ 犬
ヤコポ・バッサーノはダ・ヴィンチが描いた
『最後の晩餐』を見て、顔と手だけの
登場のトマスに一計を案じます。
ヘロデ・アンティパスによって斬首された
洗礼者ヨハネのメタファ(暗喩)が
『洗礼者ヨハネの斬首』 カラヴァッジョ 1608年
そこに隠されていたとするならば、
「あなたがたのうちの一人が
わたしを裏切るでしょう」
つまり、それは、トマスに暗示される
洗礼者聖ヨハネの告白 ・・・
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
もっと言ってしまえば、
ユダに仮託されたダ・ヴィンチ自身の
苦悩とトマスおよび大ヤコブに暗示
される聖ヨハネの告発 ・・・
この壁画は
虚構に彩られたイエス・キリスト
と聖母マリアの大罪(カトリックの陰謀)
を糾弾するものではなかろうかと
そのように想像(解釈)したと仮定すると、
大皿に盛られた子羊の頭に片っ方の足の
意味とダ・ヴィンチの『最後の晩餐』
での首から上だけの付け足しの如き登場と
なったトマスの人差し指の謎が氷解
することになるわけです。
尤も、
ヤコポ・バッサーノがイエスや聖母マリアを
そのように見ていたかどうかは別の問題で、
おそらく彼はイエスにも聖母マリアにも帰依
していたものと推察されます。
ヤコポ・バッサーノには聖書のエピソードを
テーマにした作品が多く、
『マギの礼拝』 1555年
『マギの礼拝』 1567-1569年
『マギの礼拝』 1575-1580年
地元(バッサーノ・デル・グラッパ)の風物が
お得意の動物たちとともに描かれていて、
『ノアの箱舟に入る動物たち』 1570年
(The Entry of the Animals into Noah's Ark)
その構図の美しさゆえに当時から定評が
あったようですが、それにしては彼の描いた
『最後の晩餐』は他の聖書の物語の
なかでも異質で構図的にも煩雑です。
この中には、ヤコポ・バッサーノにとっての
ユダが確実に存在しているのと同時に
複数のユダの存在も臭わせています。
ダ・ヴィンチにとってのユダは「罠」の
告発者であり、同志でもありましたが、
ヤコポ・バッサーノにとっての「ユダ」は
謎を秘めた存在であったというわけで、
そこには、ある種の同系とも言える意思が
働いていたということです。
どういうことかと言えば、
ヤコポ・バッサーノもダ・ヴィンチと類似する
シンパシーをユダに抱いていたようで
、好意的ではないとしても悪意のある感情は
持ち合わせていなかったものと思われます。
ユダに対して、ダ・ヴィンチのみならずに
ヤコポ・バッサーノも何らかの共感を胸に
抱いていたことは、裏切りを強調し非難する
描き方をしていないことからもわかりますが、
そうした意味からも彼の
『最後の晩餐』におけるユダは、
『最後の晩餐』ヤコポ・バッサーノ画
一般的にはテーブルの手前右側に座る男
であるとされ、その根拠となっているのが、
褐色の肌に黒髪・黒髭で、左手に銭袋を
隠し持っている点と足もとからジッとこちら
を覗き見る猫の存在です。
この当時(中世からルネサンス期には)、
猫は悪魔の使いであるとされ、人間の罪
や悪徳の象徴として、カトリック教会から
は忌み嫌われていた存在であり、
15世紀~18世紀のヨーロッパで盛んに
行われていた魔女狩りにおいても、猫は
悪魔の手先で魔女が変身した動物として
殺戮の対象にされていました。
そこで、
裏切者を表現する方法としてユダ
の近くに猫を配置することがユダを
特定する根拠のひとつだったわけですが、
それにしても、ヤコポ・バッサーノの描く
『エマオの晩餐』ⒶⒷでの犬と猫
を逆転させる配置の関係や思惑 ・・・
『エマオの晩餐』Ⓐ 猫
『エマオの晩餐』Ⓑ 犬
そして、
『最後の晩餐』における犬と猫の
位置関係は何を意図しているのでしょう
彼は動物好きで当時の画家には珍しく
動物が登場する絵を数多く制作していて、
『最後の晩餐』の猫と『エマオの晩餐』Ⓑの猫
動物画の先駆者的とも言える存在なの
ですが、猫が主役の絵を知りません。
『ノアの箱舟に入る動物たち』 1570年
(The Entry of the Animals into Noah's Ark)
『ノアの箱舟に入る動物たち』(部分)
それに引き換え、犬はと言うと、
『二匹の猟犬(Two Hunting Dogs)』 1548年
『二匹の猟犬』をはじめ、ポインター系の
犬が至るところに登場していることからも
犬好き(犬派)の画家であると思われます。
『ダ・ヴインチの罠 犬と猫』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/525.html
でも触れたように、
そこに犬と猫が登場してくる意味と
複数のユダの存在を示唆する
意図を解くカギがありそうですが、
ヤコポ・バッサーノの息子レアンドロの
同名の作品にそのヒント(答え)らしき
ものが潜んでいます。
また、その他にもヤコポ・バッサーノは、
『エマオの晩餐』Ⓑ において、
『エマオの晩餐』Ⓑ ヤコポ・バッサーノ画
猫としてのダ・ヴィンチにして告発者
たる子犬の側にいる弟子の頭上で光る
光輪を細く薄く背景に溶け込むような金色
で描いているのですが、
果たして、光輪があるのか ないのか
光輪を表わすのであれば白系(銀色)の
絵の具を使えばそんな紛らわしいことには
ならないわけで、
ここにも
その意図に大きなはてなマークが、
つまり、
疑問符が付いてしまうのですが ・・・
紙面の都合上、それらの解説について
は次回とさせていただきます。
『エマオの晩餐』Ⓑ 犬
こいつが
「猫にしてユダにして、告発者たる
ダ・ヴィンチなのか」
こりゃあ、
「The Pinch(ザ・ピンチ)だわん。
あれれっ、にゃんかな」
(しょうもな ・・・)
エマオに向かうイエスと弟子たち
【洗礼者聖ヨハネの首とサロメの物語】
「解剖して分かったことだが、
人間は死ぬように出来ている」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
ここ大事ですよ。
・・・ って、おいおい
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
… to be continue !!