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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 水晶玉

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

  『ダ・ヴィンチの罠 水晶玉(改)』です。

 (以下、本文)

 

 残されている手記の中で、ダ・ヴィンチは

 「わたしが神様を嬰児として描いたとき、
 あなたはわたしを牢屋へと投じた。 が、
 わたしが神様を大人に描けば、あなたは
 もっとひどい目にあわせるにちがいない」

 と綴っているようですが ・・・



 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』
      (岩波文庫版)より、

 ところで

 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる
キリストの肖像『サルバトール・ムンディ』が
美術作品として史上最高となる4億5030万
ドル(約510億円)で落札されたニュースは
まだ記憶に新しい(1年2ヶ月前)ですが、

    

 『ダ・ヴィンチの罠』を前提にした
「鑑定法」からも問題となるのは、


   サルバトール・ムンディ(救世主)

 科学的な事実や実証を重んじるはずの
ダ・ヴィンチにしては、水晶玉の描き方に
大きな疑義が生じているという点です。



 一見すると、水晶玉はその透明度など
から科学的緻密さに基づいて描かれて
いるかのように見えますが、



 ガラス玉でも水晶玉でも球体は、通常、
光の屈折により、歪んだり、拡大するか、
上下が反転した像を映し出すわけで、


     出典:yukawanet.com

 彼ならば、きっと上下が逆さまになった
像や拡大したり歪んだりした形態の像を
水晶玉の表面に反射させて描くのだろう
と思われるからです。

 要は、

 この絵をダ・ヴィンチが描いたとすれば、
通過する光を屈折させたり、歪ませたり、
反射しないような「空洞のガラス玉」
仕様に描いているということになります。

  

  逆説的に言えば、

 彼があえて現実と違うかたちに水晶玉
を描いたとすれば、この絵にダ・ヴィンチ
の存在を見つけることが可能になるだけ
ではなく、そこに「罠」サイン
隠されていることにもなるのですが ・・・

 少なくともそこに特別の意図がない限り
、ダ・ヴィンチの技術力を持ってすれば、

       

 このような水晶玉の描写はあり得ない
わけですから、意図的であったとなれば

       

 この作品はダ・ヴィンチの真筆という
ことになり、そうでなければ、他の誰かの
作品(贋作)か、ダ・ヴィンチ工房の弟子
による作品という結論になるわけです。

 つまり意図的か否か、無作為の所産か
否かで真贋を見定めるのが小生流の
「帰納法的鑑定」なのですが、

 当然ながら、

 先の手記における内容の検証も必要で
 
 「神様を大人に描けば、あなたはもっと
   ひどい目にあわせるにちがいない」

 と綴った言葉に、一定の信頼が置ける
とすれば、キリストを大人として描く場合
でのリスクは極力回避したいはずです。

 そこで、

 ダ・ヴィンチの記述に、素直に従えば、
大人のキリストを描く蓋然的要素は
かなり低くなるはずですが

 その結論は一旦、置いておいて、

 ここからは、「救世主」を描いたとされる
『サルバトール・ムンディ』
ダ・ヴィンチの真筆であると仮定した
うえで話を進めてみたいと思います。

 要するに、

  

 意図的な「水晶玉」の描写であった
とする前提および見解からの考察です。

 さて、あえて、

 現実に沿ったかたちに「水晶玉」
描かなかった理由として考えられるのは、

 それが「罠」のサインであり、そこに
重要なメッセージが隠されているからで、

 たとえば、Wikipediaによれば、

 新約聖書の四福音書に記されている
イエス・キリストが起こしたとされる
数々の奇蹟は自然・病・罪・死に対して
支配する権威を顕示することで、自らが
メシア(救世主)であることを公に立証
するために行ったとしていますが、

       

 それらの行為をダ・ヴィンチは左の掌
(てのひら)に乗せた水晶玉の如き、
非現実なるまやかしであって、
『新約聖書』は弟子たちの創作
によるでっち上げの代物か、捏造された
奇蹟であると言いたかったとか、

 
 『カナの婚宴』カール・ハインリッヒ・ブロッホ(1870年代)

 「カナの婚宴」の場において、水
を芳醇な6甕(かめ)のブドウ酒に変えた
という最初の奇蹟から始まる数々の

  「イエスの奇蹟」については
 url https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1

 を参照してみてください。

 あるいは、何もかもが、

 この水晶玉の如くに お見通しで、
ご覧のように見え透いた偽りが平然と
まかり通る世界には辟易しているとか、



 そうした否定的な要素が詰まった
「水晶玉」を手に祝福のポーズを
とるイエス(サルバトール・ムンディ)
こそが、その元凶(水晶玉)であり、



 たとえ、「預言者」であったとしても
 
  

 の意味での「救世主」ではない
ことを訴え掛けているのかもしれません。

 さらには、聖書的な意味合いにおける

 「創造論」とも、「進化論」とも
異なる「古代宇宙飛行士説」
に与するような数々の仕掛けが「罠」
に施されていることから推察すると ・・・


    出典:sputniknews.com

 身体に比してぼやかして描いている顔
と斜視気味の瞳が地球外生命体
(異星人)を想起させるためのアプローチ
になっていると言えなくもありません。

 そりゃあ、
     
     (考えすぎやで・・・)

 いやいや、つまり、こういうことです。

  

 『サルバトール・ムンディ』

    

 顔をよく観察すると『モナ・リザ』

    

 『洗礼者聖ヨハネ』彷彿

   
 
 させるような風貌に似せて仕上げて
いるということです。

   

 これをある種のサインとして見れば、

   
   『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 『モナ・リザ』における隠し絵



 鏡絵(ミラー・イメージング)のほかに



 『洗礼者聖ヨハネ』隠匿


       出典:deskgram.net

 されていたミラー・イメージからも


     出典:blog.livedoor.jp

 地球外生命体である異星人



 の存在が窺い知れるわけです。

 たとえば

 死ぬまで手放さなかった3枚の油彩画


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 との関連性(制作時期の重なり)から、

 
   『モナ・リザ』 1503‐1506年

 制作は1500年(1490年から1519年)頃

 

 と幅広く、特定されてはいませんが、

    

 フランス王ルイ12世の庇護下において
制作活動をしていた1506年から1513年
の間の時期と推察されますので、


  ドラゴン・レーダー(プロトタイプ)

 3枚の絵画のパズル合成(合体・融合)


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプ)使用例

によって組み立てられた「罠」のありか
を示すドラゴン・レーダー(探知装置)



 から探り出されたこれら異形な者たち
の姿がイエス・キリストに重なるとなると


       出典:deskgram.net

 『サルバトール・ムンディ』
の肖像は異星人の介在による人類
創造示唆するものであって、



 水晶玉地球宇宙
意図しているのかもしれません。

 ダ・ヴィンチが自らの作品に「罠」
仕込もうと考えるに至る その動機付けと
なった出来事が少年期に体験した洞窟
での啓示(幻視)にあることは、すでに

 『ダ・ヴィンチの罠 松果体』

 などにて、ご案内済みですが ・・・

 ある意味では、

 この「水晶玉」自体が、深遠の淵に
転がる透明なるドラゴンボール
であって、真実を伝えるカギとしての
ドラゴンエッグかもしれませんね。



 その他にも、

 この宇宙に絶対的な真実はないと
して、今で言うVR(仮想現実)を先取り
したような概念(世界観)を透き通った
「水晶玉」(空洞のガラス玉)で表現
しているということも考えられます。

 遡ること、

 数千年前、ギリシャの哲学者プラトン
は目に見える世界が真実ではないことを
「イデア論」を介して主張しました。

 プラトンに傾倒していたダ・ヴィンチも
また、そのこと(イデアの影)につき、思い
を巡らせていましたが、



 その帰結として「不可知」ならざる
ロゴス(サムシンググレート)なるもの
具現化(人格化)して表象したのが、
「イデア」とともに在る人智の及ばぬ
超越的宇宙論理たる存在

 つまり、それが

 『サルバトール・ムンディ』
モデルであると仮定すると ・・・


   サルバトール・ムンディ(救世主)

 「水晶玉」解決します。

  VR(仮想現実)に関連する事柄に
ついては、

 『ダ・ヴィンチの罠 ロゴス』
 『ダ・ヴィンチの罠 真善美』
 『ダ・ヴィンチの罠 破壊神』

 などを参照してみてください。

 古代ヘブライでは「ヤハウェ」
(エホバ)として「神」と讃えられ、

 古(いにしえ)のインドでは釈迦
「空」という概念となり、

 中国においては老子の説くところ
「道」(タオ)や「無」であり、

 東洋思想における「天」(天道)
としての存在である

    

 「サムシング・グレート」
モデルにしてダ・ヴィンチが描いた
傑作が『モナ・リザ』であるならば、

    

 『サルバトール・ムンディ』
『男性版モナ・リザ』であると
いうもあながち否定できません。

  

 レオナルド・ダ・ヴィンチが手もと
に残していた3枚の油彩画に共通する


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 フマガッリ(すべてを知る者の笑い)
が、この「救世主」(イエス・キリスト)
なる人物のに描かれていないことは、

 むしろ、

 「現実界」でのレゾンデートル
(存在理由)としての確立に役立って
いるのかもしれません。

 「イデア界」「現実界」とは、
実相仮相、または実在VR
(バーチャル・リアリティ)の世界です。

 ぶっちゃけ、砕いて言ってしまえば、
「理想」「現実」の違いです
 
 聖書には「理想」という言葉(訳語)
は一度も使われていません。

 なぜなら、

 キリスト教(主に新約聖書)において、
完全なる「理想」とは「神」であり
、それはイエス・キリストを指す
言葉だからです。



 そして、

 「現実」とは、この世界であって、
「罪」そのものでもあるですが ・・・

 ダ・ヴィンチは、そうした「ロゴス」

 つまり、

 「神」なるものを、VR(仮想現実)
の構築兼設計者(プログラマー)にして、
宇宙人類創造主としての
「サムシング・グレート」
であるという究極的なる結論を手にして
いたのかもしれませんねpeace

 今回は随分と大仰なヨタ話になって
しまいましたが、
 
 美術界における権威筋が何と言おうと
世界中の多くの美術愛好家から如何に
思われようと、

 そんなことは関係ありません

 『サルバトール・ムンディ』
を、ダ・ヴィンチのによるものであると
するには、こうしたトンデモ理解
が小生には必要で「罠」存在
見つからなければ、


    出典:www.kitaguchilaw.jp

 到底のことに510億円価値など
認められるものではありませんnose7


 なるほど、「罠」痕跡ですか

 「水晶玉」ドラゴンボール
ドラゴンエッグなのかもって ・・・



 アニメゲームじゃあるまいに

 それに「仮想現実」じゃとぉ

   

 それじゃ、わしゃあ、

 「バーチャルかあ !!

  

 「片腹痛いわ !!

   ・・・ っておいおい



 どこから見たって、アンタは正真正銘の
2次元世界にいるバーチャルな住人です。





 … to be continue !!


 

 「わたしが神様を嬰児として描いたとき、
 あなたはわたしを牢屋へと投じた。 が、
 わたしが神様を大人に描けば、あなたは
 もっとひどい目にあわせるにちがいない」

    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)




      出典:shanti-phuia.net

 symbol2 「猫科の一番小さな動物、
 つまり猫は最高傑作である」


     (レオナルド・ダ・ヴィンチ)


      (ゲロゲロ ・・・)

 「解剖して分かったことだが、
人間は死ぬように出来ている」


   (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

  
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
 
 次回では、

 ダ・ヴィンチ以外の画家の作品である
可能性について探ってみたいと思います。

コメント一覧

迷探偵ちちんぷいぷい
映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』が公開になって、また、『サルバトールムンディ』に注目が集まっているが、左の手のひらに乗っているのが空洞のガラス玉か? それとも水晶玉なのか? は、描いた本人に確かめるしかないが・・

それが誰かがわからないのだ!?
江戸川ドイル
立体パズルを完成させるのに『サルバトール・ムンディ』が必要になるのならば、それをもってして、真作か、若しくは、相応にダ・ヴインチの手が加えられた作品である傍証になり得ることと、意図して空洞のガラス玉を水晶玉として描くことで、逆説的に「モノホン」であることの証明としたということは、果たして、つながるのだろうか!?

やぶにらみ
罠の有無で真贋を見定めるという意味がわかりましたぞ!

最近の記事『設計図』にある立体パズルを構成する作品の中に『サルバトール・ムンディ』が入っているということは、〇〇だということですな!
江戸川ドイル
シリカゲルとは「乾燥剤」ですね!?

ゆえに、「感想済」み、」ということで、了解しました。

シリカゲル
水晶はシリカ(二酸化ケイ素)の結晶体で、シリコンとは
二酸化ケイ素から酸素を除いた単体のケイ素のことです。
原子番号14番の元素(Si)であるシリコンと豊胸手術の際に利用されるシリコンパッグ(シリコン樹脂)とは別物ですので注意が必要です。

つまり、これは見せかけのまやかしである豊胸手術のような贋作であると言いたいのだが、わかってくれるかなあ?
江戸川ドイル
なるほど「元気玉」説はユニークですが・・・

となると、元気玉が作れるということは悪の心のない人物
であるイエスキリスト(救世主)ということになりますね。

つまり、それは「サルバトール・ムンディ」がダヴィンチ
の真作である証しということか!

・・・なんてことにはならないよな!?
デッキブラシ
ドラゴンボールやドラゴンエッグではなく、元気玉だと俺は思うな!
むらさき納言
男性版モナ・リザという呼ばれ方には違和感があります。

ダ・ヴィンチの作品だと言いたいがためのキャッチフレーズみたいで嫌なんですが、不思議な雰囲気を持った絵画であることは否定しません。

ただ、わたし的にはペテン師のような怪しさと胡散臭さの漂う救世主さまですが、贋作だとは決めつけられない魅力があることも確かですね。
ココナン
やぶにらみさんは肯定派なのかな?

斜視気味の救世主って、「やぶにらみ」ってことですよね。

異星人かどうかはノーコメントですが・・・
やぶにらみ
余程の自信があるのか? 罠の有無で真贋を見定めるとは、
大胆な発想でんな!

ですが、やぶにらみ的には大歓迎ですぞ。
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