授賞式が 9月7日夜(日本時間 8日未明)行なわれ、日本
から出品されていた宮崎駿監督の最後の長編アニメ映画
『風立ちぬ』 は惜しくも受賞を逃しました。
もし事前に宮崎駿監督の引退発表がなかったならば …
と、複雑な気持ちで一杯ですが、それにも増して、何故に、
あのタイミングで引退を表明したのか、逆効果になることも
十分予測されたはずなのに… と悔やまれてなりませんが、
まずは陽動作戦に屈せることなく妥当な審査結果となった
ことに安堵している次第です。
さて、
あらゆる意味で 『紅の豚』 のなかに、現在上映中の
『風立ちぬ』 を制作するに至る伏線が隠されていると
『宮崎駿の有名税(中編)』 にて匂わせていた
わけですが、最も本人の趣味が反映された 『紅の豚』
に関して、彼自身は制作後も 「道楽でくだらない物を作って
しまった」 と罪悪感に囚われ続けていたようで、次回作の
『もののけ姫』 が完成して漸(ようや)く その 「呪い」
から開放されたと述べていますが、その言葉には眉に唾を
つける必要があるのかもしれません。
それと同じく『風立ちぬ』誕生の経緯(いきさつ)にも
シックリと来ない言い訳がましい説明が入るのです。
スタジオジブリの企画は、いつも宮さん(宮崎駿監督)から
「次どうしよう」って相談があるんです。
たいがい、僕が「これがいい」って言うと、「分かった」って
やってくれる人なんですよ。 ほとんど躊躇なく。
ところが、今回は違った。
彼が模型雑誌に描いていた『風立ちぬ』の原作があって、
僕が「これをやろう」と言ったら、いきなり怒りだして …
鈴木さん、何考えてるんだ、と。 「アニメーション映画は
子どものためにつくるもの。大人のための映画はつくっちゃ
いけない」 と …。
三十年間付き合ってきて、初めての出来事でした。
これは、スタジオジブリの名プロデューサー鈴木敏夫氏
がジブリ発行の広報誌「熱風」 7月号で語ったものですが、
そのまま鵜呑みにすることはできません
これは何か問題が起こった時に、鈴木プロデューサーが
泥を被るもので、「宮崎は大人向けのアニメ作りに大反対
だったが、私(鈴木P)が無理を言って強引に作らせた」 と
する免罪符用のシナリオなのです。
ここで、『宮崎駿の有名税』 の(前編)、(中編)
にアクセスして読んでくれた人のなかにはピンと来た方も
いるかもしれませんね。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/326.html(参照)
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/327.html(参照)
彼は熱烈な軍事マニアで筋金入りの軍事オタクです。
歴代の作中に登場する武器武具類(甲冑・鎧兜・兵器)や
乗り物(装甲戦闘車両・軍用機など)にその知識が十全に
活かされています。
なにしろジブリ内の会議中でも、暇さえあれば戦車などの
落書きをシコシコ描いているらしく、『天空の城ラピュタ』 や
『崖の上のポニョ』 に登場するモールス符号による通信の
際の符号類はすべて実在するもので、言葉としてキチンと
成立しているそうですよ
その広報誌「熱風」 7月号では「憲法改正」が特集されて
いて、そのなかで「護憲」と「慰安婦への謝罪・賠償」が論じ
られていたわけですが、それを参院選直前の 7月18日に
インターネットで配信するとあっと言う間に記事は拡散して
いったのです。
つまり、同誌は瞬く間に品切れとなり、ジブリ側が急遽
ネット上でPDFファイルによる配布を行なうに至ったという
顚末(過程)がそこにはあったわけです。
この件が話題となり、注目された理由としては、3つの
背景が考えられます。
1つ目は日本の右傾化という社会的な問題があります。
次に参院選の争点として、9条改正に先立つ96条の改正
などの憲法論議が盛んだったことが2つ目の理由です。
3つ目は当然ながら 『風立ちぬ』 の公開を目前に
控えているという、絶妙で微妙なタイミングの問題です。
なにしろこれはゼロ戦の設計者である堀越二郎の活躍を
描くアニメであり、その趣旨からはまったく相反する「護憲」
を平気で謳っているわけですから、疑問を抱かないほうが
不思議なのです
それでは、何故この時期に「護憲」や「慰安婦への賠償」
を宮崎駿はあえて語ったのでしょうか
ジブリ側の説明によると鈴木プロデューサーが、7月21日
投開票の参院選を前に旗色を鮮明にしょうと発案し、実際
に彼自身も「9条 世界に伝えよう」という談話を寄せていて
、ジブリ出版社も 「参院選の投票日前に読んで欲しい」 と
呼びかけていたそうです。(東京新聞7月19日付記事より)
鈴木氏は談話で、『風立ちぬ』 は戦争に関わる映画では
あるものの、「戦闘シーンは出て来ません」 と強調していた
わけですが、「熱風」 の特集が映画公開前の話題づくりを
狙ってのことであることに間違いはありません。
それは誰の目にも明白なのですが、それだけでは「護憲」
はともかくとしても「慰安婦への謝罪と賠償 」を訴える根拠
としては希薄ですし、火中に栗を投げ入れるような行為の
説明が付きません。
少なくとも、リスクが大きすぎる気がします。
言うまでもなく右傾化の流れにある日本においてそれを
言えるということは作品に余程の自信があるのです。
左翼が強かった過去の時代であれば 『紅の豚』 の
ように舞台を外国にでも設定しないかぎり、公開が不可能
だと思われるような個人的趣味丸出しの軍事オタク映画を
日本を舞台に、しかも戦闘機の設計者を美化する内容で
堂々と上映できるのです。
たとえ少々、左掛かった発言をしたとしても、いまの日本
では時宜を得た映画であり、失敗することはあり得ないと
踏んでいたのしょうね。
「観てもらえばわかる」 ということなのです。
ですから、「護憲」も「慰安婦への謝罪・賠償」も外国向け
の対策であって、それも、主に真っ向から対立する中国や
韓国に対するメッセージ なのです。
「観てもらえばわかる」 という自信の裏側には
、この作品が水陸両用ならぬ 東西南北、左右両様の見方
が可能な作りになっているのだと …
観てもいないのに 2号 は勝手に推測しているのです。
(もちろん、まだ観ていないからこそ言えるのですが …)
諸外国を含めた全方位仕様の作品だということですね。
それでも、彼ら(宮崎駿とジブリの面々)は100%の自信
が持てなかったのです。
なぜなら、そこには過去の苦い経験があったからです。
それは2005年の韓国におけるジブリ作品に纏(まつ)わる
ある事件がトラウマとなっていたからなのですが …
そうした言いがかりを含めて一連の反応を検証してみると
宮崎駿およびスタジオジブリの経営陣が、如何に偽善的で
計算高く胡散臭い連中なのかが炙り出されてくるのですが、
この続きはまた、次回とさせてください。
ところで、
宮崎駿の記事を書いていることを知った1号 さんの
次男坊が気を利かせて 「大して役に立たない情報提供」
としていくつかの雑情報をメールで送ってきたのです
そのなかに、
「宮崎駿監督は作品を作る時は、まず、描いた絵は全部
使う(つまり、あらかじめシナリオがない)ということ」 と、
「子供の時に空襲に遭って、そのとき見た『すげえ 』
(否定も肯定もせず幼心に単純にそう思った)フィナーレを
作りたいと語っていた」 というタレこみがありました。
早速、調べてみると、…
彼は1941年(昭和16年)1月5日 東京都文京区に生まれ、
幼児期に宇都宮に疎開しているので、被災した大空襲とは
「宇都宮大空襲」(1945年7月12日)のことかと思われます。
また、制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて
作品の構想を練り、脚本なしで絵コンテと同時進行で作品
を仕上げていく手法らしく ガセネタ ではないようです。
(後編)ですべて完結させるつもりでいたのですが、生来
の道草派というか、寄り道好きな性格が災いして冗長たる
ものになってしまい本当に申し訳もないのですが …
この記事を有名税の徴収課税 後編1 とさせてください。
次回、追加課税 後編2 も懲りずに宜しくお願いします。
ひょっとして、
特別重加算税 後編3 もあるかもしれませんが
コメント一覧
皮肉のアッコちゃん
最新の画像もっと見る
最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事