透明人間たちのひとりごと

スパルタ教育の遺産

 いわゆる 「スパルタ教育」 の語源としてその名を
残す古代ギリシャの都市国家スパルタの王 レオニダス
約300人の兵でアケメネス朝ペルシャの大王クセルクセス
率いる数十万の遠征軍をテルモピュライの地に迎え撃ち、
玉砕するまでを描いた映画 『300スリーハンドレッド』 を
みた 5号 が、「『待ちぼうけ』です」 の記事の冒頭部分で
その感想を述べています。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/178.html(参照)

 なんでも、レオニダス王300人勇者にアヤかって
営業という未知の戦場に赴く自分自身に自ら鼓舞激励する
意図をもって記事にしたようなのですが …

 なにやら苦戦の連続のようで、今週は毎日のように元気が
なくショゲて帰ってくるのです。

 先週(6/5)までは、口ではなんだかんだと言いながらも …

 《24時間戦えますか? 地球にリゲインを飲ませましょう》
などと余裕をかましていたというのに …

 ところで

 こんなとき先輩としてどう指導したらいいのか正直なところ
悩んでしまいます。

 スパルタ式に叱咤激励すべきか、より精神性や人間性に
重きをおいて柔軟に対処すべきなのか

 そこで、なんとなくスパルタ式指導のことを調べてみようと
したのですが、思わぬ展開に意図せぬままにあらぬ方向に
舵がきられてしまったのです。

 古代ギリシャの各ポリス(都市国家)では、市民の全員が
参加するかたち(直接民主主義)でものごとを決めていたと
いう件(くだり)が、1号 さんの 「イプシロン(ε)の謎
のなかにありますが、事実は少し違うようです。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/181.html(参照)

 ギリシャ文明の発祥といえば、BC2600年頃、小アジアの
トロイア周辺に興ったトロイア文明(青銅器文明)に始まり、
BC2000年頃のミノア文明がクレタ島のクノッソスを中心に
隆盛します。

 そして、さらに、BC1500年頃には、ペロポネソス半島の
ミケーネ・ティリンスを中心にミケーネ文明が栄えました。

 その後

 バルカン半島の北方から3派(イオニア・アカイア・ドーリア)
のギリシャ人たちが南下してきます。

 BC2000年頃にイオニア人がエーゲ海の北部や小アジア
西岸に定住するようになり、BC1400年頃にはアカイア人が
ペロポネソス半島からエーゲ海に進出してきてミノア文明や
ミケーネ文明を滅ぼします。

 そして、BC1200年頃にドーリア人がペロポネソス半島の
北方から南下してアカイア人の領域に侵入します。

 しばらくは、文化的に不毛の暗黒時代がつづきましたが、
BC8世紀頃になると古代ギリシャ文明は急速に発展して、
あちこちでポリス(都市国家)が成立するようになります。

 ポリス は、BC800年末には現在のギリシャの西南部、
クレタ島を含むエーゲ海の島々からアナトリア半島の西海岸
へと広がってゆきました。

 大小さまざまな ポリス は、一般的には市民と呼ばれる
自由民男子とその家族およそ3万から10万人程度の人々と
数万から十数万人の奴隷などで構成されていました。

 各ポリスは、古代マケドニアによる覇権の確立(BC338年)
までは統一されることもなく、互いに同盟したり対立したり
しながらも分立を維持していたのです。

 古代ギリシャの ポリス と言うと …

スパルタ、アテナイ、テーバイ(テーベ)、コリントス(コリント)
などが挙げられますが、地域や風土によって、その成り立ち
や政治形態は違い、王自身による王制、貴族を中心とする
寡頭制、王家以外の出身者が権力を握り世襲する僭主制、
全市民参加の直接民主制など多種多様だったのです。

 ここでは、5号 への助言や指導方法を踏まえて代表的
スパルタアテナイ の違いを見てみましょう。

 スパルタというと映画 『300スリーハンドレッド』 の影響も
あってか、市民の全員が屈強な軍人で対外的にも軍事力を
誇示していたイメージがありますが、内実は少し違います。

 ペロポネソス半島の内陸部に位置するスパルタの場合は
、前述したようにドーリア人が北方より南下移住するなかで
先住民(アカイア人ほか)を奴隷として征服することによって
成立したポリスで、農業を基盤とする地域であったために、
奴隷としての多数の労働者を必要としていたのです。

 ある時期におけるスパルタでは、2~3万人の市民階級が
20数万人を奴隷階級(労働者)として支配していたようで、
体制維持のために市民が留意すべきことはそうした奴隷の
反乱にあったのです。

 つまり、市民全員が軍人となって奴隷を支配し管理すると
いう国家体制における軍国主義は、対外的な脅威や戦争を
想起したものではなく、あくまでも国内の治安の確保や統治
するうえでの安全対策であって国体の維持には必要不可欠
な政策だったわけです。

 こうした軍国主義を支えるために考え出された教育方法が
いわゆる 「スパルタ教育」 なのです。

 軍人として役に立たない人間は不要とされるのが教育上
の大前提で、将来、軍人になれる見込みのない赤ん坊は
真っ先に捨てられていたといいます。

 その様子は映画の冒頭シーンでも表現されていましたが、
長老たちのところに連れて行かれ検査を受けるわけです。

 そして、もし仮に、何らかの障害が認められた場合には、
捨てられる運命しかその子には残されていないのです。

 子供たちは、7歳になると国の所有となり、所定の場所に
集められて共同生活がはじまります。

 知的教育は、生活に困らない程度の必要最低限の範囲で
しか行なわれずに、もっぱら軍事訓練が中心のプログラムが
組まれていました。

 教育カリキュラムにおいても、男女ともに徒競走や持久走、
格闘技、槍投げ、耐久訓練など、ほとんどが身体的訓練に
費やされ、軍事訓練的なものが中核を占めていたのです。

 その結果、スパルタでは、強靭な肉体と不屈の精神を作り
上げ、生き残るための知恵やサバイバル術を習得した戦士
を育成することにはなったけど、後世に誇れるような文化的
な遺産はほとんど残されてはいません。

 唯一、現代にまで語り継がれて、その名をとどめるものが
「スパルタ教育」 という言葉としての遺産であった
ということは歴史の皮肉としか言いようがありません。

 さて

 そんな スパルタ に対する アテナイ こそが、1号 さんの
言う民主主義国家として今に伝わる ポリス なのです。

 民主主義国家といっても限られた一部の市民たちによる
民主主義(直接民主主義)で完全なものではありません。

 なぜなら、アテナイにも奴隷とされた人々が多数、存在して
いたからですが、このつづきは次回にすることにしましょう。

 スパルタのことに文字と時間をかけ過ぎましたし、5号
ことも、とっくに 『飛んでイスタンブール』 なのです。

  それじゃ、トルコ だって …

 まぁ、いいじゃん。 ペルシャ戦争の話も絡むんだし …

 … って、トルコ はまったく関係ないと思いますけど eq

 そんな あてにならない話イラン です。
 
 アテにならナイアテナイ の話だから、

 今回は なし 、つまり、イラン なのです。
 
 なんだか詐欺っぽいって …  お~ぃ !!

 誰か ポリス知りませんかpolicecarsymbol5
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