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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 醍醐味

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 醍醐味(改)』です。

 (以下、本文)

 

 『最後の晩餐』のものと思われる人物
の素描や手などの部位に関する数多くの習作
が残されていますが、現存するスケッチ類の中
に壁画の原図となり得るものは見つかりせん。



 1495年頃に描かれたとされている初期構想と
思われる『最後の晩餐』の素描(構図)が
2点ほどありますが、



 どちらもユダを一人だけテーブルの反対側
に配置する伝統的な手法を踏襲したもので、



 初期の構想とは言っても、ダ・ヴィンチの手に
よるものとは考えにくい代物のようです。

 1495年は ダ・ヴィンチが壁画の制作を始めた
年で、この頃までには現在と同じ構図の下絵が
用意されていたと考えるべきであって、には
横一列に並んだ大きな使徒たちの下書きが
すでに描かれていたはずなのです。 
 
 もっとも、下書きの段になって、急遽変更した
ということかもしれませんが ・・・

 それにしては、
 
 人物たちの設定(名前)や配置、表現(動作)
や仕草などに相違点が多すぎるのです。

 ですから、

 これらの素描が、ダ・ヴィンチの真筆(直筆)
であるとすると

 それは、

 「罠」に設けられた伏線や目を逸らす
ためのアリバイ工作錯覚へと
誤誘導のためのエサ(コマセ)であったと

 想像するわけで、

 そこに小生の仮説推理構成する

 ファクターパズルを組み合わせる
ピースの断片が見つかるわけです。

 その辺りについては、

 『ダ・ヴインチの罠 誤誘導』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/521.html

 を参照してみてください。

 さて

 ここでの問題ユダ処遇です。

 いつも思うことなのですが、誰が可哀想
言っても、ユダくらいしく、(みじ)めで、
れな人物は他に見当たりません

 全知全能のひとり子であるはずの
イエスが、メシアとしての存在
知らしめるためにユダという名前のひとりの
弟子を悪役に仕立て上げ、裏切リ者
汚名を着せて、生贄として捧げたのです。

 そんなユダに対して、ダ・ヴィンチが何らか
シンパシーに抱いていたことは、
 
 他の使徒たちやイエス同列ユダ
を配置しただけでなく、の皿にを伸ばす
ユダ左手イエス右手を介して



 同一の目的共有しているさまを
『最後の晩餐』における斬新
によって暴露していることからも窺えます。

 詳しくは、

 『ダ・ヴインチの罠 裏切者』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/411.html

 を参照してください。

 今回はここで、

 ちょっと趣向をかえて、問題提示する
ことにしたいと思います。

 下の絵は、  

 ヤコポ・バッサーノ(Jacopo Bassano)による
『最後の晩餐』の場面ですが、


 『最後の晩餐』ヤコポ・バッサーノ 1546年

 裏切り者としてまれているユダ
どこにいるのでしょうか


 多少ならず難解な構成かもしれませんので、
分かりやすい絵から見てまいりましょうpeace


  アッシジの大聖堂にある『最後の晩餐』

 上の絵はアッシジの大聖堂に描かれている
『最後の晩餐』ですが、こちらの構図も

 よくあるユダだけをテーブルの向こう側に
ひとり描くようなタイプではありませんね。

 それでも、

 この絵でのユダなる人物の特定ならば
比較的容易に見つかります。

 わかりましたか

 食卓を囲むように座る円陣の中の向かって
左の白枠で示した人物がユダですpeace



 理由はそうですね。

 光輪が描かれていないからですが
その他にも、同じく白枠で囲った画面左隅下
にいる重要ファクターで、

 これが最初の問題の大きなヒントになる
のかもしれません

 「簡単だよ」という方もいるでしょうが、
答え合わせは最後にしたいと思います。

 なぜなら、

 ヤコポ・バッサーノの絵画とダ・ヴィンチの
『最後の晩餐』には互いに共通する
メッセージが隠れていると思えるからです。


  『最後の晩餐』ヤコポ・バッサーノ画

 以前の記事にて、

 『最後の晩餐』の完成後に間もなく
して起こった絵の具剥落腐食
およびカビ発生という事態に直面
しても、ダ・ヴィンチが何らのアクション
も示さなかった理由として、

 それこそがダ・ヴィンチの大いなる「罠」
の仕掛けであったからで、カビ発生
絵の具の剥落も、すべて計算ずくのうえ
での出来事だとしたならばどうでしょう

 というような推理披露しました。

 そこでは、

 『最後の晩餐』喪失した場合の
保険である「罠」青写真としての



 『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
のデッサン画について、

  
  下絵のデッサンと『聖アンナと聖母子』

 『聖アンナと聖母子』における構図
や常識的解釈からが聖母マリアの左足で、



 が聖アンナの右足だと勝手に信じている
だけのことかもしれないという思い込みを利用
した「罠」が仕組まれていて、

 そこには、

 そのように意図したダ・ヴィンチの誘導
があり、それが『最後の晩餐』における
ナイフを持つペテロ右手



      ペテロの右腕の習作

 銀貨入りの銭袋を持つユダ右手



     
       ユダの右手の習作

 を組むヨハネ両手を挟むように、

 
      

 一緒をつけようとする



 ユダ左手イエス右手があり、

     
      大ヤコブの左手の習作
 (イエスの右手やユダの左手とも言われる)

 そして、


    回内(右手)と回外(左手)のイエス 
       出典:hatenablog.com

 イエス左手側(向かって右側)では、

 
   回外(青丸印)で描かれた手

 ほとんどが回外の手のなかで、回内
描かれた大ヤコブトマス左手

 
        down    down_slow

 大ヤコブの左手とトマスの左手と思われる素描

 イエス右手側(向かって左側)では、

 
  すべて回内(赤丸印)で描かれた手

 すべてが回内の手のなかにあって、唯一、
回外となる得るケースが、

 

 ナイフを握っている手が、ペテロ以外の

    

 何者かの右手である場合だけであり、

       

 そこにこそ、仕掛けた「罠」妙味
いわゆる醍醐味があるとしたのですが、

      
      (醍醐味ねえ・・・)

 イエスユダ大ヤコブの他にも

    
        イエスの習作
    
        ユダの習作
    
       大ヤコブの習作

 フィリポマタイ相当する習作や

    
       フィリポの習作
    
        マタイの習作

 アンデレペテロらを連想させる
各個人の習作があるのですから、

    
    アンデレまたはペテロの習作❓

 全体の構図をイメージさせる横一列に配置
された素描がない方が不自然であるとも ・・・

 そこで、

 伝統的な構図で描かれた素描をもとにして



 ユダはそのまま反対の側でのように
、使徒たちを横一列に並べ、向かって左から
①~⑬までの番号を割り振ってみます。



 は各人物に添えられている使徒名です。


     鏡文字で書かれた使徒名

 ① Bartholomew バルトロマイ(Bartlomeo)
 ② Andrew アンデレ(Andrea)
 ③ Thaddeus タダイ(Tadeo)
 ④ 無記名〔小ヤコブ❓ Jacob the Less〕
 ⑤ 無記名〔ユダ Judas〕
 ⑥ Peter ペテロ(Pietro)
 ⑦ 無記名〔イエス Jesus〕
 ⑧ 無記名〔ヨハネ John〕
 ⑨ Jacob the Great 大ヤコブ(Iacobs Maggiore)
 ⑩ Thomas トマス(Tomaso)
 ⑪ Matthew マタイ(Matteo)
 ⑫ Simon シモン(Simone)
 ⑬ Philip フィリポ(Filippo)

 ( )内は判読されたイタリア語表記の使徒名
 〔 〕内は推定される使徒名です。

 少し分かりにくいので、こちらで説明すると、

④    ⑥  ⑦ ⑧ ⑨   ⑩  ⑪ ⑫ ⑬

  ⑤         ①   ②    ③  ④

 使徒名が鏡文字になっているからといっても
ダ・ヴィンチの直筆だと考えるのは早計で、

 先にも言ったように、その場合には撒き餌
として「罠」へと誘うための仕掛けでしょう。

 ダ・ヴィンチの研究家や美術評論家によると、

 この素描は彼の真筆ではなく、ダ・ヴィンチが
描いたのちに失われた原図を誰かが模写した
ものであり、その根拠として現存する壁画との
不一致と矛盾点の多さを指摘しますが、

 現存する多くのデッサンやスケッチと同様に、
他者の『最後の晩餐』を研究する
過程で描いた彼の習作という結論のほかにも、
弟子の手習いの場合も含め、あらゆる可能性
を完全に排除できないのが実情です。

 ただ現段階でダ・ヴィンチの真筆ではないと
判断された決め手は定かではありませんが、

 素描に記された使徒名の筆跡が、従来から
知られる彼の筆跡とは違うものであったとか、

 初期、複製画のひとつとされるの装飾帯
(下段)に附記された現在知られている使徒と
同じ名前や席順との比較において、



 そのほとんどが合致を見ずに、席順、動作、
姿勢などが一致するのは左端のバルトロマイ
だけという散々な事実から、

 これが『最後の晩餐』の初期の構想
ではなく、誰の筆かは別にしても単なる習作
であるとの結論に達したものと推察されます。

 もちろんに記入されている名前の方に
誤りがある可能性を否定はできませんが、

 ここではダ・ヴィンチの、あるいは彼の意図
のもとでの他者(弟子)による素描であって、

 「罠」重要要素のひとつである
との前提解説を進めることにします。

 においての番号は頭部の位置ではなく、
座る席の順に割り振られていて、

 ①バルトロマイ、②小ヤコブ、③アンドレ、
 ④ペテロ、⑤ユダ、⑥ヨハネ、⑦イエス、
 ⑧大ヤコブ、⑨トマス、⑩フィリポ、
 ⑪マタイ、⑫タダイ、⑬シモン、となります。

 これは現在知られている使徒の名前と同一
ですが席順設定のため、ユダとペテロおよび
トマスと大ヤコブが逆に表記されています。

 これも、

 トリックによく使われるテクニックで、
何処(どこ)に基点基準くかを
曖昧にさせて錯覚を招くわけです

 たとえば、



 件(くだん)の素描やでのの人物は



 におけるの人物と同じポーズで両手
をイエスに向けて横に流しています。



 それが現在マタイ(L4)とされる人物で、



 『東方三博士の礼拝』における up_slow

    

 若きダ・ヴィンチとされる人物でもありますが
その解説は別の機会に譲るとして、


     鏡文字で書かれた使徒名

 にも同じくマタイの名があります。

 しかしながら、ここには、

 最初にトマスと書かれていた文字が棒線
で消されてマタイと訂正されていますよね。

 や素描での人物を確かめると立派な
ヒゲをたくわえた偉丈夫でマタイ(L4)とは
似ても似つかぬ風貌の持ち主です。

④    ⑥  ⑦ ⑧ ⑨   ⑩  ⑪ ⑫ ⑬

  ⑤         ①   ②    ③  ④

 言わば、つまり素描でのが、での
トマスであり、L4マタイ
なのですから、こんがらがってしまうわけです。



 要するに、

 一度書いた名前を線で消して、また新たに
書き直すなどの単純なペテンにダマされて
はならないということです。

 同じことが最初に出したヤコポ・バッサーノ
『最後の晩餐』にも言えます。

 問題は、


 『最後の晩餐』ヤコポ・バッサーノ 1546年

 ユダ何処にいるのでしょうか

 でしたね。

 まず、

 考えられるのはテーブルの手前に座る二人
のうちのどちらかということで、

 これが一度書いた名前にあたります。

 しかし、どちらかを特定するような決め手が
見つからないので他の人物にあたりをつける
ことになり、それが線で消されるという行為に
相当するわけです。

 次に、

 手を挙げて「私じゃない」と隣の人に
大袈裟に訴えかける左奥の二人目の人物が
怪しいかも ・・・ と感じさせるのがマタイ
あとがきで訂正することで、「違う違う」
否定をしているような仕草注目
集めさせるテクニックなのです。

 而して、ユダ何処に ・・・

     

 それでは、

 答え合わせといきたいところですが、

 そのまえに、

     

 皆さんの答えを是非聞いてみたいので、

 次回までの宿題とします。

 コメント欄にて解答を寄せてくださいね。


 混乱させ誘導するのが常套手段ですので、
それを踏まえて考えてみるのも大切ですよ。


 ところで、

         

 『最後の晩餐』にしろ、ⒶⒷⒸ
図にしても、描かれている使徒たちの名前は
すでに知られるところのものとなっています。   

 つまり、

 より正確に言えば、明らかになっていること
にされているということなのですが、

        

  

 「あなたがたのうちの一人
   わたしを裏切るでしょう」

     (ヨハネの福音書13:21)



 「ホンマでっか !!

  

 「何という醍醐味」

     
      (しょうもな ・・・)


 … to be continue !!


  宿題ですよ。

    ・・・ っておいおい

コメント一覧

おじゃま虫
ここんとこ、なにげに気になるのが、ローマ字で表記した
時に「D」が頭になるタイトルのページで、『堕天使』も
そうですが、このページも「D」ですよね。

『堕天使』が、Dark Angel などに言い換えられるように、

『醍醐味』もドラスティック・テイスト(Drastic taste)
やドラマチック・テイスト(Dynamic taste) あるいは、
ダイナミック・テイスト(Dramatic taste)などへの言い
換えが可能です。

調べてみたら、他にも『脱出劇』『泥仕合』『大発見』
『大実験』『脱真実』などが見つかりますが、これらも
言い換えができるとしたら、何かあると言えませんか!?
ゴスペル999
まあ、そう言うこっちゃ!

しかし、ここで言う「ホンマでっか!」の醍醐味は、大どんでん返しよりも、「えっ、まさかホンマかいな!?」っちゅう感じやろね。

「それ、わしのセリフやけど、何んでアンタだ言うねん」みたいな・・・
🔰若葉マーク
しばらくの間、ノン・レスポンスだったので、忘れかけていましたが、寄ってみて正解でした。
ライブで進んで行くからチェックしろってことですね!
ゴスペル999
いやあ、この頃のわいは石部堅吉やね。 表現が堅いわ!

やっぱ、標準語は肩が凝る。今の方が気楽にじゃべれるわ。

若葉マークはん、答えはすぐには出やしまへんで!

読み続けるしかあらへんけど、もう、時間オーバーやし、来-へんかな!?
🔰若葉マーク
じゃあ、どんな「ホンマでっか!」と「どういう醍醐味」
なんですか?
ルート1/2
ここで言う「ホンマでっか!」と「何という醍醐味」って、そういうことじゃないような …

名前からしても、割り切れないんで、あしからず!
デッキブラシ
そうなんだよ。ココナン君!
しかし、何だな。 君はおいしいとこ持ってくねえ!
ココナン
僕とは見解が違いますが、言いたいことは分かります。

でも、デッキブラシさん、大皿に伸ばしているのは右手じゃなくて左手ですよ!

右手→右手→右手→右手と来ていたから右手って打っちゃったのかな?

「その中央に立つ男は胸に添えるようにして犠牲となるイエスの方向をそれとなく右手で示し、大皿に乗った生贄の神の小羊にそっと左手を伸ばしている」って言いたかったんでしょ?

それにしても、うまく構成されていますよね!
デッキブラシ
いっ、いかん! 興奮しすぎて前のコメントで『無礼講』とすべきところを無頼漢と打ってしまった。

要するに、ペテロの視線の先にいる緑の服の白髭の男が手前右の男を右手で指さし、その男の右手の先にあるナイフと対極に位置する手前左の男の右手の先にあるナイフおよびペテロが右手に握るナイフの刃先がすべて中央に立つ男に向けられているわけで、その男の右手が大皿に乗る生贄の羊に添えられる。

ここに、この男がユダであり、緑の服の白い髭の人物がイエスであるとする「ホンマでっか」な説が完成されたのである。

ああ、「何という醍醐味」なのでしょうか!  自画自賛の嵐の中でクラックラッしてしまいそうです。

これでオチの(しょうもな・・・)につながるわけですね!
デッキブラシ
ゴメン。ペテロの視線、ヨハネじゃなくて、緑の服の白髭男の指先だったんだ!
次号『無頼漢』でのコメントで、みのる氏が言ってるユダを指し示す人差し指をね。

それで、晩餐の時点で裏切り者を知ってるってことは、この男がイエスである可能性が浮上したわけで、俺が対抗に指名した中央のイエスらしき男のユダ説も消えたわじゃないかも、
ただ、この男が指をさしてるのは手前右の男だけどね。
そこで、3本のナイフの刃先がすべて中央のイエスらしき男に向いている謎が解けるんじゃないの!
ココナン
しかも、そのペテロが、それから夜明けまでの間に3度もイエスを知らないと言うわけですよね。
ところで、ゴスペルさん、皿の上の羊の頭については別の機会にってことで、
次はヤコポ・バッサーノの小道具とダ・ヴィンチの罠との関連性だそうですが、そうか、小道具の中に羊の頭も入るのか!?

でも、生贄の羊の視線の先はワインを飲む男じゃなくて。手前左の男かもしれませんよ。
デッキブラシ
しかも、その黒い衣装の2人の間で、「裏切者を刺し殺してもいいですか」とナイフを握っているのがペテロですよね!
ただ、その視線がイエスでなく、ヨハネに向いてるのが気になるけど。
ゴスペル999
はからずも、次号の「無礼講」にて大方の見解が示されたわけであるが、江戸川ケイシ君の見方が、この場合の答えに最も近かったようである。
むろん、納得しているわけではない。
鑑賞者に目をやる人物や動物には一切触れていないからである。
ただ、次回に大皿にある羊の頭の謎とやらに挑むとのことで、期待してみたいと思う。
繰り返しになるが、この絵の中で黒っぽい衣装をまとっている人物は、ワインを飲む男とイエスだけであることを忘れないで欲しい。
🔰若葉マーク
すみません。 初心者の新参者ですけど、一応、念のためにアピールしときますが、「全員ユダ説」の言い出しっぺは、たぶんボクですので・・・

透明人間2号
想像を超えた内容のコメントに、記事の変更が追いつきません。

自分が蒔いた種で自業自得だから仕方ないのですが(涙)

ここでの答えをまとめると、ドイルさん式のポイントに従えば、手前右の男が最有力で、ほぼ並んだポイントの2位が背を向けてワインを飲む黒づくめの男で、手前左の男が3番手のようです。
また、みのるさんや江戸川ケイシさんのように、イエスを裏切る者が多数、あるいはユダに匹敵する裏切者の可能性を全員に求めるような考え方も示されました。

確かに「ユダは誰」ではなく、「ユダはどこ」との設問ですが、レトリックのようなものではありません。

そもそもの問題は、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に関連付けてのことですから、その辺りから推理するのもいいでしょう。

次回の記事に皆さんの解答と似た内容があったとしても、盗作やコピペだとは思わないでくださいね(汗)

それらを省いているといつまでたっても更新できそうにないのでよろしくお願いします。
ゴスペル999
それはね。 犬と猫が鑑賞者に訴えかけているのさ。
ユダの正体を知る目があると・・・

ポヨヨン君、いや、ポヨヨンさんだろうな。

でも、手前右の男じゃないよ! 料理された生け贄の子羊も、イエスも、右から3人目の男も、こっちを見つめつつ、左側をチラチラ見てるんだよ。

もちろん、それはペテロが「こいつだ」と左手で示している奴だけど、わかるかな?

実に面白い問題だよね!
ポヨヨン
こちらを見ている目がいくつもあるのに、誰もあまり問題にしないのね?

気になるんですけど・・・
江戸川ケイシ
思うに、ポヨヨンさんの指摘はこの問題(ユダはどこにいるのか?)の本質を突いています。

前のコメントでも言ったようにネット等で調べれば、自ずとユダが誰かはわかります。

にもかかわらず問題として提示したということは、趣旨が違うということです。

ドイルは最後に逃げを打ちましたが、「ユダは誰か」ではなくて、「何処か」というレトリックに気づいたのかもしれません。

このドンチャン騒ぎのような構図には作者なりの魂胆があるはずで、その場合に旧来からのユダの特徴をあてはめることが妥当かどうかにも議論の余地がありそうです。

そうした観点から、このシチュエーションを眺めると、みのるさんのいう「イエスを裏切者はどこ?」とか、「誰もがユダになり得るのが人間である」とするメッセージのようにも思えてくるのですが・・・
ポヨヨン
ネットでググると手前右の男で決まり、そんな程度のレベルなの?
江戸川ドイル
もう答えを絞らなければなりませんが、まだ決めかねています。
とりあえず、ユダの特徴がより多い人物にしようと思い、ポイントをつけてみました。

手前右の男(4ポイント)は、デーブルのこちら側で、左手に隠し袋を持ち、髪やヒゲが黒く、ネコが傍にいる。

左から3人目(4ポイント)は、黒ずくめで、ただひとりワイン(イエスの血)を飲み、赤茶色の髪とヒゲで、ただひとり背を向けている。

手前左の男(2ポイント)は、テーブルのこちら側で、濃茶の髪とヒゲくらいで、ヨハネと同じ配色の服はポイントにならないし、ココナン君やむらさき納言さんの言う配置や配列の意味も分からない。
ただ、構図的に本命の手前右の男と対比関係にあることは確かで、だからこそ気になるのはデカンタもワイン入りのグラスもパンもナイフもナプキンも、この男のためにセットされているように見えることです。

他の人物はせいぜい1ポイントどまりで論外ですが、決定的な決め手が見つかりません。

誰かひとりに絞るとしたら、ネコはともかく犬も重要なファクターだとすると忠実な犬が背を向ける手前右の男という結論になります。

結局は消去法で手前右の男がユダであるとしますが、それはあくまでもユダは誰かの答えであって、ユダは何処かの設問でのファイナルアンサーではありません。
ポヨヨン
子供じみた探偵ごっこだと思いながらも、また来てしまいました。

ブログ本文ではなく、コメント欄が目当てです。

犬は忠実なる僕、忠誠心をあらわすとすると丸まって寝そべりながらもこちらを見ているわけは何?

邪悪の象徴である猫も恐い目でこちらを見ています。

料理された生贄としての羊もこちらを見ているような?

そして、イエスと緑のチョッキの男性も・・・

いったい何が言いたいの?

ああ、早く答えが知りたい!
透明人間2号
迂闊にも、浅はかだったことに気づかされました。

単に「この男やあの男がユダだ」とか、一部に特定された解答が寄せられるものと安易に考えていたので正直、面食らっています。

コメント欄の答えを抜粋しながら、次回での答え合わせを兼ねた解説を予定していたのですが、皆さんの盛り上がりが半端なく、また内容も深く吟味され咀嚼された推理が展開されていて、再三にわたる記事の修正を余儀なくされる事態となっています。

これまでにカギとなる要素の大部分が指摘されているようですので、答え合わせは、このコメント欄を通して履行することにして、次回の記事では、大まかなまとめ的な解説に変更させていただきますので、ご了承ください。

ここで推理するうえでの参考として、酒もまわり、会話もはずんで宴もたけなわにあるようだという状況をあげておきますので、さらなるユダへの追及をお願いします。
むらさき納言
ファイナルアンサーしちゃってますので、今さら変更できませんが、でもいいです。 「初志貫徹します」って、ちょっと大袈裟かな?

皆さん(みのるさんやゴスペルさんなど)の解説もさることながら、ココナンさんのコメントで「あはっ」です。

配置・配列ですね。了解しました。

やはり、初心を貫いて、この場合におけるこの問題の答えは手前左の男がユダだと思います。
江戸川ドイル
みのる氏、並びにゴスペル999氏の回答に感謝します。
ありがとうございました。

限りなく手前右がユダだと思いつつも、何故かしっくりとこなかった理由がわかりました。

それはココナン君のコメントとも関連しますので控えますが、ゴスペル999氏やデッキブラシ氏の推すワインを飲む男にも心が動かされます。

ファイナルアンサーはもう少し待って下さい。

ココナン
拡大したアップの画像を探して見たら、ドイルさんの言うように、イヌもネコもこっちを見ていたので論拠が崩れちゃいました。

それでも、僕はやっぱし手前の左の男がユダだと思います。

その理由は、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と共通するメッセージがあるという2号さんの言葉から、たとえ手前右の男の手に銭袋らしきものが握られていたとしても、それが密告で得た銀貨だとは限らないし、その持ち主がユダだとも言い切れないわけで、それをエサだと判断しました。

それよりも、人物の配列や配置の方が重要で、そこに本題の意図があるのだと思いました。
次回での答え合わせの時に支障があるとまずいので、ここではダ・ヴィンチと同じというメッセージと配置の妙味から手前左がユダであるとだけ指摘してファイナルアンサーとします。
デッキブラシ
江戸川ドイル氏の①.④の疑問とゴスペル999氏の説明に力強い応援を得た気分です。

なんせ、イエスがユダなら「ホンマでっか」だし、「「何という醍醐味」だもんね!

でも、イエスの服装は黒と白(薄いピンク)のツートンで、こっちを見ているもうひとりも犬も猫もツートンのぶち、ほぼ黒系一色に見えるのは左から3人目だけ・・・

よって、従来通り、そいつがユダの本命で、イエスが対抗の連複馬券で勝負。
ゴスペル999
ドイル君の疑問に答えよう。

①は、聖餐(聖体変化)、つまりパンとワインがイエスの体と血であることのメタファなのだ。
②は、そうだとは言えないが、逆に神の使いの象徴という場合もあり得る。
③は、服の配色だけでなく、頬杖を除けば身体の傾きや両腕のかたちもほぼ同じで、この意味するところは深いので省くが、一種の変身を意図している。
④は、デカンタの向こうにある取り皿もひとつだが、ワインのグラスは二つある。
但し、もうひとつはビールジョッキのようなもので左から3人目の黒づくめの男が飲んでいる。
要は、この男がユダである。
⑤は、この絵画がヨハネ伝ではなく、マタイ伝他の共観福音書に由来していることを示しているが、これも複雑なので説明を省く。

④で示したユダの根拠は、①の聖体変化、つまり、イエスの血であるワインをただひとりだけ飲んでいるからである。

以上、ファイナルアンサー。 なんとも痛快な問題だ。
みのる
「ユダ」はどれか?の問いであれば、12人中の一人であるので、今回の絵でいえば手前右でしょう。

ただし「ユダ」に見える怪しい人物が、皆さんのコメントの中から複数あげられています。
ドイルさんの①⑤もそうです。

そこで「ユダ」を「イエスを裏切る者」と置き換えてみてはどうでしょう。
「ユダ」は一人ですが、「イエスを裏切る者」は複数いたと表現したく、怪しく見えるように描いたとか?


②正直者のペテン師さんと同じ。
③ただの偶然か、ヨハネさえも怪しく見せたかったか?
④頭だけというのはちょっとグロい。取り皿やワイングラスの数は、テーブル上がごちゃっとしないようにか、人数分ではなく適当な数の作品の方が多いと思います。

正直者のペテン師
①、偶然の結果とか?
②、そうとも限らないかも?
③、絵の具がそれしかなかったとか?
④、ワインデカンタの向こうにあるのは?
⑤、料理された羊の目もこっちを見ているような?

わたしは正直者のペテン師ですが、うそつき村の出身です。
江戸川ドイル
一般的なユダについてのコメントを兄が代弁してくれましたが、この問題が求めている答えには辿り着けないでいます。

気になる点を書き記しますので、答えられる人がいたら教えて下さい。

① ペテロの持つナイフも、テーブルの上のナイフの切っ先も、イエスに向いている。
(しかも、テーブルのナイフの柄は手前の左右の人物の右手に近いところに置かれている)
② ネコが忌み嫌われる悪魔の手先やユダの象徴である場合は黒ネコか、濃い灰色で描かれる。
③ イエスの前で眠る少年ヨハネと手前左の人物だけが同じ配色の衣装をまとっている。
④ テーブルには羊の頭が乗った大皿だけで、取り皿はない。
(ワインデカンタもグラスもひとつ・・・)
⑤ アップでみるとネコの目も犬の目もこちらを見ている。
(それとシンクロするようにイエスと右から3人目の人物もこちらを見ている)

以上ですが、

こう思うというようなヒントでもいいのでお願いします。
正直者のペテン師
皆さん騙されちゃいけませんよ。
無用な忖度や推理が多すぎます。

ここは王道で手前右がユダに決まってるでしょうが!
むらさき納言
コメントで透明人間2号さんは「小生なりのユダ」と言っていますので、みのるさんを始め、他の方々が正解とする手前右の男がユダという指摘は、やはり2号さんの答えとは違うのだと思います。

本文中にも、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』と共通のメッセージ(入れ替え?)が隠されているとか、名前(手前の二人)を消すペテンに騙されてはいけないとも言っていますので、個人的には、ココナンさんと同じく、手前にいる二人のうちの左側の人物がユダであるとします。

これが、ファイナルアンサーです。
江戸川ケイシ
ドイルから正解を書くべきか相談されて、とりあえずお茶を濁しておけと言ったのですが、ゴスペル999さんはもちろん、ドイルもみのるさんと同じ答えを知っていました。

というか、誰でもネットで調べれば、誰がユダかはわかるでしょう。

問題は、この文脈がどこから来ているかです。

行間を読めば、一般的な答えを期待していないことがわかります。

もちろん、どこかの時点で一般でいう正解は欲しいわけで、その意味からはみのるさんの答えは必要不可欠で、たぶん、なかなか正解が出なければ、ゴスペル999さんか、ドイルが答えていたでしょう。

ちなみに、ドイルが「羊の頭に訊け」と言ったのは、羊の顔の向いた方向にユダがいるという意味で、「(銭袋を)隠しているのはそいつだけじゃない!」というゴスペル999さんの言葉も同じ意図によるものでしょう。

透明人間2号さんの言う「予想外の展開」がどういうものかはわかりませんが。
ゴスペル999
おそらくは、みのる氏の答えが正しいのだろうが、私が出題者で答えに採点を下すとしたならば、他の者と同じ得点しかあげられない。

なぜなら、2号氏が求めているのは正解ではないからで、私ならデッキブラシ氏やココナン君に高得点をつけるだろう。

ああ、なんとも愉快な問題だ。
🔰若葉マーク
イエス以外の全員が裏切り者のユダと同じだというメッセージが込められているとか、あるいはイエスも含めた全員が罪人だということかも。

どうしてもイエスの顔が嘘つきのペテン師のように見えてしまうのと犬がイエスに対して背中を向けて丸まっているようなので・・・
ココナン
みのるさん。 ありがとうございました。

早速、ギルダンライオの最後の晩餐で調べて確認しました。
確かにネコが少し離れたところにいて、こっちを見つめてすわっていました。

でも、不思議に思ったんです。

一人だけ光輪がなく、反対側にいて、浸したパンを手に取り、黄色い衣装を羽織っている。
さらに、近くにネコがいて、そのネコがこっちを意味ありげに見ている。

ユダを知らしめる特徴をこんなにも重ねる必要があるのだろうか?
と、そんな風に思ったんです。

そして、問題のヤコポ・バッサーノの絵を見ると、ユダの特徴がバラバラに分けられていることに気づいたんです。

テーブルの向こう側にいる2人の男、黒いヒゲの大勢の男たち、黒い服や黄色い服、隠されている銭袋にネコの存在・・・

「実に愉快な問題だ」と言うゴスペル999さんの言葉とダ・ヴィンチの最後の晩餐と共通するメッセージが隠されているとする2号さんの文章。

これらを踏まえたうえでの僕の結論は、みのるさんとは別のもう一人の反対側に座る手前左の男をユダだとします。

理由は、背を丸めて威嚇するように立つネコの視線が寝そべっている犬の顔を向けた方向を介して左の男を指し示していると思うからです。
透明人間2号
いろいろな答えをありがとうございます。

たくさんのユダがいて正直、嬉しくもあるのですが、予想外の展開に困惑もしています。

正解と言うか、小生なりのユダについての答え合わせは少し待ってください。

重複しても構いませんので、アナタの思うユダをアンケートのようなつもりで気楽にお知らせください。
よろしくお願いします。
デッキブラシ
裏切りのユダの表現方法に、髭や衣装を漆黒に塗るというのがあったので、こちらに背を向ける黒髭に黒碧色の服の男と見たわけですが、同じく黒茶の髭に黒い衣装の男がもう一人いるので、この妖しい眼差しでこちらを見つめるイエスもどきの男を次の候補とします。

理由としては、犠牲となる「神の子羊」に手をつけようとしているからで、その場合のイエスキリストはもう一人こちらを見つめる右から3番目の男とします。
みのる
ユダを見つけるには、光臨が一人だけないとか、テーブルの反対側に一人で座ってるとか、銭袋を持っているといった点が判別しやすいですが、さらにネコが描かれている場合は、ネコに近い人物が怪しいです。
ネコは中世の時代では嫌われていましたので。

他の作品を例にすると、ギルランダイオの最後の晩餐でもユダの側にネコがいます。

あと、こちらの画像は小さいので見えにくいのですが、大きな画像でみると左手に銭袋のようなものもちらっと見えます。
ココナン
惜しいも何も、右隅奥の男が気になるというだけで、ユダだとは言ってません。
その男のヒゲは不明ですが、黒っぽいヒゲの男がイエスも含めて7人いますので、その中にユダがいると思います。
さらに、こちらに視線を送る人物はイエスと右から3番目の白ヒゲの男の2人だけですが、
イエスの右手はむらさき納言さんの言う黄色い服の男を指しているとも見えるけど黒ひげじゃないし、どこにも決め手が見つかりません。

テーブルの手前右の男だと言うみのるさんの根拠を教えて下さい。
むらさき納言
なんだか知ったかぶりのドイルさんですが、ユダには伝統的に黄色い衣を着せるとか、
そうなると、イエスの横でテーブルに両ひじををつく男の右手が見えないのでそこに袋を隠し持っているとか・・・
江戸川ドイル
「実に愉快な問題だ」とするゴスペル999氏の言葉と、銭袋を隠しているのは「そいつだけじゃない」という文章から、真犯人とすべき本当のユダの正体をゴスペル999氏は知っていて隠していると思います。

多分、それが2号さんの意図だと察知したのでしょうが、銭袋を隠し持つ男は別にいます。

そいつがユダですが、今はまだ明かせません。
羊の頭にでも訊いてください。
みのる
ユダは、テーブルの手前右のネコさんがすり寄っている人物だと思います。

ゴスペル999
実に愉快な問題だ。

手前の二人を除外し、左奥で手を振る男を否定したうえで、ユダは何処だと問うが、その三人の中にユダは居ないとは言っていない。

而して、ユダは何処かと・・・

ズバリ言おう。この中で目立たぬように右隅でひっそりと潜む男に気づいたココナン君、惜しいな!

その前の黒ひげの男だよ! 手に何かを隠し持っているように見えないか?

それをこちらに視線を送る隣の白髭の男から「これは何だ」と質問され、その横から禿げた白い髭の男が覗き込もうとしていて、やはり、こちらを見つめるイエスが右手で「あっち」とばかりに指をさすといった場面ということで、
隠しているのは銭袋なんだけどね。

だだし、隠しているのはそいつだけじゃない!

こう言えば、2号氏に真意が伝わるでしょう?

実に愉快な問題だ! 
ココナン
デッキブラシさんの言う濃い黒緑色の服の男が背中を向けているので、僕も怪しいと思いましたが、誰とも話さず目立たぬように佇んでいる右隅の奥にいる男も何か秘密を持っているようで気になります。
デッキブラシ
面白そうなのでチャレンジします、
如何にも怪しい顔つきのイエスの前で居眠りをこく少年ヨハネと右手でナイフをちらつかせて「こいつがそうだ」と左手でうながすペトロじいさん。
その手の先を追うと「「違う違う」と否定するように手を振る男がいるが、これは文中にもある引っかけで、その手前のこちらに背を向けるイエスと似た黒碧色の服を着た男と見たが、いかがでしょうか?
むらさき納言
「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切るでしょう」
「ホンマでっか」「何という醍醐味」というセリフとトマス(大ヤコブ)の人差し指も、ペテロ(ヨハネ→?)が持つナイフの意図も、なんとなくわかったような・・・

パッとつながったんです。いろんな謎が、

でも、それを言っちゃいけないんですよね。

ちなみに、宿題の答えは、これから探します。
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