お母さんは買ってくれない。
泣く。
しばらくすると、お母さんはどっかへ行ってしまう。
泣いて瞑っていた眼が大きく開いて去っていく母親を確認する。
そんなとき、子供はいままでとは違う泣き声を発する。
ボリュームが上がり、手足をジタバタさせる。
そんな声が好きだ。
「伝わらない」と分かっていても「分かって欲しい」と思う叫び。
頭では「駄目だ」と分かっているからこそ、どうやって抑えていいのか分からない苦痛の叫び。
「ボクは生きているよ」と、体いっぱいの表現。
僕がボーカルとして歌うとき、言葉の端々にそのような感情をこめることがある。
できることなら分かってほしい、でも、分からなくてもいい。
ただ僕は叫びたいだけだ。
大人は駄々をこねたりはしない。
経験を重ねるごとに、「結局は他人」ということを知り、どんなに深い仲でも本人ではないのだから「気持ちを分かることなどできない」と知る。
分かっているのに、分かって欲しいと思うのは何故だろう。
分からないのは当たり前なのに、分かってくれないとどこか寂しかったりする。
子供は、拒絶されることで自分の無力さを知る。
そして母親は、「他人」の存在を身をもって教えている。
本当のことは分からない。
それでも僕は、叫ぶことをやめないだろう。
最新の画像もっと見る
最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事