窓を閉めているのに、外で唸っているような音が聞こえてきます。
そういえば小さいころ、「風はどこからくるの」というような、身の回りのことに対する疑問が次から次へと頭の中を生めていました。
そのたびに、大人や先生に「なんで」「なんで」と聞くのですが、そのうちに「すべてを知ることはできない」ということに気がつきました。
現在ではあまり、疑問を解こうというような気持ちがありません。
そういう自分は、あまり好きじゃない。
「分かること」は実は「分かっているつもり」だったりする。それは分かっていないのと一緒。
空気は暖かいほうから冷たいほうに動く習性があります。空気、というよりは「熱量保存の法則」による自然現象の一部なので水でも「動き」があります。
「そうか、だから風があるのか」
と、分かった気分でいるけど。
じゃあ、なぜ、そんな事がおきるのか。
なぜ、粒子が存在しているのか。
台風はなぜあんなに強いのか。
「分かった後にあるまだ分からない事」に目が行かなくなるのです。
「分かったからもおいいや」って。
「どおして地球が丸いって言えるの? 先生宇宙に行ったことあるの? その目で見たの?
もしかしたら先生自身が騙されているのかもしれないよ?」
「見てはいないが、丸いというのは事実なんだ、間違ってはいない」
「昔の人は天動説を信じていてそれを間違っていないっていってたよ、そういうことも踏まえて地球が丸いということを完璧に間違っていないといえるの?」
「そういうもんなんだって覚えろ」
「そういうものだって思っていたら何も見えてこないよ、上から言われたからそのとおり信じていたら鬼畜米英だって正しいことになっちゃうよ」
このような会話を学生時代によくしていました。僕はそのとき、見えないものを見ようとしない先生を含める大人たちが大嫌いでした。
そんな、大嫌いな大人になりつつある自分がいます。
今も、窓の外で風が唸っている。
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