がいますが、まさに哲人ディオゲネスを彷彿させ、自然を
愛した芸術家フンデルトヴァッサーにも一脈通じる現代版
ディオゲネスのような生き方を実践している人物が米国に
いることを 遅れ馳せながらも 5月25日付静岡新聞日曜版
の特集欄 BOOK での書評で知ることになりましたが …
読み進むうちに、樽の中で暮らしたディオゲネス
とも、樽はタルでも 「足るを知る」 を説いた老子
とも違う似て非なる哲学だと感じるようになったのです。
『樽の聖者のこぼれ話』 でも書いたように
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/308.html 参照
人類の歴史上、最大にして最悪の発明が 「貨幣」
であるといつも感じている 2号 にとっては …
「お金にとらわれない生き方ができたら …
誰でも時折そんなことを考える」
そんな刺激的な書き出しで始まるノンフィクションライター
中澤まゆみ氏の書評は魅力溢れる興味深いものでした。
「ただ、節約くらいはできても、お金のない生活を続ける
ことは現代社会では難しい。 ホームレスでも世捨て人で
もなく、前向きな生き方として実践している現代人がいる」
「米国ユタ州の砂漠地帯の洞窟に住む本書の主人公
『スエロ』 (スペイン語で土の意)もその一人だ」
「原題は 『金を捨てた男』 。15年前に全財産の30㌦
を電話ボックスに置き去りにして以来、彼はお金と無縁の
生活を送る。なぜ、お金を手放すことを選んだのか。それ
が彼に何をもたらしたのか」 … と続きます。
著者は社会への反抗の末、出掛けた旅の途中でスエロ
に出会い、皿洗いを一緒にしながら理想を共有したことも
あるライターで、リーマン・ショックを経て、自分の中に再び
芽生えた貨幣経済への疑問と「自由」の意味を、スエロと
その家族を含めた関係者を訪ね、探ったノンフィクションで
『スエロは洞窟で暮らすことにした』
マーク・サンディーン 著 吉田奈緒子 訳
… という大いに共感はそそるも、決して真似はしたく
ない いや、普通人には真似しようにも出来るはずもない
だろうと思われる生き方をそのまま邦題にした一冊です。
「資本主義の煩わしさとは無縁の生活」 という響きには
少々躍らされますが、甘ちょろい生活に慣れ親しんでいる
現代人には超人的なサバイバルはムリでしょう
なにしろ寝る場所は洞窟の中で、食事はゴミ箱の残飯を
漁ったり自然に生息する木の実や野草や死んだ動物(リス
やタヌキ)などで、時には見知らぬ人々の施しや友人から
の差し入れによって食糧を得ています。
スエロには哲学があって、食事について言えば、無料で
恵んでくれる物や捨てられた物、すでに死んでいる動物は
食すが、行政による福祉サービスの世話にはならない。
社会保障制度のある国では貧困者に対し手を差しのべる
システムがありますが、彼は自発的な贈与でなければ受け
取らないそうで、公的な福祉サービスや民間のホームレス
向けシェルターなどの慈善事業は利用しません。
理由は国民が義務で仕方なく納めている税金で賄われる
ものは自発的ではないからで、安易に物乞いをすることは
ないわけです。
人々の善意や無償の厚意ならば受け入れるという姿は、
貧しくとも依存するイメージからは程遠く、逞しくも自立と
自前の生活をエンジョイしているようにも映ります
一方で、スエロは見返りを求めない能動的な贈与者でも
あるのです。
日々ボランティアや農作業の手伝いに精を出しています
が、労働に対する対価は受け取りません。
そこにお金は介在しないのです。
「他者からの無償な贈与には負い目を感ずることなく
受け取り、自分は見返りを気にせずに惜しみなく与える」
これが彼の哲学なのです。
その意味では、
「足るを知る」 を唱えた 老子 の考えに近くとも、
無為徒食 なディオゲネス とは大違いです
『老子とディオゲネスの樽』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/305.html 参照
書評に戻ると、
スエロの半生は、まさに悩める米国の若者の象徴で …
キリスト教原理主義の家庭に育ち、大学で進歩的思想に
目覚め、海外支援や福祉の現場で働く中で世の中の矛盾
に葛藤し、自分がゲイであることに気付いてうつ病になり、
断崖から車で飛び込んで自殺未遂…
その後 「太古の先住民の砂漠」の町に移り住み、うつ病
を自力で治す過程で「魂の自由」を阻む不安の源が
貨幣経済 だと確信した彼は、アラスカの荒野、インド
からチベット、米国内のコミューンなどを旅し、求道の旅の
終わりにお金を捨てるわけです。
以来、彼は仕事はするが金銭は受け取らない。住み家は
洞窟と友人宅。 食べ物など一切は採集ともらい物で賄う
生活を続け、「無償で受け取り、無償で与える」という摂理
を、図書館の無料パソコンとインターネットを通じて人々に
発信しています。
以下が、スエロのブログサイトのURLですが …
http://zerocurrency.blogspot.jp/
もちろん英語です。 中々興味深い内容のようですよ
さて、翻って考えてみたときに、
果たして、お金を使わずに生きていくことなど、我が日本
において可能なのだろうか
山林など広い土地を持っていれば、ある程度の自給自足
は可能でしょう
しかし、電気、ガス、水道 などは使えません
多少のサバイバル技術や能力だけでは、自然をも含めた
かたちで管理社会化が進む日本のような国での無銭生活
は極めて困難というよりも不可能だとさえ思われます。
時代を下れば、隠者や世捨て人たちが、宗教的な修行や
人間不信的性向行為として孤独な生活を送っていたのかも
しれませんが、それにしてもまったくお金を使わずに生きて
いくことなど本当にできたのでしょうか
たとえば、
ブッダの初期修行期や老子の晩年の隠棲時には、お金
など一切必要としなかったかもしれませんが、『徒然草』で
有名な遁世者の吉田兼好にしても、まったくお金を必要と
しなかったわけではないでしょう。
ただひとつ、樽に住みついてからの、否、彼の場合には
棲みついてからという表現がピッタリのディオゲネス
には一片のコインも必要ではなかったことは確かです。
彼は、人間を支配しているのは神ではなく、お金であると
看破していました。
すべての元凶である貨幣 こそが悪しき神々で
あると悟っていたからです。
そうして、樽に棲みつき、ランプひとつで気ままな生活を
送っていたのです。
一方のスエロはいろいろな集まりに出掛け、互いに善意
の贈与を交換して積極的に人々とつながっています。
むしろ受動的な ディオゲネス とは反対に、活発に
外界と接触し関係を保とうと努力をしているわけでブログの
更新などを通して人々にメッセージを発信しているのです。
スエロ は、お金 は 「幻想」 だと言い、
ディオゲネス は、「悪しき神々」 だと
思っているわけですが、貨幣至上主義的な世の中に生きる
我々にとって、はっとさせられるような新しいコミュニティー
のあり方や「心の自由」についての意味合いを考えて
みたい人には最適な一冊なのかもしれませんね
少なくとも、
今の生活を見つめ直すキッカケにはなりそうですが、
正直、この世界に飼い慣らされた2号には、いくら興味
があっても 絶対に 無理 で~~す
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