透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 指芝居

 「手は口ほどにものを言う」

 舞台(壁画)の上での指先の演技が姦(かしま)しいのも
『最期の晩餐』特徴ですが …

 西洋美術、それもキリスト教美術で手の表情が重要視
されるのは、旧約聖書に「神」隠喩として、よく
用いられるものに「神の手」があるからです。

       


 絵画を見れば、そのかたちはさまざまであるということに
気づきますが、手の表情のひとつひとつに隠された意味が
あって、それらを読み解くことでその作品の本質が浮かび
上がって見えてくるのです。

 それでは、



 これらの指は何を語ろうとする演技なのでしょうかquestion2

 いわゆるVサイン(ピースサイン)peaceは、「祝福」
表わしますが、人差し指と中指は離さずに軽く指先を折り
曲げるかたちがどうやら基本のようですが …



 この赤子は一体、何(誰)を祝福しているのでしょうかquestion2



 この三人三様の手と指の演技力はいかがでしょうかquestion2


 パーンして引きの画面にズームアウトしてみましょう


  『岩窟の聖母』ルーブル美術館版 (1483-1486年)

 まるで悪魔の化身が威嚇するかのように恐ろしげに
見えた一番上の手は悪魔や魔女ではなく 聖母マリア
の左手だったのですね



 そして、大天使ウリエル(またはガブリエル)の



 「ネっ、見て見て、あっちよ」

 と言う声が聞こえてきそうな人差し指と流し目の名演技 …


 ところで

 この場面での登場人物は、聖母マリア、大天使ウリエル、
幼子(赤子)のイエスと洗礼者ヨハネの4人の構成ですが、

 少し色彩を落として見ましょうか。



 左側で拝む姿の幼子と右側で祝福のポーズをとる赤子
のどちらがイエスでどちらが洗礼者聖ヨハネでしょう

 これだけではどちらがどちらなのか判別するのは難しい
ですよね。

 ここにもダ・ヴィンチの罠が仕掛けられているのですが、

 他の聖母子画では、ヨハネを描く際にはアトリビュート
(象徴する持ち物)として、らくだの毛皮(羊の衣)と杖状
の細長い十字架(葦の十字架)が配されることで、それを
持っている人物が洗礼者聖ヨハネであると一目で即座に
判断できる仕組みになっています。

 つまり、こうです。


  『岩窟の聖母』ナショナルギャラリー版(1495-1508年)

 このように、『岩窟の聖母』はパリ・ルーブル版と
ロンドン・ナショナルギャラリー版の2枚が存在します。

 では、何故2枚も描かれたのかというと、依頼主である
ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ教会との度重なる
トラブル(代金の支払い問題など)により完成から引渡し
までに20年以上も費やした受難(いわく付き)の作品に
なってしまったからなのです。

 当初のパリ・ルーブル版の完成が期限に間に合わず、
契約金の4分の1 しか支払われなかったために裁判
になってしまったとされていますが、実際は作品の画風
(テイスト)が依頼主の嗜好に合わなかった。

 要は、教会の気に入らなかったことが原因でしょう

 とにかくもダ・ヴィンチと弟子たちは代金回収のために、
もうひとつのロンドン・ナショナルギャラリー版を制作して
協会側に納品したわけです。 

 何が依頼主の気に入らなかったのかといえば … nose6anger

 2つの作品を見比べれば、一目瞭然ですね



 ルーブル版には宗教的な小道具は一切ありませんが、

 ナショナルギャラリー版には光輪が描かれた聖母子と
細長い十字架を携えて、腰には皮の衣が巻かれた幼子
が描かれています。 



 細長い十字架と皮の衣といえば、洗礼者ヨハネの伝統的
なアトリビュートですから、それを身に着けている左の幼子
が洗礼者聖ヨハネということになります。

 しかし、

 ルーブル版でダ・ヴィンチは、左側の幼子に薄い衣を身に
纏(まと)わせてはいるものの、はっきりとヨハネであるとは
せずに、大天使ウリエルに「あちらは誰かしら」
というように不敵な微笑みを浮かべながら絵画の外にいる
鑑賞者に訴えかけています。



 おそらくは、このも依頼主の反感を買ったので
ナショナルギャラリー版では変えられていますよね



 大天使ウリエルが意味ありげに指さす先には聖ヨハネの
姿があるのですが、これだとこちらがイエスだと言っている
ようで勘違いをされる懸念を協会側は怖れたのです。

 依頼主はそれが嫌で嫌で、納品の遅れにかこつけては、
支払いを渋り続けたというわけですね

 仕方なく教会の要望に沿うように十字架を携えた洗礼者
ヨハネと光輪のある聖母子を描いたのは、長引く裁判事情
に背に腹は代えられぬ状況にある弟子たちがお金をもらう
ために描き加えたのでしょうが、あきらかに、ダ・ヴィンチの
意図は違っていました。

 『最後の晩餐』でのトマスに仕掛けられた
“人差し指”は、こうしたルーブル版でのトラブル
がその呼び水動機になっていることはほぼ間違い
ありません

             

 さて

 この絵の影の主役洗礼者聖ヨハネです。

 表向きは『岩窟の聖母』ですが、裏のタイトルは
『イエスの洗礼』だったのではないでしょうか。



 十字架を持たされ、らくだの衣を着せられてしまいました
が、本当はこちらがイエスで両手を合わせて洗礼を受ける
ポーズをしています。



 こちらが洗礼者聖ヨハネでイエスを祝福し、洗礼を授ける
ところを時間を超越して表現したかったのでしょうpeace

 それを意図するようにルーブル版には泉が下に描かれて
いますが、ナショナルギャラリー版にはありませんnose7

 大天使ウリエルが介添人となって、洗礼者聖ヨハネによる
『イエスの洗礼』が行なわれる場面がルーブル版の
『岩窟の聖母』のもうひとつの真実だったのです。




 その傍証として、ラファエロの3枚の絵画を見てください。

 上から順番に、『ベルヴェデーレの聖母』
『小椅子の聖母』『美しき女庭師』ですが、
いずれも洗礼者ヨハネはイエスよりも下に位置しています。


         『ベルヴェデーレの聖母』

            『小椅子の聖母』

            『美しき女庭師』

 つまり、

 その頭は常にイエスよりも下の位置に置かれ、イエスを
仰ぎ見るかたちになっているということです。

 もうひとつ挙げるとすれば、ダ・ヴィンチの師匠筋である
ヴェロッキオの『イエスの洗礼』(1472-1475年)
では、合掌するイエスに洗礼を施す洗礼者聖ヨハネの姿
が描かれています。



 要するに、この両手を合わせて拝むかたちの幼子イエス
のポーズは洗礼に臨む姿として表現されているのです。





 さらに、この4人の構成は大天使ウリエルを聖アンナに
置き換えると例の謎の“人差し指”がスケッチされた
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
デッサンと同じです。



 勘のいい人は気づいたかもしれませんが、聖母マリアに
抱かれる赤子のイエス幼児のヨハネを祝福するポーズを
とっていますが、聖アンナの左手は、『岩窟の聖母』
(ルーブル版)での大天使ウリエルの右手の仕草とシンクロ
して、赤子のヨハネ幼児のイエスを祝福するというように
左右で逆転する手を介してその意味が反転することを暗に
示しているのです。

 洗礼者ヨハネとイエスの年齢が、わずか半年違いである
にもかかわらず二人には明確に年の差がつけられている
のはそのためで、ラファエロが描く作品にもそのような傾向
(影響)が見てとれますが、果たして、彼がその意図や真意
を理解していたのかどうかは不明ですnose7

 とにもかくにも、

 この下絵が描かれたのは『最後の晩餐』でのトマス
の謎の“人差し指”が描かれた時期から少しだけ時間
が経過した1498年~1500年頃のことのようで …

         

 この左手のサインは 『岩窟の聖母』(ルーブル版)
での大天使ウリエルの右手から『最後の晩餐』での
トマスの右手へ、そしてトマスの右手から意味深な聖アンナ
の左手のスケッチへとバトンタッチされたわけです。

             

 ここでの注意点は、右手から右手は同義または同じ人物
を指し示し、左右が逆転すると対義あるいは別の人物へと
その意味や対象が変化します



 それが故に『聖アンナと聖母子』では、聖アンナ
の左手は聖母マリアに覆われるかたちで (洗礼者聖ヨハネ
のエンブレムである葦の十字架を暗示する)杖を隠し持って
いるわけで、聖ヨハネは子羊の姿へと変身しているのです。



 ここでのレトリックは、洗礼者ヨハネがイエスに発した
「見よ、神の子羊」( ヨハネ1:29-36)のフレーズ
をイエスから洗礼者聖ヨハネに転化させているわけです。

 そして、一旦隠された『指の謎』は、最後の最後 …

 最終的には、『洗礼者聖ヨハネ』の天を突き刺す
“人差し指”となって未来に告発して終演するのです。

         

 もっとも、「何を告発しているのか」
大問題なのですが …

 その答えは、もう少し待ってくださいase2


 換言すれば

 『ダ・ヴィンチの罠』が仕掛けられた舞台での

 『指芝居』の第一幕が『岩窟の聖母』
最終幕でのフィナーレが『洗礼者聖ヨハネ』であり
、そのとしてのクライマックス(最高潮)にあたる
のが『最後の晩餐』なのかもしれませんね

 あるいは、それらの全部をひっくるめてのトラップ
ダ・ヴィンチの我々への挑戦だったのかも …

 そして、これらの顚末の予告とも予言とも思える描写が、

 『東方三博士の礼拝』 right 『マギの礼拝』
にあったのですが …

 それは次回の 『ダ・ヴィンチの罠 サイン』
解説することにしましょうpeace


 さて、どうでしょうか

 おぼろげながらもなんとなく輪郭が見えてきましたか

 終生、ダ・ヴィンチが手放さなかった3枚の絵の秘密
は、『謎の指』とは別物ですが、まったく無関係という
わけではありません。

【ダ・ヴィンチが手放さなかった3作品】

『聖アンナと聖母子』  『モナ・リザ』  『洗礼者聖ヨハネ』


 前者は極めて個人的でプライベートな隠し事ですが …

 後者は公共の利害に関するパブリックな問題で未来社会
に訴えようとしたオフィシャル(公式)なものだったのです。


  
 『最後の晩餐』の使徒ヨハネ 『岩窟の聖母』の聖母マリア


     「あちらが主イエスですよ」  

  『少女の横顔』と題された大天使ウリエルの習作

      

 「それで主は何と仰せられたのだ」



 … to be continue !!

       

コメント一覧

小吉
後半わかりにくいけれど何かを突いている感覚はあります。

次回期待。
むらさき納言
★ ほんと、主は何と仰せになられたのでしょうか?
透明人間2号
アッコちゃん、なるべくわかりやすい説明を心掛けます。

乱愚鈍さんのファースト・ネームは、ロバートですかねぇ?
ラングドン教授。

ドイルさんの指摘にはいつもドキッとさせられますが、
イントロというよりもキッカケでしょう。
プロローグでの小道具ですね。
江戸川ドイル
右手で祝福する天使ガブリエルの左手にある白百合が問題で、
これが次回へのイントロですか?
乱愚鈍
似かよった推理はいくつかあるけど、やっぱ俺のが最高だぜよ!
皮肉のアッコちゃん
わかる人には分かるんだろうね?
チンプンカンプンなんすけど・・・
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