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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 失望感

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 失望感(改)』です。

 (以下、本文)

 

 一本の魔笛が奏でる奇妙なメロデーに、
世界中の国々の人々がこうもやすやすと
まるで蜘蛛の巣に絡め捕られるかのよう
に踊らされてしまうとは ・・・


    『魔笛』イメージ l-tike.co

 一体、何たる事態(コロナ禍)なのか


  新型コロナウイルス(COVID-19)

 この騒動(プランデミック)を見るにつけ、
大きな嘆息とともに、悲しみの淵に沈んで
いるのは レオナルド・ダ・ヴィンチなのかも
しれません。



   ふぅ~ ・・・


 ところで

 「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の構成
が、プロテスタント的再構築(宗教改革)
ではないキリスト教的世界観の脱構築
に、最終目標があったとする方向性での
推理」を、次回において展開してみたい
と 先の『次元枠』にて申し上げました。

 知ってか知らずか、おそらくは気づいて
いないのだろうと思われるのですが、

 サルバドール・ダリは、ダ・ヴィンチから
何らかのメッセージを受け取っていた
のではないかと思われるほどに「罠」
解析における補助線的な役割を担う
ような作品を数多く残しています。

     
     サルバドール・ダリ

 それらはキリスト教的世界観を現代的な
タッチで表現していますが、妙に「罠」
の構造や組み立てにマッチするスタイルで
色濃く表象されているようです。

 フリー百科事典

 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、

 自分の制作方法を 「偏執狂的批判的
方法 (Paranoiac Critic)」と称し、写実的
描法を用いながら、多重イメージなどを
駆使してのような作品(主に風景画)
を描いていたダリでしたが、

 
 『十字架の聖ヨハネのキリスト』部分 archives.bs-asahi.co.jp

 第二次大戦後にはカトリックに帰依し
宗教画を連作するようになります。


 『イエスによるキリストの昇天(ピエタ)』 www.amazon.co.jp

 そんなダリのキリスト教的宗教作品の
数々と「ダ・ヴィンチの罠」における
構造上の類似点とを相互に比較・検証し
ながらキリスト教的世界観が放つ虚構
からの『脱構築』についての思索
深めてみたいと考えますが、

 その前に、

 2次元の目で捉えた対象物を脳の機能
が勝手に補正操作をして 3次元(3D)の
世界を見せているように、


脱次元イメージ(iStock.com)itmedia.co.jp

 思考実験的に、2D以上の「脱2D」
すなわち、「脱次元」を目標において、
新たな『次元枠』を模索しているのが
「ダ・ヴィンチの罠」における特徴
のひとつだということを、まずは 始めに

     

 ご理解していただきたいと思います。

 さて

 サルバドール・ダリの作品については、

 『ダ・ヴィンチの罠 継承者』
 
 においても、いくつか紹介していますが、
記事の一部を引用してみましょう。

 数々の奇行と逸話で名を馳せたダリは、
フロイトの精神分析や哲学書を読みあさり、
幻覚や夢などにおける錯乱的な精神心理
を独自の写実手法で捉えた超現実主義の
画風で知られていますが、


     『記憶の固執』(1931年) 

 ダリの代表作『記憶の固執』での
ふにゃふにゃのやわらかい3つの時計は、
それぞれに異なる時刻を示しています。

 それを現在・過去・未来の象徴だろうと
想像するのは鑑賞者の勝手でしょうが、

 問題は4つ目の時計であろうと思われる
オレンジ色の懐中時計の存在です。


 『もっと知りたいサルバドール・ダリ』村松和明著の表紙

 DALIの文字のⅮの上にある一品ですが、
リューズ(竜頭)が見えるので懐中時計だと
思いますが コンパス(方位磁針)の可能性
もゼロというわけではではありませんnose7

 表面に屯(たむろ)する蟻のように見えて
アリではないナノテクノロジーで開発された
超機械的な異物 ・・・


      『記憶の固執』部分

 何千ものナノ・マシンが連動して機能する
ひとつの機械生物(昆虫型のミニロボット
やマイクロ・ロボット)たちの集まりのように
見えなくもありません。

 だとすると、

 未来世界を先取りした予言めいた作品
とも言えるわけですが、

 美術批評家たちによれば、

 これは蟻で、ダリの絵画ではアリやハエ
などの虫は腐敗や死の象徴なのだそうで、

 現在の自分から見れば、記憶に残る過去
の時間はゆっくりと崩れて溶け出し、腐敗
した時間の中で残った記憶は「過去の残滓」
あるいは残渣物として、心に留まっただけの
残りカスであって、それが自己を固執させる
深層を形成してゆくのだとか ・・・

 

 ふにゃふにゃの時計はアインシュタインの
『一般相対性理論』を下敷きにして
導かれる空間の歪(ゆが)みや時間の遅れ、
いわゆる時空の歪(ひず)みを取り入れた
もので、互いに時間の異なる 3つの時計は
夢や幻想の中で現在・過去・未来が一体化
している状態を表現したものであると評して
いますが、

 まあ



 ダリから言わせれば、徐々に溶けていく
カマンベールチーズを見て「進行する時間」
と「溶けてゆくチーズ」の様子が同じものの
ように思えただけのことで、

 あくまでも

 そこにヒラメキがあっただけだとか

    

 さすれば、
 
 ダリの作品はにもわからない」

 たぶん、

 本人自身にもわかっていない」

 ということなのでしょうか

 然は然りながら

 それから23年後に描かれた続編となる


  『記憶の固執の崩壊』(1954年)

 作品では、それぞれの時計が変化・変容
して、懐中時計は消えてなくなり、かわりに
第4の時計がキューブの海に沈んでいます。

 これらのキューブは、ハイパーキューブと
呼ばれ、原子と宇宙を象徴し量子論的には
原子核の分裂を表わすものです。

 言わば、原子爆弾による核分裂と破滅の
イメージなのでしょうか

 少なくとも小生には、ダリの方程式による
計算され尽くした作品であって、
 
 ダリの作品はダリにもわからない」
のではなく、方程式変数ダリ以外
には不明なだけなのだと思われます。

 いやいや、そうではなく、

 そこには遠大深淵なるダリの世界
があるという人がいるかもしれませんが、

 「誰にもわからない」 

 は少々言い過ぎであって、ダリの奇行は
ハッタリであり、一種異様なパフォーマンス
であったのだと思われます。

 「自分の芸術を真に理解できる
    のは数学者だけである」


    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)



 と綴ったレオナルド・ダ・ヴィンチ
仕組んだ、緻密な計算のもとに綿密に設計
され組み立てられた「罠」重層的
迷宮に比べると ・・・



 ダリのそれは同じような「騙し絵」
「隠し絵」にしてもそうですが、


   『サルバドール・ダリの騙し絵』

 誰にでも理解可能な範疇のものであり、
そこが奥深い「謎」を秘めたダ・ヴィンチ
の絵画との大きな相違点かもしれません。

 とはいえ、いや、だからこそ、

 ダリの作品には誰もが惹かれる魅力が
あるのであって、特にカトリックに入信して
からの宗教画には魅了されるばかりです。


  『Christ of Saint John of the Cross』
    『十字架の聖ヨハネのキリスト』

 ハイパーキューブでつくられた十字架や


  『ハイパーキューブの十字架』

 そのシンボル(十字架)が故に磔られた


  『ハイパーキューブの十字架』

 イエス・キリストの磔刑図にしても、


      『Crucifixion(磔刑)』

 『最後の晩餐』の特異な構図や


      『最後の晩餐』(1955年)

 正十二面体を模った世界観にしても、

 

 実に興味をそそられる作品なわけです。

 ここまでの引用で、ハタと気付かれた
方もいるかもしれませんが、



     「ん !!

 ダリの描くキリスト教(カトリック)絵画は、
まるで、『ダ・ヴィンチの罠』の設計図
や展開図を見るかのようにシンクロします。


  『ハイパーキューブの十字架』

 たとえば

 ハイパーキューブが象る十字架のは、
原爆による戦争や原発などの登場により、
中心に据えられた地球の荒廃が進み、
「死の惑星」となる未来図をキューブ
の墓碑が象徴しているような構成です。

 今日の新型コロナ(感染爆発)の脅威は
自然への挑戦による驕った“人間の欲望”
に対する自然界の「しっぺ返し」なのか

 はたまた、増長した“人間のエゴ”が引き
起こした人為的な恐怖なのかは別にして、


  出典:kokusai-enkaku-kyoiku.co.jp

 つまり、人工的な細菌兵器による謀略説も
含めての人災的な出来事であるにせよ。
 
 要は、

 人間のレベルで正否や是非を識別し、正邪
や正誤を判断し、善や悪を論じたとしても、



 結局はエゴという枠から抜け出せない以上、
自然破壊にストップがかかるということはなく、
いずれは手痛い「しっぺ返し」を食らわされる
ことになると、そう予見していたと受け取れる
言葉がダ・ヴィンチの手稿に散見されます。



 「人間の巧妙さが、自然が創造するものより
 も美しくシンプルな、あるいは 正確な発明を
 することは決してできない。 なぜなら自然の
 女神の創造物には 何ひとつ欠けるところが
 なく、何ひとつ過分なものがないからである」

     (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 今で言うエコロジー(ガイア理論)の思想
を持っていたダ・ヴィンチは、

 「自然は自己の法則を破らない」

 要するに、

 「法則を破るのは、常に人間だ」

 と言いたかったのです。

 さて

 環境汚染や自然破壊、急激な気候変動
や資源の枯渇等々、現代社会が直面して
いる諸々の問題は、どれをとっても地球
規模の全世界的な問題で、かつての人類
が経験したことのないものばかりですが、


      出典:blog.goo.ne.jp

 我らがレオナルド・ダ・ヴィンチ
過去の地球の姿から未来の地球の情景
までを『モナ・リザ』の背景に描写して

   

 自然破壊が引き起こす悲惨なる結末
警告していましたが、終末思想
終末預言の解釈には懐疑的でした。

   

 それ故に、人類に対して、

 (サムシンググレートright自然)からの
鉄槌が振り下ろされることがあるとしても、
そこに反キリスト存在サタンなど
を見ることはありませんでした。

 それは今現代において、現実に体験する
新型コロナの騒動とも共通します。

 ひょっとすると我々は何者かが演出する
虚構のパンデミック・シナリオに踊らされ、
振り回されているだけかもしれません

 それはさておき


  『ハイパーキューブの十字架』

 ハイパーキューブが象る十字架のは、
一見すると、正六面体(立方体)の展開図
そのものですが、

  
   正六面体(展開図) xrea.com

 よく見ると何かがおかしいのです

 3次元(3D)の遠近法では起こり得ない
構図(有機的結合)での描写が為され、
前正面が2次元(2D)で 奥行きに広がる
3次元(3D)の空間は 明らかに整合性に
欠ける歪みがあって内的必然性の齟齬を
容易に感じさせています。

 我々の目に真実は、たった一つだけの
ように見えますが、今、我々に見えている
世界は現実の一部分で、「真実」は一つ
ではないのです。




 ダ・ヴィンチは、そうした考えを基本ベース
に数々の「罠」を作品に組み込みました。

 この「罠」は、実際に感知可能な現実の
世界とオカルトの世界のほかに 解析能力の
有無、言わばリテラシー(読解力)の優劣
によって、その理解に大きな違いが見られる
という特徴を持っています。


 『洗礼者聖ヨハネ』 の鏡絵 deskgram.net

 但し、ここでは情報を伝える側のリテラシー
(適切なる表現)は完全に度外視され、むしろ
誤解を生む恐れのあるような微妙なタッチの
描写に終始しています。

 これを指して、

  
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 最近のマス・メディアの報道姿勢を揶揄して
いると受け止めていただいても構いませんが、

 それこそが、「罠」としてのダ・ヴィンチの
狙いでもあったのです。


 たとえば、もし、仮に


      出典:blog.goo.ne.jp

 キリスト(救世主)がイエスではなく、


      出典:blog.goo.ne.jp

 また、十字架上での贖いも、



 復活奇跡パウロが紡いだ虚構
のドグマ(シナリオ)もなかったとしたならば、

  
       使徒パウロ

 果たして、


   イエスの足跡 blog.goo.ne.jp

 我々の住む世界での歴史や出来事は
どのように変わっていたのでしょうか


   ISIS イスラミックステート wikicom

 おそらくは劇的に違った景色と空気が
流れていたはずです。


   ISIS イスラミックステート Wikipedia

 ところで、

 『ダ・ヴィンチの罠 展開図』

 などで解説したように、

 レオナルド・ダ・ヴィンチの作品をジャンル
ごとに4つずつのグループにカテゴライズ
してみたものが下記に示す一覧です。

     

   【女性の肖像画】

  1 『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』
  2 『白貂を抱く貴婦人』
  3 『ミラノの貴婦人の肖像』
  4 『モナ・リザ』

   【男性の肖像画】

  1 『サルバトール・ムンディ』
  2 『音楽家の肖像』
  3 『洗礼者聖ヨハネ』
  4 『自画像』

   【野外・荒れ野】(背景)

  1 『受胎告知』
  2 『聖ヒエロニムス』
  3 『東方三博士の礼拝』
  4 『アンギアーリの戦い』

   【岩場・洞窟】(背景)

  1 『岩窟の聖母』(2作品)
  2 『糸車の聖母』(2作品)
  3 『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
  4 『聖アンナと聖母子』

   【窓のある作品】
 
  1 『ブノワの聖母』
  2 『リッタの聖母』
  3 『最後の晩餐』
  4 『カーネーションの聖母』


 それぞれのグループには1つずつ下線が
ひかれた作品がありますが、上から順に、



 『ミラノの貴婦人』は、両手が隠されていて、

  
 『ミラノの貴婦人の肖像』(1490-96年)

 『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』は、下絵
としてのドローイングであり、


  『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』

 『自画像』は、デッサン的な肖像画であって、

 
    『自画像』(1512年頃)

 『アンギアーリの戦い』は、失われた幻の壁画、


 『アンギアーリの戦い』ルーベンスによる模写

 『最後の晩餐』は、第二次大戦による戦禍
の中で破壊されずに残った奇跡の壁画です。


  『最後の晩餐』(1495年-1498年)

 つまり、

 それぞれのグループには 他とは違う要素
を持つ作品が1つずつ存在するということに
なりますが、それが偶然によるものなのか、
そこに何らかの意図が隠されているのか

       

 現時点では、残念ながらわかりません

 このジャンル分けしたカテゴリーの中で

   【窓のある作品】
 
  1 『ブノワの聖母』
  2 『リッタの聖母』
  3 『最後の晩餐』
  4 『カーネーションの聖母』

 窓が描かれた4つの作品のうちの3つに
聖母子が描かれているのに対し、聖母子
が存在しない『最後の晩餐』が入って
いるのは不自然との指摘がありました。



 確かに、『〇〇の聖母』という題名通りに
聖母子だけが描かれる中で、13人の人物
が登場する『最後の晩餐』があるのは
どうにも不釣り合いではあるのですが、

 逆を言えば、



 『最後の晩餐』は、『最後の晩餐』
ではないのかもしれませんし、人物の中に
聖母子が隠されているかもしれないという
可能性さえ出てくるわけです。

 さらに言えば、

 ダ・ヴィンチの作品とされる絵画の中には
窓が描かれていない聖母子像があります。

 『バクルーの聖母』、『ランズダウンの聖母』
と呼ばれる2作品です。


 『バクルーの聖母』と『ランズダウンの聖母』

 そして、『〇〇の聖母』と名付けられる作品
だけが複数にわたり描かれているのですが、

 作品数の少ないダ・ヴィンチが聖母子だけ
を何枚も描いたのはどうしてなのか

 これは、大きな「謎」と言えるでしょう

 実は、そこにこそ、キリスト教的世界観から
脱構築に関する重要なヒントが隠れて
いるのですが、

     

 それはまた、次回での解説といたします。


     「え !!

 要するに、

 今回の記事の内容では、到底なことに
『脱構築』できなかったということね



 だから、それは、次回に、

 「持ち越しになったんじゃよ」

  

 冒頭でダ・ヴィンチも、

 「タメ息ついてるし・・・」

 ま、期待してただけに失望しちゃうわね。



 しかし、ダ・ヴィンチの場合には、


    『魔笛』イメージ l-tike.co

 何者かが奏でる(コロナ禍)の
音色に踊らされる現代人の不甲斐なさを
嘆いてのことじゃろう

  

 きっと、言い知れぬ

 『失望感』に打ちのめされてるのね。

 

 「そ、そうかものぅ ・・・」

   ・・・ っておいおい



 それにしても、『ダ・ヴィンチの罠』
ダリの作品との関連性はどうなったんだ



   むむむ ・・・


「キャンセルカルチャー」をキャンセルできるか!
  出典:japan.techrepublic.com

 今更ですが、

       

 『脱構築』キャンセルできるか



 なんちゃってね !!

 そうなったら、『失望感』の極みですが、

 … to be continue !!
      (… to be continued !!)

 ココだけの話だけど、本当の聖母子像は

 多分、ひとつだけのような気がします。


 『ミラノの貴婦人の肖像』部分 jugem.jp

 この貴婦人の目がそう言っているように
見えるのは小生の気のせいでしょうか

コメント一覧

やぶにらみ
奴は反バイデンで親ロシアじゃとか、そういうレッテル張りや善悪二元論的に対極に分けて2極化する印象操作はもうムリですな。

バイデンジャンプと騒がれた2020年の米大統領選に何の違和感も覚えなかったとしたなら、それはそれで問題じゃが、言葉や映像でいくら印象操作をしても、人はそういったものだけで真実を判断してるわけじゃないですぞ。

何故かメディアは選挙不正はないという流れでその手の報道をしないというあからさまな「偏向」に真の事実が隠されていると見ているが、

ロシアとウクライナの戦争においても、ロシアを一方的に悪としてしか報道しない違和感と「偏向」する報道に対しては徐々におかしいと肌で感じ始めているが、果たして、焦点の定まらない「やぶにらみ」なんじゃろうか!?
ココナン
3月25日のスピーチでプーチン大統領は、何の根拠も示さずに「日本の教科書は米国の虐殺行為を説明しない」などといった主張を展開したと自民党関係者が言っていたそうだが、プーチン大統領は何か間違ったことを言ったのかな?

原爆投下にしろ、東京大空襲にしろ、虐殺は明らかなのに!
出たとこ勝負
一つの考え方しか許さない、そんな国になっているのは日本に限らず欧米諸国も似たり寄ったりだと思うよ。

「全員、右向け右!」の事態に、むらさき納言さんの嘆きもわからないわけじゃないけどね。
ココナン
とにかく、何もかもがおかしい気がします。

ロシア軍の将官である中将、少将クラスが殺害されているのは異常だし、軍として、まったく機能していないように思えてしまう。

そもそも、過去の戦争の記録を読み解くと左官クラスの死亡ですら稀なことだったようで、尉官クラスは前線に出ているのでそれなりに死亡するが、それでも死亡率は下の階級と比較すると断然に低いわけです。

正直、将官がこんなにポンポン死ぬなんて信じられないから、最初はウクライナのプロパガンダかと疑っていましたが、続報が出てくるし、ロシア側もそれを否定しないからそういうわけでもなさそうだし、戦場で何が起こってるのかまるでわからない?

将官が相次いで戦死って、異常事態を飛び越えて、オカルトの世界のなかでの話のようです。
おじゃま虫
連日、西側のメディアが人々に見せているのは本当に真実の姿なのでしょうか?

ドイルさんと同じく、私もずっと変だど思ってたんです。

もちろん真実は分かりませんが、ドシロウトの私でも遠出をするときはガソリンを満タンにしますし、必要なものを準備します。

ロシア軍やロシアの軍人が、戦車のガス欠などといった到底あり得ない初歩的なミスを連発したり、軍事演習だと思っていたなどの発言の他にも色々とありますが、軍隊では絶対に考えられないと思うのです。

訓練にしたって、何十回も何百回もシュミレーションしてるはずだし、何故みんな変だと思わないのかと不思議に思ってたんです。

私たちは「虚構」を見せられているのでしょうか?

だとしたら 演出家や監督は誰なのですか? 

仮想現実はコンピュータが創りだす映像だとばかりに思ってましたが、アナログな仮想現実が世界のあちこちの舞台で上演されているのでしょうか!?
江戸川ドイル
事実を自分自身で確かめ、検証することはとても難しい。

結局、少しでも真実に近づこうとするならば、情報の整合性や偏りに違和感を感じ取れるかどうかがカギになると思う。

「大衆は小さな嘘より大きな嘘に騙されやすい」

バイデン大統領の行動や言動も極めて不可解であり、暗殺を避けて移動しているというゼレンスキーに至っては、移動先から国民や世界に向けてメッセージを発信する部屋がいつも小綺麗なのがとても奇妙に感じられて変なのだ。

"地獄への道は善意で舗装されている"

これもまた、大方の場合、偽りのない事実なのだろう!
ドナドナ
米国のラーム・エマニュエル駐日大使は26日、広島市での岸田文雄首相との会談で、ウクライナに侵攻したロシア軍を巡り「女性や子どもを含む無実の人々を無差別に攻撃している。病院や避難所など民間の施設と知りながら意思を持って攻撃している」と批判した。プーチン大統領については「考えられないような形で、世界に脅威を与えている」と非難した。

大使の発言が事実ならば、この無差別攻撃こそが明らかなるジェノサイドである。なぜ西側諸国はそれを指摘して激しい非難の嵐を吹かせないのだろうか!?

とにかく、この戦争はとても奇妙で何かがおかしい!

何年か前に、とある掲示板に載った動画で,WWⅡ戦勝国の集いがあって大スクリーンに広島,長崎に原爆が落とされる映像が流れたとき,オバマや各国の首脳が拍手とともに歓声を揚げる中、一人プーチン大統領だけが十字を切って黙祷したことを思い出した。

真実が知りたい。
やぶにらみ
その意味からはゼレンスキー大統領のオンライン演説の際に大あくびをしていた林芳正外務大臣には、むしろ、大いなる希望が見い出せるのかもしれませんな!?

なんちゃって、もちろん、冗談ですぞ! くれぐれも誤解のなきように・・・
むらさき納言
日本でのゼレンスキー大統領の演説の後、すべての国会議員が立ち上がって拍手している姿を見て、中国共産党の全人代?と同じ状況になっている異様さに言い知れぬ恐怖を覚えたのです。

一つの考え方しか許さない、そんな国になってしまったのかと思うと、落胆だけでなく失望感に打ちのめされる思いがします。
ココナン
正直、何が真実かはわからない。

もしも、先に手を出した方が、一方的に悪いということになってしまうと、日本で議論されようとしている敵基地攻撃能力も先制攻撃で先に手を出すことになるわけですが・・・
負けるが勝ち
至近な例で言えば、ウクライナでは現在進行形で身体的暴力(虐待)が行われている状況下にあって、まずはこれを止めることが先決である。

ウクライナにも非がなかったのか? 本当にプーチンだけが悪者なのかという議論は将来的には必要で大切だとは思うが今は優先順位が違う。
きくらげ
ゼレンスキーは「英雄」か? ウクライナに武器と金を送ることは本当に「正義」なのか?

といった類の記事をちらほら見掛けるようになってきた。

前のコメントで、仮にプーチンが米国の罠に嵌まったとしても、武力侵攻には正当性が担保できない。

そして、どんなに抗弁しても、主権国家に武力で侵攻して一般市民を殺害する行為に弁解の余地は見い出せない。

と書いたが、民間人でも武装したからには、敵にやられても文句は言えないのも事実だ。

だから、現在のキエフのように、大統領が民間人に武器を配って市街戦や籠城を要請するなら、政府が彼らの死や苦しみに責任を持たなければならない。

従って、少なくともこの一点においては、すべての犠牲者をロシア軍だけのせいにはできないはずであると思うのだが。
江戸川ドイル
ゼレンスキー大統領だけど、日本での演説ではTシャツではなく長袖姿だった。

言葉や服装を国ごとに選び分ける繊細さを絶賛する声も聞かれるが、情報が容易に他の国々に伝わらない時代であればこの手法は非常に有効だと思うけど、つまり、相手によって態度を豹変させる可能性が高いとも言えるわけで、兄貴の言うようにどこか戦略的で胡散臭い人物のような気がしないでもない。

各国に対しての内容は当然脚本家がいて、演出家もいるんだろうが、我々はそれほど無知でもなければ幼稚でもない。

どこに対しても誰に対しても一貫した態度でなければ信用に値しない。

裏では舌を出し、バカな連中だと蔑んでいるかもしれないないのに表面上で良しとしている日本人の何と多いことにあきれてしまう。

お花畑な国民と呼ばれるわけだ!
負けるが勝ち
実はマスコミに踊らされているようで、冷静な一部の庶民はじっと本質を見ている。

武器商人に操られているというような趣旨を秘めたコメントに思えるが、ウクライナにジャベリンや、スティンガーがなかったならば、このような粘り強い国土防衛戦によって、これだけの世界の支持を得ていただろうか?

旧ソ連圏の東欧諸国や、ジョージアやウクライナが、NATO加盟を要求するのも、ロシア大国主義の恐怖が身にしみているからに他ならないのだと思うが・・・
ココナン
近視眼的にはウクライナの善戦は、歓迎すべきことなのかもしれませんが、ロシアは対戦車砲ジャベリンと携帯対空ミサイルスティンガーに苦しんでいるとか・・・

そうした映像は、どこかCMっぽく作られていて武器や兵器のアップとその精度(命中率や破壊力)の解説がついています。

ところで、スナイパーであるウクライナ兵士を殺す為に生物兵器、化学兵器を使用すると噂され、実際に準備に入ったようだとの憶測もありますが、どこか武器商人たちの内覧会に招待されたような気分です。
おじゃま虫
誤解されそうなので断っておきますが、ゼレンスキー大統領の服装を非難したり批判してるのではありません。

ただ、何となく不自然と言うか、災害時に日本の首相や大臣がいかにも新品の作業着をわざとらしく着て会見することの裏返しというか、その反対のパフォーマンスを演じているように見えてしまうのです???
おじゃま虫
初春とはいえ、今日は真冬のように寒い一日でしたが、ウクライナはもっともっと寒いことでしょう。

個人的にどうしても気になるのがゼレンスキー大統領の服装(Tシャツ)です。

外では寒さをしのぐウクライナの方々が防寒着を幾重にも着込んでいることと比べると些か奇妙に見えてしまうのです。

戦時下にある状況だから略式の軍服代わりかもしれませんが、どうしても違和感が拭えません。
ココナン
てか、バイデンがアウトでしょ!

以下はノンフィクション作家である河添恵子氏のライブ配信(3/21)の URL です。

https://www.youtube.com/watch?v=mD7uDM4UuSc

ウクライナの惨状には心が痛みますが、プーチン大統領にも三分の理がありそうです。

少なくとも米国の正義には大いなる疑問符が付くようです。
刑事プリオ
目下のところ「領土と国民の命を守る正義の味方」を演じるゼレンスキー・ウクライナ大統領に国際世論の軍配が上がっている。

その一方で破壊と殺戮を続けるプーチン露大統領は、バイデン米大統領に言わせれば「極悪非道な戦争犯罪人だそうで、少なくとも西側諸国ではそうしたレッテルを貼っているようである。

往々にして、こういう場合には「大どんでん返し」の逆転劇が待ち受けているもので、刑事のカンでは、ゼレンスキーはアウトである。
やぶにらみ
ケイシ氏の洞察力には敬服しておるが、いくら何でも、今回は言い過ぎですな!?

穿つにしても限度がありますぞ!
江戸川ケイシ
あくまでも、個人的な、しかもそれが、直感という曖昧模糊とした感覚でしかないものを頼りにコメントするわけですが、ウクライナのゼレンスキー大統領とは波長が合わないというか、どことなく怪訝で胡散臭いニオイを感じるのです。

誤解を恐れずに言えば、詐欺師やペテン師やまがい物に身を包んだ道化師の趣きで信用に足る人物とは到底思えません。
きくらげ
仮にプーチンが米国の罠に嵌まったとしても、武力侵攻には正当性が担保できない。

過去の歴史を振り返れば、確かに似たような手法を駆使して米国は戦争を誘導している。

幅寄せして追い詰め、アオリ運転で、恐怖に火をつけ、前に出てきて急ブレーキで追突を誘う。

だが、どんなに抗弁しても、主権国家に武力で侵攻して一般市民を殺害する行為に弁解の余地は見い出せない。

とは言え、ロシアやプーチンの絶対悪にレッテル張りされた一方的な報道にはメディアへの疑問と失望を禁じ得ない。
江戸川ドイル
一方の報道をデマだと認定するプロパガンダは戦時において常識だけど、欧米寄りの報道ばかりでロシア側からの情報は極端に少ない。

少なくとも戦争は「悪」だと言えるし、侵略は許されるものではない。

だが、しかし、「ロシアが“悪”で、ウクライナが“善”という論調にはいささか違和感を覚える。

現実はそんなに単純じゃないし、西側が絶対的に正義なんだと決めつけるのは傲慢以外のなにものでもない。

我々が自由主義陣営に属してるからと言って、その価値観のみを信奉し絶対正義だと考える方がおかしいのだ。
ココナン
軍事のことはよくわからないけれど、今回のロシア軍によるウクライナ侵攻は何かしっくりこないというか、腑に落ちないことばかりなのです。

ロシアが苦戦しているとの報道で持ち切りですが、兵站が滞り長い車列で身動きの取れないロシア軍にウクライナ軍は何故攻撃して駆逐しないのかも不可解だし、軽々には言えないけど何か芝居を見せられているような感じです。
むらさき納言
ホント、何を信じていいのやら・・・

基本的には通常流されるTV報道でしょうけど、これが問題だから困るのよね!
小吉
難しい。ああ難しい難しい。
ダリの絵を久しぶりに見ましたね。
刑事プリオ
ウクライナへの侵攻の報道を見ていて、奇異に感じることは多々ある。

戦時下にある街にしては、まだ300万人もの市民がキエフに残っているようだし、スーパーの品ぞろえも豊富で特段の変化が見られない。

本当に戦時下にある都市なのだろうか!?
江戸川ドイル
とにかく、先の米大統領選を見てから、メディア報道が信頼できないものであると自覚した。

それ以来、日本の報道はもちろん、海外からの情報にも疑いの目を向けている。

むろん、何が真実かは容易にはわからないが、一方的な報道には注意が必要だ!
おじゃま虫
なるほど、確かにそうですね。

報道されるウクライナ侵攻の映像には違和感を覚えるものが少なからずありました。

ミサイルで攻撃されたとされるテレビ塔も激しい爆発の炎はありましたが、倒れることもなかったですし、戦車の映像もどこかチグハグです。

ですが、本当に、何が真実の出来事なのでしょうか!?
ココナン
以下の動画を視聴して、ケイシさんの言ってることが完全に腑に落ちました。

https://www.youtube.com/watch?v=Cmnpn93FS9Q
江戸川ケイシ
ヨーロッパでのコロナ禍による扇動劇が収まりつつある今、再び「魔笛」に踊らされるように始まったのがロシアによるウクライナへの侵攻劇のように感じています。

新型コロナをプーチン大統領に置き換え、ワクチンビジネスを武器などの軍需ビジネスに置き換えれば、そっくりそのまま通用するプロットです。

この世界のカラクリに、抗うすべを持たない弱者のひとりとして、絶望こそしていないものの「失望感」は全開です!
江戸川ドイル
バイデン大統領と岸田首相は優柔不断という点においては、よく似ていると思う。

そして、そういう人物がトップにいる時に往々にして戦争が起こるものである。

米国の政権が民主党である時代に戦争が起こることも含めて何故そうなるのか、よく考えてみて欲しいものだ!
きくらげ
プーチンにすれば“後悔先に立たず”で失敗したと思ってるだろうが、メンツもあるから早期撤退もし難いし、やめときゃよかったと臍をかんでいるはずだ。

失望感を抱いているのはロシア国民かもしれない!
負けるが勝ち
失望と言えば、ロシアのプーチン大統領だよ!

ベラルーシ南東部のゴメリで停戦協議が始まったが、ウクライナを三方から攻撃するロシアが降伏を求める一方で、ウクライナ側は即時停戦とロシア軍の撤収を要求しているわけで、即時の停戦につながるかどうかは不透明だ。

「後悔先に立たず」で、「やっぱりやめときゃよかった」とプーチンに思わせて欲しいと思うけどね!
むらさき納言
「Despondency」も失望や落胆を意味しますが、

このページのタイトルは『魔の笛』でもよかったのでは!?

魔の笛 → 直訳すれば、Devil's fluteですし・・・

ちなみに、モーツァルトのオペラ『魔笛』の原題(ドイツ)は《Die Zauberflöte》ですね。

「D」は続くよ、どこまでも!
おじゃま虫
「脱構築」って、「破壊」とは違うんですよね!?

ダヴィンチの失望感(disappointment)は相当に深刻のようですが・・・
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