見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 先駆者(改)

 「先駆者」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 先駆者 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 先駆者 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 先駆者』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで49作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 先駆者(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 トランプ大統領が登場して以降、俄かに
使われ始めた言葉がいくつかありますが、

 なかでも、

 ネット上において姦しいのは 「PC」
「フェイク・ニュース」です

 「フェイク・ニュース」は虚偽の情報
からつくられた報道やニュースということで
容易に理解できるのですが、

  「PC」とは何でしょう

 パーソナル・コンピューター(パソコン)の
略語ではありませんよ

 英語で「PC」(political correctness)と
略されるのは、

 「ポリコレ」(ポリティカル・コレクトネス)
「政治的正しさ」と訳される言葉です。

 正確には、トランプ大統領の登場以前、

 1990年前後の米国で大々的に使用され
始め 民主党政権下のオバマ大統領時代
に、差別・偏見をなくす目的で一般化への
拍車が掛かったようなのですが、

 もともとは 原則にこだわりすぎる左派の
姿勢を同じ左派系のメディアがやり過ぎだ
として内部批判する際の常套ワードとして
用いられていたものを、やがて右派サイド
が左派を否定する際に批難語として利用
するようになったのです。

 本来は社会で共有すべき良識や行動を
指す言葉であったものを、振りかざされた
「正義」や押しつけがましい「正しさ」
を安易に強要するだけの言動に対して、

 それを揶揄する目的で使用するように
なったというわけなのですね

 日本では、フェミニズムに反発する言説
LGB‐T(性的マイノリティの総称)に
関する発言などで頻繁に目にしますが、
 
 頻発される「ポリコレ」の大部分は
フェミニズム批判の文脈のなかでの攻撃
(口撃)のようです。

 さて

 反抗期の只中にある若者たちに限らず、
また洋の東西を問わず、とかく いい加減
で 適当な生き方を良とする者にとっては
耳が痛いというか、「ごり押し」とまでは
いかずとも、どこか胡散臭く、説教めいて
感じるものに「BC」があると思います。

 正直なところ、果たして、

 BC=ビブリカル・コレクトネス
(biblical correctness)なる言い回し方法
があるのかどうかはわかりませんが、


  画像元:covenants.jugem.jp   『死海写本』Wikipedia

 「聖書によるところの正しさ」

 言わば「聖書的な正しさ」です。



 と、言っても、

 「ジャスティス」(justice)=「正義」
という意味ではありません。

 もっとも、英語版の聖書には「justice」
自体がほとんど出てこないそうで、

 日本語版で「正しさ」「義」 または
「正しい」とか「正義」と訳される箇所
は、英語では「ライチェス」(righteous)
「ライチャスネス」(righteousness)
になっているとのことですが ・・・

 

 おっと、いかん、いかん、のっけから
話が横道に逸れてしまいそうですase2

 symbol2kirakira2 「正義」については ・・・

 『聖書』では日本的な意味合いでの
「ジャスティス」ではないという点だけ
を一旦、理解しておいてもらって、詳細は
後日、別の機会に触れることにして、


      『死海文書』 (死海写本)

 「BC」(biblical correctness)に
戻したいと思います。
 
 『聖書』に親しむことの少ない日本人
からすれば、『聖書』と聞けば、

 「右の頬を打たれたら、
       左の頬を向けろ」


 とか、

 「信じる者は救われる」

 とか、

 「汝の敵を愛せよ」

 とか、

 これらはすべて『新約聖書』が出典
の言葉ですが日本人には、否、おそらくは
世界的にも間尺に合わないものなのです。

 要するに、矛盾だらけだからです

 頬を叩かれたら、殴り返すか、逃げ出し
たくなるし、信じる者だけが救われるのは
不公平だし、敵を愛する時点で、敵はもう
すでに敵ではなくなっているだろうし ・・・

  

 つまり、

 「BC」には、欺瞞と偽善の薫りが
プンプンと漂うだけでなく、矛盾する事柄
奇跡を演じるイリュージョン故に
辻褄合わせや腑に落とすための合点の
いかない押し売りの正しさがあるわけで、

 プンプン  クンクン       ふむ

  ん! 
 画像元:cinemagene.com & www.pinterest.jp

 「PC」と同様に、それを、

 非難揶揄するようなニュアンスが
やんわりと込められているわけです。

 そんな「BC」の中には、イエス
メシア計画に則った一連の出来事、


  『キリストの洗礼』  ヴェロッキオ工房作

 ヨルダン川での洗礼に始まり、ユダ
の裏切りや磔刑(十字架上での贖い)、


  『Christ of Saint John of the Cross』
    『十字架の聖ヨハネのキリスト』
     サルバドール・ダリ

 そして、


  『Crucifixion(磔刑)』サルバドール・ダリ

 センセーショナルな復活などですが、


           イエスの復活 出典:true-ark.com

           イエスの復活 出典:true-ark.com

 それらの端くれに洗礼者ヨハネ
「斬首刑」妖女サロメ奸計
顛末として案内されているのです。

 
 『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)

 
  『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ


  『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ

 1世紀初期(AD30年頃)のユダヤ社会
における主役の座から準主役を経て


    『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』 カラヴァッジョ(1609年)

 ガリラヤ地方の一領主に絡んだ単なる
脇役悲劇にまで貶められた事件は、

 Amazon.co.jp: カラヴァッジョのポスターと版画。「洗礼者ヨハネ ...  洗礼者聖ヨハネの斬首 (カラヴァッジョ) - Wikipedia

  『洗礼者の首を持つサロメ』カラヴァッジョ(1605年)

 本当にただの端役にすぎない人物の

泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介 ...

 悲劇(斬首事件)だったのでしょうか

    ルーブル美術館 隠れた名品66 ベルナルディーノ・ルイーニ B ...
     『サロメ』部分 

 少なくともイエスは、否、福音書記者は
そのように思わせたいと考えたに違いない
とダ・ヴィンチは想像したわけです。

 「あなたがたによく言っておく。およそ女
から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより
偉大な者は現れなかった。しかし、天の国
で最も小さい者でも彼よりは偉大である」

   (マタイの福音書11:11)

 このように、『新約聖書』において、

 真打ちであるイエスの登壇前の前座
露払いの如く彼をあしらっているのは、

ペトロ(ローマ教皇) | 世界の歴史まっぷ
    『初代教皇ペトロ』 ルーベンス画

 福音書の記者及びペテロパウロ
始めとする初期キリスト教団の意向であり、

    
 キリスト教のドグマを確立したパウロ

 当時、なお、人気に翳りを見せようとは
しなかった洗礼者聖ヨハネ存在
矮小化しようと画策した結果であって、

 『聖書』(当時は旧約のみ)での最後
預言者であったマラキの言を利用して、
「先駆者」という絶妙にして、

 
    『旧約聖書:マラキ書』

 実に収まりの良い旧約時代の最後の
最後を飾る人物として、

   
 『洗礼者ヨハネ』サンドロ・ボッティチェッリ

 四福音書の記者たちによって、巧妙
仕立て上げられたストーリー(物語)が、
洗礼者ヨハネに起こる出来事であり、


          エリヤ(預言者)www.newlifeministries.jp

 新約時代への橋渡しをする先導的
と言えば すこぶる聞こえの良い「前座」
たる「先駆者」というプロットにある
「預言者」として、洗礼者ヨハネ
預言者エリヤに代行させたのです。 

それが、


  (天から送られた火の馬と火の車に乗って天に引き上げられる預言者エリヤ)newlifeministries.jp

 ダ・ヴィンチの見立てたシナリオであり、
彼が心密かに称えるキリスト(救世主)
洗礼者ヨハネ姿でもあるのです。


    『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

  この辺りの推理・考察に関しては、

   
    エリヤ ja.wikipedia.org    

 url『ダ・ヴィンチの罠 預言者(改)』

 を参考にしてみてください。


 ところが、彼らの意に反して、

 何故か、ダ・ヴィンチの時代においても、

Andrea-del-Sarto,-John-the-Baptist.jpg
少年としての洗礼者聖ヨハネ』 アンドレア・デル・サルト

 そして、また

      アンドレア・デル・サルト
『洗礼者聖ヨハネ』 アンドレア・デル・サルト

 現在でも 人知れずに人気が高いのは
イエスよりも洗礼者ヨハネのような
気がしてなりません。

 それは、


 『この人を見よ』ヤコポ・バッサーノ画(1553年)

 「ユダヤ人の王様(イエス)万歳」

  
    出典:plaza.rakuten.co.jp

 ダ・ヴィンチがそう感じたのと同じように
洗礼者ヨハネに共感(イエス)以上の感覚、

 つまり、


『洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ』ベルナルディーノ・ルイーニ

 シンパシーとも、エンパシーとも違う
スピリチュアル(霊的で神聖)な思いを
抱く者が絶えないことからも窺えますが、

   
 『洗礼者聖ヨハネ』部分 1513-1516年

 やはり、そこには、

   

 ダ・ヴィンチの作品を介して、



 ペテロが隠し持つナイフと、

 

 ユダの一途な思いと、


 イエスユダに抱く思惑と、

 そして、顔と手だけ描かれたトマス
指し示す「謎」の問い掛けの意味 ・・・

 

 すなわち、そこに、

 秘匿されるくべき真実一端
垣間見せてくれるトリッキー「罠」
が仕組まれているというわけですがpeace

 その解釈については、

 「レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋」を
運営する「みのるさん」の見解と部分的
に一致しますので、

 
 画像元 レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋

 分かりやすい画像をお借りすることに
いたしました。

 但し、一致するのは、

 顔と手だけのトマスに、斬首された
洗礼者ヨハネの首がメタファ(隠喩)
としてイメージされているという点だけで

    
『サロメ』部分 ベルナルディーノ・ルイーニ

 それも複合する場面の中の1シーンに
おけるワン・カットに過ぎないものです。

 もちろん、

 人差し指のサインナイフなどにも
複合し重層するが隠されていますが、

 それらはまた別の機会とします。

 さて

 今回は予告とは随分と違った予定外
の展開(内容)になってしまいましたが、

 次回こそは師弟関係にあったとされる
洗礼者ヨハネイエスの間の確執
や葛藤、そして軋轢する仲での諍いなど
について言及したいと考えています。

 そして、

 それが「斬首刑」に至る経緯
何らかの影響を及ぼしたのか否か

  ・・・ ですね   


 ところで

 聞くところによると、イエスが語るに、

 「自ら洗礼を受けた師であるヨハネ
 に対して『天の国で最も小さい者も
 アンタよりは偉大だ』とは、イエスも
 よう言うよなあ」
ase2

   

 「悪しざまに貶(けな)してる
      ようなものよね」


 

 「差別や偏見かしら」

 いやいや、こりゃあ、

 「PC」でも「BC」でもない。

  

 フェイクニュースだぜ !!

    

     「何 !!

    
     「ホンマかいな」

 「解剖して分かったことだが、
   人間は死ぬように出来ている」


 そして、

 「自分の芸術を真に理解できる
    
  のは数学者だけである」

    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)


   ☆ symbol2 ★ symbol2 ☆ symbol2 ★

 ヨハネ獅子吼します。

  荒れ野で清貧なる生活を送る彼は、
 みすぼらしくもその身にラクダの毛皮
 を纏(まと)い、人々に罪あるを宣告し、
 悔い改めのメッセージを咆哮しつつも、
 洗礼によって 人々を神の道に導いて
 いたのですが、

  そんな最中に突如、イエスが洗礼を
 受けにやって来たというストーリーが
 イエスの公生活の始まりです。

  それが、

 
   イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

  マルコ、マタイ、ルカの共観福音書
 に共通する記述です。

  しかし、
 
  本当のところはどうなのでしょう


     『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)

  それは

  「ダリ(誰)にもわからない
 
  ということで ・・・


    『最後の晩餐』サルバドール・ダリ(1955年)

 正十二面体を模ったダリの世界観とは 、



 実に興味をそそられる作品ですね


    『ハイパーキューブの十字架』サルバドール・ダリ

 
   『ハイパーキューブの十字架』サルバドール・ダリ


  『Crucifixion(磔刑)』サルバドール・ダリ

  
    『Christ of Saint John of the Cross』
      『十字架の聖ヨハネのキリスト』
        サルバドール・ダリ


     画像元:plaza.rakuten.co.jp

… to be continued !!

コメント一覧

小吉
基礎知識として「聖書」に何が書かれているか、または何を伝えたいのかがわかっていないと理解ができないかもしれないですね。

どこかにわかりやすい解説書ないかな。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事