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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改)』です。

 (以下、本文)

 

 洗礼者ヨハネイエスは、下級祭司
であったザカリヤに、エリサベツ
マリアをそれぞれのとして、この世界
に登場するに至ったとする推理・構想が、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「罠」を構成
するプロットのひとつなのですが ・・・


『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 symbol2 ダ・ヴィンチによる推理はこうでした。

 クムランの共同体のなかで幼少の頃より
一緒だった二人は、互いが兄弟であること
を知らされないままに育ちます。


『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

 クムラン宗団にはユダヤの解放に際し、

 両輪の如き、「愛」「義」
テーマに、ローマからの解放独立
推進する「二人のメシア」による
ユダヤ解放計画がありました。

 その二人メシアとして白羽の矢が
立ったのが、ヨハネイエス兄弟
だったというわけです。

 『旧約聖書』預言における
の意味での「救世主」は兄である
「アロンのメシア」(洗礼者ヨハネ)
であって「後継者」として彼を補佐
(サポート)し護衛(ガード)する役目を
「イスラエルのメシア」としての
イエスが担うという計画でしたが、



 本格的な行動を起こすまでの期間は、
それぞれが独自の宣教を行って、互い
の活動には干渉しないとの約束でした。

 それは、

 自動車のスロットル・バルブ(エンジン)
直結するアクセルとしての「武」
を有する「イスラエルのメシア」



 ドライブを制御するステアリング
しての「愛」「義」に裏打ちされた
「アロンのメシア」との相互作用に
よって、ローマからの解放独立
勝ち取るという『旧約聖書』準拠
した預言的クーデター色彩
極めて強い「メシア(救世主)計画」
だったのです。

 クムラン宗団の企図した狙いは、

  
  イスラエルの三種の神器

 失われたアーク(聖櫃)に納められ
ているとされる「三種の神器」
うちの「マナの壺」「愛」であり、
「十戒の石板」「義」に相当し、
「アロンの杖」「武」を象徴して
いて、主にアクセルとしての「武」
イエスが担い、ステアリングとして
「愛」「義」洗礼者ヨハネ
コントロールする。


イスラエルの三種の神器 nazo108.sblo.jp

 そうした宗団の宗教的クーデターから
社会変革(革命)を惹起しようとした
「二人のメシア計画」であった
ものが 単独の、それも当初の計画とは
違う「贖い(自らが犠牲となること)
によって人々をそのから救うという
予定外の「イエス・キリスト計画」
が発動されることになるのですが、 

 その端緒としては、まず、

 ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパス
による洗礼者ヨハネ投獄があり、

 次に、

 タイミングを見計らっての処刑(謀殺)
によって、イエスの前に「神」の道を
整える「先駆者」としてのヨハネ像
を定着させることが急務な課題でした。

 『新約聖書』四福音書の中で、
く、最初に記されたとみられる
『マルコの福音書』では、冒頭から
こう書かれています。


  『マルコの福音書』www.paulus.jp

 神の子イエス・キリストの福音の初め、
    (マルコ 1:1)

 預言者イザヤの書に「見よ、わたしは
 あなたより先に使者を遣わし、あなた
 の道を準備させよう。 (マルコ 1:2)

 荒れ野で叫ぶ者の声がする『主の道
 を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」
 と書いてあるように、 (マルコ 1:3)

 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、
 のゆるしを得させる悔い改め
 バプテスマを宣べ伝えていた。
    (マルコ 1:4)

 つまり、イザヤ預言した通りに
洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、


    預言者イザヤ wikipedia

 罪の赦しを得させるために悔い改め
「洗礼」を宣べ伝えていたとして、

 「主が来られる前に使者を遣わして、
道を整える」とされる預言実現

 洗礼者ヨハネにおいて成就した
と言いたかったわけですが、

 しかしながら、この洗礼者ヨハネ
登場を『マルコの福音書』1:2では
「預言者イザヤの書」としていますが、

   
  火で唇を神聖にする預言者イザヤ
    (ベンジャミン・ウエスト画


 厳密には、2節は『マラキ書』3:1
『出エジプト記』23:20の引用で、


 『出エジプト記』message-station.net

 3節だけが『イザヤ書』40:3からの
引用となります。

 要するに、

 マルコは「見よ、わたしは使者を送る。
 彼はわが前に道を備える。 云々 ・・・」

 と続く、『マラキ書』3:1の使者と、


       『マラキ書』

 「見よ、わたしは大いなる恐るべき
 のが来る前に 預言者エリヤ
 あなたたちに遣わす。 彼は父の心を
 子に、子の心を父に向けさせる。

 わたしが来て、破滅をもって、この地を
 撃つことがないように」 (マラキ 3:23)

 と記された預言者エリヤの再来が、
いかにも洗礼者ヨハネによって実現
されたかのように仕立てたかったのです。

 それを補完するように、

 『マルコの福音書』1:6では、

 「このヨハネは、ラクダの毛衣を身に
 まとい、腰にを締め、イナゴと
 野蜜とを食物としていた」とされていて


     『エリヤ』ameblo.jp

 この独特なるスタイルエリヤ
それとまったく同じものであることから、

  「彼らが、『毛衣を着て、腰に皮帯を
締めた人でした』と答えると、アハズヤは
『それはティシュべ人エリヤだ』と言った」
    (第二列王記 1:8)

 この毛衣革帯という風貌を聞いた
だけで、誰もが「それはエリヤである」
と分かるように仕組んでいるわけです。


 『預言者エリヤの肖像』レンブラント画
(こちらのエリヤは随分とオシャレですが)

  
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 こうして、新たに

 イエスプロデュースする単独
「イエス・キリスト計画」なるものが
始動することになったわけですが、

 その実態は当初より予定されていた
「武」によるダビデ的な解放者として
ユダヤ(イスラエル)の「救世主」
である「イスラエルのメシア」では
なく、「愛」「義」をもって人々を
から救い出す「アロンのメシア」
してのものでした。



 こうして

 「アロン」「イスラエル」という
二人「救世主」(メシア)のうちの
「アロンのメシア」になるはずだった
「洗礼者ヨハネ・キリスト計画」
無惨にも頓挫してしまうのですが、



 果たして、その端緒、キッカケとなった
洗礼者ヨハネ投獄謀略
を見つけ出していたのが、我らが、



 レオナルド・ダ・ヴィンチだったのです。

 

 『マルコの福音書』を要約すれば、
    (マルコ 6:14-29)

 イエスの名が世間に知れ渡り、ヘロデ王
(ヘロデ・アンティパス)の耳にも入った。

 数々の奇跡を行うイエスについて人々は
「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返った
から、彼には奇跡を起こす力がある」とか、
「彼はエリヤだ」とか「昔の預言者のような
預言者だ」と言う人もいたが、

 ヘロデは自分が「首を刎ねたあのヨハネ
が、生き返ったのだ」と言った。

 実は、ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻
ヘロディアと結婚しており、そのことで人を
やってヨハネを捕らえ、牢につないでいた。

 ヨハネが「自分の兄弟の妻を娶ることは、
律法で許されていない」とヘロデに言った
からである。


    ジョヴァンニ・ファット―リ画

 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を
殺そうと思っていたが、できないでいた。

 それは ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる
人であることを知って、彼を恐れて 保護し、
その教えを聞いて、非常に当惑しながらも、
なお喜んで耳を傾けていたからである。

 ところが、良い機会が訪れた。

 ヘロデが自分の誕生日の祝いに高官や
将校、ガリラヤの有力者などを招き、宴会
を催すと、ヘロディアの娘がその場に来て
踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。

 
 『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年

 そこで、王は娘に、「欲しいものがあれば
何でも言いなさい。 お前にやろう」と言い、
更に 「お前が願うなら、この国の半分でも
やろう」と固く誓ったのである。

 娘が母親に、「何を願いましょうか」と訊く
と、母親は「洗礼者ヨハネの首」と言った。

 娘は大急ぎで王のところに行き、「今すぐ
洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただき
とうございます」と願った。

 王は非常に心を痛めたが 誓ったことでは
あるし、また客の手前もあって、娘の願いを
退けたくなかった。

 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を
持って来るようにと命じた。


 『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)

 衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首を
刎ね、盆に載せて持って来て、娘に手渡し、



 娘はそれを母親に渡した。


 ヘロディアとサロメとヨハネの首(Wikipedia)

 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いて、
遺体を引き取りに来て、墓に納めた。

     (マルコ 6:14-29)

 ということですが、
 
 何かモヤっとして、スッキリしません

 それは文章に一貫性がなく、辻褄合わせ
に腐心した様子が窺えるからです。

 ヘロデは自分の兄弟の妻を奪い取った
不道徳をヨハネに厳しく批判されたので、
ヨハネを捕らえてに投じたが、そうした
非難に妻のヘロディアプライドは痛く
傷つき、ヨハネを殺したがっていたけれど、


    ジョヴァンニ・ファット―リ画

 ヘロデヨハネを恐れて保護していた
ので、殺せないままでいたが、そこに願って
もないヘロデの誕生日祝いの宴会の場と
いう恰好の舞台が用意されたとしています。

 『マタイの福音書』14章にも、ほぼ
同じ内容の話が書かれていますが、

 『マルコの福音書』6章との違いは、

 「ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが
 民衆を恐れた。 人々がヨハネを預言者
 と思っていたからである」 (マタイ14:5)

こちらでは、あきらかに、

 ヨハネを殺す意思がヘロデにあった
が、ヨハネを慕う民衆の暴動を恐れて
殺せないでいたことがわかります。



 詰まるところ、『マルコの福音書』
『マタイの福音書』等では、唐突



 サロメのおねだりという「流れ弾」
飛んできたかのように見せていますが、

 ダ・ヴィンチの推理は違いました。

 ヘロデが、異母兄弟のを奪い取る
という構図は、「二人のメシア計画」
から 単独の「イエス・キリスト計画」
に変更したことと同じ裏切り行為であって、

 その縮図が『福音書』のなかで暴露
されるかたちで展開されているわけです。

 ここに、



 「真実秘匿」表裏性があって、
異母兄弟としてのフィリポヘロデは、
洗礼者ヨハネイエス予型として
表現されていると推理したわけです。

    
    (ホンマかいな)

 時間を少し前に戻してみましょう。

 投獄されたヨハネは打開を模索する
べく弟子をイエスのもとに遣わします。



 『マタイの福音書』11:2-6 より、

 獄中でイエスの起こす奇跡について
伝え聞いたヨハネは、弟子たちを彼の
もとに遣わして問いただします。

 「来るべき方はあなたですか、
   それとも他の人を待つべきですか」

  ― 曰く ―

 「(助けに)来る方はあなたですか、
   それとも他の人を待つべきですか」

     


 イエスは答えて言います。

 「行ってあなた方が見聞きしたことを
 ヨハネに伝えなさい。 盲人は見え、
 足なえは歩き出し、ライ病はきよまり、
 耳しいは聞こえ、死人は、生きかえり、
 貧しい人々は福音を聞かされている」

 「私につまづかない者は幸いである」
   (マタイの福音書11:2-6)

 つまり、ここでのやり取りの部分は ・・・


     出典:windychaple.com

 イエスに対する救出依頼(要請)
だったのですが、イエスからの返答は、

 すでにあなたの役目は終わったので、

 「あとのことは自分に任せて 獄中での
   生活を甘んじて受け入れてください」

 と言うような非情な意味合いのもので
あったと読めてしまうわけです。

    

 要するに、

 「行ってあなたがたが、見聞きしたこと
(奇蹟の数々)をヨハネに伝えなさい」

 「私につまづかない者は幸いである」

 あなた(ヨハネ)ではなく、私(イエス)
に躓(つまづ)かない者は幸いである。

 ここでイエスは、きっぱりとヨハネ
に対して引導を渡しているわけです。

 あとは「邪魔者」となったヨハネ
処分をいつ如何なるかたちで執り行うか
のタイミングと、その手段や方法ですが、

 

 そこにサロメという名の女性(少女)を

 

 からませているわけです。 

 そのことを端的に表現しているのが、



 『岩窟の聖母』に見られる
洗礼者ヨハネイエス入れ替え
(ポジションチェンジ)なのです。


 パリ・ルーブル版  ロンドン・ナショナルギャラリー版


出典元 レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋

  

 ねえねえ、

 それって、昭和時代の日活映画、

 『邪魔者は消せ』
パクリなの



 いやいや、そもそも

 それが、1947年制作の英国映画、

 『邪魔者は殺せ』
     (原題 Odd Man Out)

 タイトルパクリなんじゃよ

  

 それでイエス洗礼者ヨハネから
「メシアの証し」

 

 パクちゃったというわけね!!



   「だ・よ・ね !!

 でも、やはり「邪魔物」はキチンと
 処分しないとね

   

 断捨離、断捨離 ・・・

 ・・・ っておいおい



 「膏そそがれた者(メシア)は
 断たれ、彼には何も残らない」

    (ダニエル書9章26節)
 
 そう預言されていたメシアとは、

 誰なのでしょう

 洗礼者ヨハネが、ガリラヤの領主
ヘロデ・アンティパスの手に落ちて


 『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)


 斬首されるという悲劇に見舞われた
のは、AD28~29年頃のことでした・・・



 … to be continue !!
      (… to be continued !!)

 果たして、

 本当子羊とは ・・・

  
    出典:muragon.com

 見よ、世の罪を取り除く神の小羊
    (ヨハネの福音書 1:29)


   出典:blog.livedoor.jp


   出典:www.diwanmsr.com

   □

     □
 『洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ』チェザーレ・ダ・セスト

□□

 「良い子ね、ヒツジさんをイジメちゃダメよ」

  □
    出典:muragon.com


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 symbol2 ダ・ヴィンチの推理はつづきます。

コメント一覧

オムレット
神にとっての邪魔者か? 悪魔にとっての邪魔者なのか?  

それが問題だ!
蚤仙人
誰にとって邪魔者か!? それが問題なんじゃよ!
リンゴとバナナ
デルタもラムダもオミクロンも頭の中から断捨離、断捨離。

もちろん、ワクチンのブースター接種も断捨離、断捨離。

ところで、ほんとうに本物の正真正銘の邪魔者は誰なんだ!
おじゃま虫
世界中がダマされているってことよね!?
蚤仙人
もう完全に鵜呑みにされとるがな!

コロナはあってはならない邪魔者としての格好の標的として作られ、ワクチンこそが救世主として祀り上げられとるわけじゃよ!?
おじゃま虫
喧伝されるワクチンの効果・効能は日を追うごとに変化しているようですが、結局のところ、大多数の日本人にとっては「鵜呑みにはできないけれど、鵜呑みとも言えない」状態のまま、ワクチン接種に踏み切らざるを得ないのでしょうね!
むらさき納言
最近になって、やっとわかってきたのです。

コロナを断捨離しようとしたり、邪魔者扱いしてはいけないのです。

言わば、新型コロナウイルスを「鵜呑みにはできないけど、鵜呑みとも言えない」ような彼らと共存できる存在や環境を整備しなくては“コロナ禍”は収束しません。

正直、冷静になって考えると高齢者にもかかわらずワクチンを接種しない人や今後もワクチンを打たないと決めている人たちの方が意識が高いような気になってしまいます。
おじゃま虫
よくわかんなくて判断できないような「鵜呑みにはできないけど、鵜呑みとも言えない」内容の情報や報道ばかりで、何を信じたらいいのか?

新型コロナに関する出来事だけじゃなく、いろんな意味での分断が進んでいるように感じます。
江戸川ドイル
冒頭の「洗礼者ヨハネとイエスは、下級祭司ザカリヤを父に、エリザベツとマリアをそれぞれの母として、この世界に登場するに至ったとする推理・構想が、ダ・ヴィンチの罠を構成するプロットのひとつ」ということの意味合いが、最新の立体パズルの解説で、より明確に理解できるようにはなったが、それをそのまま「鵜呑みにはできないし、鵜呑みだとも言えない」展開が待っているような予感がする。
リンゴとバナナ
たしかに、「この世界の出来事は鵜呑みにはできないけど、鵜呑みとも言えない」よな!
むらさき納言
もしも、この世界がバーチャルだという風にダ・ヴィンチがホントに考えてたとしたら、

「鵜呑みにはできないけど、鵜呑みだとも言えない」という
中途半端で矛盾するメッセージも意味を成すようになる気がしますよね!
負けるが勝ち
それ、面白いね!  多元宇宙論→マルチバースなどからの「多世界解釈」なら十分にあり得る話だよ。
やぶにらみ
たとえば、洗礼者ヨハネが殺されずに、イエスが斬首され、ヨハネが磔刑に遭うシミュレーション世界もあるとか・・・

まあ、いろいろと意味深ですな!
おじゃま虫
最新記事から推し量るとシミュレーションとは言えないけど、仮想現実を否定できない。

そんな感じでしょうか?
むらさき納言
結局、「鵜呑みだとは言えない」とは、この世界が虚構で成り立っていることを知りつつ、それに抗えずに、長いものに巻かれた状態でいることを指しているのかも・・・

「鵜呑みにはできないけど、鵜呑みだとも言えない」
やぶにらみ
むろん、DSどもを処分するための「断捨離」に決まっとるじゃろが!
チクリンマン
いま、バイデンが断捨離されて、カマラ・ハリスが大統領に昇格したら、それこそ一大事だが、大手メディアのバイデン批判が始まったし、断捨離のターゲットであることは間違いなさそうだな!
おじゃま虫
え、それって、バイデン側が邪魔者であるトランプ大統領を断捨離しなくちゃってこと?

それとも、ディープステートに支配されるバイデンの断捨離なのかな?

巷では「陰謀論」扱いですが・・・
やぶにらみ
バイデン大統領が正式に就任したとされる日から2週間以上が経過したが「鵜呑みにはできない」状態、要するに「鵜呑みだとは言えない」つまり、喉に何か詰まったままで、一向に腑に落ちないような異常な事態(大量の大統領令乱発など)が続いている様子ですな。

やはり、邪魔者はキチンと処分しないと・・・

断捨離、断捨離、ということですかな!?
むらさき納言
呑み込めない人は「邪魔者」が「救世主」になり得る人物で、それが誰かはわかってるからいいけど、吞み込んじゃった人は、マスコミの報道に疑いを持たずに消化しちゃうからホント始末に困るのよね!

『汚れ役』での“出たとこ勝負”さんへのヒントになれば幸いですが・・・
むらさき納言
「鵜呑みだとは言えない」状態がずっと続いていますね。

米大統領選挙の状況ですが、どうなるんでしょうか?

何か大変な事件や出来事が起こりそうな気配がします!
ココナン
記事での「邪魔者」は、洗礼者ヨハネだけど、前のコメントに書いたようにトランプ大統領を「邪魔者」とする一方の勢力⇒DSとCCP(中国共産党)がいよいよ炙り出されてきて、「鵜呑みだとは言えない」状況がより鮮明になっています。

ドナルド・ジョン(ヨハネ)・トランプ大統領にエールを!
むらさき納言
「鵜呑みだとは言えない」という状況を端的にあらわしているのが、米大統領選挙の顛末でしょうか?

ココナンくんの指摘どおりだね!
やぶにらみ
いくつかの州での集計のやり直しやバイデン候補の当確が取り下げられて、勝利が未確定(撤回)になるなど、日本では、ほとんど報道されませんが、なんだかココナンくんの言う「鵜呑みだとは言えない」ような微妙な展開になってきましたな!
ココナン
新型コロナを「邪魔者」と見ることには抵抗はありませんが、同様にアメリカの大統領選挙の顛末にからめて見ると、トランプ大統領を「邪魔者」扱いする一方の勢力(反トランプ)および、敵対するトランプ支持者の両者にとっては、現状の推移や内容を「鵜呑みにはできない」し、事実、今後の展開次第では「鵜呑みだとは言えない」方向に流れて行きそうな気配ですよね。

“チルネヤン3288”さんのメッセージの真意や意図がそこにあるのだとしたら、何だか恐い気がするのですが・・・
江戸川ケイシ
「鵜呑みだとも言えない」の解釈は難しいですね。

自己と他者とか、主体と客体とか、主観と客観とか、

互いに「存在するものや、対立しあうもの」、または「見るものや、知ること」と「見られるものや、知られること」、あるいは、知性に投影されたものなど・・・

客体とは物質で、主体が精神とか、現象と本質とか、

いずれにしても、形而下と形而上のことを指しているように思われますが?
おじゃま虫
名前が名前だけに『邪魔者』のページが気になっちゃうんですよね!」

ところで、“チルネヤン3288”さんのメッセージの中にある「鵜呑みには出来ませんし」は意味としてわかるんだけど、「鵜呑みだとも言えない」が理解できないんですが???
やぶにらみ
「夜鷹の目」は、やはり、フクロウ。

それも「ミネルヴァの梟」を意図したのかもしれませんな?
むらさき納言
“チルネヤン3288”さんの6/26付けのコメントにある文言が、今回の新型コロナ騒動に当てはまるように思えてならないのですが、

「邪魔者だからと言って、鵜呑みには出来ませんし、鵜呑みだとも言えませんね!」

これに対応させたのか、それとも偶然なのかはわかりませんが、『汚れ役』での9/6付けの刑事プリオさんのコメントに

「マスメディアからの一方通行の情報だけを鵜呑みにせずに自分自身で納得のいく答えを見つけるのが肝要だろう」というのがあります。

つまり、「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」につながるものかもしれません。
ココナン
現時点において、確実に言えることは、断捨離されるべきはウイルスではなく、人類の方だってことかな・・・
ポイ捨て禁止
新型コロナを「断捨離」するのって、無理っすよ!

ウイルスは不必要なものをすべて捨て去り、必要最低限以下の構造でしかないので、すでに「断捨離」状態なわけ。

生物かどうかは微妙で、生き死には動物や人間などの細胞に完全におんぶに抱っこの関係で、他力本願そのものだけど、変異に関しては自力本願を発揮する。

だから“ポイ捨て厳禁” 「withコロナ」で行きましょう。
他力本願
神様、イエス様、お釈迦様。

感染拡大中の新型コロナは「邪魔者」ですから、サッサと断捨離してくださいませ。
おじゃま虫
気遣いや心づくしに感謝します。
ケイシさん、ありがとうございます。
江戸川ケイシ
そんなに大袈裟に捉えなくてもいいですよ。

それよりも、「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」や「鵜呑みには出来ないし、鵜呑みとも言えない」などの意味を一緒に考えましょう。
おじゃま虫
ごめんなさい。 そんな考えがあったとも知らずに自分勝手に、謎解きをした気分でコメントしてしまいました。

しかも、浅はかな解説で、ホントに恥ずかしいです。

名前通りに「おじゃま虫」を演じてしまい、勇み足では済まないかもしれません。

深く反省し、重ねてお詫びいたします。
江戸川ケイシ
少々、勇み足ですね。

おじゃま虫さんのアナグラムから導いた“チャンネル3”は、結果的には間違いではないですが、ディテールが違います。

まず、“チルネヤン”は“アウトリガ”に対応します。

チルネヤン ⇒ チャンネル  アウトリガ ⇒ アリガトウ
12345 ⇒ 14532  12345 ⇒ 14532

“3288”は“わんばんこ”に対応します。

3288 ⇒ 8823  わんばんこ ⇒ こんばんわ
1234 ⇒ 4321  12345 ⇒ 54321

したがって、“チルネヤン 3288”の意味としては、
チャンネル 8823(はやぶさ)ということでもあり、
数秘術からは、「8+8+3+2=21 ⇒ 2+1=3」

つまり、“チャンネル 3” ということになります。

ただし、“はやぶさ”=“3”なのかは不明です。

『悪循環』で、後日に『邪魔者』のページで内実をコメント
するとしたのは、“チルネヤン3288”さんからの反応
(コメントやメッセージ)を待ちたかったからですが、
その期待は薄れたように感じるので、予定を変えて解説することにしました。
おじゃま虫
江戸川ケイシさんによって、『悪循環』のページにて指摘のあった「チルネヤン 3288」さんのコメントがなんらかのメッセージであることが判明しました。

「チルネヤン」とは、チヤンネル=チャンネルのアナグラムで、「3288」は、3に拍手(パチパチ)だと思われます。

つまり、「チャンネル3に拍手」→「3人目の登場に拍手」ということかと・・・

メッセージの意味合いについては、まだよく分かりませんが、「アウトリガ」さんの「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」との関連性が濃厚だと思われます。
チルネヤン 3288
邪魔者だからと言って、鵜呑みには出来ませんし、鵜呑みだとも言えませんね!
目方でドン
て、ことは、キリスト教のデザインであるプロビデンスの目
はイエスの左目で、洗礼者ヨハネはヨルダン川の鵜でっか!
刑事プリオ
刑事(デカ)的な分析や解釈というよりは、むしろ、刑事としてあるまじき行為となるが、こじ付けを許してもらえば、

1=鵜は、主に海岸、湖、沼、川などに群生し、水と特に縁が深い。 つまり、洗礼者ヨハネと見る。

2=鷹は、『目論見』にある通りだとすれば、ケイシさんの言うように、ダ・ヴィンチを指すが、大天使ガブリエルか、ウリエルという想定も可能である。

『受胎告知』でのガブリエルの背中の翼に注目して見れば、それが鷹(猛禽類)の翼であることが分かる。

3=夜鷹は、マグダラのマリアやリリスの方がそれらしいが、2=鷹の場合をガブリエルとした時には、聖母マリアと思われる。

4=隼は、ホルス神で、同じハヤブサの頭を持つ天地創造の太陽神ラーの息子とされる。 要は、イエスのことである。

つまり、これらの人物たちは『岩窟の聖母』に登場する4人であると同時に、ガブリエルがウリエルやダ・ヴィンチと入れ替わったり、聖母マリアがリリスやマグダラのマリアとすり替わることで、まったく別の意味合いが生まれるわけで、ダブル・ミーニングになっていると推理できる。

また、おそらくはイエスの系図に登場する4人の女性たち、タマル、ラハブ、ルツ、バテシバなどと関連していることも十分に考えられるが、果たしてどうだろうか?
やぶにらみ
「夜鷹の目」の解釈が重要な鍵であることは間違いないが、ケイシさんやココナンくんが折に触れて、言及している「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」に関しては、“やぶにらみ”という現象や言葉がもつ意味はともかくも、個人的なコメントのなかに、何かがあるということはないでしょうな!

ただ、「夜鷹」と娼婦や遊女は注目する必要がありますぞ。

むらさき納言さんが触れていたイエスの系図に登場する女性は、マクロ的にはすべて遊女もしくは不倫や姦通まがいの行為によってイエスへの血統をつないでいるわけで、ここにメッセージのポイントがあることは疑いようがありませんな!
江戸川ケイシ
以前から、むらさき納言さんの着眼点には興味がありましたし、これはこれで、かなり参考になりました。

というのも、ラファエロに『カーネーションの聖母』という作品がありますが、『ブノワ(ブノア)の聖母』がモチーフになっているのです。

この窓が一つと窓が4つある作品は『岩窟の聖母』での洞窟の中から外の世界を映す背景の左右を表しているように思えます。

ただ、それと、1=鵜、4=隼との関連性となると不明ですが、2=鷹と3=夜鷹は何となくつながる気がします。

2=鷹の『リッタの聖母』では、乳を口に含ませていますが、これはダ・ヴィンチの幼い頃の思い出にある鷹が尾羽で口の中を何度も叩いたという記憶と一致します。

また、3=夜鷹は、『最後の晩餐』、つまり、夜という共通点が見つかります。

そこから考えると、これらの作品に登場する赤ん坊はイエスとは限らずに、洗礼者ヨハネやダ・ヴィンチ自身を投影している可能性もあるのです。

当然のことに、聖母はエリザベトだったり、カトリーナだったり、するわけです。

この『ダ・ヴィンチの罠』の真骨頂は人物の入れ替えや事物のすり替えだと2号さんも言っていますしね!
むらさき納言
まだ、ヒラメキだけの話ですが、

「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」のかな文字数は、それぞれ、3文字、4文字、5文字になります。

ホルスの目 ⇒ 隼の目を加えれば、3、4、5、6文字と
連続することになります。

『目的地』に書いたように、副題がシグナルになっているとすれば、直近から「D」のタイトルは、4、3、2、1、
逆から見れば、一つずつ増えていますので、5、6と増え続けるのかもしれません。

また、イエスの系図に登場する女性はマリアを含め5人ですが、ほかの4人はソロモン以前の人たちで、この数字とダ・ヴィンチの絵にある窓の数に関係があると思うのです。

鵜=1、鷹=2、夜鷹=3、隼=4、つまり、

1=鵜⇒ブノワの聖母、2=鷹⇒リッタの聖母、
3=夜鷹⇒最後の晩餐、4=隼⇒カーネーションの聖母

ということになります。

そして、窓の数が増えるにつれて、だんだん地上に近づいているということです。

イメージだけで、まとまりもなく中途半端な状態ですが、参考になるでしょうか!?
江戸川ケイシ
鵜の目、鷹の目、夜鷹の目。
左右の目での目配せを忘れずに、各々のコメントに刮目を。

このアウトリガさんのコメント(3/24)の意味や意図ですが、やはり、誘導のためのメッセージと思われます。

ただ、先に、「左右の目での目配せ」という言葉からして、「やぶにらみさんのコメントに刮目せよ」ということかも、と書きましたが、
いろいろとチェックして配慮するという意味での「目配り」ではなく、相手に視線を送って合図する「目配せ」になっていますので、左右の目に関する(ヒントや合図)を忘れずに、各々のコメントに刮目すること、というメッセージであると考えられるわけです。

その趣旨から言うと、おじゃま虫さんの『目的地』における“ホルスの目”は左右でその力や象徴するものが違っているので、注目(刮目する)に値すると言えそうですが・・・
刑事プリオ
「邪魔者」はキチンと処分しないとね!

 断捨離、断捨離・・・

読み流していたが、断捨離にはいろいろと深い意味があるとしても、一言で言えば、「片付ける」(Declutter)という言葉に要約できる。

つまり、それを動名詞にした「Decluttering 」が「断捨離」を表す英語だとも言えるだろう。

ところで、「断捨離」の逆が「もったいない」という意識で、それが有名なミレーの「落穂拾い」につながる。

「落穂拾い」で思い出されるのが、ルツで、彼女はダビデの曾祖母である。

何でこんなことを書いているのかと言うと、『目的地』でのむらさき納言さんのコメントにあるイエスの家系に現れる4人のイレギュラーな女性の一人がルツだからだ。

この事と「D」の秘密とは何らかの関わりがあると思うし、4つの窓における上空からの下降という発想も面白い。

蛇足になるが、断捨離(Danshari)も「D」ある。
むらさき納言
『西遊記』のマユツバ情報を見て、アッと思ったんだけど、
「DNAのデータにデザインされているもの」と言ってる意味は同じだよね。

それと、『邪魔者』(Disturber)にしても『破壊神』
(Destruction God)にしても、“アウトリガ”さんが
コメントしてるのは「D]のページですが・・・
江戸川ドイル
ドラコニアンとか言っちゃうから引いちゃうわけで、DNAにデータとしてデザインされているものだと考えれば、拒絶反応も少しは治まるかも・・・

おっと、ここでもまた「D」のオンパレードだよ!
むらさき納言
なるほど、ミネルヴァの梟ときましたか! 

知恵の根源はエデンの園にあった「善悪を知る木」の実です。

つまり、アダムとイヴまで遡っちゃうことになるけど、

確かに「初心も初心」、人類の出発点だもんね!

そして、謎の肢が描かれた『受胎告知』は、突き詰めれば、西暦のスタートにつながる話だし、みんな物事の最初と関係するのかも・・・

でも、『謎の肢』との関連性がイマイチしっくりと来ないのはドラコニアンとか、レプティリアンに抵抗があるからなのかな?
江戸川ケイシ
「左右の目での目配せ」って、ある瞬間には、「ロンパリ」になる可能性を秘めています。

ということは、言い換えれば「やぶにらみ」ってことかも。

つまり、「やぶにらみさんのコメントに刮目せよ!」というメッセージなのかもしれません。

なぜなら、“わんばんこ”さんのメッセージが『謎の肢』のページへのものであったとするなら、「フクロウ」で両者はつながるからです。

夜の魔女リリスに絡むフクロウと女神ミネルヴァの知恵の象徴であるフクロウです。

「ミネルヴァのフクロウは迫り来る黄昏に飛び立つ」

つまり、それを阻止するようにフクロウの肢を謎の三本指の肢が抑えつけている、ということかもしれませんね!
ココナン
“アウトリガ”さんがコンバートされた2番目の預言者だと
して、「鵜の目、鷹の目」が、虎視眈々と獲物を狙うさまを指す言葉だとわかるけど、「夜鷹の目」って何だろう?

『謎の肢』のページからの流れなら「フクロウの目」のことかと思うけど、肢ではないし、“夜鷹”を夜の女(売春婦)の意味に受け取れば、マグダラのマリアの線も考えられるわけですが、そのあとの「左右の目での目配せを忘れずに」で、完全に頭が回らなくなります。

いったい何を伝えたいのでしょうか!?
江戸川ドイル
間違いないね! 

「つーばんこ」⇒「つぅばんこ」⇒「とぅーばんこ」から
「とーばんこ」、これを、逆さに読むと「こんばーと」に
なる。 すなわち、コンバート(Convert)=入れ替える、切り替えるという意味だよね。

これ、兄貴からの受け売りだけど・・・
むらさき納言
ひょっとして、“アウトリガ”さんって、“つーばんこ”
(ツー番子 → 「かわりばんこ」の2番目の預言者)って
ことなのかな?

記事とはまったく関係なさそうなコメントだし・・・。
アウトリガ
鵜の目、鷹の目、夜鷹の目。

左右の目での目配せを忘れずに、各々のコメントに刮目を。
ダメな便利屋
ミケランジェロねぇ? まあ、似てないこともないか!
ラファエロ
イエスにとっての邪魔者が洗礼者ヨハネだったと仮定すれば、ダビンチにとっての邪魔者はアイツしかいないことになる。

そうか、これで、謎が解けたわ。

前から「最後の晩餐」でのトマスの顔が誰かの顔に似てると思っていたが、ミケランジェロだったんだ!
やぶにらみ
確認内容のほとんどは、むらさき納言さんが代弁してくれたので、特段付け加えることはないが、今回のコメントにある「ユダ(トマス)も洗礼者ヨハネ?でスッキリしますが」の箇所については、顔(首から上)と手だけしか描かれていないトマスをダ・ヴィンチは、首を切られた洗礼者ヨハネのメタファとして暗示させているということで、そこに罠のひとつが仕掛けられている、ということだと思われますな。
John
すみませんややこしくて。個人的に「使徒ヨハネ」も
「洗礼者ヨハネ」も同一人物だと思っていて、
そのつもりで話を進めていました。

ぜカリヤとエリザベツの子供が洗礼者ヨハネなので、
イエスとヨハネが異母兄妹であったと推測すると
確かにゼカリヤと聖母マリアの子供がイエスで、
ユダ(トマス)も洗礼者ヨハネ?でスッキリしますが

個人的にマグダラのマリアと聖母マリアが同一人物の様な気もするので
聖母マリアがゼカリヤとエリザベツの養子になるために
エリザベツに会いに行ったとすると
洗礼者ヨハネ=マグダラのマリア=聖母マリア
という線も考えられると思ったのです。

イエスが聖母マリアに対して冷たい態度をとったり
イエスの死後、ヨハネと聖母マリアが一緒に過ごしたというのも同一人物だからかな?と思ったので。


むらさき納言
わたしもやぶにらみさんと同じく理解不能だったんですが、やっと意味がわかってきました。

John さんの言う「ヨハネ」は、ダ・ヴィンチが描いた壁画 『最後の晩餐』で女性的な容姿で表現されている「使徒ヨハネ」(ゼベダイの子で大ヤコブの弟、ヨハネの福音書や黙示録を書いたとされている人物)のことだったんですね。

それで、ヨハネ(マグダラのマリアとか聖母マリアと同一視)がメシアとして自信がないとか、救世主ではないと言ったとしているわけですが、そこに大きな間違いというか、混同があるのです。

ここで言ってる救世主の対象者は洗礼者ヨハネです。

洗礼者ヨハネと使徒ヨハネは別人ですし、年齢も15-16歳以上は離れていたと思います。

ここではヨハネもイエスも互いが異母兄弟であることは知らなかったとしています。

それと聖母マリアとゼカリヤとの関係は、このシリーズでの『洗礼者』や『姦通罪』のページに詳しいですので、検索で「ダ・ヴィンチの罠 洗礼者」「ダ・ヴィンチの罠 姦通罪」でググれば、すぐに見つかると思います。

ザカリヤは祭司の家系の家長として、是が非でも跡取り息子が欲しかったはずですので、わたしはアロンの血統を維持するために、エリサベツが率先してマリアを口説いたと考えています。

エリサベツのお腹の子は初子で、神への捧げものでもあり、老齢ゆえに無事出産できるかにも不安があったと思われるからです。
John
Johnに深い意味はないですよ。
ただのペンネームです。

私が言いたいのは、まずヨハネ(マグダラのマリア)が民衆の前に現れたけど、本人は救世主ではないと否定していたわけです。
彼(彼女)が自分は救世主ではないという気持ちがイエスという代わりのものを創造してしまったのではないかと考えたのです。
イエスの父親は不明ですが、もし聖母マリアとゼカリヤの間に出来た子供ならばそこまでヨハネを裏切る行為をしたりするか疑問です。
聖母マリアがゼカリヤと突然肉体関係を持つという推測もうーん。。。?
むらさき納言
スルーされたか、ただの通りすがりだったのでしょうか?

John というネームとイブからクリスマスの当日にかけての投稿といい、何か臭わせますが・・・

やぶにらみさんの空振りとならないことを願いましょう。
やぶにらみ
いずれのヨハネかは不明ながら「John」という投稿者名から察するに、ヨハネのファンですかな?

あるいは、ジョン・レノンのファンかも・・・

それはさておき、コメントの意味がイマイチわからないので質問しますが、聖母マリアが祭祀族、つまり、アロンの家系に養子として出向くまでは理解できるが、メシアとして自信がないとか、神に願ってイエス(サタン)を創造したという辺りがチンプンカンプンで理解不能となる。

解るように説明してくれるとありがたいですな!
John
マグダラのマリアとヨハネは同一人物、またマグダラのマリアは聖母マリアと同一視出来るという説があります。
私は聖母マリアはザカリヤとエリザベツの祭祀族へ養子として出向き、
メシアとしての自信がないために神に願ってイエス(サタン)を創造してしまったのでは?と推測しています。
江戸川ドイル
我々の世界に「神」が介入するのは、大患難時代に出現するとされている反キリストなる人物との対峙の時なのでしょうが、この先で解説される「七十週預言」によれば、それはあり得ないことのようです。

キリスト教ではすべての人間が原罪を持っている、つまり、罪が形を変えると「悪」になるわけで、すべての人が悪事を働く可能性を秘める性悪説の原理で社会が構成されているということですが、

ここが日本とは決定的に違うところです。

性善説を信じたいけど、虚しい限りなのが現実のようです。
むらさき納言
やぶにらみさんは、神ならば、そうしたハンドリングも可能だという意味で、そこに創作者としての2号さんと創造主としての神との対比を想定してるのかもしれませんね。

私は否定的立場ですが、つまり、神が人類の歴史に介入し、いまもなお、介在しているという意味ですが。
やぶにらみ
それはコメントの趣旨を把握し、必要に応じて記事の内容を変更できる立場にある者とそうでない者とを対比させて言っているのですかな?

我々の限界が、そこにあるという意味で・・・
江戸川ドイル
記事を読む限りでは、そう思われますが、サロメをイエスが
放った女スパイだと決めつけるのは早計ですよ。

イエスを悪人扱いにするには限度があるし、意図して悪者に
仕立てているという見立ては当たっていると思われますが、
所詮は「ミネルヴァの梟」が我々の知性の限界ですから。
ガブリアス・マーレン
ザカリヤを同じ父に持つ異母兄弟説が独自のものかと調べてみたら、海外の著名人にイエスの父はザカリやであると唱えている人物がいることが分かりました。

クムラン宗団による宗教クーデターとしてのメシア計画は、死海文書の解読から導かれる二人のメシアという都市伝説的な物語をベースにしているとしても、それなりに斬新な面もあって面白いと思います。

結果、イエスにとって、洗礼者ヨハネが邪魔者となるというのも人間イエスが感じられるくだりですが、イエスを意図して悪者に仕立てている面があるかもしれません。

サロメはイエスが放った女スパイという設定のようで、既存のスタンダードを次々に打ち崩してますが、大丈夫でしょうか?
ダメな便利屋
便利屋でも、ダメな便利屋ゆえに、巻き込まんでくれ!
やぶにらみ
やぶにらみにかこつけて、自分の意見をコメントされては
敵いませんなあ。

便利屋さんの「恣意的な作為性」という言葉にチョイとだけ注文をつけてみただけで、正しい空気の読み方をしてもらわんんと困ります。

「ミネルヴァの梟」の意図は、便利屋さんの読みの方が近いのかもしれませんな!
江戸川ドイル
ミネルヴァのフクロウは、言わば、知性の擬人化です。

ローマ神話の知恵の女神ミネルヴァの肩に止まるフクロウはミネルヴァのシンボル、おそらく、やぶにらみさんは人間には未来を見通すことはおろか一寸先ですら闇に等しい、だから未来を知ろうとすることは馬鹿げていると言いたかったのかもしれません。

もしかすると、神の言葉を預かる預言者の存在にも疑問を持っていて、知性など精々が終わった出来事を整理して哲学化しているに過ぎず、よって聖書の記述内容も預言の数々も「ミネルヴァの梟」なのだと、無断で勝手に忖度してみました。
むらさき納言
要するに、「手打ちをしよう」ってことでしょ!

無益で建設的じゃないことはやめようってこと・・・
ダメな便利屋
やぶにらみで世界を見てるからって、何、言ってんだか、
イミフだし、勝手に人に振ってくんなよ!
やぶにらみ
では、お互い様ということで、いい意味の「鵜の目鷹の目」の方で行きますかな。

しかし、やぶにらみでは、まともな獲物が得られないのが、
鵜や鷹の世界だけに参りましたな(;^_^A アセアセ・・・

そうだ! 便利屋さんを呼ぼう。 

彼に頼むしか手がなさそうですぞ!
ダメな便利屋
ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ、だからそれを
あとづけの学問や講釈のような意味合いで言っているなら
オカド違いも甚だしい。

それと、悪い意味での鵜の目鷹の目はお互い様だし。
やぶにらみ
ダメな便利屋さんは「マジシャンズ・セレクト」的手法が
使われたことを想定しているようだが、「ミネルヴァの梟」
ならまだしも、鵜の目鷹の目とならぬことを祈りますぞ!
ダメな便利屋
若干の計画性はあっても精緻に練られたものではなく、タネが蒔かれていただけで、どんな花が咲き、どんな実をつけるかは、出たとこ勝負だったと思うが、多分に恣意的な作為性を感じる。

むらさき納言
こちらサイドからのものでないとしたら、そう計画されて、そのように仕向けられたとでも言うのですか?
ダメな便利屋
果たして、むらさき納言氏の言うように、こちらサイドからの発現だったのかという点について、疑ってみる必要アリと考えるが・・・
むらさき納言
「言葉遊び」や「頭の体操」にすぎないはずのアナグラム
(『神格化』でのやぶにらみさんの言葉)ですが、多少の
バラツキはあっても、一定方向へのベクトルを感じます。

ココナンくんの言うように、もしも、アナグラムの内容が
ひとつに収斂されたなら、これはもう、偶然とは言えずに
計画されたプロットの一部であると考えるしかありません。

たとえ、こちらサイドからの発現だったとしてもです。
きくらげ
ほとんどこじ付けにしか思えないものだとしても、ここまで
具体化したアナグラムだと、もう「何をかいわんや」です。

決して、呆れた意味で言っているのではなく、「何とも言いようがない」「言うべき言葉が見付からない」わけで、これで記事の内容とアナグラムがリンクするようなら、アナグラム否定派であっても脱帽するしかありませんね。
やぶにらみ
いやいや、そんなに大仰なものではなく、トマスは何故に
双子と呼ばれていたのか、もし本当に、双子だとしたなら
いったい誰と双子だったのか?

それとも双子とは方便で、よく似た兄弟や影武者のような
存在であるなら、日本にプールされたという謎の系図やら、
イエスとヨハネの間柄などとも絡んでくるので、まったく
の無関係であるとは言いにくいと思ったまでのことですわ。
むらさき納言
やぶにらみさんの言ってる意味がよくわかりません。

「だとすると」、以下の内容についてですが・・・

「何事にも疑いの目を持って見ろ!」というメッセージが
天を指さす『洗礼者聖ヨハネ』のサインで、『最後の晩餐』のトマスの指もイエスを疑えという Doubting Thomas 不信のトマスで、それが「Ⅾ」の秘密として、洗礼者ヨハネやイエスに、果ては、日本にプールされた隠された何かと関係するとか・・・???
やぶにらみ
全体の中の一部にすぎないアナグラムにしては、かなり
セグメントされたもので、そのことの真偽はともかくも、
天皇家のルーツに迫る内容ですな!

しかし、それが「ダ・ヴィンチの罠」に関連するとは到底
思えんし、洗礼者ヨハネやイエスとも無関係に思えますな。

だとすると、アナグラムは何なんだということになるが、
考えれるとすれば、『中性美』でコメントしたような事柄
との関係しか考えが及ばないが・・・

要は、疑いのトマスが何故、ユダ・ディディモと呼ばれて
いて『最後の晩餐』にあのような姿で登場しているのか?

ということですかな!?
きくらげ
不思議なことに、なかなか破られずにいた記録が、一旦、
更新されると、それまで壁とされていたものが次々に突破
されていく現象と同じで、一つのアナグラムをきっかけに
新たなものがどんどんと出来上がる。

ただし、今のところ、記事の内容とはパラレルで、クロス
する気配も姿も見えないが・・・
むらさき納言
なんか、スゴイ! グッと絞られた感じです。

あとは、これと「ダ・ヴィンチの罠」がどうつながるか?

・・・ ですね。
江戸川ケイシ
個人的モチベーションでは、アナグラムの構成や作成には
消極的であっても、今回はちょっとびっくりです。

あまりにも、出来過ぎの感が否めなかったからですが、
ココナンさんの見解は正しいのかもしれません。

何と驚くことに自分自身で、より具体化したアナグラムが
作れてしまったのです。

やぶにらみさんの解析では、レアとラケルの双方の血統が
日本にプールされていることになり、それはないだろうと
思いながら、仮に、レアを除くと「L」が余り 付随して
姉妹の「S」も、&の「A」も余ることになる、などと
考えていた時に、Lineが血筋につながるとしたらと
ひらめいて血筋を調べたらリニイッジ(Lineage)
でした。

そこで、

[JAPAN POOL R L A P S]

「日本にプールされたラケルの血筋についての追跡物語」
が出来上がったのです。

R L A P S は、それぞれに・・・

R = Rachel(ラケル)
L = Lineage(血筋・血統・一族・家系)
A = About(~について)
P = Pursuit(追跡・追究)
S = Story(物語)

となります。
ココナン
そんなことないですよ! 『濡れ衣』のページでもコメント
したように、それなりに絞られてるとボクは思います。

ただし、「日ユ同祖論」と言った大きなテーマではなく、
特定の人物や兄弟姉妹の関係性においてですが・・・

この場合には、レア(磐長姫)とラケル(木花之開耶姫)
の姉妹から次代のヨセフ(山幸彦)と兄(海幸彦)たち
との確執と和解をへて、エフライム(ウガヤフキアエズ)
から神武天皇に至る系図です。

つまり、そのこととヨハネ(兄)とイエス(弟)との
関係をオーバーラップさせて示唆(暗示)してるのでは
ないかと思うのです。
むらさき納言
なんか、不思議な気分です。

一年半前に『三本指』でコメントした内容がアナグラムで
再現されるなんて、

でも、なぜか素直に喜べないのです。

謎は広がるばかりで、その頃から少しも進展していないのが現実だからです。

その意味では、隔靴搔痒というか、玉ねぎの皮むきというか、やはり、踏み込みが足りない気がして・・・
おじゃま虫
[JAPAN POOL L A R S P]
日本に プールされた レア & ラケル 姉妹の血統

これ、いいですね! 決まりかも・・・
やぶにらみ
「日本にプールされたレアとラケルの物語」では、どうしていかんのかと思たら、これでは「P」の文字が余ってしまうというわけですな。

ならば「S」は、Story ではなく、Sisters
つまり、「日本にプールされたレアとラケル姉妹の〇〇」
この〇〇に「P」が頭文字となる言葉が見つかればOKと
いうことで、血統や系図や家系を意味するペディグリー
(Pedigree)ではどうですかな?

「日本にプールされたレアとラケル姉妹の血統(系図)」

これなら、ヤコブとレアからのユダ族やレビ族、ラケルの子であるエフライム族やマナセ族という血統(系図)が日本にプールされていることを示唆する内容になり、具体性も担保されますな。
おじゃま虫
抽象的と言われれば、そうかもしれませんが、アナグラムの要件は満たしているはずですので、これはこれとして、別の「P」や「A」を探してみます。
ココナン
日本語として意味も通っているし、アナグラムとして特に
変だとは思いませんが、抽象的なのは確かですね。

「P・A」には、他に適切な言葉があるのかもしれません。
むらさき納言
一年半近く前に『三本指』に書いたコメントが今になって
つながって来るなんて・・・

そこでは、「 (前略) そして、諏訪湖と八ヶ岳の位置が
プロビデンスの目となって、そこにもレア(磐長姫)と
ラケル(木花之開耶姫)の物語やイスラエル12支族や
アロンやモーセのレビ族の話が絡んできて謎は広がる
ばかりです」としたためています。

ただ、今回の「日本にプールされたレアとラケル姉妹の
問題について」というアナグラムの内容はどこか抽象的
で具体性に欠ける気がします。

おじゃま虫さん、ごめんなさいね。

レアとラケルがどうしたとか、磐長姫や木花之開耶姫と
どう関連するとか、もう一歩踏み込んだ言葉が
足りない
のです。

「レアとラケルの問題について」という解釈だと、さらに
いくつかの具体性のある文言が必要でアナグラムとしても
変だと思いませんか?
おじゃま虫
早速のご教授ありがとうございます。

プランについては検討しましたが、どこかシックリと来なくて、でも、「日本にプール(蓄積)されたレアとラケル姉妹の問題について」は、エフライム族からつながる天皇家の秘密や日本人のルーツに絡む内容なので、いける気がします。

きくらげさん、どうもありがとうございました。
きくらげ
レアとラケルの物語は、日本の神話で言えば、イワナガヒメとコノハナノサクヤヒメの話と通じますね。

Pをプログラム(program)やプロジェクト(project)など
のプラン(plan)、つまり、何かの計画に付随するものや
プロブレム(problem)ならば、「日本にプールされた
レアとラケルの問題について」として、Aを And では
なく、Aboutの意味で使ってもいいと思いますが、
どうでしょうか?
おじゃま虫
『不文律』のページで否定された下記のアナグラムの解析についてですが、

[JAPAN POOL PARLS]

ずっと考えているんですが、どうしても「PA」若しくは、「P」と「A」に関する言葉が見つからないのです。

きくらげさんのアドバイスやココナンさんやむらさき納言さんたちの言う「D」の秘密としてのDNA、それもエフライム族に関するものと言えば、レアとラケルの姉妹の物語があります。

ココナンさんが『不文律』のページでも言っているように、
このアナグラムが成立するとすれば、イスラエル12支族に
関連するか、三種の神器に纏わるものじゃないかと・・・

つまり、PとAを除いたRLSは、「レアとラケルの物語」
Leah & Rachel Story または、
「レアとラケル姉妹」L & R Sisters と、

なって、残るのが「PA」ですが、&を And と
すれば、あとは「P」だけなのですが、それらしい言葉が
見つからないのです。

「P」で意味のつながる語彙があったら教えてください。

もし、見つかれば『濡れ衣』でドイルさんが言ったことや
むらさき納言さんの願望が現実になるのですが・・・
むらさき納言
DNAで思い出して調べてみたのですが、父系のルーツを
遡って辿ることができるY染色体ハプログループの研究で、
日本人は主にハプログループD系統(D1bの縄文系)と
O系統(O1b2の弥生系)を起源とするようです。

このD系統はYAP型(YAPハプロタイプ)と言われる
特殊なもので縄文系は大陸系とは異なり、日本人を日本人
たらしめるキーポイントのようです。

これも「D」の秘密と言えば秘密ですよね!
ココナン
『姦通罪』のページでコメントしたようにプラトニズムを基本に置けば、洗礼者ヨハネとイエスは、もともとはひとつであった、あるいは、ひとつであるべき存在としての「二人のメシア」計画ではなかったのか?とも思えるわけですが、異母兄弟説を採用すれば、少なくともY染色体おいては、同じであって、それはザカリアを介して、アロンにまで遡れることになるわけで、そこに兄弟という要素を加味するとモーセも含めてひとつであるということにもなり得るわけです。

つまり、何が言いたいのかと言えば、DNAという観点からすると、これも「D」の秘密の一環なのかもしれないということです。
きくらげ
名誉挽回の保証は出来かねますが、例のアナグラムの解析を日本に秘匿された何かに限定して
調べて見たら、どうでしょうか?

プールに蓄える意味があっても秘匿とするには無理があるかもしれないので、ループの方で試すのも手かもしれません。

個人的には、アナグラムには否定的立場なのですが、綴りのミスによって何もできなかったことが、妙に引っかかるので、日本に絞って何か作ることができたら、それはそれでスゴイかもと・・・
おじゃま虫
まさか、ひょっとしてと思いつつ、「邪魔者 イタリア語」で検索したら Fastidio だったので、「だよね」と・・・

でも、一応、念のために「邪魔者 英語」でググってみたら、Disturber と出てきて、ザワっとしました。

おじゃま虫だけに「お邪魔虫」的情報ですが、汚名じゃない名誉の回復、挽回の助けになるでしょうか?
江戸川ドイル
もちろん、「記憶にございません」と言った方が盛り上がるかもしれないけど、「バッチリ記憶してます」ってか、そこから引用したようなコメントですから・・・

「『指芝居』によれば」とか、副題の引用元を入れておけば良かったのかもしれないけど、オレの意見だとしたわけじゃなく、(2号さんが書いていたようなことが次々に繋がることから)こうして、邪魔者ヨハネは殺されたということですか?

と、質問しただけのことですが、何か問題でも?
ココナン
「ヒツジさんをイジメちゃダメ」はボクにも覚えがあって
シリーズの最初からチェックしたら、すぐ見つかりました。

最初期の『謎の指』です。

ボクも気にしていたことが当時のコメントでわかりましたが、この頃の記事はあまり読まれていないのかもしれません。

『謎の指』のページにもコメントを入れるつもりでいますが、バカボンのパパのパパさんは完全に勘違いしてます。

トマスはイエスに「このボケ、タコ、カス、バカ」と言っているというのが2号さんの見解でしょう。

そういっても、ここでは何のことか分からないでしょうが、

それと、ドイルさんの今回のコメントとほぼ同じ内容のことが、その次の『指芝居』に書かれています。

そこに、ドイルさんのコメントもありますが、4年以上も昔では記憶にないですよね。
江戸川ドイル
下絵のデッサンである「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」で、聖アンナの天を指す左手が、「聖アンナと聖母子」では手首から先が隠されていて、その形のままに天を指す人差し指の延長線上に杖の先があらわれている。

同様に幼児のヨハネが消えて、その代わりに子羊をいたぶるようにジャレる幼児のイエスがいる。

天を指さす手首から先が隠され、その延長上に洗礼者ヨハネのアイテムである十字の杖の先があらわれ、さらに、ヨハネを子羊に変身させていると考えれば、「ヒツジさんをイジメちゃダメ」は想像以上に深い意味を持つわけです。

「岩窟の聖母」ロンドン版での幼児ヨハネが持つ十字の杖も、「最後の晩餐」での手首から先だけのトマスの右手も、そして「洗礼者聖ヨハネ」での天を指す右手も、「モナリザ」のクロスさせた両手の甲も・・・

こうして絵の謎が次々に繋がり、イエスにとっての邪魔者はどうどうと消されたということですか!?
むらさき納言
予告と実際の記事の内容とが食い違うのは、いつものこと
ですので気にはなりませんが、『聖アンナと聖母子』での
「良い子ね、ヒツジさんをイジメちゃダメよ」の台詞には
見覚えがあるんです。

かなり、昔の記事だと思いますが、伏線だったんですね。
やぶにらみ
なるほど、そう来ましたか!?

「ヨハネ・キリスト説」に、「イエス悪玉説」に加えて、
「サロメ別人説」・・・

飽きさせませんな!

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