Ai Saito BLOG

The Diary Of Sunflower.

カタルシス

2016-04-03 23:28:41 | 日常
ここ十数年、いつも自分の居場所を探してた。
どこにも自分の居場所がないと感じていた。

まだ未熟だけれども大人と言われる年齢になり
家族がいて、幼い頃からの友達と離れ
社会に出て、そこから希望や憧れを持って
自分はここにいる、生きている
心が安堵する、そんな場所をずっと探していた。
そして、そんな場所があるとずっとずっと信じていた。

自分の未熟さとは裏腹に
世間、そして自分い対する憧れや欲望、そして憧れは
年を取るほどに大きく肥大し
それと同時に、
世間を知り、少しずつその思いは必ずとも一致しない
自分の思っている現実とは懸け離れた
落胆への階段を一段一段歩ませる。
世の中はそうやって回っている。


求められるのは当たり障りない日常、人格
世の中の多くが、組織に属する。
所詮、一人でなんて生きていけない。
多かれ少なかれ、
環境は様々だったとしても
社会に出れば、仕事をするし、社会に属する。
個人事業主だって同じ、よりその色は濃い。

組織に入れば、なおのこと。
求められるのは
枠を外さない、外さない程度の個性。
枠を外さないというのにはその環境にそぐなった
知識や言動。
どんなに個性が暴れようとも
そこに居場所があると自己認識しているならば
所詮、枠の中の個性。

でもそれが、とても羨ましかった。
自分の居場所があることが、自分はその組織に存在している
法律に従っても、自分の住所がそこにあることが
とても羨ましかった。


髪を伸ばす、ダイエットする、人知れず勉強する、ひたすら意志を持って前進する、
全て人それぞれ、思いがあり、何かしらの思いや理由があり
人知れず自分の思いを全うしようとする。
でも、その最中は誰も気づかない。あたりまえ。
誰も気に留めないから。
人は、自分の日常の思考は万人も同じだと錯覚する。
そして、そんな人の変化に氣がまわるほど、世の中の人間は暇ではない。
無関心という言葉すら遠すぎる響きで、通常、想定すらしていない。

でも、その努力成果を発揮する時、
人知れず温めてきた事を表に出す時、
ある人は賞賛し、またある人はその行為に勝手な裏切りの気持ちを抱いて
勝手に落胆する。


人の印象とはなんと簡単なものだろうか。
喋り方、服装、髪型、顔
それだけでいとも簡単に変えられる事ができる。
もちろん、専門的なホンモノの中では
浅はかな知識だけでは太刀打ちできないけれど
それでも、見た目・小慣れ感、口調だけで
一瞬にして浅はかに環境は変わってゆく。


今自分がやるべき事
置かれている環境
全てが、もうどうでもいいと放棄したくなる時
そんな風に心がバランスを崩している時点で、
すでに流れから踏み外した体は落ちてゆく

どうすれば戻れるんだろう
戻るべきなの?
ここから新しく道を作ってもいいんじゃないの?

答えも居場所も自分で導き出さなきゃっていうのはわかってるけど
誰も助けてはくれないのもわかっているけれど
そんなに私は強くない。

ごめんなさい。
そんな風に思う時もきっと人生の一部。
生きよう。


ai saito