涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

78日目 兵庫 雪彦山

2018-05-06 20:46:04 | 山登り
近畿圏の、普通のガイドブックに載っている山には結構登ってきた。今回は『関西の山ベスト100』から選んで、兵庫県姫路市の雪彦山(せっぴこさん)950mに登ってきた。

車で2時間ほどでキャンプ場近くにある「登山口」に着く。


最初が1㎞で300m登る、しかも岩場だらけの急激な坂道である。表紙はその最初の標高811mの大天井岩と言われるところ。そこに辿りつくために、天を見上げほどの巨岩が横たわる。


さらにザックを下さないと行けないような、狭い岩の間を通らなければならない。


そして、雪彦山に着くが、眺望はもう一つであった。


続いて鉾立山(ほこたてやま)950mを峰伝いに歩いて、渓谷に沿って下山した。鉾縦山からは、52日目に登った兵庫県最高峰の氷ノ山1510mがかすかに見えた。




第77回は『火と水』、第83回は『三方印』というタイトルで新版に掲載されているため、その間の記事を。

第76回 昭和6年11月11日(午後9時30分)
○ 夫婦は江戸へ来て或宿屋に泊った、すると音もなしに障子が開いて清七の姿が現われた、夫婦は驚いて「おお清七か何しに来た」と云うと其のまま姿が消えた「不思議な事もあるものじゃ」と云って居る所へ電報が来て清七の自殺した旨が認めてあった、此の事実を徴してみても霊魂の不滅と云う事が証明される。

第78回 昭和6年11月21日
 本日量子用事ありて帰宅遅かりしを林はやや御機嫌悪し、そこへ亡祖父謝まりに来らる。
○ そんな事迄御心配かけまして

第79回 昭和6年11月23日(午後11時)
○ あ 竹鼻のお地蔵さん有難う、今日はえらいで大勢の方がお集りじゃが、此の間もお話した如く人間には貧なる者も富なる者も愚鈍なる者も様々じゃが皆、断末期の叫びがある。どんな富があろうと持って行けん、只数珠を手にして此の世と別れんならん、其の時、断末期の声が起る、迷いが生ずる、天人は断末期の代りに五つの憔悴がある、一には頭上の華蔓が萎む、二つには体の垢がつく、三つには水滴が生ずる、四つには今迄澄んでいた目が曇りを生じしはただきを生ずる、五つには本座を楽しまず。死の直前に際して人間界に落ちるか天上界に止まるか、それとも一切を解脱した仏の境涯に入るか………
女が男と同じ様な権利を与えて貰うか、又………とか云うが仏には一切を解脱した精神的な智慧即ち自覚がある。自分の子が餓鬼道に落ちて居る、畜生道に落ちるのを火の中、水の中の御苦労下さって、「我助けずんば正覚を取らじ」と仰せらる。仏には一切の衆生を平等に救うと云う自覚がある、物質的よりはむしろ精神的に自覚がある。
昔支那で或お寺さんが寺を五百建てた、達摩大師が尋ねると「無功徳じゃ」と云われた、少しも自覚のない真意のないものは功徳にならんと云われた。

第80回 昭和6年11月29日
○ ………内外妄想の群魔を断滅して………
 に感謝し奉る。

第81回 昭和6年12月8日
○ 諸行無常、諸法無我、涅槃静寂の三つ即ち方印?と云う事、三世の因果生死の循環、輪廻は即自分自身の………自業である。

第82回 昭和6年12月17日 午後8時20分
○ その宿縁、その業観説である。そこに求める道業力によってそれを持って行く事が出来ない事である、即ち前の世に………来るべき運命はそれによって定められるのである、そこには自業自得といって自分に罪を招く、もう一つは同業同果の二つで、その二つによりて、三千諸仏照覧し給いて来世の衆生に。


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