涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

38日目 大和葛城山

2017-01-22 18:41:20 | 山登り
日帰りの山歩きは時間との勝負と思う。特に冬季では日照時間が減るため、どうしても近くの山になってしまう。前々回は二上山に登ったが、今回はその一つ南にある大和葛城山に登ることにした。

金剛山系の標高959mの山はこんな感じ。最寄の駅の標高が大体90m、登り口までバスなのでそこが310m、実質640mのアップダウンになる。


家族で楽しめる非常にポピュラーな山だが、冬場になると形相が変わって厳しくなる。お陰で初めてのアイゼンデビューができた。


山頂


すぐ南に見える金剛山の勇姿が素晴らしかった。


東の方向には私の勤務先の大和盆地が見える。



第33回が昭和5年10月30日で、その後の記録が伏せられている。第41回目の11月7日までの一週間に7回の話しがあったハズです。

第41回 昭和5年11月7日 午後12時
本日夕食の魚の骨咽喉にささり、如何に手を尽くすも取れずやむを得ず、附近の富田医院に行き診断せしも、急性咽頭カタルとのみ云われ仕方なく帰る。御苦痛甚だしく外の見る目もおいたわし、ややあって、誰方がお出でになった御様子
仏 お気の毒じゃね、取って上げたいけれど仲々取れん、身内の者の中にそしったり笑ったりする者が沢山有るで、其の者の見せしめの揚句苦しんで貰わなならん、苦しんで貰った揚句お成仏じゃ、
どうしても残る奴を済度するには普通でできん とおっしゃった。
今晩からあなたの御話、丁度今晩からそうなられた(のどに骨が刺って)
あんたの咽喉に業の塊が我利我利やって居る。勿体ない事です。
 本日親戚から参詣人一人も無し、余りの御事に家内中気にかかる、しばらくして咽喉に手当てし寝に付く、父何時もの如く経文を上げさする。母妹足の方をもむ、ややあって量子をお呼びあり、傍でひねって居る内うつらうつらする。此の間の如く寝たままひねって居たとの御事、朝になり気分よろしく、先のお呼びはお薬師様らしい、何時もの如く一番の汽車にて出勤さる。
仏 やや仕方ないわな
○ わしは仕方ないであきらめる
わしで出来る事にならして上げるが、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 皆が心配致すも朝になっては咽喉の痛みも去り、余り色々の事もお尋ねも致さず言葉少なく、何事があったかの御様子なり。

37日目 兵庫県 大岩ケ岳

2017-01-15 19:49:16 | 山登り
私の持っているガイドブックに『地図読みを学んで安心登山』という分類に分けられた山がある。前々回はその中の二上山に登って不満足な結果になったので、今回は二番目に楽そうな兵庫県、大岩ケ岳を登ることにした。

勿論、国土地理院の地図とコンパスを頼りにして登るわけであるが、ここ数日の冷え込みで急に不安になってきた。“雪”など34日目の比叡山でわずかに触れただけで、ほとんど経験がない。太平洋側は雪は少ないと聞くも、一応、念のためと思いGPSを買うことにした。

地図とコンパス、GPS、スマホのナビシステムを利用しながら登ることにし、登山はじめのJR福知山線道場駅に着いた。


案の定、雪だらけ!ちょっと歩いたところに、千苅ダムがある。白黒写真に見えるが、遠くに見える標識に色が着いている。


途中の山道はこんな感じ。新雪ではあろうが、見た感じ5~10cmは積もっていた。滑りやすいし、下の地面が見えないので用心して歩かないといけない。


地図とコンパスでは方向しか分からない。スマホのナビシステムは、位置は分かるが、道の表示がなくなる。やはりわざわざ買ったGPS専用機は役に立ったが、乾電池の消耗が激しかった。

なんとこさ頂上に着き、そこから見える景色が山行の厳しさを語る。


ここまで来るのに予定の2時間を越え、ガイドブック通りに少し降りて行ったが、雪のためか道がまったく見つからず。結局、途中で断念し、引き返すことにした。

まあ雪は初めてだし、GPSの使用も初めてだし、おまけに将来のテント泊を考えて3kgの重しを背負って歩いていたので、よく頑張ったと思う。登山の目的は、一に運動、二に飲酒の軽減、三にリフレッシュ、四に暇潰し。無事に帰宅することが一番と思う。


今回の記事は、この本でも最大の疑問と思います。33回から確かに1週間の記録がありません。これをどう解釈するのか?虚偽の記述なら、ここまで手の込んだことはしないと思いますが。秘密にされた記録もどこかにあるかも??

第33回 昭和5年10月30日 午後7時10分
仏 今日から一週間の出来事、他に漏らすべからず
 御仏の仰せの如く省略す
 大慈大悲の阿弥陀様の御話のみにて、其の間に衆生済度の役目が残っている故娑婆の命を長らへさして頂く。勿体なき事限りなし。

36日目 生駒山縦走

2017-01-09 18:39:48 | 山登り
私みたいなシロウトで誰にも教えを請わない人間は、すべて自分で考えて実行するため100%安全(実際はないでしょうけど・・・)という確信を持ってから行動に移している。

毎回毎回の山登り・ハイキングには一つの達成目標しか設定していない。今までは『トレッキングポールを使う』『山メシを食べる』『地図とコンパスを使う』であったので、今回は『縦走』。

言葉を聞いただけでも恰好いいが、手頃なところで生駒山を縦走することにした。大阪の四条畷市から府民の森なる公園と池を経てから山登りに入ったつもりが、ほとんどがゆるやかな舗装道路の登坂だけになってしまった。

途中、スケールは小さいが、奈良の一刀石や亀石に似たような石を見つける。


縦走コースには生駒山山頂が載っていない。往復1時間はかかるので今回はパスした。頂上に近いところから大阪市内のビル街を写す。曇りと霞でぼんやりとしか見えない。


ガイドブックには、縦走を前半・後半の二つに分けていたが、合体して5時間40分、22kmを歩くことにした。後半はさすがに山道らしいところを歩けた。


昨日の雨で下が滑りやすく、曇りでもあったのでゴールの高安山駅に着くのが遅れた。またケーブルを利用!!



第32回 昭和5年10月29日 午後12時
○ 毎度有難うございます
仏 はいはい 昨晩はお祖父様お祖母様がお出でになって喜こんでお帰りになった。結構じゃな。
○ 有難うございます。
仏 昨日の晩から一週間、皆集まって来るのを止めて貰うがなあ、私がさして買うで。昨日の晩から一週間皆を寄せてはいけませんな。
○ はい有難うございます。
仏 共々気を付けなさいね。
○ 有難うございました。
仏 弟帰って来たか?(弟は岐阜中学校4年在学、泊行軍の為二日泊りで行く)
○ 元気な顔して帰って来ました。
仏 そうか、わし行ってやるとよいけれど、わしは因縁が浅いので、親が心配して居ると思って使いをやった、ひょろひょろになるのを守ってやった、近い処、通ったら参る様云うてやれ、わしが使いを立ててやったでわしはよいが、わしの使いに、わしの所え参れば使いの所え……いやいや参ってはいかん、親が云うでいやいや参るではいかん、どうせ怒るけど
○ 有難うございました。
それは今日草臥れて居るで
明日から一週間皆を寄せてはいかん話はない。
 此の間の如く寒気がして右足振戦甚だしく左足までふるえ、如何なる事かと案じ居るにやや過ぎて御挨拶有り
仏 治ったやろ(右足を以前打撲傷にて(野球の時)長らく治らずに近頃も幾分痛かった為)
○ 有難うございました。
仏 まあ足の痛いの、すっかり、そんで治ったぞ、大分骨折って治いた、もう怪我せん様に、大事な身体だで、一番お薬師さんが骨折りじゃ、
○ おお皆んなかかって足の痛いのを治して下さった
  竹鼻のお地蔵さん 見えましたな
仏 何も約に立たないが、もう少しじゃで、其の後皆にひねらせなさい。
○ 有難うございます。何と云って御礼申してよりやら
 其の後母が足をひねって居たら矢張りお薬師様がお手伝いあったとみえる(23分間後)
○ お薬師さんどうも有難うございました。
仏 遠慮しゃっしゃるな、もう少しひねるわ もう そう遠慮せんでも良い
○ 有難うございます。治して貰った上に又ひねって貰って (午後1時を報ず)

35日目 大阪→奈良 二上山

2017-01-03 18:57:08 | 山登り
大阪と奈良の県境にある二上山から今年の初登り!

前回の比叡山で道が分からず、悔しい思いをしたので、今回は国土地理院の地図とコンパスを持っての挑戦。ガイドブックにある「地図読みを学んで安心登山」に従い、初心者向きの二上山にした。

最初は竹内街道という大和と河内をつなぐゆったりとした街道を登る。


地図に書いてない道を捜しながら、何とか「ろくわたりの道」の入口を見付けた。


しかしその後が大問題!ガイドブックには「長い階段を登ると・・・」とあるが、その長い階段がない。あるのは立ち入り禁止の電気会社の柵だけ。後で判明したことだが、どうも工事の影響が階段に及んでいたらしい。

そんなことは露とも知らず、シロウトなので地図とコンパスを手に取り、鉄塔と電線と等高線を頼りに山道のない山を彷徨いながら目的地を目指した。頂きを二つ越えたあたりで“長い石段”を発見!!


私が登ってきたのは、この手すりの右上あたりの草むらの中!!何とか正道に戻り、鹿谷寺跡に着く。


その後はスイスイと標高517mの二上山雄岳に辿り着く。


続いて二上山雌岳。その頂上から雄岳を撮影。




時間のロスが多かったため、山頂ではお湯を入れて3分で出来るカルボナーラにした。


途中、祐泉寺、當麻山口神社を通り、下山した。





第31回 昭和5年10月28日 午後7時5分過ぎ
 本日久し振りに家内一同子供連れにて弥八地蔵に参詣し、柳ヶ瀬見物をして帰る。
仏 ハハハ 今晩わ
○ はいはい
仏 今日は皆連れてよう参って呉れたな 皆仏に連れられて幸せの事じゃ
  仏に連れられて一処にお参りされたのは仕合せじゃ、そして皆喜こぶとなあ、心の中に仏を戴かしえ貰って、昨夕話しに行ったが皆きこうとしなかったで遠慮して帰った、今日は忙しいでお話も出来んが、皆喜こんで参って呉れたで一寸御礼に出て来た、もうわしもあんたの処え行くのもいばらくで終り、今日お話したかったが忙しいで、どうぞ毎日喜こんで呉れ、起きて居る内、寝て居る内お念仏を唱えて、其の上に一層喜こんで下さい。
○ ああお別れでございます。
仏 毎日毎日御苦労さんです。
○ お別れします、さようなら、ああお地蔵さんが行かしゃった。無情の風が吹いて来る、ああして次から次えと無情の風に誘われて、罪の深い人から終って行く、皆喜こばないかん、ああなったらいかんで
 ふと目を覚まし、今方自分が柳ヶ瀬の角に立ったら西からも東からも自動車が来て、其の中の死人が皆一人として喜こんだ顔して居なかったので可愛想可愛想と思って居たが、中が外から見えて、皆苦しみの相を表して居た」と云われた。先刻子供連れにて柳ヶ瀬え行った節、幾つもの葬式を見たのでかかる夢を見られたらしい。
○ 竹鼻地蔵さんか?
仏 ははははは ふふんふふん
○ よう来て下さったなあ、ははははは(大声)
仏 困るな、道の真中に座って(柳ヶ瀬え行った時次男がやんちゃを云った)
  はははは(大笑い)流石のわしも困るわ、ほんでもなあ、其の中に天真の所が有るで可愛いいけれど、他処の子なら愛想がつくが阿弥陀様は内の子他所の子の区別無い、罪の深い者程可愛いいと云って、火の中水の中御苦労下される。人間は内の子は可愛いいし、他所の子は穢ない、内と外とを別にする、阿弥陀様は合体じゃ、罪の深い者をどうしても助けたい、其処の処が勿体ない、業に業を重ねた者が…… 其の儘のお助け願えるが………
○ 今日竹鼻のお地蔵さん、説教になるな。
仏 わしの内の者も喜びの道に入ったであんたの顔向け立つわな(以前倉の中に居た家)見放されたわそれが最後じゃ、悪い奴を助けなおかんと云う阿弥陀様の御心労じゃ、あなたのお父さんの御信心、喜こばないかん、身内の人が皆寄って、聞いては喜こんで寄って来る。上べではいかん、真に喜こばないかん、毎日、皆阿弥陀s間のお蔭じゃ、毎日毎日御念仏唱えて喜こぶ、仏様を遠い処え置いてはいかん、自分自身に仏様の道を実現をせなならん。地獄の道を通ってはいかん、それを求道と云う、御釈迦様もおっしゃった求道に入ってはいかん、迷いの境涯から道を求める事は難しい。下には赤鬼青鬼が居る、上には…… 一目散に辿る外の道を辿れば何処え行っても行っても恐ろしい処ばかりじゃ、自力ではむつかしい。この業の深い者をそのまま着のみ着のままで受けてやるに、
其の処を聞かして貰うと飛びつく様に喜こぶものじゃ、其の処が聞かして貰えんと
○ さようなら、よう来て下さいました。毎日毎日来て下さいなあ。
仏 あんたとは笑いで言葉するが
  お互いに喜こべばなあ          午後7時30分
 此の頃時計の時刻も間違った事無し、ふと目を覚まし、今日一つ仏様からどこが悪いかを当てる事を教わりしとの事なり、疑って居る者にやると余計悪くなるとの事、今晩一寝入りして弥八のお地蔵様え参詣致し遅く帰宅なす、家人一同もうお話無きものと思い寝入りたる間に、嬉しさの余り亡祖父母お出でになりし由、阿弥陀山に参詣なす、父窪田帰宅後様子をうかがうにお話声の気配なり、静かに戸を開けしに亡祖父母共々初めて御一緒にお出でになり皆の喜こぶのをお喜こびあり、翌朝父より聞き知り勿体なき事と悔やむ、御物語なりしも書き記す事能わず。