神はあらゆる意味に於いて神秘ですが、とりわけ人間の存在が神の神秘の中で最大の神秘です。
宇宙を創った神は、その神の創造物を賛美し賛嘆し愛でる者が必要だと考えて最後に人間を創りました。
然し、それに留まらす、人間の神秘はあらゆる現象の背後におられる神の存在に気付き神を賛美し神を愛することが出来る点にあります。
動物達は、人間を崇敬し人間に憧れを抱いていますが、それにも増して、人間は神に崇敬を抱き、神に憧れています。
人間は神の愛の資質に恵まれているのです。
だからこそ、神への憧れに身を焦がすのです。
一人一人の人間が神の現し身だと考えて、誰に対してもプリヤ デーヴァ(愛しき神)に対するのと同様の礼拝を捧げなければなりません。
思いを慎み、言葉を慎み、身を慎み、柔順で柔和になり、へりくだることを学ばなければなりません。
礼拝合掌は元はと言えばインドの習慣ですが、それは元来、内なる魂を神として礼拝合掌することから始まったものです。
生身の神を礼拝合掌することは稀なことでも、生きている人間を生身の神として礼拝合掌することならば、何時でも、何処でも、誰にでも出来ることなのです。
人の内に神を見、人の表に現れた神の性質を愛でることは、とても素晴らしい霊性の修行になります。
自動車を運転する人の意識が自動的に安全な運転に集中しているように、霊性の修行をする人の意識も自動的に神を愛することに集中しているようでなければなりません。
それこそ、師から学ぶべきことであり、全身全霊を傾けて会得すべきことなのです。
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