ねこやま くるり

猫山を中心にした外川目の魅力を余すところなく “くるり” とご紹介します。

そとかわめも ④伝説について

2012-02-24 16:04:53 | そとかわめも
伝説と昔話。

どちらも、地域で人から人へ伝えられてきたものとして
馴染みがあるものです。

簡単な分類としては、
場所や人物、年代などがある程度特定されたものを「伝説」。
場所や年代などが特定されていないものを「昔話」と
呼ぶようです。

「むかーし、あるお寺に…」という特定不能なものが昔話。
「●●寺の●代目の住職さんが…」は伝説。


花巻市のお隣、遠野市は「民話のふるさと」と呼ばれるのに対し、
外川目は伝説の郷と言えるのではないでしょうか。

外川目」に遺される伝説は、40話を超えています。
「昔話」も含めるとかなりの数が伝えられてきたようです。


「●●(地名)の●●(事柄)」という、由来を語るスタイルが
多くみられます。

教育委員会で編集した「大迫の伝説」から、
外川目の伝説を性質別にいくつか挙げてみますと…。

①八幡太郎(源義家)と蝦夷征伐にちなんだ話
 ・拝峠の鍋掛けの松
 ・竪沢の八幡太郎 など

②地形や石、樹木に由来する話
 ・猫山の巨石群
 ・笠掛け石 など

③妖怪や動物の話
 ・合石下村の座敷ワラス
 ・越田のキツネ
 ・嶽沢の河童 など

④歴史と関連のある話
 ・漆山の金山
 ・銭座
 ・狄川の放牧地

⑤家系、人物の話
 ・狄川の旧家
 ・佐々木左近と八木巻館
 ・菊池家の伝説 
 ・枡沢又四郎 など

そして、もっとも数が多いのがこちらのジャンルです。

⑥神仏に関する話
 ・宗通寺の由来
 ・失水
 ・春日神社
 ・金精さま
 ・春日大明神の大蛇
 ・諏訪神社の伝説
 ・三嶽山陽明寺 など


こうした伝説を丁寧に採集し、紙芝居に仕立てて
大迫町内外で上演している団体があります。

大迫町読書ボランティア「たんぽぽの会」さん。


外川目を含む大迫町の伝説を基にした大型の紙芝居が人気です。

現在、大迫町で開催している「宿場の雛まつり」でも、
大型紙芝居の上演を行っています。

お出かけの際は、ぜひご覧ください。

■宿場の雛まつり
開催中~24年3月4日(日)まで
詳しくは、こちらでご確認ください。
 

そとかわめも ③古代の巨石文化説

2012-02-24 10:18:03 | そとかわめも
外川目のシンボルの一つ、猫山。
なだらかな曲線の優しい形、標高920mの山です。


猫山には、名の知られた巨石群があります。
植林が進められる以前は、麓からも巨石の姿を見ることができ、
これらは「猫山の石景」と呼ばれていました。

代表的なものをご紹介します。

「合石(あわせいし)」
合石集落の語源になったと云われる石です。
包丁で割ったように2つに割れた高さ5mを超える大石。

「割石(わりいし)」
八人枕とも呼ばれる幅5mほどの方形の石。

「駒立石(こまたていし)」
幅2m、高さ2mほどのおにぎり型の石。

「逆さ鍋こ石(さかさなべこいし)」
幅5mほどの石の下に直径30㎝ほどの鍋を逆さにした穴があります。
頂には50個ほどの小さな穴も。

「覗き石(のぞきいし)」
高さ4m弱、周囲21mほどの大岩。
下には大人が数人入れるほどの空間があります。

覗き石



こうした巨石を古代の太陽信仰の名残とする説があります。

モアイやピラミッド、ストーンヘンジ、ジッグラトなど
人工物であり、何らかの目的をもった巨石文化の跡は世界中に遺されています。

日本でも昭和の初めに酒井勝軍という研究家が、
太古のピラミッド説を提唱し、太陽信仰と巨石文明について
表しています。

大迫町に視線を移すと、大正・昭和期の教育者であり、
ダルトンプラン教育の実践者でもあった菅原隆太郎氏が
猫山の巨石郡を太古の巨石文化の名残とする説を唱えています。


昭和33年に大迫町の文化財保護委員会で調査を実施した際には、
菅原氏の説を肯定するにいたる材料は発見されなかったようです。


さて、猫山は、花崗岩の山です。
宮沢賢治は、詩「山火」のなかで、猫山を
「ドルメンまがひの花崗岩(みかげ)を載せた…」
とうたっています。

ドルメンとは、世界各地にある巨大な石の墳墓(お墓)。
今から約1万年も前の新石器時代から造られはじめたものと見られています。

賢治さんは、ただ巨大であるだけで猫山の巨石群を
「ドルメン」と称したのでしょうか。

太古の信仰の跡をそこに見ていたのかもしれません。



デスクの上のミニ早池峰山

2012-02-17 16:14:13 | 取材
私のデスクには、かわいらしい「早池峰山」がいます。




5センチほどの高さで台もついているので、どこにでも
置いておけるんですよ。


登山が好きな知人は、玄関に飾っているとのこと。
「いつも、早池峰のそばにいるようでうれしい」と
喜んでいました。


製作にご協力いただいたのは、岩手県内の七宝の第一人者、栗まもるさん。
写真では暗くなってしまいましたが、この深い深い蒼い色は、
釉薬や温度を慎重に調節しないと出てこないそうです。


早池峰山頂に広がる夜空には、満天の星。
宮沢賢治の詩「北いっぱいの星ぞらに」をイメージさせるような
とても詩的なデザインです。

こちらの小さなサイズの他、10センチほどのサイズ、
蒼い色を引き立てるシルバーの額入りの大きなサイズもございます。

すべて、一点ものの手づくり作品です。
山好きの方への贈りものにもぜひおススメです。

詳しくはこちらからどうぞ


そとかわめも ②賢治さんと鹿踊

2012-02-16 10:26:03 | そとかわめも
宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では、
主人公が落とした手ぬぐいを生き物とみなして
警戒したり近づこうとしたりする鹿たちの姿が
描かれています。

そっと近寄ってみたり、パッと離れてみたり。
いきいきとした野生の鹿の様子を臨場感あふれる
表現で描いています。

この手ぬぐいと鹿のシチュエーションによく似た民俗芸能が
鹿踊の「案山子」という演目です。

外川目の竪沢集落にも鹿踊が伝承されています。

鹿踊に登場するのは、手ぬぐいではなく、
「案山子」と鹿との出会いの様子。

見慣れないものに対する鹿の警戒心と好奇心を
躍動感のある舞で表現しています。

外川目の竪沢鹿踊は、集落の春日神社が創建された際に、
同時に始まったと伝えられており、この説に沿うと、
実に780年もの歴史をもつ芸能ということになります。

現在でも、春日神社の例大祭の際に、鹿踊が奉納されています。




賢治さんは、鹿踊をどんな風にみていたのでしょうか。

農学校時代の教え子によると、
「興にのってくると、太鼓のリズムを口ずさみながら踊った」そうです。
自然と口をつくほどに馴染んでいた鹿踊。


大迫の「早池峰と賢治」の展示館の浅沼利一郎氏によれば、
「賢治さんは、見たままを書く人。
 鹿踊を見て、そのままを書いたのではないか。
 芸能の鹿踊りを見て、ぐっととらえて、そのまま書いたのかな」。

賢治さんも愛した鹿踊。

岩手県には、140もの鹿踊保存会があることが確認されています。
太鼓をもって踊る「太鼓踊系」、
幕をもって踊る「幕踊系」に大別され、
竪沢の鹿踊は「幕踊系」です。

系統によって違いはあるものの、
どこかユーモラスで親しみのある鹿たちの勇壮な演舞は、
岩手県ではおなじみ。

竪沢鹿踊は、毎年6月下旬に開催される
「外川目郷土芸能フェスティバル」で見ることができます。


そとかわめも ①郷土料理編 秋・冬

2012-02-14 15:46:29 | そとかわめも
そとかわめも郷土料理編の後半です。

秋。
収穫の季節を前に、各集落では氏神様のお祭りが始まります。
賑やかなお囃子が響き、参道近くには出店が並びました。

秋のお祭りの時期には、嫁いだ娘さんや親戚、知り合いなど
集落の外からも人が集まりました。

当時、秋祭りに招かれるということは、ただ「遊びに行く」
という感覚ではなかったようです。

身支度を整え、酒などをもって訪れたと伝えられています。

夜になると繰り広げられる手踊りや神楽。
宴の一夜を過ごすと、客人は帰路に着きます。

客をもてなすためのお膳料理「秋祭り膳」。



ツヤツヤとした飴煮、刺身にお吸い物。
餅も並び、手の込んだご馳走です。


祭りの賑やかさが去った集落では、収穫に向けて
忙しさが増してきます。

稲刈り、葉たばこの乾燥、畑の収穫…。

並行して、冬への備えも進められます。
漬物づくりや食糧保存。

軒先にずらりと大根が並ぶ「凍み大根づくり」は、
現在でも見ることができます。


冷蔵庫のなかった時代は、土を掘り、にんにくや杉の葉を入れて、
ネズミをよけ、食糧を保存したようです。


四季を通じて、子どもたちのお腹を満たし、喜ばせたおやつの存在も。
餅まんじゅう、しとぎ、きりせんしょ、がんづき、かまやき…。


これらは、農作業の合間にもふるまわれ、「こびる」と呼ばれて
親しまれていました。

ひな祭りでは、色鮮やかなひなまんじゅうも目を楽しませてくれます。



先人の知恵や工夫が込められた郷土料理は、
地域の文化を語るうえで欠かせないものです。