ねこやま くるり

猫山を中心にした外川目の魅力を余すところなく “くるり” とご紹介します。

昔話と紙芝居 3

2011-12-16 15:56:08 | 取材
今回は、かわいらしい座敷わらしについて。


樋の口の座敷わらし





内川目の樋の口というところにいた座敷わらしは、
金髪で、歩くと金属の音がしたそうです。

座敷わらしがいる家は栄え、いなくなると没落するのだとか。


樋の口の座敷わらしは、なぜ金髪なのでしょうか。
これには面白い説が伝わっています。

大迫一帯では、中世から金山開発がすすめられていました。
金の産出地であったこと。

しかも、かなりの量が産出されたであろうことが推測されています。


金山にからむゴールドラッシュにわいた大迫地方。

座敷わらしの金髪には、金の産出地であったことが影響したという
見方もできそうですね。




昔話と紙芝居 2

2011-12-12 15:26:40 | 取材
たんぽぽの会による紙芝居は、、早池峰という呼び名をつけたと云われる聖、
快賢にちなんだ「白髭水」。




早池峰山の登山口「河原の坊」にお堂を建立し、それまで「東根」と呼ばれていた
山を早池峰と命名したのが快賢であると云われています。


河原の坊にお堂を建てた快賢が、餅をあぶり酒を用意していると、
山姥が現れて餅や酒をたいらげてしまいます。


腹にすえかねた快賢が、焼いた白い丸石と、とっくりに入れた油を用意して
待っていたところ、いつものように山姥が登場。

すすめられるままに餅だと思って焼けた石を食べ、酒だと思って
油を飲んだから、体の中から焼けてしまいます。

快賢さんへの恨みの言葉を遺して山姥は死にます。

穢れを忌み嫌った早池峰の神は、七日七晩雨を降らせ続け、
大洪水を引き起こします。

山頂や河原の坊など主だったところはながされてしまうほどの大洪水。

山姥の死体は、ばらばらになり、流れ着いたところには、体の部位に
ちなんだ地名がつけられたんだとか。

そして、物語は、終わります。


快賢に関しては、ただの修行僧ではなく、山姥を退治するために
仮に僧として姿を現した神「白髭明神」であるとする説もあるようです。





昔話と紙芝居

2011-12-09 14:58:12 | 取材
昔話について何回かアップしましたが、
昔話は、読むのが好きですか?聞くのが好きですか?


本で読むのもアニメで楽しむのもいいですが、
語り部による、“かだりっこ”がおすすめです。


昔話は、本来、人から人へ語り継ぐことを手段として
継がれてきたもの。

話し言葉でわかりやすいように、長い時間をかけて練られてきたものです。

土地の言葉である方言は、ひとつの単語でいくつかの意味を
カバーするものもあります。

丁寧に昔話を聞くならば、語り部がおススメです。

小さい子どもにもわかりやすいように紙芝居として工夫されたものも
各地で見られますね。

大迫にも、たんぽぽの会という図書ボランティアの会があります。

大型の紙芝居を使った語りは、大迫町内のイベントでは
もうおなじみになっています。

たんぽぽの会さんに、八木巻の古民家を会場に
紙芝居を上演していただきました。

引き込まれる紙芝居の魅力を次回のブログでご紹介します。


昔話考 3

2011-12-01 14:20:04 | 取材
今回は、安部貞任の伝説に関する昔話をひとつ…。

安部貞任は、平安時代の武将です。

源頼義率いる朝廷軍と激闘を繰り広げた前九年の役で最後まで
戦い抜いた武将として知られています。

武勲の人であったと伝えられ、身の丈は1.8メートルあまり、
腰回りが2メートル以上の大男だったという記録もあります。

貞任は、前九年の役の後、再び起きた厨川柵の戦いで敗れ、
討たれたました。

岩手県を中心に、貞任が逃亡する際に隠れた穴、立ち寄ったと
伝えられる場所はいくつもあります。

早池峰山頂の「安部穴」と、枡沢集落の先祖の言い伝えを。

劣勢になった戦から逃げてきた貞任たち一行は、現在の大迫町外川目の枡沢に
やってきた。

拝峠からは、早池峰山が大変美しく見え、一行は一息つくためにそばにあった
大きな一本松に鍋をかけて休んだ。

それで、この松を「鍋かけの松」と云う。

貞任の家来たちは逃げることに疲れ、住みついて、枡沢集落の先祖になったと
伝えられている。

貞任だけは、早池峰山に登って頂上にある穴を見つけ、立てこもった。
これを里の人は「安部穴」と呼んだ。




有名な源義経の北行伝説もそうですが、貞任もまた、朝廷という
大軍に反旗を翻した地元の英傑です。

戦に敗れはしましたが、生きていてもらいたいという
望みが逃亡に関する伝説を生みだしたのかもしれません。