3月11日金曜日。東北関東大震災のあった日。(長文です)
この日は、年長の息子の幼稚園でお別れ会があった日でした。
娘は、朝からばーば(my母)に自宅に来てもらい、お留守番。
私は昼前くらいに幼稚園に一人ででかけました。
先生たちと年長の皆でお昼ご飯を食べ、その後講堂でお別れ会。
お別れ会が済んで、クラスごとに教室に戻り、記念撮影の準備をしてた時です。
先生が「揺れてます!地震です!!」と。
この時はまだ少し揺れてるくらいだったのですが、
先生がすぐに子供たちに防災ずきんをかぶせ、真ん中に集まってうずくまらせ、
お母さんたちは子供の周りでしゃがんでください!!!!
と、指示があり、しゃがんだ頃には揺れがどんどんどんどん大きくなって。。。
ふと外を見ると、園庭の太い木々がバッサバッサ揺れていました。
教室のサッシはガタガタガタガタと不気味に音をたてていました。
教室のピアノの上に置いてあった書類が落ちました。
少しおさまってきて、もう大丈夫かな、と思った頃にまた大きく揺れました。
やっとおさまったかなと思った頃、市の防災放送が鳴りました。
「ただいま震度5強の地震が起きました」と。。。。。
揺れがおさまって、先生から帰っていいという指示が出ました。
自転車で来ていたので、息子を乗せて家に向かいました。
大きい道路の信号が消えていました。
なんとか家に着くと、自宅のマンションの下に、ばーばと娘が避難して降りてきていました。
地震の最中も、娘とばーばの事が心配だったので、無事な姿を見てホッとしました。
ばーばと娘は地震が起きた時、あわてて非常階段で降りてきたそうです。
寒いのにコートも着ずに降りてきていました。
ばーばが娘を抱いてグラグラ揺れる階段を降りている時、一瞬娘が泣きそうになったそうです。
でも、ばーばが「がんばって降りようね大丈夫」と声をかけると
娘は泣かずに「どうやったら、ゆれるのをやめられるの?」と言ったそうです^^;
とにかく無事で良かった。。
揺れがおさまっている隙に、私は非常階段を上り家に入り、娘とばーばのコート、
非常食になるだろうかと、かばんにお菓子、冷蔵庫からペットボトルの水を入れ、
また、あわてて階段で下に降りました。
降りる時にまた揺れて、すごい怖かったけど、なんとかふんばって降りました。
つけっぱなしになってたテレビと電気を消し(その時家は停電してなかった)
下に降りてもまだたまに揺れるので、しばらく外にいようとゆうことになり、
とりあえず、何も落ちてきたりしないようなトコでいました。
旦那さんはこの日、ちょうど午前中に出張先の栃木から帰ってきていて、
地震があった時間には会社にいるはずと聞いていました。
でも携帯が全然繋がりません。メールだけが繋がったので安否確認。
その後しばらくしてもう一度電話してみたら繋がったので、とてもホッとしました。
旦那さんは会社の避難場所にいました。
会社は家から二駅ぐらいなので、指示があったら徒歩で帰ると言っていました。
4時頃になって、だいぶ落ち着いてきたので、こわごわですが家に入りました。
当然エレベーターは止まっていたので非常階段で。
その後ばーばも、じーじの仕事場に電話するも繋がらず。
私はなんとか繋がる携帯メールで弟の所と旦那さんの兄嫁に連絡を入れました。
旦那さんの実家には携帯も家電もまったく繋がらずでした。
その後1時間くらいして、旦那さんが帰宅。。。ホッとしたぁ~~~。。。
7時頃になり、お腹もすいてきたので、ある物で済ませていた頃、
ようやく実家の電話が繋がり、じーじと連絡がつきました。
ところどころ信号が消えていて渋滞が起きていて、やっと家に着いたそうです。
で、じーじが車でばーばを迎えに来ることになりました。
同じ頃に、弟嫁と旦那さんの兄嫁から連絡が来て無事を確認しました。
8時半頃、ようやくじーじが着き、ばーばと帰って行きました。
この日は怖くてお風呂には入らず。
まだ大きい地震が来るかもと思うとパジャマも着て寝れませんでした。
勿論、靴は枕元に、非常持出袋と、厚手の上着もそばに置いて寝ました。
10時すぎ、寝ようと思った頃、義父母から電話があり、無事を確認。
やっと、寝ることができました。(ほぼ寝れませんでしたが^^;)
関東地方に住んでいますが、こんな大きな地震は初めての経験でした。
あれから一週間たった今も揺れに敏感になっているのか、
いつでも揺れているような気がしてしまいます。。。
夜も寝ているのに寝れていない感じです。
でも、とりあえず日常生活を取戻しています。
もう、ホント、こんな地震は経験したくありません。。。。。。
ちなみに。。。
息子はというと、その後の余震もあまり気付いてない様子^^;
当日の地震の時も、すぐにうずくまったのであまり揺れてる感じしなかった、とか言ってる^^;
ホントに能天気BOYです^^;
娘は逆に、私のいない時に地震があったものだから、少し不安があるみたい。
息子と同じく余震に気付かない事の方が多いですが(動いて遊んでるからかな?)
ふとした時に「もう、じしんいやだねぇ」とか「もうゆれるのとめてほしいねぇ」とか言います。
今日も大きな月を見て「おつきさま、どうかじしんをやめさせてください」と言ってました。
そして子供たちの遊びの中に「地震・停電」と言った言葉が混じるようになりました。
やっぱり気にしているんですよね。。。
そして、今になって思うと、いや、地震のあったあの日から思っていますが、
幼稚園で皆と一緒でホントに良かったな、と。。。
娘には私がいなくてコワイ思いさせたけど、頼りになるばーばがついていたし、
もしあの日が普段通りの日だったら、私一人で子供たち二人を連れて
迅速に避難とかできなかった気がします。。。
最後に、この地震で被災され亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、
被災された方々が早く元気を取り戻されますようにお祈りいたします。。。
私にできる事は、募金かな。。。
この日は、年長の息子の幼稚園でお別れ会があった日でした。
娘は、朝からばーば(my母)に自宅に来てもらい、お留守番。
私は昼前くらいに幼稚園に一人ででかけました。
先生たちと年長の皆でお昼ご飯を食べ、その後講堂でお別れ会。
お別れ会が済んで、クラスごとに教室に戻り、記念撮影の準備をしてた時です。
先生が「揺れてます!地震です!!」と。
この時はまだ少し揺れてるくらいだったのですが、
先生がすぐに子供たちに防災ずきんをかぶせ、真ん中に集まってうずくまらせ、
お母さんたちは子供の周りでしゃがんでください!!!!
と、指示があり、しゃがんだ頃には揺れがどんどんどんどん大きくなって。。。
ふと外を見ると、園庭の太い木々がバッサバッサ揺れていました。
教室のサッシはガタガタガタガタと不気味に音をたてていました。
教室のピアノの上に置いてあった書類が落ちました。
少しおさまってきて、もう大丈夫かな、と思った頃にまた大きく揺れました。
やっとおさまったかなと思った頃、市の防災放送が鳴りました。
「ただいま震度5強の地震が起きました」と。。。。。
揺れがおさまって、先生から帰っていいという指示が出ました。
自転車で来ていたので、息子を乗せて家に向かいました。
大きい道路の信号が消えていました。
なんとか家に着くと、自宅のマンションの下に、ばーばと娘が避難して降りてきていました。
地震の最中も、娘とばーばの事が心配だったので、無事な姿を見てホッとしました。
ばーばと娘は地震が起きた時、あわてて非常階段で降りてきたそうです。
寒いのにコートも着ずに降りてきていました。
ばーばが娘を抱いてグラグラ揺れる階段を降りている時、一瞬娘が泣きそうになったそうです。
でも、ばーばが「がんばって降りようね大丈夫」と声をかけると
娘は泣かずに「どうやったら、ゆれるのをやめられるの?」と言ったそうです^^;
とにかく無事で良かった。。
揺れがおさまっている隙に、私は非常階段を上り家に入り、娘とばーばのコート、
非常食になるだろうかと、かばんにお菓子、冷蔵庫からペットボトルの水を入れ、
また、あわてて階段で下に降りました。
降りる時にまた揺れて、すごい怖かったけど、なんとかふんばって降りました。
つけっぱなしになってたテレビと電気を消し(その時家は停電してなかった)
下に降りてもまだたまに揺れるので、しばらく外にいようとゆうことになり、
とりあえず、何も落ちてきたりしないようなトコでいました。
旦那さんはこの日、ちょうど午前中に出張先の栃木から帰ってきていて、
地震があった時間には会社にいるはずと聞いていました。
でも携帯が全然繋がりません。メールだけが繋がったので安否確認。
その後しばらくしてもう一度電話してみたら繋がったので、とてもホッとしました。
旦那さんは会社の避難場所にいました。
会社は家から二駅ぐらいなので、指示があったら徒歩で帰ると言っていました。
4時頃になって、だいぶ落ち着いてきたので、こわごわですが家に入りました。
当然エレベーターは止まっていたので非常階段で。
その後ばーばも、じーじの仕事場に電話するも繋がらず。
私はなんとか繋がる携帯メールで弟の所と旦那さんの兄嫁に連絡を入れました。
旦那さんの実家には携帯も家電もまったく繋がらずでした。
その後1時間くらいして、旦那さんが帰宅。。。ホッとしたぁ~~~。。。
7時頃になり、お腹もすいてきたので、ある物で済ませていた頃、
ようやく実家の電話が繋がり、じーじと連絡がつきました。
ところどころ信号が消えていて渋滞が起きていて、やっと家に着いたそうです。
で、じーじが車でばーばを迎えに来ることになりました。
同じ頃に、弟嫁と旦那さんの兄嫁から連絡が来て無事を確認しました。
8時半頃、ようやくじーじが着き、ばーばと帰って行きました。
この日は怖くてお風呂には入らず。
まだ大きい地震が来るかもと思うとパジャマも着て寝れませんでした。
勿論、靴は枕元に、非常持出袋と、厚手の上着もそばに置いて寝ました。
10時すぎ、寝ようと思った頃、義父母から電話があり、無事を確認。
やっと、寝ることができました。(ほぼ寝れませんでしたが^^;)
関東地方に住んでいますが、こんな大きな地震は初めての経験でした。
あれから一週間たった今も揺れに敏感になっているのか、
いつでも揺れているような気がしてしまいます。。。
夜も寝ているのに寝れていない感じです。
でも、とりあえず日常生活を取戻しています。
もう、ホント、こんな地震は経験したくありません。。。。。。
ちなみに。。。
息子はというと、その後の余震もあまり気付いてない様子^^;
当日の地震の時も、すぐにうずくまったのであまり揺れてる感じしなかった、とか言ってる^^;
ホントに能天気BOYです^^;
娘は逆に、私のいない時に地震があったものだから、少し不安があるみたい。
息子と同じく余震に気付かない事の方が多いですが(動いて遊んでるからかな?)
ふとした時に「もう、じしんいやだねぇ」とか「もうゆれるのとめてほしいねぇ」とか言います。
今日も大きな月を見て「おつきさま、どうかじしんをやめさせてください」と言ってました。
そして子供たちの遊びの中に「地震・停電」と言った言葉が混じるようになりました。
やっぱり気にしているんですよね。。。
そして、今になって思うと、いや、地震のあったあの日から思っていますが、
幼稚園で皆と一緒でホントに良かったな、と。。。
娘には私がいなくてコワイ思いさせたけど、頼りになるばーばがついていたし、
もしあの日が普段通りの日だったら、私一人で子供たち二人を連れて
迅速に避難とかできなかった気がします。。。
最後に、この地震で被災され亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、
被災された方々が早く元気を取り戻されますようにお祈りいたします。。。
私にできる事は、募金かな。。。