世田谷区あべ力也のひとり言

世田谷区あべ力也が日常生活の中で感じたことを、政治的な内容にこだわらず多岐にわたり感想を述べる本音の呟き。

2012年世田谷区議会第1回定例会最終日、あべ力也平成24年度世田谷区予算案に賛成の立場からの意見開陳

2012-03-28 02:30:25 | Weblog
平成24年度世田谷区予算案に賛成の立場から減税世田谷あべ力也意見開陳

ギリシャなどの地中海沿岸を中心とした諸国の財政危機を身近で感じながら、イギリスのキャメロン政権が大胆な財政再建策を打ち出し、内閣支持率を下げながらも粛々と実行を始めています。掲げるのは「ビックソサエティ」というコンセプトです。
これは、政府の規模は行政改革で小さくする方向で、その代わりにチャリティ(いわゆるNPO)自治会等を充実強化することによって社会のセフティネットを構築していく考え方です。そのための財源として着目したのは、預貯金だけではなく、土地、建物、特許権など成熟社会では眠っている資産を活用することです。
こうしたことは、人口減少、超高齢社会、成熟社会の日本でも応用可能なコンセプトのように思われますが、今の世代の票ほしさに、問題の先送りを続ける日本と違って、国民主権の国民とは、過去及び現在、そして将来の国民であることを分かっているイギリスの政治家は、今の世代には苦くとも、「将来の世代を含め国民全体の利益」「言葉の本当の意味での国益」を踏まえた政治的決断を行なっています。
同じ議院内閣制を取りながら毎年首相が代わる日本では、中長期的な政策はとりがたいのが現状です。イギリスのようにサッチャー、メ-ジャー、ブレア、ブラウンそしてキャメロンと30年強で5人目の首相(平均在任期間6年強)という国に日本も変わるべきではないでしょうか。
リーマンショック後、新興国の台頭や、先進国の財政危機が目立つようになった中で、先進国日本の「政府像」はどうあるべきなのか?改めて考えてみなければなりません。ひとつの答えとしての首相公選制へのアプローチには、憲法の改正も視野に入れなければなりません。

一方、地方に目を転じると、周知の通り、憲法の92条でいう「地方自治の本旨」とは何かが、法律の何処にも規定がありません。通説では、地方自治は国からあたえられるものだから、国が制約を課しても構わないとされています。先ずこうした考え方を改めさせなければなりません。政府による今般の地域自主性一括法は、国と地方の関係の本質は何も変わらず、結果として条例そのものの価値を低下させ、義務付け・枠付けの緩和に係る地方分権改革推進委員会の戦略は失敗であったと言わざるをえません。真に地方が自主自立を勝ち取るためには、憲法を始め地方自治法とその関係法令の見直しによる国と地方の形そのものの制度設計を再構築しなければなりません。また、自治体がすべての公共サービスを、画一に提供するフルセット主義は、見直す必要があります。
政策の善良なトレードオフは、持続可能性というインセンティブをもたらします。持続可能な選択とは何か。宮脇淳(北海道大学公共政策大学院院長)が興味深い例を紹介しています。
フランスの小規模な自治体では、1週間に2日しか窓口が空かないというところがあります。「健康な人は窓口が開いている時にきてください。窓口の開いていない残りの平日は、窓口まで来られない人のところに役所が行きます」というわけです。こういわれるとなかなか反論ができない。
高齢あるいは病気などの理由から自分では窓口まで行けない人のために、自分で来られる人は一定の「負担」をする。24時間自分が好きな時に役所に行けるようなサービスの拡大を求めるのではなく、自分から時間を限定し、その分の職員の時間を来られない人のために割くという考え方です。地域のコミュニティにおいては、こうした考え方が必要になってくると思います。
さて、地方議会は今、危機に瀕しているといわれます。その理由は、いくつかありますが、住民参加が徐々に拡大してきていること、それから住民訴訟が増えていることなどが影響しています。住民参加がなぜ危機なのかというと、住民参加は縦割り行政の隙間を埋めるよい手段となりますが、たまたま触れた声を聞くだけでは、ポピュリズムの構造に陥ってしまうからです。これでは政策が一貫性を失い、失敗の連鎖が続くことになります。真の住民参加とは、住民に権限を与えると同時に、責任を分担してもらうことであり、単なるアリバイ作りの住民参加からの転換が必要です。実現には、首長も議会も相当な覚悟が必要です。
つまり住民と議会は、よい意味での競争関係になくてならないのです。
住民訴訟の増加も議会にとっては脅威です。第三セクターの破綻が訴訟になった場合、行政側も議会もそれを適切なものとして判断した責任が問われます。
敗訴しないためには、ひとつの政策を議決するときどれだけの議論をきちんとしたかが、司法的な判断や責任問題の重要な検証素材になることは言うまでもありません。地方議会は、競争と質の向上が求められているということです。いつまでも議論していて結論が出ないのでは困るので、多数決の原理では、より多いひとたちの意見を優先します。ただし、多数決で決まったから正しいとは限らない。だから、少数者に耳を傾ける。民主主義の原則とはそういうものです。議会の責任とは何か、議会できちんとした説明のできる議論がされたかということであり、議論には理念が必要です。これが「公理」です。
政治における正義というのは、時の権力が選んだ選択肢です。政治によって政策上の「正義は変わる」ということも肝に銘じなければなりません。
また、行政と議会との馴れ合い、もたれあいの関係も正さなければなりません。より開かれた情報公開の徹底のためにも情報公開条例の改定を提案しておきます。

大阪の橋下市長の政治手法が全国的に関心を集めたのは、「大阪都」構想です。これに刺激されて愛知県と名古屋市による「中京都」新潟県と新潟市の「新潟州」などの案も議論されるようになりました。
人口100万以上の政令都市を、府県から独立した「特別自治市」にしようという主張も注目されています。すでに都区制度という不完全で唯一の大都市制度を持つ東京は、夜間人口4万8千人の千代田区から、83万人の世田谷区まである現状について、思い切った統廃合によって行政経費を節減するべきだといった主張が改めて聞かれるようになっています。
大阪都構想が、東京を含めた大都市自治のあり方について問題を提起したことは、評価しなければなりません。地域それぞれの特色に応じた自治制度に改める時です。

東日本大震災が発生してから1年が経過しました。この間、国際的にも最大級の災害に対する日本国民の秩序だった行動に世界が驚き、賞賛の声があがったということは日本の強みのひとつです。
ただ、国民のガバナビリティの高さに比べて、政治家のガバナンスのお粗末さ、特に民主党内閣の体たらくは、日本の弱点としてしっかり自覚し、国政の建て直しにも配慮すべきです。政府と自治体の公的債務残高が1千兆円を超え、社会保障費も毎年1兆円増加する中で、制度設計を変えずに、ギリシャの二の舞になるまいと、国債金利抑制のためだけに、消費税増税ありきで、この国の将来のデザインを提示しようとしない現政権の政策に正当性を感じないのは私だけではありません。
おそらく、今の日本は国債の金利が1パーセント上昇しただけで、政府の予算編成は困難です。消費税増税は、まさに急場しのぎの付け焼刃に他なりません。

本年2月に出された民間事故調の報告書は、当時の菅首相の「官邸の現場介入が原子力災害の拡大防止に役立ったかどうかは明らかでなく、むしろ無用の混乱と事故が発展するリスクを高めた可能性も否定できない」と結論づけています。いずれ歴史という法廷で裁かれることでしょう。
これらの教訓から、近い将来、起ると予想される首都直下型地震に万全の備えをしなければなりません。また、大規模災害時の地方議会及び議員の果たすべき役割は何かについて考えてみることが必要です。
議会事務局と災害対策本部が、緊密に連絡を取り合うことで共有化を図る方法もあるし、以前私も議会で提案しましたが、大田区のように、区災害対策本部に区議会議長が入り、情報共有を行なうことも効果的です。

いづれにしても、われわれは、国も地方もパラダイムシフトと制度的補完体制の打破による新しい国家秩序を早急に形成しなければなりません。それには、政治にかかわる者ばかりではなく、国民一人ひとりがこの国の危機感を共有するとともに、変わることが求められています。

2012年世田谷区議会第1回定例会あべ力也の一般質問

2012-03-28 02:21:25 | Weblog
2012年第一回定例会一般質問
あべ力也
国の地方制度調査会は、大都市制度をテーマに議論が開始されました。今、大都市制度の再構築がわが国の存亡を左右するといっても過言ではありません。近年の周辺国における大都市制度は、中国を筆頭に、都市を中核とした特区制度や、韓国の都市再生、シンガポールのフリーポートと先進産業、知的頭脳集積など、大都市を中心とした取り組みにより、金融や経済ばかりではなく文化や産業、教育、医療、観光といったあらゆる分野の可能性を最大限に引き出す改革が行われています。迅速な制度改正とあいまって、人、物、お金、の全てを投入し、まさに国家の生き残りをかけて取り組んでいます。つまり国家の存亡は、牽引役としての大都市の成功にかかっていると言えます。
一方わが国における大都市および地方行政政策は、制度的補完体制を堅持しようとする旧体制派と変革を求める改革派とで、改革に向けた議論のテーブルにさえ着こうとしていません。政権交代に多くを期待し、日本の閉塞感の突破口にと思った国民の期待は大きく外れ、旧来の制度の中での、旧来的な議論、「決められない政治」を続けています。
こうした状況の中、大阪、名古屋をはじめとした「地方から国を変えようとする」動きは、国と地方のあり方や、大都市制度、地域主権や地方分権、ひいては道州制といった、なかなか進まない議論に風穴を開け、日本の国そのものを大きく動かすものと期待します。
23区の特別区を持つ東京は、都区制度という国内唯一の大都市制度を持つものの、都区間も、財政・人口格差の調整の不公平さの解消を区側が求めているのに対し、議会の議員数、職員数の肥大化による非効率といった問題解消のため統合・再編を都側が求めるなど課題が山積しており必ずしも十分な行政制度とはいえません。
現在の都道府県と政令市、基礎的自治体との問題解決に当たっては、そもそも地方のことを地方が決める場と権限がないこと、また対策が対処療法的なものがほとんどで、結果、権限や財源の縄張り争いにより、制度が複雑怪奇であったり、二重構造になっています。非効率の元を作り出しているのが、行政側そのものといえます。
広域行政の一元化と身近な地域行政単位間における、広域事務の範囲の定義や財源の配分あり方をしっかり決め、制度的にわかりやすい簡素化を徹底することが大切です。
また、大都市が、現状の政令市の枠を超え、都道府県から独立した行政体となることを可能にする新制度の創設も考えられます。横浜市、さいたま市など7政令市は、まさに、府県から独立した、新しい行政運営主体として「特別自治市」を提案しています。
いずれにしても、そうした国と地方、都道府県、政令市、市区町村といった枠組みを根本から見直し、中央省庁からの視点、一極集中の集権国家体制の打破による、地方分権をさらに進めた「地方主権」を実現しなければなりません。
今般、東京都から市部には、用途指定の権限や都市計画決定の権限が委譲されますが、23区については、東京都に依然留保されるとのことですが、区への委譲を強く主張することを要望しておきます。

そこで何点か質問して参ります。
今般の大阪や名古屋の動きに象徴されるのは、地方からの強力な主張が、国を動かす可能性を示したということです。区長は先の東京新聞のアンケートに答えて、都区制度を変えるべきだとしています。また、他会派の質問に答えて、権限と財源の委譲に向けた、区長会でのコンセンサスをとって行きたいという回答でありましたが、住民の利益のためにも、旧来の制度で、旧来の議論を繰り返すばかりではなく、現在の制度そのものを大胆に変えて行く提案と情報発信も必要ではないかと思いますが、ご所見を伺いたいと思います。

世田谷区は、大場区政のときに、政令市を目指したことがありますが、なぜ実現できなかったのか。また、世田谷区は鳥取県や島根県などよりも人口規模が大きいことから、都道府県から独立した「特別自治市」を目指すことも考えられますが、見解を伺います。

区長が言われるように、全てを行政が行なうには限界があり、東京23区というきわめて人口密度が高く、交通網や情報網が発達した都市部だからこそ、既存の行政区域内に、全ての機能や施設を整備しようとする、「フルセット主義」から脱却が可能なのではないか?と思いますが見解を伺います。

分権は、国、都、区の問題だけではありません。区内でも、区から地域への分権を推進すべきです。つまり自治会や町会、地域活動団体に地域のことを託すことによって、新しい地域社会を再生すべきです。その装置として、全ての町会自治会をNPO法人へと移行をして、区の事業を分かち持つパートナーとしての受け皿にできないでしょうか?真のパートナーシップ実現に向けての見解を伺います。また、現状でも区内の197団体のうち18団体が法人格をもっていますが、これはどのような理由で取得したのか伺います。

区長は就任以来、「情報公開」と「区民参加」を強調してきていますが、今般の予算編成におけるその過程の情報公開においては、不透明な所があるのは否めません。目黒区は、財政難の中での苦肉の策で予算編成過程の開示に踏み切ったとのことですが、可能ならば世田谷も実施すべきです。見解を伺います。

さて、行政コストの検証は常に必要です。特に人件費の占める割合が非常に高い訳ですから、注視して行かなければなりません。
大阪市は職員の能力給制度導入を決定しました。これは人件費の抑制ということではなく、職員の絶対評価と相対評価の組み合わせにより、より的確で簡素化された人事考課と、各級ごとの評価の幅を広げ、職員のやる気に応える制度と評価するものですが、世田谷区として導入を検討すべきだと思いますがご所見を伺います。
また、一般職員以上の付加給与の支給のある職員ならびに管理職の占める割合についてお聞かせ下さい。

特別職に関しては、区財政に連動した報酬へ転換すべきです。区財政が悪化すれば、区民サービスをカットしたり、受益者負担を理由に負担料の増額を強いるのであれば、区の経営に関し責任と決定権、承認権のある特別職の報酬にはなんら影響がないというのでは、区民感情からして理解を得られないのではないでしょうか?見解を伺います。

2、議会内役職加算報酬廃止について
「区民感情からみて、これまでの議長の報酬額はいかがなものかと思っていた」これは議長報酬を月額85万9千円に引き下げの改訂を決定した、杉並区の議長の弁です。一方、これに比べて現在の世田谷区の議長報酬は月額6万8千円高い92万7千円です。
政調費を含む区議の年間報酬は約1300万円ですが、これに年間の役職による報酬加算として およそでありますが議長500万円、副議長300万円、監査委員200万円、委員長80万円、副委員長50万円等があります。委員長や副委員長に関しては、委員長報告の作成から、区議会だよりの原稿の作成、閉会中の調査実施など本来はそれなりに重い責任があり、それに伴う打ち合わせなどを行なわなければなりません。しかし、現状は、ほとんど全てが議会事務局に丸投げで、出席日数等も一般の議員とほとんど変わりはありません。これらの役職報酬加算は、大阪や兵庫、愛知などでは大多数の議会で廃止をしたか、もともと無いというのが実態で、こうした改革は西高東低と言われています。世田谷区も廃止すべきです!
そこで、算定に当たっての明確な合理的根拠や算定方法は何か?お聞かせ下さい。
また、加算報酬廃止に向けた手続きはどのように行なうのか。伺います。

報酬審議会では、議事録を見る限り、こうした加算報酬に関する議論がされていません。議論もせずに答申を出し、それを受け入れているのは問題があるのではないでしょうか。区の見解をお聞かせ下さい。
 また、1年間の役職加算報酬の総額は、およそ1900万円にもなりますが、この役職加算報酬について、諮問しないのはなぜか伺います。
さらには、区長は、「情報公開」と「住民参加」を標榜されており、報酬審議会の諮問にあたっては、議題を区民から公募してもよいのではないかと考えますが、区長の見解を伺います。